第二話 かわいい女達
今回の話しのタイトルは、率直にレイモンド・チャンドラーの『かわいい女』から取りました。
僕の住む町、バルシノンはカタルシア公国の西部に位置する港町だが、近くにはカタルシア公国と隣国のマルシア公国との国境となる足摺山脈がある為、夏場には温暖な気候と湿気の有る海風が吹き抜け、冬場には高山地帯特有の寒冷な山風が吹き抜ける、山と海に恵まれた景勝地になっている。
貴族や大富豪の中には、遊覧の為にわざわざ熱い夏場や寒い冬の日を選らんでこの町を訪れることもままある。
とは言え、実際に住んでいる僕に言わせれば、夏は暑くて冬が寒いだけのどこにでもあるような田舎町だ。わざわざ高い金を出してまで来る人の気が知れない。
港は主に軍港と商港として使われ、海における物流の要として栄えていると同時に、『魔王軍』との戦いの際の補給経路としても使われ、時には数多くの貿易品が流れ込み、そして、時には数多くの戦士や兵士が送り出され、多くの人間が帰って来ることは無い。……僕の父さんもまた、その一人である。
僕の住んで居る家は、そんな街の中心部である港から馬車で一時間、徒歩で三時間ほど離れた足摺山の麓にある家で、辺りには家が疎らに建っているだけの寂しい場所だ。
同じ港町でも、場所によってこうまで土地の様子が変わるのか。と言うべきところだが、魔導具製作の為に時間と大金を費やす自分にとって、周囲に人気のないこの場所に家があるのはかなり助かるところだ。
恐らく父さんも、そう言うメリットを見込んでこの家を購入したのだろう。
普通の人なら町に商品の納品に行く場合は人力用の荷車を使って徒歩で行くところだが、僕達兄妹は冒険者も兼業しているお蔭で、バルシノンの町の中心部に住むアルバが行商用の馬車と馬を一頭購入しており、僕達の異動は基本的にその馬車になる。
ちなみに、馬と馬車の管理を行うのはアルバの仕事で、その延長上の理由で馭者もアルバが行っている。
何だか、妹の操る馬車に乗って揺られていくのは恥ずかしいのだけれど、こうしてアルバの操る馬車に揺られてぼんやりと景色を眺めながら街に行くのは、僕の数ある楽しみの一つでもある。
「ねえ……。お兄ちゃん?」
「……何だい?アルバ?」
僕は、青々と茂る街道の木々と、その上に広がる初夏の爽やかな空を眺めながら、アルバからの何気ない呼びかけに答えた。
「あのね、あの。その。……ううん。やっぱ何でもない」
「そう?何か気になる事があれば、気にせずに言えよ?お前は僕の家族なんだから」
アルバは、少しだけ何か言いたそうに口を開きかけたが、すぐに諦めたように首を横に振った。
僕はそんなアルバに肩を竦めながら気軽に言うと、アルバは少しだけ困った様な、拗ねたような顔をして頬を赤く染めて、僕から顔を背けた。
それからほどなくして、僕達の乗る馬車はバルシノンの中心地である港湾部に辿り着いた。
☆★☆★☆★☆★
バルシノンの町の中心部は、郊外にある長閑な僕の家周辺と違って、活気づいた喧騒に満ち満ちていた。
ただ、騒がしくも陽気な街の雰囲気とは裏腹に、街の人々の口に上るのは『魔王軍』が攻めてくるだの、『自由同盟軍』が再び徴兵を始めただの、或いは魔物や魔獣の活動が活発だの、街道の盗賊の数が増えただのと言った、薄暗い話題ばかりで、港に向かう大通りを中心に大量の兵士の数も見えた。
僕とアルバはそんな街の中を越えて、街の繁華街の中心地に建つ冒険者ギルドの建物に辿り着くと、アルバには納品の為の必要な書類を取りに行ってもらい、僕は依頼されていた積み荷を降ろして、早速納品確認の為にギルドの受付までポーションの入った木箱を持っていく。
すると、受付の前までやって来たその時、不意に僕の後ろから勢いよく僕にぶつかって来た人の所為で僕は一瞬、その場をふらつきかけ、たたらを踏んでその場に倒れずに踏みとどまった。
そして。
「シトラース!やっと会えたー!三日ぶりだー!寂しかったよー!」
僕の耳元で大きな声を上げて泣きついたのは、僕の幼馴染でありパーティーメンバーの一人であるプリムラ・ベルベデーレ。
銀髪をした褐色森人族と人間のハーフで、女性にしては少し高めの身長をした少女だ。
彼女は、褐色森人族特有の健康そうな小麦色の肌と、仔猫の様に大きく丸い瞳を細めて僕に笑いかけると、スレンダーな体つきを僕に密着させて抱き着き、そのまま強く僕の身体を抱きしめて頬ずりまでし始める。
その瞬間、周囲の冒険者たちから僕を睨み殺すような殺気を感じ、僕は思わず鳥肌を立ててプリムラを振りほどこうとするが、プリムラは寧ろ増々力を籠めて僕を抱きしめる。
「うわーん!シトラス!シトラス!シトラス―!!アー本当にシトラスの匂いだー!シトラスの感触だー!もう、ずっと待ってたんだよー!」
「うわっと!落ち着いてよ、プリムラ!たった三日街に来なかっただけで大袈裟なことをしないでよ。それに、その気になればいつでも会える距離にいるんだから、そんなに騒がなくても—―—―—―」
「違う!たった三日じゃない!もう三日もあっていないんだ!それに、その気になれば会える距離なら、シトラスの方が私に会いにくればいいんだ!」
プリムラは僕の言葉に強く反発すると、そのまま腕だけでなく足まで僕の身体に回してしがみつき、僕は手にした荷物の重さとプリムラの重さで重心を崩してしまい、遂にその場をよろけだしてしまう。
その時だった。
「にゃあああああ!ニャにゃにゃ、何をしているのよ!お兄ちゃんから離れろおお!」
今までギルドの事務所の方に回って書類を取りに行っていたアルバが戻り、僕にしがみつくプリムラの姿を見て猫の様な声を上げながら顔を真っ赤にして怒りの形相を浮かべていた。
けれども、プリムラはそんなアルバの姿を見ても、小さく鼻を鳴らして足だけを地面につけると、よろけてバランスを失った僕を支えるように抱きしめながら、アルバを睨みつけた。
「出たな!お邪魔虫!私とアルバの逢瀬の時間を邪魔するなんて、なんてひどい女なんだ!」
「お邪魔虫はそっちでしょう!私のお兄ちゃんに勝手に触るな!触れるな!抱き着くなー!」
僕に抱き着くプリムラを見て、怒りの声を上げて僕からプリムラを引き剥がそうとアルバは僕等に向かって躍りかかるが、プリムラは僕を抱きしめたままそんなアルバを軽い身のこなしで躱していく。
「ふふーん!シトラスがお前の物だなんて、誰が決めたんだー?シトラスは、生まれた時からずっと私と一緒に過ごして来たんだ。ポッと出の癖に私とアルバの邪魔をするなよーだ」
「私だって、物心ついてからずっとお兄ちゃんと一緒に生活してきたんだ!お前なんかと違って、一つ屋根の下で色んな恥ずかしいところを見たり見られたりしたんだ!これからもそうなるのは私なんだからな!」
「いや、あの二人とも、そう言う喧嘩はやめてほしいだけれど」
「「お兄ちゃん(シトラス)は黙っていて!」」
いや、正直二人が僕の事を取り合ってくれるのは凄い嬉しいんだけどね。
そうやってぶんぶんと振り回されると、そろそろ平衡感覚がおかしくなって吐き気がしてくるんだけど。
それに、何だか周囲にいる冒険者たちの視線が険しくなっているような気がする。
これってもしかして、何でお前なんかがそんな美少女二人と一緒にいるんだ。的な嫉妬の視線って奴なのかな?はは、全然うれしくない。
というか、そろそろ二人ともマジで喧嘩を止めてくれないかな?流石にいい加減、本気で気持ち悪くなってきた。
そうして、僕は二人の女の子にされるがままに振り回されて、本気で自分の身の心配をし始めた頃、不意に今まで僕の身体を抱き掴んでいたプリムラの力が弱まり、僕はそのまま勢いで放り出されてしまった。
完全に目を回してしまいバランス感覚を失ってしまった僕は、ポーションの積み込まれた木箱を持ったまま、そのままどこを歩いているかもわからない千鳥足になってギルドの広間をふらつき、床に倒れ込む。
咄嗟に、荷物の木箱だけは守ろうと強く抱え込み、そのまま後ろ向きに倒れ込むが、僕が頭を打つことを覚悟した瞬間。
「きゃッ!!大丈夫ですか?シトラスくん?」
小さい悲鳴と同時に僕の頭にはふにょんとした柔らかい感触が襲い、僕はぐるぐると回る視界の中で、僕を受け止めてくれた人物を見上げた。
「グラウカさん……。来てたんですね……?すみません、これを頼みます」
僕の視界に移ったのは、グラウカ・ランドスケープ。
金髪碧眼に大きな胸をした大人っぽい雰囲気の美人が、僕を抱き留めながら心配そうに見下ろす姿があった。
僕が所属する冒険者パーティーの最後のメンバーであると同時に、僕が幼い頃から知っている憧れの人であり、お世話になっている人だ。
僕はその人に僕が持っていた荷物を託すと、そのまま床に倒れ込み、頭を打って気絶した。
☆★☆★☆★☆★
目が覚めると、そこは所々に殺風景ながらも、きれいに掃除されて花が飾られた清潔感のある寝室で、僕はその窓際に据え置かれたベッドの上に寝かされていた。
見覚えのある風景だ。
恐らくは此処は、十中八九アルバ達の住んで居る家だ。多分、この部屋はプリムラの物だろう部屋の中の匂いと、窓から入って来る光の加減で分かる。
僕は、アルバ、プリムラ、グラウカさんの三人と一緒に冒険者パーティー『青い流星』を結成しているが、アルバ達三人は基本的にこの町に常駐しており、僕一人だけがこの街の郊外にあるあの実家に住んで居る。
これは、アルバ達三人が冒険者としても破格の強さを持つ『特級冒険者』であることが理由で、特級以上の強さを持つ冒険者は有事に備えて冒険者ギルドの近くに存在する寮か、ギルド近辺に存在する住宅に住むことが義務付けられているからだ。
……僕だけが郊外の町に住んで居るのは、魔導具製作の他にもこれも理由の一つではある。
アルバ達の特級クラスである冒険者パーティーの中に、その一員として僕も加わってはいるものの、僕自身は特級では無い。
基本的に、冒険者のランク付けは戦闘力によって決まる。
けれども僕は魔導具製作の必要上、魔術やそれに関する技術については詳しいのだが、僕自身の魔力は低く、使える魔術は弱い物ばかりだ。その上、剣術や槍術と言った『武術』や、神様からの加護を引き出すことのできる『神働術』の才能も無い。
更には、『異能』と呼ばれる特殊な能力でさえも持っていない僕の戦闘力は低く、従って冒険者としての評価は最下級の『初級』のままだ。
「…………そろそろ、潮時なのかもしれないな」
まだ少し痛みとふらつきの残る頭を押さえながらベッドの上に起き上がると、僕は誰もいない部屋の中で、誰に言うでもなくふと呟いた。
すると、そのタイミングで不意にドアを開けてグラウカさんがお茶をトレイの上に乗せながら入ってくる姿が見え、僕は少し申し訳なさそうにグラウカさんに頭を下げる。
「良かったー。気が付いたんですね?シトラスくん。お医者様は大丈夫だって言ったんですけど、全然目を覚まさないから心配したんですよー?」
するとグラウカさんは、にこやかな笑顔を浮かべてそう言った。
「はは、ごめんなさい。まさか僕もこんなになるとは思わず……」
「いえいえ。シトラスくんが謝る事ではないですよー。悪いのは、シトラスくんを玩具みたいに振り回したあの子達何ですから。さっきお説教して、今は少しばかり御仕置している最中なんです」
謝罪の言葉を述べ釣る僕に対して、グラウカさんは、淑やかな笑みを浮かべながら右手を振って僕の言葉を否定する。
グラウカさんは、代々騎士を務める最下級の貴族の家系に生まれた人である所為か、言葉使いや一つ一つの所作が丁寧で美しく、淑女で美人なのだが、その分怒らせると怖いタイプの人で、お説教も大分長いタイプだ。
「ははは…………」
一瞬、二人のことを庇おうかと思ったけど、被害を受けたのは僕なので否定することもできずに、とりあえず笑ってごまかすと、ふと気になったことを聞いた。
「えーと……。その、僕が気を失う前に渡したあれって、今どうなってますか?」
「大丈夫です。ちゃんと渡しておきましたよー。シトラスくんが製作依頼されていたマナポーション五十本分とヒールポーション五十本。そして、キュアポーション五十本分の全部で百五十本。今日もギルドマスターも、ギルドの医療術士の皆さんも褒めてましたよー。何時も本当に完璧なポーションを作ってくれるって」
グラウカさんがいつもと変わらない笑みでにこやかに言ったその返答を聞いた時、僕の中で何かが決まった。
その瞬間、自然と僕の口が動いていた。
「…………ねえ、グラウカさん。ちょっといいですか?」
「はい。なんでしょう?」
僕の呼びかけに、小首を傾げるグラウカさんに、僕はこの人はいつ見てもかわいいなあ。とぼんやりと思いながら今思ったことを口にする。
「僕、もう冒険者辞めようと思います。良かったら結婚しませんか?」