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第二十一話 その男、狂気的につき


 僕達が宿屋に戻ると、『魔術と知識の勇者』が少年に勉強を教えていた。


 二人はこの部屋の窓際に設置された机に向かい、軽口をたたき合いながらもにこやかに勉強を進めている。


「よし、良く解けたな。正解だ。一億点やろう。でも、解き方が汚いからマイナス一億二万点だ」

 

「なんだそりゃ。結局二万点引かれてるじゃないか」


「ははは。限界よりちょっと上くらいの事をした方が、勉強でも何でも能力は伸びるんだ。って事で、それじゃあ、早速次の問題だ。これが解け終わったら数学の勉強は終わりだ。気張って解いていけ」


「……何が何だか分かんない。この図形とこの図形は、同じだから同じじゃダメなの?」


「落ち着け、フランツ君。数学で一番重要なのは、とりあえず解くことだ。何がわからないのかわからないって状態が、一番問題が解けないからな。まずは一つずつ条件に合う式を試してみるんだ。…………そうそうそうそう。それでいい。やっぱり君は数学の地頭がいいね。才能がある。しっかりと伸ばした方が良い」


 喜兵衛はフランツ君と呼んだ少年に数学を教えながらその頭を乱暴に撫で、フランツ君はそんな喜兵衛を心底鬱陶しそうに睨んでいた。


 一方、僕達は、ベットのの上に腰掛けながら、そんな二人のやりとりを何となく見守り続けていた。


「えーと、お兄ちゃん。何でこの人達私達の部屋で勉強してるの?」


「僕に聞くなよ。そんな事分かる訳ないだろう?」


「うーん。シトラス君。さっき喜兵衛さんは私達に紅茶を出してくれるって言いましたが、この場合って私達の方が紅茶を出すべきではないんでしょうか?」


「僕に聞かないでくださいよ、グラウカさん。そんなことわかるわけないでしょう?」


「ねえ、シトラス。お腹空いた。そろそろ夕飯食べたいんだけど?」


「うーん、プリムラ。一応話が終るまでご飯は待っておこうか」


 僕は喜兵衛とフランツ君の勉強が終るのを待ちながら、三人それぞれに適当にツッコミを入れる。

 後、フランツ君への授業は後ろから聴いてるだけでも結構勉強になった。教えるの結構うまいな。この人。

 そうしているうちに、喜兵衛は笑いながらフランツ君の頭を軽く叩いて、勉強の終わりを告げ、二人のやりとりを見守っていた僕らに向き直った。


「どうもゴメンね、時間を食っちゃって。あんまり人に物を教えるのは得意な方じゃなくってさ。お詫びってわけじゃないけど、今からお茶菓子と軽食を用意するからそれで勘弁してくれ」


 そう言うなり、喜兵衛は床の上に置いていた見知らぬトランクの中から、スクロールを何枚か取り出すと、瞬間移動の魔術を発動させて今までどこかに用意していたのだろう。

 テーブル一式と夕食を出現させて、紅茶の準備を始める。


「取りあえずのお詫びだ。これで話し合うのに待たせてしまった事と、無断で部屋を使用してしまったことは許してほしい。と言っても、用意した食事が口に合うかどうかはわからないから、お詫びになるかどうかも分からないけどね」


 手慣れた様子で夕食の用意をした喜兵衛は、軽く笑いながらも如何にも申し訳無さそうに頭を下げながら僕らに対して謝罪した。

 その態度は一見すれば軽く誤っているようだったが、本当に僕達に対して申し訳ないと思っている様だった。

 ただ、その目の奥の光だけは、僕を見定める様に鋭かった。



☆☆☆☆☆



 それからしばらくして、夕食を終えた僕らは食後の紅茶をもてなされながら、静かに喜兵衛に向き直った。

 とりあえず、夕食は軽く用意されたとは思えないくらい、美味かった。


 そうして食後の一服を受けつつ、僕は優雅に紅茶を啜る喜兵衛に静かに話を切り出した。


「……まずはお久しぶりですね、喜兵衛さん。最近はトーカさんの方とばかり付き合いがある所為であんまり顔を出していませんでしたが、何か問題でも起こったのでしょうか?」


 早速本題を切り出すと、喜兵衛は一度口笛を一音鳴らして、嬉しそうに僕の顔を見据えた。


「流石だねえ。話が早い。確かに最近ちょっとした問題が起こったんで、そのことで君に話をしに来たんだ。ただ、その前に、さん付けは別にしなくてもいいよ。呼び捨てにしてくれないか?」

 

「…………いえいえ。弱者の勇者とまで呼ばれている人に、さすがにそこまで無礼な真似はできませんよ。そうでなくても、世界真理の勇者とそれ以外とでは身分の差が大きすぎます」


「『弱者の勇者ァ』?」


 僕の言葉に、喜兵衛は困惑した様な嘲笑う様な声音で返事する。


「僕は常に強者に媚びを売ることしか考えない、卑怯卑劣な人間だよ。そんな崇高な名前を付けられると、恥と罪悪感のあまりに死んでしまうよそもそも他人の部屋に黙って忍び込む時点で、碌な人間じゃないしね」


 笑いながら肩をすくめる喜兵衛の言葉に、僕以外の三人はどう反応していいか分からずに苦笑するが、僕は寧ろますます警戒心を露わにして喜兵衛を睨みつけた。


「そうですか?人に物を教えたり、自分から紅茶を淹れたり、やってる事は執事か何かの振る舞いなのに、……喜兵衛さんの行動は今まで見た人間の中で一番貴族っぽいですよ」


 そう言って僕は、今までさりげなく扉の前に移動して佇んでいるフランツ君を見やる。

 

 喜兵衛が手ずから夕食を振る舞い始めてから今まで、フランツ君は微動だにすることなくこの部屋の扉の前に立ち、喜兵衛はせせこましく動いているように見せながらも、常に自分の背後に窓を置くように動いていた。

 それは今のこの状況も同様で、いつの間にか僕達は喜兵衛に退路を断たれていた。


 まるで僕達を逃がそうとしないように動くこの男を、どうして信用できるというのだ。


 そんな僕の視線に気づいたのか、喜兵衛は軽い手ぶりでフランツ君を自分の元に呼び寄せる。


「……どうかな?確かに実家は謙遜できないくらいには金持ちだったから、僕みたいに程度の低い人間でもそれなりに立ち居振る舞いが板についているのかもしれないかな?というか、その言葉だけ聞くと、シトラス君は随分貴族に詳しい様だけど、貴族の関係者でもいるのかい?」


 不用意に放たれた喜兵衛からの問いかけに、グラウカさんとプリムラとアルバの三人が息を呑むのが分かった。

 

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