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第二十話 その男、狂人につき。

  


「それじゃあ、今日の稽古はこのあたりで切り上げましょう。これ以上は流石にお互いに怪我に繋がりかねませんから」


「……そうですね。今日もわざわざ私の為に稽古に付き合っていただいて、ありがとうございました」


 夕暮れも間近に迫り空が赤くなり始めたころ、グラウカさんとトーカさんが互いに頭を下げ合う事で稽古が終わり、僕らは借りている宿に帰ることにしてトーカさんと別れる。


 今のところ、ダーウィッチの森の火事も気になる所ではあるのだが、それ以外にも、今の王都では気になる事が多々起こっている。



 ナオタカとキヘエ、そしてトーカさん以外の勇者、ナツメ・チエとカネコ・ムツミの方にも、最近気になる動きがある。


 どうも、この二人は結託して、何かを隠しているらしい動きが目立ち、どうやらそれが理由で王家とナオタカからは対立関係に陥っているようである。


 ただ、個人的には喜兵衛や二人の勇者にばかり目を向けている訳にもいかない。


 その理由はやはり、


「そういえば、アルバちゃん。今日も稽古の時間に来るのに遅れていましたけど、最近時間に遅れることが多くないですか?」


「いやー、私は別に興味ないんだけど、あのナオタカって言う勇者がやたらと私の事をお茶会に誘うんだよねー。勇者だから無碍にもできなくて、理由を付けてあんまり関わらない様にしているんだけど、逆に最近しつこさが増してきてさ。困ってんのよ」


 アルバとグラウカさんのこの言葉だろう。


 最近、ナオタカがアルバに、というよりも上位の女冒険者を相手に粉をかけることが多くなっており、主にパーティの代表者としてギルドに顔を出すことの多いアルバは、ナオタカに絡まれる頻度が多くなっているという事を、この前ギルドで聞いたばかりだった。

 僕は脳裏にナオタカに捨てられた町娘の顔を思いだし、それを振り払うようにしてアルバに忠告する。


「……あんまり、ナオタカとは関わるような真似をするなよ?僕が聞いてる限りでは、あいつと関わってろくな目に遭った女性はいない。今日からでもいいから、少しでもあいつとの接点を減らすようにするんだ」


「えー?嫉妬ー?何々ー?私が他の男に誘われているから、心配になってるのー?」


「アルバ。ちゃんと聞いてくれ。確かにお前の言うことも理由として多少はなくはないけど、それでも僕の耳に届くくらいにはろくでもない奴がお前を狙っているんだ。単純に心配なんだよ。お前は僕の婚約者である以上に、今まで一緒に暮らしてきた家族だろう?」


 軽い態度で接するアルバに、思わず声を荒げてしまう。

 そんな僕に、アルバは一瞬キョトンとした表情で目を丸くするが、すぐに優しい微笑みを浮かべて僕の頬を指でつついた。


「分かっているよ、お兄ちゃん。大体、あいつ私がお茶会を遠慮した後に、すぐに他の女の子をお茶会に誘っているんだよ?あんなの見ていて気持ちの揺らぐ女がいるわけないって」


 そう言って軽やかに笑い飛ばすアルバの姿に、僕は寧ろ尚更不安が募った。

 確かにアルバの言う通り、一部でのナオタカの評判はすこぶる悪くなっているが、それでも未だにアイツを高く評価する声は高い。

 それは単に、ナオタカの実力を額面通りに受け取っていることもあるが、現在では寧ろ尚高の評判を高める声を、誰かが広めようとしている風潮が感じられる。


 そのことは恐らく、あいつを取り巻く女性の数が減らない事と無関係では無いだろう。


 ナオタカの女癖の悪さと、ナオタカに関わり全てを失った女達を見ても尚、未だにナオタカに群がり続ける連中が一定の数いる。

 もしもこれこそが、この世界の神々がナオタカに授けた能力だとするのならば、一体ナオタカを呼んだ神は、彼にどんな役目を背負わせたというのだろう。


 それとも、『世界真理の勇者』というのはただの単なる偶然で選ばれただけの人間なのだろうか。

 それにしては、ナオタカ以外の人間には、どことなく似た空気を感じる。


 ただ一つ分かることがある。 


「……もしかしたら、そろそろ動くころ合いなのかもしれないな」


 夕暮れがすっかりと町の上空に広がる雑踏の中で、僕はぽつりとつぶやいた。


「時代とか、世界とか、そういうのは」


 そういう僕の視線の先では、夜の影が太陽を飲み込もうとしていた。





 ✰✰✰✰✰




「だからねー。私はその時にその番兵に言ってやったわけよ。そんなにナオタカ殿が好きなら、貴男がドレスを着てナオタカ殿の前に出ればいいのではないですか?ってね。そしたらそいつったら、顔をめちゃくちゃ真っ赤にして、そのまま帰ったのよー」


「ふーん、いい気味。シトラスを馬鹿にするやつにはちょうどいいんじゃない?」


「アルバちゃん。こういう時にプリムラちゃんも、言いたいことはわかりますけど、あんまり人を怒らせるような真似をしちゃいけませんよ?一応は、良かれと思ってプリムラちゃんに話しを持ってきた人なのでしょうし」


「ははは。それよりグラウカさん、後でポーション制作のための買い物に付き合ってくれませんか?」


 騒がしい三人に取り囲まれながら辿り着いた宿屋の一室の前まで来た僕は、そこで一瞬手を止めた。


「グラウカさん……。少し気を引き締めてもらっていいですか?それと、アルバとプリムラは今すぐ外に出て、誰か頼れる人を連れてきてくれ」


「何?どしたのいきなり?」


 いきなり低く切迫した声を出した僕に、プリムラが怪訝な顔をして僕に話しかけるが、僕はただ唇に指をあててプリムラに静かにするように言う。

 その行動で何かが起こっていると察した三人の間に緊張が走り、僕は小声になって三人に言う。


「…………この部屋に鍵がかかっていない。まさかとは思うけど、今も中に誰かがいるかもしれない。念のために応援を呼んできてくれ」


 僕の言葉に、三人は思わず身をこわばらせた。

 それもそうだろう。僕たちが冒険者として名を上げ始めたころから、僕はいつも寝床にしている場所を留守にするときは、簡易的な結界魔術を張ることにしている。

 それ自体には別に誰かの侵入を阻む効果はないので、泥棒だろうが、それ以外だろうが簡単に侵入することができる。

 だが、この結界には侵入した人物を記録するという効果と、結界に誰かが侵入したという情報を僕たちに知らせる効果を持っており、何度となく闇討ちしようとする人間を嵌め返してきた。

 この結界の厄介な点は、侵入を防げない代わりに、侵入者に結界の存在を気づかれにくいところにある。

 むしろ、誰にも気づかれない為に、侵入防止のための能力を全て捨て去ったと言ってもいい、監視警戒専用の結界だ。

 冒険者として恨みを買うことが多くなった僕らをいつも救ってくれた頼もしい魔術だったはずだ。


 だが、


「……今の今まで、誰かが僕の結界を破ったことを気づけなかった。もしかしたら、もうすでに敵の罠にかかっているかもしれない。今すぐに二手に分かれる。アルバとプリムラは今すぐ離脱して応援を呼んでくれ。僕とグラウカさんがその間の時間を稼ぐ」


 ここまで完璧に破ることのできる人間が、只の強盗や泥棒であるはずがない。

 僕がある種の覚悟を決めてそう言うと、そんな僕の言葉を聞いたアルバが静かに部屋の壁に耳を付けた。


「……そこを下がって、シトラス。私が中の様子を少し聞くから」


 エルフ系種族の特性である聴覚を研ぎ澄ましながらそう言うアルバに、僕は何も言うことなくその場を静かに下がると、ややあってアルバは壁から耳を話して言う。


「……うん。今、部屋の中に二人いる。何をしているのかはわからないけど、机の所で話し合っているみたい。何言っているのか全然わからないけど、多分、今の所はあんまり戦う気はないと思う」


「……一応聞くけど、本当に二人だけなのか?それ以外にも誰か隠れていることは?」


「……ない。少なくとも、


 小声で言う僕は一度目を強くつぶってから考えを纏めると、深く息を吐いて口を開いた。


「……わかった。このまま四人で一緒に入ろう。僕がドアを開けるから、グラウカさんはその後に続いて一緒に入ってくれ。もしもの時は僕が盾と囮を兼ねるから、その隙をついて侵入者を取り押さえて。アルバとプリムラは、僕の指示があるまでは部屋の外で待機して、もしも僕らに何かあったらそのまま逃げてくれ」


 僕の言葉に、一瞬三人は何かを言いたそうに口を開きかけたが、すぐに口を閉ざすと僕の指示通りの位置に立つ。


 そして、僕はゆっくりとドアノブを回して、部屋の中に入った。



 すると。


「あー!!全然わからない!!別に辺の長さが分かるからって生きるのに必要無いじゃないか!」


「確かに生きるのに必要は無いのかも知れないが、知っている事は力になる。それに、僕は別に無意味に君に勉強を教えている訳じゃないんだ。いずれ必要になる知識だから教えているんだから、つべこべ言うなよ」


 僕たちの目の前では、黒ぶち眼鏡をかけた青年が僕より少し年下の少年に勉強を教えていた。


 あまりに予想外すぎる事態に、グラウカさんだけでなく僕でさえも咄嗟には動くことができずにその場で立ち尽くしていると、僕たちに気づいた青年が、



「おや?お帰りなさい。少し待っててくれ。ここを教えたらお茶を淹れるから」


 そう言って、僕達を迎え入れた。

 それは紛れもない。


 今王都で話題の有名人、『魔術と知識の勇者』立花喜兵衛、その人だった




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