今は無いものについて考える時ではない。今あるもので、何ができるかを考えるときである。
この異世界に勇者として召喚された僕達の仕事は、勿論、『勇者』として『魔王軍』と戦う事であるのだが、この世界での戦いのいろはを知らない僕達の現在の仕事は、主に『勇者』としての正規の訓練を積むことである。
異世界に召喚された僕たちは、『勇者』の能力を鍛える為にそれぞれの能力に合った教官がつけられ、勇者に与えられたであろう能力や特性によって別々の訓練を積まされることになっている。
この世界には、魔力や神による奇跡という、目に見えないながらも確実に存在する超常現象的な能力が存在しており、それに対応するように魔物や悪魔といった普通の人間では太刀打ちできない存在が大量に生息している。
そんな中、人間はそれらの上位の力を持つ存在を相手にして、戦って生き抜く為に三種類の技術を作り上げた。
武術、魔術、神聖術の三つだ。
この世界では、魔力と呼ばれる力と、それとは別に心気と呼ばれる力が存在している。
武術は主にこの心気と言う力を操る事で身体能力を強化する技術で、基本的には単に筋力や体力を向上させる能力だが、応用的な能力として肉体の自然治癒能力を高める事で怪我や病気、毒等の体の異常を治す事が出来、達人にもなると他人の怪我さえも治せると言う。
魔術は主に魔力を操り戦いに使用する技術であり、その応用範囲は広く、戦闘だけじゃなく、生活においても洗濯や調理と言った家事から、音楽や絵画と言った娯楽まで行える、言わばこの異世界における文明生活の基盤だ。
特に、医療においては治癒魔術という他人の体を治療する魔術が全体の九割であり、残りの一割は軟膏なポーションと言った魔導薬による治療が殆どてま、外科手術はおろか義手や義足による補助や、骨折の治療さえもほぼできないと言う状態だ。
以上の様に、武術と魔術は魔力と心気を操り超常的な現象を起こす技術であるが、神聖術は少し特殊だ。
そもそもこの世界には、どうやら物理的な、もしくは生物的な存在として実際に『神』が存在する世界であるらしい。
そして、この世界の神々に対して祈りや供物を捧げる事で、神々が直接物理的な奇跡を起こして人々を助けるのだが、神聖術はそれらの神々からの助けによって数多くの超常的な現象を起こす技術である。
中には、神に気に入られたことで魔力や心気、更には神聖術さえも使わなくても神々の奇跡を再現することのできる能力である、『加護』や『庇護』が与えられた人間もおり、彼らは神々の代理人である『使徒』と呼ばれて、各神々の神殿や教会によって生活が保障される。
神聖術や加護・庇護と、魔術との最大の違いとして、これらは魔力や心気を使わない上に、祈ることそのものには特殊な訓練や専門的な知識は必要ではないため、ある程度の神聖術であればだれでも使うことができるという、他の二つの技術には存在しない多大なメリットがある。
ただし、その代わりに制約が多く、体力を消耗する上に、最大の問題として、どんなに優れた信心深い信徒であってもそもそも神様が嫌っていれば、どんなに敬虔な信者であっても『加護』はおろか、まともな神聖術を使う事さえできないという最悪な状態に陥ることもある。
中には、不細工なおっさんが美の女神に対して人生を捧げる誓約をしたところ、女神さまからNGのお達しが出て、泣く泣く別の神様を崇めることになったという逸話が残っている。
さて。
基本的には、僕以外の勇者はこの武術と神聖術を如何に高めるかに重点を置いており、特に勇者としての働きが強く望まれていることの期待からか、はたまた別の理由からか、基本的に僕たち勇者は魔術と神聖術に重点を置いた訓練や稽古を付けさせることが多い。
ただ、僕の眼から見る限りでは少なくとも女子勢は、武術はともかくとして魔術や神聖術に関しては訓練の成果が出ているようには見えず、明らかに全員予定していた訓練内容が進んでいない。
一方、武術の訓練に関しては、基本的に教官がつけさせる訓練や稽古の殆どが、大の大人が泣き叫びながら逃げ出すようなものであり、女子であっても容赦なくその過激な訓練を受けさせるのだが、今の所誰も訓練や稽古から落第したものがいないのは純粋にすごいと思う。
例えば、『拳闘と治癒の勇者』である夏目さんは、主に実践訓練を中心として、拳闘術という武術を学んでいるのだが、その実践訓練の内容は過酷の一言に尽きる。
拳闘とは、地球世界で言えばボクシングのことだが、こちらの世界でいう拳闘は少し意味が違い、基本は打撃による格闘を意味するが、拳による打ち合いだけではなく、関節技や寝技、投げ技などの体術を駆使しての戦闘も意味している。
また、相手の武器を奪って戦う奪刀術や、防具や暗器を使用しての戦闘もこの拳闘術の範疇に加わっており、どちらかと言えば地球世界でいう所のCQCに近い。
夏目さんは、地母神の神官戦士を相手にして直接拳で殴り合ってこの拳闘術の基本を覚えると同時に、武術による自己治癒と神聖術による他人への治癒である治癒系統の魔術と神聖術を体得させられている。
ただ、彼女にとって拳闘術自体は元々性に合っていたらしく、その腕前は彼女の姿を見かけるたびに上がっているのを確認しており、格好こそは修道服を着るようになったものの、未だに金色に染めた髪や小麦色に焼いた肌といったギャルとしての雰囲気を崩さない彼女が、屈強な男たちを殴り合いで仕留めていく様は見ものである。
だが、もう一つの目的である治癒系統の魔術と神聖術の修得は一向にできた様子が無い。
そうでなければ、彼女はとっくの昔に自分の顔についた青痣や生傷をとっくの昔に治していることだろう。
『剣技と武闘の勇者』である鮫島さんは、剣術を軸に徹底的に武術の稽古と心気の扱いを中心に据えた稽古を付けられている。
『預言と祝祷の勇者』である金子さんは、座禅や筋トレを中心に神聖術の効果をより高める為の訓練を付けられている。
尚、全能の勇者である五十嵐・尚高だけは例外的に全ての訓練を免除されており、当初こそは訓練を担当していた教官に殊勝な事を言って見せていたらしいが、今では基本的新兵を相手に尚高が適当に暴れて、訓練を担当する教官からおべっかを聞くだけのものになっているらしい。
と言っても、この情報は全て僕が日頃世話になっているシトラス・レモングラスという冒険者から聞いただけの情報であるので、真偽の程は分からない。
ただ、一度だけ王宮の医療棟に顔を出す用事があった際に、そこで尚高の訓練に付き合っていた僕と年の変わらない兵士が何人かボロボロにされてベッドに寝かされていた所に出くわした事があるので、その情報の信憑性は高いと思う。
これは、尚高が召喚された当初から魔術と神聖術において高い適性を示していたが故の特別措置であったが、実際には尚高が覚えた魔術は、火炎魔法の初期魔法である『炎弾』と戦闘支援魔法である『身体強化』と付与魔法の『鋭利化』のみである。
神聖術であっても、自分自身を治癒する能力である『自己治癒』以外には覚えておらず、この程度の魔術と神聖術は実はすでに全員が覚えているが、何故だか未だに尚高に対する過剰なまでの期待は衰えを知らず、僕を含む他の勇者への評価と待遇は低いままだ。
それはさておき。
偉そうに尚高について文句を吐き捨てた僕自身の方も、訓練というほど大仰な事をするわけではない。
まずはひたすらに魔術の仕組みを理解するために魔術やそれにまつわる知識を徹底的に覚え、次にその魔術が簡単に使えるようになるまで、繰り返し繰り返し反復練習を積む。
ちなみにだが、現在僕の教官であるはずの宮廷魔導師のベルーナさんは五十嵐・尚高の女になり、今ではそのお付きの人に成り果ててしまっている 。
その為、現在、僕には魔術を始めとする自分の身を守るための技術を教えてくれる人が存在しない状況であり、この状況なんかも尚高に対する僕の殺意の理由の一つである。
あいつへの評価が高いのはどうでもよいのだが、その結果として僕の稽古や勉強などにも支障が出るようになってしまう以上、あいつの存在自体が僕にとってもマイナスにしかならない。
多少殺意を抱くくらいならば許されてもいいだろう。
ただ、結果的に考えるならば、僕の担当教官が尚高の女になってくれたのはありがたかった。
何しろ、この世界では実力が物を言い、何が起こってもあり得なくないくせに、全てが全て自己責任というらしい、恐ろしいほどに身勝手な理屈がまかり通る世界だ。
何枚か自分の身を守る為の切り札が欲しかったが、彼女が尚高への付き人になったお陰で、信用が置けない世界の中で自分の身を守るだけの切り札を何枚か手に入れる事が出来た。
その点に関しては、マジで感謝してもいいと思う。




