知的な人々の中に幸福を見出すことは、滅多に無い。
第一章後半です。
ここから、視点は立花喜兵衛のものに変わります。今回はその序章に当たります。
後、どうでもいい事ながら、バイトクビになりました。ヤベー。
美鈴野高等学校は、近代的設備の整った教育環境と、モダンアート的な造りの校舎が特徴的な私立学校だ。
内装は吹き抜けの廊下や強化ガラスを多用した造りに代表される開放的な設計が特徴的で、校内の所々には、現代アートの巨匠が手掛けた壁画やオブジェが校内の内装と調和されるように配置され、ギャラリーには生徒が製作したアート作品が展示されている。
教育設備について言えば、普通教室で基本的に使う教材はタブレット端末とスマホのみであり、黒板もアナログ式の黒板をモチーフにした巨大モニターとなっている。
科学室や音楽室などの特別教室には、大学と同じ基準の専門的な設備や、プロが使用するレベルの機材が据え置かれ、その設備の本格さは、時にはプロのオーケストラの練習や、大学や民間の研究機関から機材や資材の貸し出しが行われているほどだ。
勿論、これだけの設備が整えられた学校が、ただの学校である訳が無く、偏差値は七十を超えた秀才か、若い内から高等な教育を受けさせるに足りうる財力を持った親を持つものだけが通う事の出来る、全国でも有数の進学校だ。
清潔で、洒脱で、最新鋭の設備と最高の環境が用意された進学校。
それが、美鈴野高等学校だった。
そんな学校の教室の一つに今、大量の生徒の死体が積み重なっていた。
未だに夏服に着替えていないので、紺のブレザーの制服を着こんだ生徒の大半が凄惨な姿で生き絶えており、床の上には所所乾いた赤黒く温い血溜まりが広がっている。
その中で、今僅かに生き残った生徒が、一人の生徒に向かって涙ながらに許しを請うていた。
「………………ゆるひへ、くら、……ゆるひへ、くらひゃい…………」
そう言って、命乞いをした少年の名は柴里・正武。
柔道部のエースとして知られ、都大会でも優勝をしていた「美鈴野高校の期待の星」であり、オリンピック金メダリスト候補としても将来を嘱望され、身長は二メートルにも届き、精悍な顔立ちに屈強な肉体と、まさしくスポーツマンを体現した様なその姿は、まさしく理想の高校生言った少年だろう。
そんな正武少年は、今。
ブレザーの制服に身を包んだ生徒の死体から流れ出る血だまりの中に、無残にも勢いよく頭を叩きつけられていた。
「ご、…………ご、めな……ごめにゃしゃい……たちばにゃくん……」
「余り名字で呼ぶなよ。格好悪いぞ、正武君。いつもみたいに僕の名前を呼べよ。『おい、喜兵衛』ってな」
そんな中、今まで正武を痛め付けていた少年、立花・喜兵衛はそう言った。
「なあ、正武くん。君はいつだったか、テレビの前で言っていたじゃないか。『いつも通りの事をいつも通りにすることが芯の強さの本質だと思っています』って。なら、僕を呼ぶときもいつもの様に名前で呼ぶべきだ。
後輩や同級生の柔道部員のみんなと一緒に僕を毎日トイレで袋叩きにした時の様に。
その後みんなで一緒になって僕の財布のお金やカードを盗み取った時の様に。
君の彼女を使って僕に強姦の冤罪を着せた時の様に。
近所で起こった殺人事件の犯人として通報して犯罪者呼ばわりした時の様に。
僕の大切にしていたアニメグッズやゲームデータを目の前で破壊した時の様に。
僕の制服や体操服を盗み出して女子用の物にすり替えて変態と嘲笑った時の様に。
僕を喜兵衛と呼び捨てにしろよ。それが、『芯の強さ』という物なのだろう?」
「ひ、ひにぇ…………」
まるで何という事も無い様にかつてされた仕打ちを淡々と語る喜兵衛の姿に、正武は無様な悲鳴をあげた。
喜兵衛の声は、怒りや憎しみを込めるでも無く、かつての自分のへの当て付けを行うでもなく、ただ静かに、日常の一ページの様に、淡々とかつての正武の言葉を語っていた。
何よりもその姿が、正武には怖かった。
ごく静かで簡素なその喜兵衛の態度は、過剰な怒りや狂気染みた憎しみよりも尚、何よりも雄弁に喜兵衛の異常性を語っていて、自分はこれから、この男に恐ろしい事をされる。と言う漠然とした絶望感を味わわされる。
「……情け無いなぁ。意味もなく暴力を振るう事も、心身ともに必要以上に執拗に嬲り続ける事も、今まで君が僕にして来た事だろう?今更僕が君と同じ事をしているからって、そんな無様な姿を晒すなよ」
だが喜兵衛は、そんな正武の心中を無視する様にそう言うと、喜兵衛は正武の髪の毛を無造作に掴みながら流血の広がる床の上には叩きつけた。
勢いよく床の上に顔を叩きつけられた途端、正武の顔から硬いものと軟らかいものとが同時に潰れて砕けた様な嫌な音がして、喜兵衛の顔に小さな血飛沫が飛んだ。
だが、そんな陰惨な行動をとっている当の本人は、特に正武の様子を気にした風も無く、何度と無く無造作な作業として正武の顔を床に叩きつけては自分のその手を赤黒く染めていき、時折り眼鏡や顔に跳ねる血飛沫にも眉一つ動かさない。
そうして何度か正武の顔を床に叩きつけた喜兵衛は、溜め息をついてその手を止めた。
「……血の所為で手が滑るな。あんまり力が入んないや。何で運動部って全員が髪を短くするのかな?髪の長さに競技の資質や喧嘩の強さは関係ないだろうに」
そこでふと黒板となっている巨大モニターを見上げた喜兵衛は、何かに気付いた様に口を開けて驚きの声を上げた。
「あーそッか。こうすりゃいいんだ。馬鹿だな、僕は。本当にバカだ。正武君。先に謝って置くよ。僕はどうやら、君の言う通りに頭の悪い単なるクソオタクだったらしい。
こんな確実で簡単な殺し方にも気づかないだなんてね」
「……ひえ!やめ、たしゅけ」
良い事を思いついたとでも言わんばかりに上機嫌な喜兵衛の言葉に、正武は暴力によって歪んだ顔を、恐怖で更に歪ませて命乞いをするが、そんな言葉に耳を貸す事無く喜兵衛は巨大モニターに正武の顔を叩きつけた。
その瞬間、巨大モニターは内部の電気回路をショートさせながら液晶画面を砕け散らせ、柴里は血に濡れた顔をそのまま電子部品の詰まったモニターの中に叩き込まれた。そして、
「ほいよ。ポチっとな」
喜兵衛は、そんな間抜けな言葉と共に巨大モニターのリモコンを操作してモニターの電源を点ける。
次の瞬間、画面が中央から割れた巨大モニターにはプログラムの羅列する画像と同時に、画像を歪ませるベリノイズが現れ、やがて黒い煙と火花を散らしてすぐに沈黙した。
そのただなかに頭を突っ込まれた正武は、一瞬体を一際大きく痙攣させたがすぐにそのまま静かになり、ゆっくりとその場に頽れていく。
喜兵衛はそんな正武の死体を無造作に蹴り転がすと、焼け焦げた顔に向かって間が抜けた口調で言う。
「……おーい、正武くん。死んだなら死んだって言ってくれ。生きてるなら生きてると言ってくれ。改めて殺すから」
間抜けな質問を死体に問いかけた喜兵衛は、それでも正武がそれ以上は完全に動かない事を確認すると、暫くその場で考え込む様に顎を撫でると、
「…………とりあえず、返事が無いから止めだけは指しておこう」
そうして呆気なく今まで同級生だったものの頭部を踏み砕いた。
喜兵衛は、正武の死体から滲み出る脳漿の入り混じった血溜まりを一度踏み躙ると、深く深呼吸をして鉄錆びた血の匂いを胸の中に充満させて、ゆっくりと目を閉じた。
最早この教室に生きている人間の声や音は無くなっていたが、耳を澄ませば、校舎の外から聞こえてくる生徒の声や騒々しい物音が、絶えず喜兵衛の耳まで届く。聞こえてくる喧騒に混じっている台詞は、警察はまだかだの、生徒は無事かだの、どこかで聞いたことがある様な凡庸でありきたりな言葉ばかりがリフレインする様に耳に入って来る。
時間的に見て、警察の特殊部隊が此処に入ってくるのもそろそろだろう。
喜兵衛が捕まるのもそう長い時間はかかるまい。
だが、そんな「終わり」の状況の中にあって、喜兵衛の心は不思議と静まり返っていた。
それは今までの溜め込んでいた鬱憤を漸く晴らすことができたからだろうか?それとも、それ以上に自分自身の今までの人生に対して、どういう形であれ、ケリをつけられたという満足感が心に満たされているからだろうか。
だが、喜兵衛は自分のそんな感情に何か思いを巡らせる事もなく、静かに自分の席に向かう。
と、そこで喜兵衛は何を思い付いたのか、一度正武の死体の傍に戻ると、死体の懐に隠してあった煙草とライター遠慮なくを拝借して、軽く死体に向けて頭を下げた。
「すまないね、正武君。君の物を勝手に借りて。ただ、今はちょっと悪い事をしたい気分なんだ」
喜兵衛はそう言うと、血に濡れた手で煙草を一本取り出しながら席に向かい、自分の席の椅子に深く腰かけながら煙草の先端に火を着けて、煙草の煙を味わう為にゆっくりと紫煙を燻らせる。
そうして、白昼の教室に堂々と煙草の煙を吐き出した喜兵衛はそこで肝心なことを思い出して、深い後悔とともに呟いた。
「……しまった。柴里に何で僕が怒ったのか、聞いておけば良かった」




