鮫島 桃花 第五話 後世花は咲き、君に伝う変遷の詩
思った以上に話が長くなってしまったので、間章自体を桃花の話で終わらせます。
ただ、勇者の話をしたのはこれ以降の展開に関わるいくつかの伏線を張っておきたかったからです。
一応、今回の話で最低限の伏線を張れたかな。とは思いますが、旨く張れたかなあ?
とりあえず、もう一話更新したら、間章は終わりで、その次の話から一章後半に入ります。
ちなみに、次の話からは立花・喜兵衛の視点で話が進みます。こいつは、この作品の中ではもう一人の主人公と言えるほどに重大な役割を負っているので。
高校を退学してから、出来るだけ人に会わない生活をしていた。
小さな町工場の事務職について、必要な仕事だけして、できる限り人との接触を絶った。
出来るだけ人と話さず、必要なことしかせず、ただ陰気に仕事だけをこなす私の事は、さぞかし扱いにくかったことだろう。
父の弁護士を通じて、父からは賠償金だの今までの生活費だの何だのが大量に送られてきたが、私はそのお金にはどうしても手を着ける気にならず、かと言って突っ返す気力も湧かず、ただ漫然と莫大な数のお金が私の預金通帳に貯まっていくばかりだった。
そんな生活の中で私の唯一の希望になったのは、真琴ちゃんだった。
当時の、世間とか人間とかそういうものに対して以上に敏感になっていた私は、彼女とさえも直接会ったり話したりすることは無かったが、真誠ちゃんは私の好きな漫画やアニメの話をして、私のが好きそうアニメや漫画を紹介して、そして偶に私の家に宅配便を使ってゲームやフィギュアなどのオタクグッズを貸してくれるのは、純粋に嬉しかった。
決してお金に余裕のある生活を送ってはいないはずなのに、私を相手に自分のお小遣いを使ってまでそうしてくれることが嬉しくて、いつも宅配便の宛名に書いてある真誠ちゃんの名前を何度もなぞって過ごすのが、私の日課になっていた。
たまに気を遣わせすぎていることに引け目を感じて、メールを送ろうとすると、書きたいことがありすぎるのに、実際には書こうとすると指先が震えるほどの嫌な思いがよみがえり、結局ありがとう。とか、ごめん。とか、単語を一つ二つ並べただけの分にもならない言葉を送って、辛うじて真誠ちゃんとだけ繋がっていた。
そうしていく内に、少しずつ生きていく気力を取り戻し始めた私は、以前のオタク活動でも行っていたフィギュア製作を始めるようになった。
以前に持っていたフィギュア製作用の道具は全て生活費のために売ってしまっていたので、その時は適当に見つけたカッターナイフを利用して、事務仕事の際に分けてもらった紙粘土を使って形を作り、そして適当に塗装していくのだ。
最初は好きなアニメ作品や特撮作品のキャラを作っていくだけだったが、それだけでも私にとっては精神的な特効薬になったようで、次第に職場の人からは「良く笑うようになった」と言われ、相も変わらず単語だけのメールではあったが、真誠ちゃんへの返事も少しずつではあるが増えていくようになった。
我ながら単純なことだと思いつつ、フィギュア製作を続けていく内に、次に、まだフィギュア化はおろか映像化もしていない漫画のキャラをモデルにフィギュアを作り、その写真をネットに投稿すると、私のフィギュアの完成度の高さにネットからの反響が大きく、ホビー雑誌からの取材を受けることになった。
そこからフィギュアの完成度を褒められた私は、思い切ってオリジナルキャラを作ってそのフィギュアを作成したところ、一躍私のフィギュアは人気を博し、そのキャラクターを作っての二次創作が行われるようになった。
ネット上で私の作ったキャラが別の誰かによって作り直されるの見るたびに、スマホを片手にガッツポーズを繰り返し、何度も何度も私のキャラクターに関連する動画を見直した。
そうして、私の人生が着実に上を向いていくことを実感するようになった頃。
それは唐突に私に起こった。
「やあ、トーカ。久しぶりだな。元気しているか?」
父が私のもとを訪ねてきたのだ。
買い物帰りに私に向かって玄関先で、相も変わらずに高そうなスーツや時計などの装飾品に身を包み、手荷物も持たずに私の住むアパート前の玄関先に立つ父の姿は、心なしかやつれているように見えたが、その佇まいや態度は以前の生活から何一つ変わったようなところはなかった。
一方で私は、普段着を兼ねたあずき色のジャージを着こみ、スーパーでの買い物帰りの為に手には食材やその他の雑貨品の入ったビニール袋を提げており、その姿がそのまま私と父との距離の様に思えた。
そんな風に父との距離を感じていたからか、あるいは単にフィギュア製作に必要なカッターナイフを買い込んでいた為か、その時の私はひどく攻撃的になっていたのかもしれない。
……今なら、殺せる。
父の顔を見た瞬間に、ごく自然にそう思っていた。
しかし、目の前の父は、そんな私の心中を知ってか知らずか、以前に暮らしていた時と何一つ変わることない口調で、軽い笑みを浮かべながら私に話しかけてきた。
「よう、トーカ。久しぶりだな。半年も見ない間にすっかり変わったな。少しやせたんじゃないか?」
「…………それって、嫌味ですか?」
ビニール袋の音が嫌に大きく聞こえる中で、抑えようとしていた声が低く、冷たく、固くなったのを覚えている。
それは、父にとっても予想外の冷たさを伴った声音だったのだろう。
私の声を聴いた瞬間、今までどこか軽く笑みを浮かべながら私の前に立っていた父は、頬を引き攣らせてその場を一歩を下がった。
「……ど、どういう意味だよ。別にそんな」
「……父さんと一緒に暮らしている間は、もやししか食べられなかったので、痩せていましたが、むしろ今は安くてもお肉や卵、それにもやし以外の野菜が食べられるようになったので体重は増えました。前に着ていたはずの服が今ではサイズがきつくなってしまい、とてもではないですが着れなくなってしまっていますよ。まあ、今の方が標準体重に近いから、お医者さんからは健康的でいいと言われましたけど」
私の言葉に、父は一瞬口を開きかけたが、そのまま二、三度口を開けたり閉じたりを繰り返して、漸くの事で気まずそうに言葉を吐き出した。
「……そうか。それはすまなかったな。まあ、でも、それも俺が今まで送っていた金があったからだろう?太ってしまったのは多少残念かもしれないが、」
その言葉に、殺意と憎悪が煮えたぎった。
「……手なんか、付けてませんよ」
「え、……?」
「貴方からもらったお金は、満額、取ってあります。返してほしいなら、今すぐ返しますよ?……この日のために、とっておいたので」
父の言葉を遮ってそう言った私は、今まで肌身離さずに持ち歩いていた父から送られてきた預金通帳をその足元に叩きつけた。
本当はこうしたかった。早めにこうするべきだった。けれども、こんなくだらないことをするために、わざわざ父の顔を見たくなかった。だからその時まで一円どころか、一銭と言えども預金通帳の中のお金には手を付けていなかった。
だがそんなことは、目の前にいる父にとっては予想外のことだったようで、地面に勢いよく叩きつけられた預金通帳を目にして、驚愕に目を見開いて固まってしまっていた。
そんな父を見て、少しだけ胸のすいた私は、そこでようやく本題を切り出した。
「……それで?要件はそれだけですか?私に会うんだったらもうこれっきりにしてください。お金を返してほしいんだったら、返しました。これ以外にまだ用があるんですか?」
私の言葉に我に返った父は、今まで茫然と見下ろしていた預金通帳から顔を上げて私の顔を見ると、顔を青ざめさせながらも、私にとっては信じられないことを口走った。
「……あ、ああ。実はトーカに頼みがあってきたんだ。どうか、テレビに出て俺の事を弁解してくれないか?それで、ついでに俺と和解したって、話してほしいんだ」
その時、私の中で何かがキレた。
私は、父に何度助けてくれと言っただろう?母は何度暴力を振るうのをやめてくれと言っただろう?
周囲の人間の無理解な視線や、悪意溢れる噂にどれだけ傷つけられたのだろう?
それなのに。
父は、この人は、こいつは。
この程度の苦しみからさえも逃げようというのか?
気付いた時には私は、フィギュア製作用のカッターナイフを握りしめ、父の顔面に突きつけていた。
「とー、トーカ……?何をやっているんだ?あ、危ないだろう?冗談でも、そういうことは」
「帰って!二度と私の目の前に現れないで!あなたなんか知らない!どうなろうがどうでもいい!私は全部本当のことを言っただけでしょ!生活費として月に一万円しか渡されなかったのも!酒に酔った日にはいつもいつも罵倒されたのも!起きている時にはいつも意味も無く殴られたのも!全部全部貴方の「教育」でしょ!あなたの教育を受けてるときに、母さんは一体何度泣きながら謝ったの!いったい私は何度病院に運ばれたの!それを一つ一つ私は全部覚えている!それなのに!」
今までになく大きな声を出したせいで、喉がひりつくように痛んでいた。
「何で貴方はそれを全部忘れて私に助けを求められるの!何でそこまで自分の事しか考えられないの!辛い?苦しい?知らないわ!助けてほしければどっか別の誰かを見つければいいじゃない!帰れ!私の前から消え失せろ!」
「や、やめろ!トーカ!やめろ」
そうして父は、私の手からカッターナイフを取り戻そうと、咄嗟に私の右手に向かって手を伸ばした。
それは、いきなり凶器を突き付けられた人間にしてみればごく当然の反応だったろう。
だけどその時の私は、咄嗟に脳裏に今までに父が私を殴って来た記憶がフラッシュバックし、それと同時に、この状況自体に私の思考回路自体がマヒしていたのだと思う。
今度は、殺される。
何故か知らないが、そう思った私は、手にしたカッターをそのまま振り回して父の手を振りほどきながら、その懐に飛び込み、父の下腹に深くカッターナイフを突き刺していた。




