この部屋の酸素を無駄にしたくない。帰れよ。
窓辺から差し込む爽やかな朝の光を浴びながら、僕はゆっくりとベッドの上から起き上がった。
連日の図書館通いで肩も凝っていたが、最高の気分でぐっすりと眠れたお陰か、今は驚くほどに体が軽い。
「ぅあー。久しぶりに見たな。日本に居たときの夢は-」
僕は起き抜け特有の嗄れ声でそう一人言ちると、腕を時間をかけて伸ばしてからベッドから降りた。
洗面台で顔を洗い、朝の歯磨きをしながらぼんやりと昨夜の夢を思い出す。
久し振りに見た夢だった。
かつての僕が犯した事件の夢だ。
地球に居た頃の僕は、日本三大財閥である山本財閥の現当主の御曹司として何不自由ない暮らしを送り、帝王学という名目で護身術としての武術や、教養としての武道や格闘技を習い、時には会社の経営に直接口を出すというやり方で後継者としての能力を育てられたらしいが、まあ、何一つとして碌に覚えられた例は無く、強いて言えば格闘技の授業で習った裏技だけが異常に上手くなっていたことぐらいだ。
そうして家の中では後継者として落第と噂されながら生活する傍ら、学校では事あるごとに同級生たちからいじめと呼ばれる犯罪を受けていた僕は、或る日とうとうそれにキレた。
同級生を文字通りに皆殺しにし、別にこんなことを誇るつもりは毛頭も無いのだが、それでも恐らくは、単独の殺人者による大量殺戮事件としては少年犯罪史的にも、戦後犯罪史的にも、史上最大の殺人事件をおこしたと思う。
世間的に見ればイジメられていた大企業の御曹司が切れて同級生を大量に殺戮したセンセーショナルなスキャンダルであったが、僕個人としては彼らの騒ぎようこそ信じられなかった。
僕は確かに犯罪を行ってしまったが、彼らも又重い犯罪を行っている。
それにも関わらず、僕だけが強く攻め立てられるのは酷く不公平なように思えたからだ。
具体的には、持ち物を壊されたり、女の子に呼び出された場所に行くと告白を受けたと勘違いしたバカと言われてそれを生徒間のSNSに上げてさらし者にしたり、それを理由に女子からの誘いを断るとさらにそこから冷酷非道な人間だとか言われてネットが炎上したりした小さなことから、日常的にある事ない事言いふらされて無実の罪で警察に何度も補導されたり、持っていたお金を集団で暴行された後に巻き上げられたり、人目につかない所に閉じ込められて三日ほど飲まず食わずで閉じ込められたりした大きなことまで、基本的に犯罪的なことはおおよそされた。
余りにも日常的に犯罪行為を受けた所為で、強姦や殺人と言った犯罪の濡れ衣を着せられたときは、驚きすぎて逆に感心してしまったほどだ。もしも僕の実家が大財閥で無ければ、成す術も無く人生終わらされたと思う。
その時ばかりは流石に、一体僕はいつ彼らにそこまでされるほどの恨みや憎しみを買ったのか。と、考え込んだものだが、とんと見当もつかず、素直に何故にこんなことをするのかを聞きに行ってしまった。
結局、彼等にはそもそも相手にされず、明確な答えを何一つもらうことはなかったから今でも僕が彼等にあそこまで怨まれていた理由は謎だ。
ちなみに、仲間外れと無視をされることはなかった。そもそも仲間や友達と言える人間が居なかったから。
とは言え、そんなことをした奴らは全員殺したから、過去の犯罪をどうこう言っても今更なのだが。
こうしてぼんやりと思い返すと、まあ中々壮絶だったと思う。今でも僕が何故、あそこまで凄まじいイジメを受ける羽目になったのか、考えることがある。
それは両親が僕に対して何一つ愛情らしきものを示さなかったことや、僕以外に財閥の後継者として名が上がっていた従兄の方が成績優秀で人徳の有る人間だったことも関係しているのだろうが、最大の理由として僕自身がどこか何か欠落した人間だからだったのだろうとは思う。
思うのだが。
ただ、未だに何が欠落していたのか、さっぱりわからない。
人を殺しておいてなんだが、僕は倫理観や道徳観はそれなりに持ち合わせている方だと思う。
マンガやアニメやゲームが好きで、強いて言えばそう言うオタク文化に浸ることが僕の人生の楽しみの大半ではあるが、それだけであり、それに感化されて人を殺したいと思ったことはない。
武器や兵器は好きだし、個人的な趣味で本物の銃や刀剣なども集めていたが、それだけだ。
少なくとも人を殺すのは悪い事だと思うし、彼等を殺したことは悪いとは思わないけれど、それでも殺すまでは言いたいことを腹の奥で噛み殺してまで耐えていたのだ。
だからこそ、僕は未だに不思議に思う。
あの時何故、僕は怒ったのだろう?
馬鹿馬鹿しい話だが、未だにその時の自分の気持ちが僕には理解できなかった。
何が僕の中の最後の一線を斬り落としたのか。
いじめの中で何が一番堪え切れなかったのか。
彼らの行動に対して一体何を思ったのか。
或いは。
何が僕の中の怪物を目覚めさせてしまったのか。
血溜まりに沈むクラスメートの大量の死体を見て、僕が最後に思った疑問は、それだった。
あそこまで自分が制御できなくなったのは、
否。
逆だ。
あの時の僕は、恐ろしいほどに自分で自分を完璧に制御していた。
湧き上がる殺意を行動に移すことに何一つ躊躇いが無かった。
怒りや憎しみでは無く、見つけたハエを叩き殺すような気やすさで人を殺していた。
何より、何よりも。
あの時の僕は、何よりも確実に人を殺すことに長けていた。
……まるで人を殺す様に生まれた男だな。貴様は。
脳裏に、かつて武術の師範に言われた言葉が蘇り、嫌な記憶と共に口の中の水を吐き出して鏡を見る。
そこに映っていたのは、寝起きで眼つきの悪い自分の姿だ。
「……なあ、お前。立花喜兵衛よ。お前は何故あの時に怒ったんだ?なんで、あそこまで平然と人を殺せたんだ?」
思わず鏡の自分に手を伸ばしながら尋ねるが、答えが返ってくるはずもない。
僕は自分の心でさえも分からない。
やはり何かが欠落しているのだろう。
その答えが、未だに知りたくてたまらない。




