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鮫島 桃花 第四話 絶縁の詩


 その日の朝の事をよく覚えている。



 電車に轢かれて直視できない程の状態となった母の遺体を見た直後、ごく自然に死ぬ事を決めた私は、そのまま夜の繁華街に繰り出して当て所も無く高層ビルの建ち並ぶ街を彷徨い歩いたと思う。


 思う。という曖昧な言葉を使ったのは、次に覚えている雑居ビルの屋上から昇る朝日を眺めるまでのその間の記憶が殆ど無いからだ。


 強いて覚えている事を挙げるとすれば、ニュース速報で母の死のニュースを見た事だろうか。


 世間的には母の死は単なる有名人の妻の死に過ぎず、夕方のワイドショーで取り扱われる程度のごく小さな出来事としてニュースで取り上げられ、ニュースサイトの速報記事に記載された。


 それを見たのも、私が自殺を決行する直前のことだったのか、それとも夜に街を彷徨い歩いている間のことだったのかもわからない。


 ただ、夜の間、足に地が付いてい無いようなふわふわとした感覚がずっと続いて、気付いた時には七階建てのビルの屋上の縁に立ち、手摺を後ろ手で握りしめていた。

 何となく東の空を見ると、都心に向けて昇る朝日が、朝の冷たい澄みきった空気ごと街を照らして輝き、時おり乱反射する光は白い輝きの中に虹色の帯を連ねていた。


 死ぬには良い日だ。


 映画のワンシーンの様な光景に、今でもそう思う。

 そうして、ぼんやりと美しい景色の中で佇んでいた私は、ふと自分が未だに靴を履いている事に気付いた。


「…………こういう時には靴を脱いでおくものだっけ」


 何となくそう呟いて自分の靴を見ると、学校指定のパンプスが傷だらけで泥だらけの事に気付き、今まで自分が学校指定の制服ぐらいしか、まともに外を出歩ける格好をしてこなかった事を思い出した。


 そうして、自分が今どれだけ惨めな境遇であったかを思い返して、自然と私の口からは乾いた笑いが止まらずに溢れ出し、悲しいのかもおかしいのかもわからない涙が後から後から零れ落ちた。


 今まで、随分惨めな目には遭って来た。


 スーパーの試食コーナーでウィンナーや冷凍カツの試食品を食べ漁り、店員から追い出されるようにして家に帰り、その度に周りからは白い目で見られた。


 月に一度の銭湯に行く事が数少ない贅沢だったから、次に銭湯に来るまでの間は銭湯でかき集めた席捲を使って香水にして体の匂いを誤魔化し、その所為で学校に行く度に男女を問わずにいじめられた。


 碌に服も買えなかったから冬でも夏服のままでいることなど当然だったし、イジメの所為で制服を汚されてしまい、父の知人の結婚式にボロボロの服で行けば常識知らずと多くの人間に笑われた。


 自分を惨めに思うことは多かったけど、それでも今この瞬間、自分が惨めだと思うことほど、惨めなものは無かった。


 そうして、自分の惨めさにひとしきり涙をこぼしながら笑い尽くした私の脳裏に浮かんだのは、小柄な体格をして丸いメガネをかけて私と趣味を共有する、唯一の友人と言える女の子の姿だった。


「……最後に、真琴ちゃんには会いたかったな」


 そう呟いて、私は力なく手摺から手を放すと、数十メートル下の地面に向けて頭から落ちて行き、次の瞬間に訪れた衝撃と同時に意識を失った。




 ★☆★☆★☆★☆



 気付いた時には、私は真っ白な天井を見上げて、ベッドに横たわっていた。


 後から聞いた説明によると、飛び降り自殺を決行した私だったが、運が良かったのか悪かったのか。少なくとも、今生きていて最悪と言えるわけではないので、悪くはなかったのだと思う。

 ともあれ、良くも悪くも一命をとりとめた私だったが、それは同時に、良くも悪くも、私の人生の転換点となる大きな出来事だった。


 この日を境に、私と、父を取り巻く環境は激変した。


 母の遺体は私が身元確認をしたのちに司法解剖に回され、私が投身自殺を図った際には、医師によって私の身体の健康状態を調べられていたのだ。

 医師によると、母娘揃って不衛生な服装や栄養失調気味の身体をしており、更にはところどころに痣や生々しい傷跡がついていたことに不審に思って二人の身体を調べ、身許を確かめたが、そのあまりにも貧相な体格と質素すぎる服装から、父との家族関係を疑われてしまったという。

 正直、投身自殺で生き残った事よりも、投身自殺以前にこれだけ酷い健康状態で死ななかったのが不思議だと言われたほどだ。

 もしかしたら貧乏生活の所為で生命力が増したのかもしれませんと冗談を飛ばすと、医師は深刻な顔でその冗談を受け止めていた。


 当初は有名人の娘が母を追って後追い自殺を図ったと思われたこの事件は、それだけでも十分に世間的にスキャンダラスな内容だったのに、母親の死因と娘の自殺未遂の原因が大企業の社長である父親からの暴力と虐待であったことは、とてもセンセーショナルな内容として瞬く間に世間に広まった。


 特に、父が大企業の経営者であるにも関わらずに母と私を揃って貧困を強要していたことは、日本経済に打撃を与える程の大きな事件となった。

 日本が誇るベンチャー企業の重要人物が、家庭内暴力と児童虐待を繰り返し、遂には妻を自殺に追い込み、娘にはいまだに暴力を振るい、碌な生活費さえ渡していなかった。

 そんな私たちの異常な暮らしぶりが報じられるたびに、父やその所属する会社に対するバッシングは強く成り、今まで好奇の視線で私を見ていた周囲の証言とやらから、私たち家族の異常な生活とやらが騒ぎ掻き立てられた。


 病院には連日週刊誌やテレビカメラが押し掛け、父は謝罪会見を開いて涙ながらに何やら意味の分からないことを訴え、会見場ではいかにも正義面をした記者たちが怒号を上げていた。


 そんな人間の姿を病院のベッドの上に腰かけながら、テレビ越しに見ている私は、とても冷たい目をしていたと思う。


 今まで私たちを助けようともしなかったくせに、私たちの生活を知ろうともしなかったくせに、母が死んだ途端に私を悲劇のヒロインの様に扱う世間に対して、私は人生で初めて、腸が煮えくり返るという言葉の意味を理解していた。


 それは胸の奥が冷えるような底なしの穴が開くような虚しさを、或いは、無差別に人を襲い殺したくなるような衝動的な殺意を伴っていて、単なる子供の騒ぎ声や、世間話をする看護師の話し声にさえも咄嗟に殴り掛かりたくて仕方なかった。 


 生きている以上、私はこれから先の生き方についても考えなければならないのに、その時の私は母が死んだことにも折り合いがついておらず、生きる為の目標というか、指針や方針の様なものを見失い、これからどうすればいいのかを自問し続けることしかできずにいた。


 それなのに世間は、私や母の生活を暴き立ててはそれを理由に父を攻め立て、それに対する意見や言葉を私に求め、何を言っても言わなくても、何かの専門家や神妙な顔をしたお笑い芸人が訳知り顔で適当な事を語っていた。


 そんな世間の全ての対応が、私の人生や生活を面白おかしい見世物しているようにしか見えず、父を非難する声も、私を擁護する声も、其の全てが私に対する悪意に満ち満ちているように思えなかった。



 本当に私の事を同情するのなら、そっとしておいて欲しかった。何もしないで欲しかった。




 私にはその時まで、母の死を悼む時間も、この後の身の振り方を考える暇も、今までにため込んだ感情と向き合う余裕も与えられなかった。


 ただ普通に。

 母が死んだことを悲しみたかった。

 私の哀しさを友達に話したかった。

 私の悲しさを友達に慰めてほしかった。

 そしてこれからどうするかを、一人で悩んで、一人で決めたかった。


 そんな、ごく普通の事をしたかった。



 やがて、自殺の時の怪我も治り、その後の後遺症も無く体力を回復した私は、めでたく退院となり、私の現状を知った父方と母方の祖父母が、私に一緒に暮らす様に提案して来た。


 けれども私はその誘いを丁重に断ると、そのまま学校を退学して、今までのバイト先の伝手を伝って安いボロアパートの一室を借りて生活を始めた。


 理由など無かった。


 単純にその頃の私は、人を信じきれなかったのだ。








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