104 その錬金術師は雑貨店と交渉する
手続きの諸々より先に立ち塞がる問題。
下手に有名になると起きるアレな現象が、二人の前に立ちはだかります。
白い漆喰が塗られ、降り積もる雪の中で溶け込んで見える外観。
その建物に取り付けられた木製のドアを開けば、カランカランと音色を奏でて、小さな鐘が来客を告げた。
「いらっしゃいませ――。」
店内へと一歩足を踏み込んだ途端に聞こえてくる声が一つ。
それに視線を向けてみれば、見慣れた格好をした一人の男性が目に映り込んで、思わず口元が綻んでいた。
「ルークさんじゃないか、久しぶりだな!」
「ええ、どうも、ご無沙汰しています。」
とりわけ混雑した店内でも一際目立った姿をしていたのは、行商人のおっちゃんだった。主に、俺に馬と馬車の扱いを教えてくれた人物である。
頭にはターバンを巻いていて、たっぷりとした布地の衣類を身に着けているその姿は、記憶の中にある姿と何ら変わりが無くて元気そうだった。
「ちょっと、お話をよろしいですか?」
そんな彼へと声をかけて、コートについたフードを引き下ろして見る。おっちゃんの顔には、笑みが浮かんでいた。
自然と、こちらにも微笑みが浮かんでくる。
「ああ、勿論だとも!――おーい、ちょっと抜けるから、後を頼むぞ。」
「はーい。」
即答で返してくれたおっちゃんの大声で、何事かと店内にいた客達が視線を向けてきた。
それに、一瞬だけ体が強張ってしまい、足が止まりそうになる。
「え?あれって――。」
「嘘!?白いけど、本物!?」
にわかに騒がしくなった中をメルシーの手を引いて横切りつつも、おっちゃんの側へと近寄って行く。
周囲の声はガン無視だ。どうにも一部に過剰な反応をする奴が居て、面倒なのである。
ここに来るまでの間にも、無駄に時間を取られて大変だった。メルシーなんてもうぐったりしてるし、今は暇じゃないから余裕も無い。故の無視である。
「すみませんね、お忙しいところを。」
「いやいや、知人が尋ねてくるのと忙しいのは別問題だよ――全く構わないさ。」
そんな俺に明るく応えてくれたおっちゃんは、以前となんら変わりない態度で接してくれて、とても有り難く思える。
何気にこの人、二面性のある人物だが、面倒見は凄く良いし人の機微にも敏い。
ちらりとメルシーの方を見て、疲れ切っているところを配慮してくれたらしく、すぐに奥へと手招いてくれた。
「こっちだ。ああ、扉は閉めて来てくれよ?」
「有難うございます。」
そんなおっちゃんの気遣いに、俺は何度も頭を下げつつ彼の後を着いて行く。
扉は確りと閉めて、メルシーの手は引いたままだ。
放っとくと、その場に座り込みかねないくらいには疲れ切っているからな。栄養不足からくる体力の衰えもあるし、精神的な疲労もまた消えていない。この為、もう少しの辛抱だと言い聞かせて歩かせた。
「突然お邪魔してしまって、本当にすみませんね。」
「なぁに、店の方は元々手を出さないって話だったからな――俺一人抜けたところで対して変わらないよ。」
俺の言葉にカラカラと笑いながらも、おっちゃんが先導して案内をしてくれる。
その後を着いて歩きながらも、ざっと周囲の様子を確認したが、これといって目立つ特徴は無かった。
おっちゃんは、物価に関しても色々と教えてくれた人なんだが、俺からすれば商人としては師に当たる存在だ。
そんな彼の息子が経営している店は、どうやらかなり混雑しているらしい。
こちらの静けさとは真逆で、にぎやかな声と店員の掛け声が聞こえてきていて、中々に騒々しい状況だった。
「そう言っていただけると助かりますよ――。」
おっちゃんの言葉を真に受ける事にしておきながらも、俺はメルシーを後ろから少し押しながら支えてやる。
既に都市の内部で逸れかけたせいか、疲れ切ってフラフラとしているからな。休ませるにも、一部の自己中心的な奴らのせいでままならず、ここまで歩き詰めで来てしまったのだ。
そのおかげか、かなり疲弊してしまっている。
俺としても、体格が小さい為に押し出されるメルシーからは目が離せなくて大変だった。特に、勝手に喋り続ける連中から抜け出すのには、一苦労したものである。
「どうやら、かなり繁盛しているようですね。」
「ああ、おかげさまでな!」
世間話として振ったこの話題に、良い笑顔でおっちゃんが振り返ってきた。
どうやら、かなり機嫌が良いらしい。
「君のおかげで繁盛しているよ。いやぁ、本当に大助かりだ。」
「あはは、お役に立てたなら何よりです。」
そんな彼にメルシー共々招かれた部屋は、応接室のような所だった。
部屋の中央には、布張りのソファーに背の低いテーブルが置かれている。他に家具らしきものは見当たらなくて、思わず殺風景だな――と思ってしまえるくらいには何も無い。そこは、途中歩いた通路同様、質素を通り越しているようだった。
どうやら、余り調度品へと金を掛けたりするタイプではないらしい。商人に有りがちな成金趣味は、おっちゃんはお持ちじゃ無いようだ。
「ポーションの噂が流れてからというものの、客足が途絶えなくなってなぁ。それで、あの状況だよ。」
「成る程。」
おっちゃんの言葉に俺は頷いて返しながらもソファーの上に座る。その横では、クタリとメルシーが座って寄りかかってきた。
思い返すに、店の中はごった返すくらいに人で溢れていた。その状況を示唆するおっちゃんの顔へはずっと笑みが浮かんでいるし、まさしくご機嫌な表情である。
それを眺めつつ、
「それは良かったです。どうやら、良い宣伝材料になったようで。」
俺はニコリとした笑みを顔に浮かべて、貼り付けておいた。
おっちゃんのところへ来るのは元より、決めていた事だ。現金を入手するにしても、今は余り方法が無いからな。使えるコネは使っておかないとどうしようもない。
そんな俺へと向けて、
「ああ。もうなんとお礼を言ったらいいもんか――あれからずっと冒険者達が顔を見せるんだ。売り切れるかもしれないと焦っているようでな。」
おっちゃんが現状を口にしながらも、その裏で「もっと売れないか?」と催促してきた。
俺は笑顔が崩れそうになるのを防ぐ。
以前【空間庫】を開いた際に、中にまだ保管している魔法薬の類があるのをおっちゃんは知っている。だからだろう、催促してきたのだ。
しかしながらも、俺としてはそれで終わらせるつもりはない。故に、少し話を逸して返す。
「有り得そうな話ですね。体力回復薬は、王都でも余り手に入らないようですし。」
「ああ、おかげで、値引きの話がひっきりなしだよ。」
おっちゃんのところに下ろした魔法薬数は、全部で百を超える。
その宣伝効果というのは、現代では絶大だろう。
何せ、その作り手が途絶えているのだ。
魔女達の物は劣化品だし、数が出回って無い上に、貴族や王族が買い漁ってしまってる。このせいで、下の階級にまでは魔法薬の類は流れて来ないのだ。
そんな中、命の危険と隣り合わせにある冒険者という職業から見れば、魔法薬というものは何時、どこで売られていたという情報だけでも、十分に足を運ぶ要素になるらしい。
何せ、仕事が命がけだ。どのタイミングで命を落すかも分からないわけだからな。予め、生命線となる魔法薬に関する情報は、確認くらいはしておきたくなるのだろう、きっと。
その上でおっちゃんの店が混雑するのは、件の魔法薬を置いている為に、ある意味当然の事と言える。
「しっかし、まさか君があの『救世主様』だったとはねぇ。」
「あー……。」
ただ、そんな中で突然言われたその言葉には、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
救世主は流石に言い過ぎだろうと思う。
何せ、やったのはスライムとゴブリンの討伐だけだ。確実に、貿易都市の領主――王弟サイモン殿の策略にみんな嵌り過ぎだと思う。
「自分は大した事はしていませんよ?」
だからこそ、そう本音で告げたのだが、
「いやいや、謙遜するな。俺と君の仲だろう?」
「はぁ。」
どうやら認識は改めてはくれないらしくて、おっちゃんは頑なに『救世主』であるのは取り下げてくれなかった。
(まぁ、態度が変わらないだけでもマシか――。)
救世主として持ち上げられてしまい、どこを行っても人に囲まれる状況になってるのが、貿易都市での状態だ。以前一泊した間に、噂が広まってしまったらしい。
この状況には、流石のメルシーもうんざりしているが、俺もうんざりだった。
現状では魔法使いの数が少ないので、持ち上げられるのは分からないでもない。だが、俺は余り戦闘には向いていないので、過剰な期待とか向けられても困ると言う話なのである。
これがバリバリの戦闘職で、戦いに向いているタイプだったら良かったんだろうが――生憎と俺は生産職だ。畑違いにも程が有りすぎて、現状は色々と面倒でしかなかった。
(下手に戦場に連れ回される事が無い分、マシだし、大丈夫だと思うんだが――。)
それでも、警戒はする。
まぁ、王都に行った事で、最悪な展開はほぼ避けられていると思うが。他の貴族からの横槍も滅多に起こらないだろうし、当面の安全は確保出来たはずである。
それよりも気になるのが、おっちゃんの名前ってなんだっけ?という点である。
白状?
――いや、余り、耳馴染みが無い名前だったせいで、長いのもありどうにも覚えきれていないのだ。
(確か――ディア、ディア、ディア何とかなんだが、えっと、ディア、なんだっけ?)
記憶を漁ってみるが、冒険者達も「依頼人」とか「おっちゃん」呼ばわりしていたせいで、全く思い出せない。
その事を悟られないように、ただ笑って誤魔化す俺。話を切り出すにも、どうするかと思考を回転させていた。
この間に手土産を渡しておいて、中身を確認してもらうのを思い出し、差し出す。
「――おや?色違いの魔法薬かい?」
「ええ、効果も違いますけどね。」
「ほう。色々と持ってるもんだなぁ。」
手渡した桐の箱の中には、硝子瓶が割れないようにと、確り隙間に紅花詰草を乾燥させたものが詰められている。
その硝子瓶の中の液体の色は薄いオレンジ色で、体力回復薬となる赤い液体とは違う為に、見た目からしても判断しやすかった。
「そちらは、魔力回復薬と呼ばれる物ですよ――ようやく作れるようになったので持参しました。」
「魔力回復薬?作れるようになった――?」
俺の言わんとしている事を察したらしく、目を丸くするおっちゃんに、再度、ニコリと笑みを浮かべて見せる。
さぁ、ここからは商談だ。
「ええ、実は――本職は錬金術師と呼ばれる職でして、こう見えて魔法薬生産の玄人なんですよ。こちら、その証書になりますので、御覧下さい。」
「お、おお?」
「本当は、この時代には居ないはずの存在なんですけどね。遥か昔に仮死状態で眠りに就いていたもので、現代に目が覚めてからは家は無いし住んでた町も滅んでるしで大変でした。」
「お、おおお!?」
王からもぎ取った証書は、医療従事者の証明書だ。種別は『錬金術師』。医師でもなければ薬師でもない。
その上で【空間庫】を開いてから、違う魔法薬を二種類取り出して来る。
「こちらの缶に入っているのが凍結薬、こちらの緑色の液体が入った硝子瓶が解毒剤です――これらを体力回復薬と一緒に、売りに出しませんか?」
「違う魔法薬――だと?」
「はい。」
この後、冒険者組合でも売ってもらえないか打診する予定なんだが、その前におっちゃんには一枚噛ませておきたい。
一箇所で独占販売させると、碌な事にならないからな。予め、販売元は二箇所以上に設定しておいた方がいいのだ。
しばらくウンウンと唸っていたおっちゃんだったが、証書が本物だと分かると、目の色が変わっていた。
そこからはこちらとしても話がしやすく、途切れる事無く話が進んで行く。
「解毒剤は分かるんだが、こっちの凍結薬というものの効果は?」
「液体に触れたものを凍り付かせる効果があります。かなり危険なので、割れやすい硝子じゃなく、そちらだけは金属製の缶を使っています。」
「ああ、それで蓋もコルクじゃないのか。」
「ええ。コルク越しに浸透しますからね。」
「随分と危険な物だなぁ。」
ある意味当然とも思えた疑問へも、俺はスラスラと答えていく。
実演するにも凍結薬は危険なので、取り扱いにも気を付けてもらわないとならない為、予め答えは用意してあったのだ。
「使ってみた効果としては、俺が良く使っていた【凍結】と同じような事が起きますね。」
「あれが薬で再現出来るのか――。」
「ええ、効果は保証しますよ?」
「はぁ。世の中には不思議な物もあるもんだ。」
氷魔術の【凍結】には、幾つかの方法がある。
まず、水魔法で水分を集めて対象を濡らしたり水没させてからその水分を凍らせる方法。
次に、対象の体内にある水分自体を凍らせて凍り付かせる方法。
そして最後に、対象の周囲の温度を下げて凍らせる方法だ。
魔術ではこれらの内の一つでなくて、複数で効果を出したりしている。
これが凍結薬の場合だと、一番最初に上げた方法が唯一近い事になるだろうか。
液体が触れたところから冷えて凍り付くからな。更には内部にまで浸透していって、内側も凍りつく事になる。原理としてはまぁ、ほぼ同じだと言えるだろう、きっと。
「だがしかし、これで薬になるのか――?」
「疑問はごもっともですが、そう決めたのは自分じゃ無いですしねぇ。」
「ああ、昔の偉い人が決めたのか。」
「偉いと言うか、単に上の人というか。」
「――何時の時代もその辺りは変わらないんだな。」
「そうみたいです。」
缶を片手にして苦笑いするおっちゃんへ、管理方法等が記載されたメモを渡しておく。
缶に入っている凍結薬は、薬とついていながらも人体に良い影響を出すわけじゃないからな。むしろ、その逆だ。取り扱いには注意しないとならない。
こんな物でも、状態異常薬として薬に分類されている。毒や麻痺毒も薬扱いなので、最早突っ込むだけ無駄だと言えるだろう。
何せ、その辺りの取り決めをしていた上は、好き勝手にやっていた上だし、下っ端では口を挟めるだけの権利も何も無かったので、右に倣えしとくしかなかったのだからどうしようもない。
「まぁ、自分が本来生きているはずの時代は、魔導王国時代ですからね――その辺りで価値観が違うのは致し方が無いと言いますか、一応毒も薬になると言いますし、あながち間違いでもないかもしれませんよ。」
「は?」
いきなり何言い出すんだとばかりに疑問の声を上げられたが、俺は構わずに続ける。
「本職は魔法薬を作る錬金術師なのは先程言いましたが、今までは量産体制整えるのに時間がかかっていたんですよ――もっとも、今後は安定して魔法薬の供給が出来るようになったんで伺ったんですが――。」
「な、な、な――。」
わなわなと震えだしたおっちゃんを前にして、俺は笑みを絶やさないままに交渉を勧めていく。
「如何程でこれ、お売りしていただけます?こちらは在庫も今後の跡継ぎも確保し終えていますから、こちらでお断りされるなら、冒険者組合だけで扱って貰う事になるんですが――。」
これに、
「待った!待った待った!誰も断るなんて言ってない!待ってくれ!」
「はい、分かりました。」
おっちゃんが途端に慌てだして、かかった、と内心でガッツポーズを俺は取っていた。
どこから取り出したのか知らないが、算盤を猛スピードで弾き出したおっちゃんをそのままにして、俺はやけに大人しい隣へと視線を向ける。
そこでは話についていけなかったのか、あるいは疲れがピークに達してしまったのか、ソファーとクッションに半ば埋もれるようにして眠りこける弟子――メルシーの姿あって、俺はそっと溜息を吐き出す。
本当は交渉の仕方とか教え込みたかったんだが、ここに来るまでの間に揉みくちゃにされるわ、悪意の視線に晒されるわで大変だったし仕方ないだろう。
色々と後回しにしつつも【空間庫】入り口近くに準備しておいた毛布を取り出し、そっと掛けると、おっちゃんの計算が終わるのを待った。
メルシーちゃんお疲れモード。主に、主人公の人気の高さが原因で揉みくちゃにあってて疲れ切ってしまいました。
タイトルの雑貨店は、行商人のおっちゃんの息子がやってるお店ですね。086話の その錬金術師は自宅を目指して旅をする⑥ で出てきたお店になります。
主に木製品を扱っていますが、一部衣類や布、硝子細工等も販売しているところで、魔物の氾濫の噂を聞いても逃げ出さなかった数少ない地元愛の強いお店です。
2018/11/17 加筆修正を加えました。寝ぼけつつ執筆したものの、思ったより酷くは無かった。
2018/11/22 加筆修正を加えました。一部に誤字脱字発見。修正しました。




