106 その錬金術師は王弟と再会する
昼食の時間を過ぎた辺りでやってきた執事に促されて、馬車で王弟が住む城へと向かう。彼は既に王都から戻ってきているようで、忙しい中で時間を作ってくれたようだ。
そこから先、通された部屋は相変わらず豪奢なもので、しばらく待たされる中、場違い感を半端なく感じていた。
メルシーも同様なのだろう。流石に藁で出来た笠や雪蓑は外させたが、着ているものが俺の服というのもあってか、余計に縮こまっているように見える。
そんな彼女の頭を軽くポンポンと叩きながら、宥めすかして口を開いていた。
「背筋だけを伸ばしてろ――後は、俺の注意をその都度聞いてりゃ大丈夫だからさ。」
「は、はいっ。」
「少なくとも、ここのご領主様は横暴なタイプじゃないし、平民が多少失敗したくらいじゃ、目くじらを立てるような事も無いよ。」
「はい!」
幾分、緊張が和らいだ様子で返事を返してきたので、出されていたお茶に手を伸ばす。
午前中ぐっすりと眠ったからか、昼を過ぎたあたりで盛大な腹の虫を鳴かせて起きてきた彼女の目は、もう覚めている。
俺に倣ってか、紅茶を一口飲むと、にっこりと微笑んで口を開いてきた。
「美味しいですね、この紅茶。」
「ああ――ここの領主様は、王様の弟君に当たるからな。良い物を使っているよ。」
紅茶は緑茶の茶葉を発酵させて作るものだが、それだけに素材の誤魔化しや手抜きが許されない。
良いもの程高値が付く為に、時には一杯の紅茶で銀貨が吹っ飛ぶ事なんかもあるようだ。
「わぁ、そんな良いものいただいちゃっていいんですか?」
しかし、銀貨は元より、大銅貨すら滅多に見たことがない開拓村育ちのメルシーでは、おそらくその価値はいまいち理解が出来ないだろう。
なので、気にしないようにと伝えておいた。
とは言え、
「出されたなら手を付けるのも礼儀だが――偶に、毒が入ってる事もあるから注意な。」
「うぷっ。」
「これは入ってないけど。」
隣で吹きかけて咽てしまい、メルシーが目を白黒とさせる。
それに、おっちゃんと支部長が笑いながらも口を挟んできた。
「何、そんな事は滅多に起こらんさ。」
「ここのご領主殿なんて、民にも優しくされていますからなぁ――そんな中で毒が入ってるかもとは、ルーク殿はちょっと意地が悪いですぞ?」
支部長の言葉に、俺は片眉を上げて見せる。
「それでも、実際毒殺しようとする輩は居ないわけじゃないからな。この子の場合、あっさりと引っかかりそうで、ちょっと怖いんだよ。」
そう告げると、
「ひ、酷いです!」
メルシーから非難の声が上がってきたが、俺は口元を笑みの形に吊り上げて返しておいた。
「見分け方は追々教えてやるよ。引っかからないようにな。」
「うーっ、それでも酷いですー!」
「あははははっ。」
その内、人間の悪意性についても叩き込まないとならないだろう。この子はお人好し過ぎるようだしな。
とりあえず、これだけ元気なら眠りこける事ももう無いだろうと、少しホッとした。
ただ、余計にまたストレスを与えている状況にも思える為に、思考は空回りしていく。
(宿に置いてきた方が良かったか……?)
そうは思うものの、これはこれで退屈だろうし、今の彼女はまだ精神的に不安定だ。
距離を置くにしても、もう少し様子を見てからにした方がいいだろう、きっと。
開拓村の暮らしは楽ではない。
肥沃な土地とはいえ、この辺りの草原は開墾するにも時間がかかるからだ。
地面を掘り起こせば、過去に津波で流されてきたのか、石や岩がゴロゴロと出てくる。手作業でそれらを取り除くのは大変な事だし、現状は大人も子供も日々の糧を得るので精一杯だ。
そんな中でメルシーが一人で畑や鶏達の世話をするのは、大変だった事だろう。
加えて、それらを取り上げられてしまった後では、今度は食べ物を探すだけで一日が終わりかねない。
それくらいには、開拓村での暮らしは大変なのだ。
(後で服も買いに行かなきゃならんなぁ。靴は作るにしても、衣服まで作るのは時間がかかりすぎるし、他にやる事もあるし無理か。後は、細々とした道具とか――あ、こいつ、生理とかどうなってんだ?)
痩せこけてはいるが、このくらいの歳なら初潮が始まっていてもおかしくはない、
しかし、尋ねるにしてもかなりデリケートな問題だ。男の俺が聞き出すわけにもいかないだろう。
(一番良いのは、金を持たせて買わせるとか――?けど、知識あるのかどうかが問題だな。)
開拓村では物々交換が主流だ。金銭でのやり取りは滅多に行われない。
この為に金だけ渡しても使い方が分からなかったり、下手をすると巻き上げられかねなかった。
おっちゃんと支部長に構ってもらえて、楽しそうに雑談しているのを横目に、俺は頭を悩ませる。
(――この辺りもおいおい教え込まないといけないか……。)
読み書きに計算、更には商売に関する知識等、教える事が多い。というか、山積みだ。
魔術師の道を歩むにしろ、錬金術師を道を歩むにしろ、その前のところで躓いていそうなのが難点だが、幸い、時間はあるから叩き込む事は出来るはずだ。
その上で、
(生理用品どうしよう?)
この問題だけが残ってしまった。
一番良いのは、女性店員あたりに間に入って貰う事だろうか――?
出来ればそこで丸投げする事が可能なら最高だ。男の俺が実際どのくらい必要になるとか、種類だとか、そういうのは全く理解できないからな。
そんな事をつらつらと思っていると、会談の席が整ったらしくて呼び出された。
それまで同じ部屋に控えていたおっちゃんと支部長達に続いて、メルシーの手を引いて部屋を出る。
長い廊下を進む事も無くて、すぐ近くの扉の先へと案内されると、すぐに渋い声が飛んできた。
「――皆、久しいな。」
中で待っていたのは、王弟でありこの地の領主であるサイモン殿だ。
立って中へと手招く辺り、無礼講とまではいかずとも、作法は気にするなという事だろうか?
もしそうなら有り難い話だった。
「はっ、殿下におかれましても、ご機嫌麗しく、何よりでございます。」
「うむ――して、話とな?」
「それについては、私の方から。」
それぞれが椅子に座りながら、俺が口火を切って話す。
「まずは、こちらをご覧下さい。」
出したのは、赤、緑、薄い橙色の液体が入った硝子瓶と、金属製の缶の計四種類の魔法薬である。
それぞれを説明しながら、俺はサイモン殿の様子を念入りに伺った。
「――これは?」
「赤は一般的に体力回復薬と呼ばれる物で、怪我に効く魔法薬になります。緑は解毒剤、薄い橙色は魔力回復薬、そして最後の金属製の缶が凍結薬と呼ばれる、振りかけた対象を凍り付かせる液体です。」
「ほう。」
ジッと見つめる先、王弟がそれぞれの瓶を手に取って光に透かしたりしながら眺めて、最後の缶に手を伸ばしたところで俺は止めに入る。
「そちらの缶の凍結薬は決して開けないようにご注意下さい。ほんの少しの内容液が付着するだけで、命に関わりますから。」
「――それ程までに危険な代物なのか?」
「はい。毒よりも危険です。付着するだけでも組織が壊死しますから、その部位を切断する事になります。」
「ふむ。」
手に取りかけたところで固まり、指先を引っ込めた王弟が難しそうな表情を浮かべる。
「そちらは私が使う【凍結】の氷魔術と同等の効果があります。なので、取り扱いは厳重注意の品になります。」
「なんと――そんな物を持ち込んだのか!?」
「畏れながら、スライム対策には有効ですので。」
「――っ。」
「量産も可能ですよ。」
先の三つはともかくとして、最後の一つ、凍結薬だけは純粋な攻撃力がある。しかも、取り扱いを間違えれば持ち主にも危険が及ぶ代物だ。
それでも叩きかけるように提示するのは、スライムによる被害を減らす為。あいつらの繁殖力は、他の魔物ではゴブリンと並んでトップクラスだ。
そこで、その対策の品として作ったこれに関する使用制限や、保管方法等を記載した一枚の書類を差し出して見せた。
「使うのは冒険者でもDランク以上からとして、一般人の所持は勿論、使用も禁止。売買は冒険者組合のみで行って、管理も徹底してもらうつもりです。これで、多少は危険が減ると思います。」
「――難しい案件だな。」
顔を顰める王弟だが、この条件は絶対に外せない内容だろう。
下手に子供が手に入れたりすると危険だからな。誤って誰かにかけてしまったり、最悪、口に付けてしまいかねない。
この為に、事故防止策としては、一般家庭には出回らないようにしておかないとならなかった。
「ううむ。専用の格納庫か――。」
そんな俺の提示した案で、サイモン殿はざっと目を通すと、一つの項目で止まってしまっていた。
「危険物故に、地下に作りたいというわけだな?」
「はい。管理する場所としても最適ですし、盗難の怖れも低いですから。」
「ふむ――。」
地上に作るとなると、今度は窓などからの侵入が容易くなってしまう。それじゃあ、保管場所としては余り適切ではない。
盗人なんかは、窓等から侵入したりする可能性が高いので、最初から潰しておくに越した事は無いのだ。
特に、狂人の手に渡ると危険だった。下手に使われると、無差別な殺戮に使われてしまう怖れがある。
「確かに、地下に作ってしまうのがいいのだろうな――よかろう、やりたまえ。」
「有難うございます。」
しばらく悩んだ様子を見せたサイモン殿が、許可を下す。
それを頂いて、俺は深々と頭を下げた。
ただ、冒険者組合で扱うのは当然なんだが、その先もまた用意してある。
一つの組織が持っているとなれば、難癖を付けてくるところがあるのは明確だ。
武力は一箇所に集中させると面倒事にもなりやすい為に、予め分散しておくのが得策だった。
故に、ここは緩衝材として、是非ともサイモン殿へは一枚噛んで欲しい。
「つきましては、こちらの兵の皆さんにも、いざという時の備えとして管理していただけたらと思い、更なる提案をさせていただきます。」
「うむ、それは悪くないな。」
すぐに頷いた領主を前にして、おっちゃんと支部長から口添えが入ってくる。
先にこの考えは伝えてあったので、許諾も得た上での話だから、ある意味当然の流れだろう。
「スライムには剣も槍も効かないからな。これがあれば、兵士達の死亡率がぐっと減らせるはずだ。」
「冒険者組合でも頭の痛い問題でしてなぁ。スライムにやられるベテランの戦士も少なくは無い――出来れば、討伐にご協力いただけたら幸いです。」
そんな中に、
「僭越ながら、口を挟ませて下さい。それがあれば、多くの同僚の仇が取れるやもしれません。」
「自分にも口を挟ませて下さい。未だ引き摺っている者達にとって、それは心落ち着かせられる物となるはずです。どうか、ご配慮を頂けないでしょうか?」
壁に控えていた複数の兵士達が、口を挟んできた。
それに、上司であるサイモン殿が僅かに遠い目をする。
「確かに――森で犠牲になった兵士の多くも、これがあれば生き延びれたやもしれんな……。」
「はっ、一人と言わず、皆が戻れたかもしれません。」
「うむ。」
森に入ってそのまま帰ってこなかった兵士達が居るという話は、俺も聞いている。
おそらく、大量繁殖していたブラッディー・スライム達に喰い殺されてしまったのだろう。
あいつらは獲物を見つけたらしつこく追ってくる性質がある。その為、一度ロックオンされたら、都市まで逃げてもその後が問題になっただろう。
そう考えてみると、殉職するのを選んだ可能性すらあった。
「――よし、後で隊長は話をして、私に詳細な報告を上げてきてくれ。有効と思われたら、即時採用とする。」
「はっ。」
その可能性に領主としてサイモン殿も思い至ったのだろう。
しばらく天井を見上げた後で、意を決したように口を開いていた。
「――兵達の願い出をお許し頂き、誠に感謝いたします。」
「よい、私とて、引き摺っていないわけではないからな。有効ならば、それこそ備えておく品だろう。」
「はっ。」
サイモン殿の顔に浮かんでいるのは、苦い笑い。
側に控えていた兵士の一人――濃い茶色の髪と瞳に、褐色の肌をした男性がどうやら隊長らしいが、以前、ゴブリンの集落を殲滅した際にも同行していた人物だった。
あの時も隊長と呼ばれていたので良く覚えていたが、そんな隊長と王弟の間で会話が続いていく。どうやら彼は、随分と信用されているらしい。
「必要となる数はお前が見立てておいてくれ。私よりも、場数を踏んでいるお前の方が分かるだろうしな。」
「かしこまりました。適切な数を模索、検討いたします。」
「うむ、頼んだぞ。」
「はっ。」
二人の間での取り決めが終わったらしくて、王弟が再びこちらへと顔を向けてくる。
その様子に、次の話題へ行けるものと見て、俺は口を開いた。
「魔法薬の販売許可を頂き、感謝いたします。」
先に述べるのは感謝の念。
市場が混乱するというか、しばらくは詐欺等も横行するだろうから、こうして言葉として伝えておくのだ。
これに、
「なに、元より決まっていた事だ。そなたは薬師のような仕事が本来の役割なのだろう?」
「ええ。」
王弟が苦笑いを浮かべて返してきたので、それに確りと頷いて返しておく。
「錬金術師は得意分野によって分かれますが、私はとりわけ、薬師としての才があると、師に叩き込まれましたので。」
「それで、魔法薬か――過去に逸失した技術が現代で取り戻せるのは何よりだな。して、本題は?」
ここまではあくまで前座だ。
俺は息を吸って、隣で座って大人しくしていたメルシーを立たせて注目を集める。
「こちらの少女――メルシーを弟子として引き取りました。」
「ほう――。」
鋭い視線で射抜かれたメルシーが一瞬、ビクリと震えたが、背中を軽く叩いて落ち着かせる。
「開拓村の出です。現在の彼女は天涯孤独の身。ほぼ成り行きですが、魔術を教えるに当たっての条件も、才能も、問題がありません。」
「ふむ。」
「人格に関しても、温厚、温和な性格。人に向けて危害を加えるような事は無いでしょう。」
「最低限は備えているか。」
「はい。」
魔術師になるには、一つ、どうしても捨てて置かないとならないものがある。
それが家族だ。
生まれ持った家族との絆がある場合、そちらを人質にされて、利用されてしまうというケースが後を絶たない。
この為に、メルシーの今の状況は、魔術師になる条件を満たしてしまっていた。
「素質があるのが一番の理由ですので、彼女には魔女の道を歩ませるつもりです。」
幸い、魔女達は女なら招き入れてくれる。
一生出られなくはなるだろうが、それは同時にそこでの暮らしが完結しているという証でもあるのだ。
元々、開拓村という閉鎖的な空間で育った子だ。狭い環境になっても、余り圧迫感を感じるような事も無いだろう。
そんな考えでいた俺に、射抜くようにサイモン殿が視線を向けてくる。
「それは、情が湧いたから引き取るというわけではないのだな?」
「ええ。」
それでも、俺は動じずに確りと返しておいた。
元より、試されるのは想定内だからな。このくらいで、ビクつくわけもない。
「魔術師だけでなく、錬金術師としての技術も納めれば、魔女達も迎え入れやすくなるでしょうから、彼女にとっては、あそこが安楽の地にもなるはずです。」
「――成る程、そこまで考えているか。ならば、許可しないわけにもいかんな、これは。」
「恐れ入ります。」
メルシーが錬金術師としての技術を魔女達の元へ流せば、彼女たちの技術も向上する。
そうすれば、今出回っている劣化魔法薬の性能も上がるはずだった。
「ただ一つだけ、問題が。」
「何だ?」
王弟に向けて、俺は一拍置いてから口を開く。
ここで兵士を借り受けられなければ、独自に調査する必要があるだろう。
「――この子の今置かれている状況に、どうも搾取している者の影があるようなのです。つきましては、その調査の為に兵を――。」
貸して欲しい、とそう言おうとしたんだが、
「何!?私の領地内でか!?」
「は、はい。草原の開拓村での話になります。」
「あそこか!またあそこか!」
凄い勢いで話に食いつかれしまって、俺は思わず、タジタジになりながらも口を開いていた。
またってなんだ、またって。
「この子の家は養鶏場で、祖父と二人きりで切り盛りしていたのですが、保護した時には家も取り上げられたという話でした。ですので、遺産の相続関係について、おかしい点が多くて――。」
「確認は?まだ済んでいないのかっ?」
鬼気迫る表情で言われて、俺は更にタジタジになる。
なんか、滅茶苦茶食いつかれるんだが、支部長といいやけに必死過ぎる気がする。
そこまでして下の者に気にかけるとか、開拓村というものには何かあるんだろうか?
「え、ええ。まだ確認までは行っていません。それよりも、先にこちらに向かいましたので――ですが、この子の栄養状態を鑑みるに、十分有り得る話かと思います。」
「くそっ――私の領地内で子供を追い出す極悪人がのさばっているとは、何たる屈辱っ。」
「ええと――。」
サイモン殿は、特に完璧主義者というわけではなかったはず。
過去に起きた事は俺には分からないが――まぁ、多分、碌な事じゃないんだろうな、きっと。
「とりあえずはそれら確認も含めて、こちらで手を貸して頂けたらなと思いまして、こうしてご相談に上がりました。誰がやってるにしても、隠された後では、意味がありませんので。」
これに、
「成る程な、下手に干渉して、隠されても面倒というわけか。」
「はい。」
身を乗り出していたサイモン殿が、ようやく席へと戻って、俺は思わずホッと息を吐き出していた。
ふと横を見ると、領主の勢いに驚いたのか、目を丸くしているメルシーの姿があり、そんな彼女を席に座らせる。
そこに、
「よかろう。ここでの用事が済んだら、数名を連れて行くと良い――仮に強奪しているような者が居たら、首に縄を着けてでも引き摺って来い。場合によっては私自ら罰してくれる。」
「は、はぁ。」
やけに過激な発言が飛び出してきて、俺は目を瞬かせた。
(本当に、開拓村には一体何があったんだろうか――?)
解せない思いを抱えている俺の横では、当然という顔で支部長が頷いていて、おっちゃんだけがニコニコとした笑みを浮かべていた。
複数ある開拓村で過去に起きた『何か』。
それが過剰な反応へと繋がっていますが、本筋で出すかどうかは今のところ未定。
必要そうなら出します。
2018/11/22 加筆修正を加えました。王弟(領主)の言葉に自ら罰するの下りを追加。




