そんな昔の事、僕が知るわけない
短いのですが、切りがいいのでこのあたりで更新します。
「今すぐ、僕を抑えている女達を静かにさせろ」
そう言った瞬間、シトラスの顔が曇った。
僕を取り押さえる女たちの様子はわからないが、それでも右腕を捩じり上げる力が若干弱ったことから、動揺しているのが分かる。
女たちが何か言っているような気がするが、それらの言葉は僕の中には入ってこない。
ただ、僕の顔にナイフを当てる目の前のシトラスの顔が歪むのが、僕には意外だった。
一見すれば、自分の女を傷つけられて怒りを覚えているごく当たり前の行動。
だが、僕にはそもそも、シトラスがそんなことで怒りを表すこと自体が不思議でならなかった。
何故なら、僕には彼が僕と同類の人間に思えていたから。
不思議なことに、僕はシトラス・レモングラスという男とこの部屋で初めてまともに対面してからずっと、シトラスが誰かが傷つくという事に興味がある様な、そんな人間には思えなかった。
正直に言えば、既にシトラスの女達をどうこうする気は消え失せていた。
それでも僕がこうしてシトラスを相手にしているのは、シトラスという男をより深く知りたくてたまらなかったからだ。
瞬間的に劣勢を覆し、僕を這いつくばらせた目の前のシトラス・レモングラスという男が、僕には前人未踏の謎の存在に見えて仕方なかった。
ただ、目の前の男がどういう男なのかを知りたい。
その衝動的な欲求が、まるで僕の口を借りたように滑らかに動き出す。
「まぁ、お互いさ。ここは大人の取り引きといこうじゃ無いか?どうだろう?この女達を抑えて、僕の魔術を使える様にしてくれれば、僕も君たちの暴力行為には眼を瞑る。何も問題にはしない。それに、君の言う通りにグラウカさんの解毒も行おう。それでこの場は手打ちといかないか?」
「その言葉の何を根拠に信じればいいと言うんだ。そもそも、そっちが勝手に喧嘩をふっかけておきながら、勝手に手打ちにしてくれとは、随分と都合の良い話だと思わないか?」
「信じなければ、グラウカさんとやらが死ぬだけだね。ついで言えば、君たちの立場も悪くなるだけだろう?」
その言葉を聞くと、シトラスはゆっくりと溜め息を吐き、僕の目元に当てていたナイフを引いた。
一瞬、結局は脅しに対して屈する人間だったかと、興味を失いかけたが、そんな僕にシトラスがかけたのは意外な一言だった。
「気に入らないな。そのどこまでも余裕をこいた態度。何よりも、その顔が気に入らない」
「気に入らないなら、どう言うつもりだ?僕は、」
僕の次の言葉は、魔導銃を握る手にナイフを突き立てられた事で遮られる。
咄嗟の事に声も出ない。呻き声とも唸り声ともつかぬ音が僕の喉から溢れ出て、歯を食いしばりながらシトラスの顔を見上げる。
すると、シトラスはその眼光に、今までになく轟轟と燃えるような炎を宿して僕を睨みつけ、そのまま僕を刺したナイフをひねり出す。
「勘違いしないでほしい。僕が君に解毒剤を出す様に持ちかけたのは、其方の方が効率的だからだ。グラウカさんに即死性の激毒を使わなかった段階で、彼女を助ける算段なら既に五つは立てている」
そう言うと、シトラスは僕の手から落ちた魔導銃を拾い上げ、少しばかり不慣れな動作で撃鉄を上げると、火蓋に魔石を仕込み、躊躇いなくその銃口を僕の額に押し付けた。
「僕はね。僕の家族を守る為なら、いつでも幾らでもこの手を汚す覚悟ならできているんだ。君みたいなクソ野郎からは特にだ」
そうして、
「お前は一体いつまで、自分が僕より上の立場だと思いあがっているつもりだ?いい加減、立場ってものをわきまえろ」
シトラスはそう言うなり、手にした銃の引き金を引いて僕の右耳を吹き飛ばした。
直後に僕の脳裏には酷い耳鳴りと激痛と衝撃が僕を襲い、耳の穴を塞ぐように生ぬるい液体が流れこみ、右の視界が真っ赤に染まった。
「く、」
そんな中僕の口からこぼれ出たのは、
「ははははははははっ!!!くはははははははははは!!!はははははははははは!!!」
自分では抑えようもないほどに溢れ返る笑い声だった。




