第一話 日々の終わり。
「男なんてのは、自分が一番良いと思うことをやるしかないんだ。
たとえそれが、他人から見てどう映っていようとな」
――――――――――――――――『ゴルゴ13』デューク東郷
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聖勇暦10750年。
この年は、エッダ大陸とエクリプス大陸との間で生じていた千百年間の闘争時代、いわゆる『大戦役時代』における最大の転換期である『黄金軍期』と呼ばれる時代になる。
『大戦役時代』とは、エッダ大陸に存在するロンダニア連合王国を中心とした「自由同盟軍」と、貴族共和制の都市国家諸国を中心とした「平和連合軍」と、エッダ大陸の三分の一を領土とする「アシモフ帝国」の三大勢力と、暗黒大陸を中心として領土を拡大化していた魔族の連合軍、通称「魔王軍」との終りの見えない戦乱の時代の事である。
この当時の人類は、魔力や身体能力が優れていて、尚且つ、総人口や技術レベルが同程度の魔族に対して常に劣勢を強いられており、敗色濃厚の膠着状態を維持することが限界であった。
そして、その長引く戦乱は人類社会に慢性的な人口不足と経済不振、そして、それらが原因の治安悪化をもたらしており、社会情勢の不安定さが兵糧や武具の生産力を低下させ、戦況を益々不利にする悪循環に陥っていた。
圧倒的に不利である筈の人類が辛うじて魔族を相手に戦えていたのは、ひとえに人類側が魔族側と違って組織だった軍隊を構築できていたからに過ぎなかった。
トロールや獣人、吸血鬼やゴブリンと言った体格や能力の違う種々雑多な異種族に加え、ケンタウルスやラミアなどの生態レベルで生活文化の違う多種族が暮らす魔族たちにとって、大勢の人間が一緒の場所に集まる。という事さえも難しく、トップの号令に一斉に従う事すら稀で、ましてや明確な指揮系統を持つ機能的な武力組織を構築するなど、夢にさえも現れない程に不可能な事であった。
そんな魔族が曲りなりにも『魔王軍』などという集団を形成できたのは、単に『魔王』という魔族の中で最強の人物が号令が掛けることで、辛うじて空中分解が踏みとどまっていただけにすぎず、高度な戦術と優れた戦略を行使する人類たちに対しては、いつもギリギリの所で煮え湯を飲まされる羽目になっていたのだ。
それに加えて、「英雄」と呼ばれる超人たちの活躍があったことも、人類勢力が圧倒的に不利な魔族たちとの戦いを凌げた大きな要因だった。
神からの加護を得た『勇者』や、長い修行を経て『勇者』と匹敵する力を手に入れた『聖騎士』と言った、一つまみだけ存在する超人じみた「英雄」の活躍と力は、国境を越えて人々を惹きつけ一つにし、優れた軍隊を持つとはいえ、一枚岩でなかった人類が纏まり魔族と戦うことに一役買うことになっていた。
中には、『勇者』や『聖騎士』の様な正規の軍人ではなく、魔物の狩りや、ダンジョンの探索などで活躍した『特級冒険者』と呼ばれる戦士たちも『魔王軍』との戦いに出撃することが度々あり、軍人の枠組みに囚われない彼等の活躍もまた、多くの国々の兵士たちを勇気づけて戦況を維持することにつながっていた。
組織だった軍隊と、ごくわずかに存在している英雄たち。
『大戦役時代』は、これらの存在により、人類社会が辛うじて「魔王軍」からの侵略を防ぎ得ていた時代であり、長引く社会不安と戦時の混乱に多くの人々は希望を失い、戦争がもたらす悪徳と悲劇の数は減ることを知らなかった。
やがて人類側は、「英雄」を超えた「英雄」、この終わりのない戦争を終わらせるだけの力を持つ『勇者』を越えた『勇者』の存在を待ち侘びるようになり、中には待つだけではなく、直接その『勇者』を超えた『勇者』を作り出す研究を始める者まで現れるようになった。
それから数百年の歳月を経たある日、人類勢力は『勇者』を異世界から召喚することで、この世界にいた『勇者』よりもはるかに強い『勇者』が作り出せることを知る。
さらなる研究の末に、ついに「自由同盟軍」の盟主国であったロンダニア連合王国は、『勇者召喚』という、未だかつて誰も作りえなかった大魔法を完成させると、時の国王は長い膠着状態を打破し、人類の勝利を手に入れる為に、早速この『勇者召喚』の大魔法を発動させることに決めたのだった
そして、人類側のこの行動こそが、辺境の田舎町に住むしがない冒険者であった少年、シトラス・レモングラスの数奇な運命の始まりだった。
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それは、春も終わりに近づき、表の庭に植えたラベンダーが咲き始めたころのことだった。
僕、シトラス・レモングラスはその日も、実家の物置を改造した工房に籠って、魔導具の製作に没頭していた。
その日僕が作っていたのは、簡易魔導書の材料になる、新しい魔導用紙だった。
簡易魔導書は、一枚の獣皮紙に魔法陣を描かれただけの簡素な魔導具であり、魔法陣に魔力を流す事で簡単に魔法を使う事のできる道具だ。
基本的に一度使えば使った魔法の種類に関わらず燃えて無くなる為、使い捨ての魔導具として普及しているが、現在の僕はこの魔導具を改良するための研究をしている。
僕は、火にかけた釜の中でどろどろに溶けた水妖芦の繊維の中に、紫色に変色した魔法薬を垂らすが、途端に釜の中の繊維は固まり、それ以上姿を変えなくなる。
とりあえず、火から下ろして中身を冷やすと、釜の中の塊に向けて木べらを突き刺したり、ひしゃくで叩いたりして見るが、手元に帰って来る反応は柔らかい粘土を押し返す様な感覚があるばかりで、頭の中で描いていた紙の元にはならない。
物は試しにと、釜の中の塊を薄く切ってみようとして見るが、薄く切ろうとするとボロボロと小さい塊になってまとまった形にはならず、厚く切ろうとすると、今度は刃物が上手く通らず着る事すら難しくなる。
残念。これはもう完全に失敗だ。
「難しいなぁ。そもそも、紙作りってこんなに大変だったんだな」
僕は、初夏の少し熱くなり始めた工房の中で一人呟くと、上衣を脱いで椅子にかけていたタオルで体に浮かんだ汗を拭く。
春の終わったばかりの季節は既に窓から熱気を運んでおり、今まで散々火にかけていた釜の熱も含めて、工房の中は軽くサウナの状態になっていた。
これで216回目の失敗だ。まぁ、爆発しないだけでもマシだ。
何しろこれまで五回ほどボヤ騒ぎを起こしている以上、こうして穏便に実験を終えるだけでも進歩していると言える。
僕と同じ研究を行っている者は多いが、この研究の主流は、如何に頑丈な獣皮紙を見つけるかと、魔法陣に描かれている図形をどう工夫するかであり、僕の様に新素材の開発を行う者の数は少ない。
「やっぱり、紙そのものを作り替えるって言うのは無理なのかなー。僕の読みだとスクロールが使い捨てになってるのは、獣皮紙を使うことに原因があると思うんだけ……」
そう呟きながら、僕が脇腹の汗をぬぐい始めた時だった。
「おっ、に、い、ちゃーん!私が来ったよー……って、あれ?」
工房のドアを勢いよく開けて、一人の少女が入って来た。
彼女は、数分ほど、僕の裸を見てその場で固まると、やがて顔を真っ赤に染め上げて可愛い悲鳴とほぼ同時に、乾いたビンタを僕の頰に炸裂させた。
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「理不尽だ……。僕は別に悪いことをしていないのに」
工房から家の中に入った僕は、僕にビンタを叩き込んだ少女、僕の義理の妹であるアルバ・レモングラスに左頬が赤く腫れあがったままお茶を入れながら愚痴ると、それを聞いていたアルバは頬を赤らめながら僕から顔を逸らす。
アルバは、兄である僕が言うのもなんだが、かなりの美少女だ。
見た目は長い黒髪に白い肌をしており、緑色をした切れ長で涼し気な瞳は、知性的でクールな印象を与える。実際の性格は子供っぽくて、未だに甘えん坊なんだけど。
体つきは成長している方で、胸はまあまあある。一般的な女性の中では背が高い部類に入るのだろうけど、僕よりも低い背丈をしているから、ギリギリ兄としての威厳は保てている。……と、思う。
「……うう~。ごめんなさい…………。でもお兄ちゃんだって悪いじゃん……。部屋の中ではちゃんと服を着ててって、私いつも言ってるのに……」
そんな妹は、僕のイヤミに対して、いつも通りに子供っぽく口を尖らせて反論した。
まるで僕が部屋の中では裸で過ごしているようなセリフを言うな。
どういう訳か、いつも僕が着替えをしている最中にいきなり入り込んできて、勝手に悲鳴を上げて殴って出て行くのはアルバの方だろう?
僕は喉の奥から出かかった言葉を、マグカップの中のお茶と一緒に体の奥に流し込む。
此処で下手に反論しても、アルバはキレて不機嫌になるだけだ。長い付き合いだ。義妹の怒りのツボくらいは心得ている。
一歳年下のアルバは、彼女の父と僕の父はこの辺境の片田舎で育った幼馴染みで、彼女の父はその妻と、つまりはアルバの母と一緒に冒険者をやっていた人だった。
二人はアルバが生まれると同時に冒険者を引退し、その後、彼女が五歳の時に二人が魔物の撃退の為に戦い、死亡したことで僕の家に引き取られた。
それ以来、僕等は本当の兄弟の様に育ったし、それ以降も僕の父が戦争で死亡し、後を追う様に母が病死しても僕達は家族としてお互いを支え合って生きてきた。
僕は拗ねたように謝るアルバの姿を見て怒りが消えて行くのを感じて話を切り上げると、話題を今日の研究の方に移す。
「それよりもさ。アルバ、今日も魔導用紙の研究が中々進まなくてさ。やっぱり、水妖葦だけでは煮た時に固まり過ぎちゃうみたいでさ、もしかしたら別素材を混ぜて煮た方がいいのかもしれない。今度冒険者の依頼を受ける時には、水妖葦以外にも素材になりそうな物を採取できる依頼を撮りたいんだけど、そんな依頼ってあるかなあ?」
僕の話を聞いたアルバは、呆れた顔をして僕の顔を見ると、深々とした溜息をついた。
「お兄ちゃん!まあた、役に立たない研究でもしているの?もういい加減にやめたら?いくら義父さんからの遺言だからって、もう三年も頑張ったんだから諦めたらいいのに」
あっさりと言うアルバの言葉に、僕は思わずむっとして言い返す。
「酷いこと言うなよ。父さんはこの研究が世の為、人の為になると思って、僕にこの研究の完成を託したんだ。いわば、世界平和の為に一生を懸けて、命を懸けて魔導用紙の開発に従事してたんぞ?なら、その夢を託された人間が簡単にあきらめるなんて口にしていいわけないだろう?それに、もう三年じゃない。まだ三年だ。父さんはこの研究に二十年を費やしたんだ。三分の一程度の年数で諦めたら、遺志を継いだとは言わないよ」
「でも失敗したんでしょ?だったら意味ないじゃない」
「違う。まだ水妖葦には試していないことがいっぱいある。それを全部試して、ダメだったら失敗って言うんだ。だからまだこの研究は失敗とは言わない」
「はいはい。分かりましたー。それよりお兄ちゃん、ギルドから頼まれていた仕事の方はどうなっているの?まさかこの前みたいに忘れていたりしてないわよね?」
僕の言葉に、諦めたように深々とした溜息をついたアルバは、急に怖い顔になって僕を睨みつけ、その姿に僕は軽く苦笑する。
完全に信用がないセリフだが、これは完全に僕が悪い。
魔道具の開発や研究を行うと、時間や我を忘れてその事だけに没頭してしまって、頼まれていた仕事をすっぽかすことがままあってしまう。
思えば、アルバが研究を止める様に言い出したのも、この悪癖が露呈してからの頃だ。
「大丈夫だよ。ノルマはちゃんとこなしてる。ギルドに頼まれた回復用のポーションはちゃんと依頼分の数製作して、食器棚の方に並べているだろう?」
「おおー。さっすが‼お兄ちゃん、愛してる‼」
「ははは。安い愛だな。ありがとう。それじゃあ、今日の研究も一段落している所だし、一緒にポーションをギルドに納めに行こうか?」
「マジ!やった!」
僕の簡単な誘いに、アルバは子供の時の様なはしゃぎ声を上げて立ち上がり、嬉々として家を出る準備をする。
別に何処か遊びに行くわけでもないんだし、わざわざおめかしする必要もないのにな。
僕はアルバの姿に苦笑しながら、納めるポーションの準備を進める。
こうして、僕とアルバはポーションを納めに冒険者ギルドに行くことになった。
元々前書きだったんですが、話に感情移入しやすくするためにあとがきに移行しました。
基本的にこの章の話のタイトルは、ハードボイルド作品のタイトルからとっています。
と言っても、自分はハードボイルド何てゴルゴ13か、黒澤明の用心棒か、ロング・グッドバイしか見たことないんですけど。
ちなみに、プロローグのタイトルは勿論『龍が如く』、この話のタイトルは『季節の終わり』が元ネタです。