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鮫島 桃花 第六話 どうせ花は咲き、輪廻の輪に還る命


 父の下腹にカッターナイフを突き刺した私は、自分の両手が切れるのも構わずに父の腹からカッターナイフを抜き取り、父から距離を取った。


 お腹から血を流した父は、自分の身に何が起こっているのかを理解しきれていないようだったが、それでも私に向けて怒りとも恐怖ともつかない形相で睨みつけ、その顔を見た私は、再び父に向ってカッターナイフを突き刺した。


 何度も何度も。


 無我夢中で。


 それは、父に対する復讐であったような気がするし、或いは未だに拭いきれない父への恐怖から来る防衛本能であったような気もする。


 ともかく、わかっていることは、その時の私は止めようもないほどの殺意と、ただひたすらに体を動かす強い衝動のままに、手にしたカッターナイフを突き刺していた。


 それからどれだけ経ったのか。或いは数分も経っていないかもしれ無い。

 気付いた時には私は、血塗れになった両手で赤黒く濡れたカッターナイフを握り締めていた。


 そして、目の前には地面に血溜まりを作って力無く座り込む父の姿があった。


 すっかり動かなくなり、着ていた服も見る影も無くズタズタにされた父の死体を見下ろし、生臭い赤錆びた血の匂いが漂う中で荒い息を吐きながらカッターナイフを握り締めた私は、その時になって漸く自分自身の状況を理解した。


 私は、父を殺したんだ。


 気付いた時には私は、混乱する頭の中で小銭の入ったきんちゃく袋だけを握りしめてアパートの前を飛び出し、とにかく手や顔に付いた血を落とそうと、近くにある水場のある公園を目指してその場から逃げ出した。

 冷静に考えれば、アパートの前にいるのだから、アパートで血を落としてから逃げればいいのに、何をしていたのだろうと、笑ってしまう。


 後から考えてみれば馬鹿馬鹿しい様な行動を取っているが、それでもその時にはその場をどう凌ぐかしか考えられず、とにかく逃げ出す為にその場を動いていた。


 人気の無い道を選んで公園に辿り着いた私は、水場で手や顔、そして服についた血を洗い落とそうと、何度も両手を擦りながら吐き出しそうになる思いを堪えて体に付いた血を洗った。

 震える両手の所為でただ手を洗うという簡単な行動が酷く難しく、何とか手と顔に付いた血を洗い落とす事ができた私は、とにかく一刻でも早く遠くに逃げ出そうとその場を離れたが、何処に行けば良いかも分からず、ただ取り敢えず行ける所まで遠くに行こうと、フラフラとした足取りのままにその場を離れた。


 何処をどう歩いていたのかの記憶はなかったが、その間足元にはふわふわとした感覚が常に付き纏い、まるで雲を踏み歩く様な捉えどころの無い感覚があった事だけを覚えている。

 そのまま歩き続けて行く内に、気づけばいつのまにか私は珍しく人気ひとけの無い駅のホームに降り立ち、今買えるだけで一番遠くの駅に行けるだけの切符を握り締めていた。


 駅のホームでベンチに座ると、今までのふわふわとした足元の感覚が無くなると同時に、重い鉄枷を全身に取り付けた様な感覚が襲いかかり、その場から一歩も動けなくなった。



「……人を、殺しちゃった」



 呟くと同時に、私の体の中には、胃の中に焼け溶けた鉛を流し込まれた様な体の芯から焼きつく嫌な熱が身体中に駆け巡ると同時に、そんな身体の熱とは逆に、骨髄から湧き上がる神経ごと凍り付かせる様な止めようも無い震えが全身に走る。

 両手を見ると、血に染まった数時間前の状況を幻視してしまい、身体全体に震えが走った。そんな震えを押さえる様に両手を握りしめると、今度は未だに生臭い鉄錆た血の匂いが漂う様な気がした。


 父を殺したことに対しての後悔は、自分でも恐ろしくなるほど何一つ感じていなかったが、人を殺したという事実自体は、私の心にまるでいばらの鎖を巻き付けたような痛みと恐怖を植え付けた。


 これからどうして行けば良いのか?


 これからどうするべきなのか?


 そんな考えが頭の中に駆け巡るが、私の思考は纏まることなく堂々巡りになって闇の中に思考が沈んでいく。



「……死にたくなければ生きるしか無い。生きるしかないんだ」



 そう呟いて、必死に自分を振るい立たせようとするが、そんな言葉も虚しく未来に希望が見出せず、涙が後から後から溢れてくる。


 自首すれば自分の罪は軽くなるのか?とてもそうは思えなかった。


 真の罰は、刑罰では無く人からの差別と偏見だ。


 たとえ私の過去にどんな理由があっても、これからの私がどうなろうが、人を殺した私を世間が受け入れるとは思えなかった。

 どれだけ罪を償い、罰を受けようとも、私が犯した親殺しという事実自体は消える訳じゃ無い。

 私を人殺しと知った人々は、これから私にどう接するのだろう。


 けれども、このまま逃げるとしても何処に行けば良いだろう?何処まで行けば良いだろう?

 何より、誰が私を助けてくれるだろう?


 どちらにせよ、私には、もう私の未来には残された選択肢など、何一つ残されていない様に感じた。



「……今、どこにいるのかな?真琴ちゃん」



 どうしようもない現実に、どうしていいかもわからない現状に、ただ私はそう呟いてしまっていた。





 

 その時だった。






 突然、駅のホームの床には巨大な魔法陣を思わせる幾何学文様が、青白く発光しながら浮かび上がり、空間にはどこから照らされているのかもわからない白い光が溢れ、それは時間が経つごとに徐々に


「……プロジェクションマッピング、にしては意味不明だな」


 そう言ったのは、丸いメガネをかけたやせぎすの見るからにオタク然とした男子だった。

 その風体や顔つきは私と同世代くらいだろうとは思うが、その顔付きや漂う雰囲気が異常に異常に猛々しく、何処か空恐ろしい雰囲気を感じた。


 ふと気になって周囲を見れば、それ以外にも電車から降りたばかりの二人の人影が駅のホームに存在しており、そこに今まさに駅のホームに降り立とうとする二人の人影が見えた様な気がした。


 その瞬間、私の目に映る白い光は急激にその光量を増して輝き、気付いた時には、私は……いや、私たちはやけに豪華で不思議な造りをした建物の中に居た。


 こうして私は異世界に召喚されることになり、『剣技と武闘の勇者』として剣術を学ぶことになった。


  




 ☆★☆★☆★☆★







「嫌な夢だな……」


 朝日の照り付けるベッドの上で目を覚ました私は、石造りの武骨な天井を見上げながら呟いた。


 久しぶりに見た思い出の景色のせいで、今まで忘れていた血の匂いが鼻の奥から蘇る。


 何となく右手を上げて朝日の中にかざしてみるが、当たり前の話しながらも手に血はついていなかった。


 それを確認した私は、そのまま右腕で両目を隠すように顔の上に置く。


 異世界に『勇者召喚』の魔術で呼び出された私は、そのまま流れに流されていき、気づけば貴族にまで取り立てられた。

 一応、伯爵位を貰った私は、王都に特別に屋敷をあてがわれているが、実際にその家に行ったことは今までに一度も無い。

 王宮に用意されたかつての兵士の詰め所を改装しただけの、決して豪勢な内装では無いが質実とした造りの部屋はこの異世界に召喚された時から気にいり、屋敷を用意してもらった後も引き続き使わせてもらっているのだ。


 地球に居た頃とはえらい違いである。


 何もしていない筈の私たちが叙爵されて貴族に取り立てられたのは、所謂、『高度な政治的判断』という奴だった。


 世界的な注目を浴び、巨額の国家予算が動く『勇者召喚』の大魔術が成功した以上、異世界からやってきた勇者が貴族にこき使われる状況を作るのは全軍の指揮を執る上では、不都合この上ない。

 かといって、貴族が勇者とはいえ爵位も無く、この世界の常識や知識もなく、そもそも戦闘技能すらない勇者に唯々諾々としたがう状況を受け入れるはずもない。


 そこで、「世界真理の勇者」には全員に貴族となってもらい、貴族に従う状況にも、貴族を従える状況にも、両方の状況にも適応できるように、ある程度の地位を手にしてもらおう。という事になった。


 こうして 確かに、この異世界に「世界真理の勇者」として召喚された私の人生は、大きく変わったと思う。物質的な状況で言えば、今までで一番豊かな生活を送っていると言って過言じゃない。


 朝昼晩の定刻通りに出てくる食事

 清潔に保たれた綺麗な服

 望めば毎日入ることのできるお風呂

 安心して眠ることのできる部屋


 ごく当たり前にあるはずの、けれども日本にいるときには手に入れることのできなかった全てを今、私は手に入れていた。


 けれども……


「……何一つ、変わらないな」


 けれども、それは別に私の人生の全てをやり直すお手軽なリセットボタンを押されたわけでは無かった。


 いきなり押し付けられた勇者という称号のプレッシャー。

 辛く厳しい訓練を経ても尚なかなか上がらない力量。

 そんな私たちに対する世間からの冷たい評価。


 そして、何よりも私たちは戦争で殺し合いをしなければならないという使命。

 

 意味もなく殴りつけてくる父からの暴力に怯え、無理解な世間に見世物の様にさらされる現状は、地球で味わってきたあの異常なまでの孤独感と何一つ変わらなかった。


 私が本当に欲しかったものは、私の孤独を癒してくれる誰かだった。


 ……そんなこと、この世界に来る前から知っていたけれども、こうして一人ぼんやりとしていると自分自身の孤独を噛み締めるように、思い返してしまう。


 そうしてどれだけそうしていたのか。私は、今までずっと顔の上に置いていた右腕を下すと、ゆっくりと起き上がってそのままベッドの上に腰かけて、呟く。


「……頑張ろう。まだ、私は死んでいないんだ。……死にたくなければ、生きるしかないんだ」


 窓から差し込む朝日は、いつかの様に朝の冷たい澄み切った空気を照らして輝いていた。







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