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鮫島 桃花 第二話 拝啓、忌まわしき過去に告ぐ。


 部屋に戻った私は、お風呂に入ることも無くベッドに倒れ込むと、窓の外の三日月から落ちる月明かりの下でシーツにくるまりながら今日の辛かったことを忘れる様にベッドの上で丸まる。


 私は正直に言えば男性不信だ。というよりも、男性恐怖症に近いのかもしれない。


 それは一重に父からのトラウマが原因だ。




 ☆★☆★☆★☆★




 私が元の世界にいた時には、私は母さんと一緒に父に殴られて育った。


 最初に殴られたのは五歳の頃の事だった思う。

 その日は日曜日の昼前のことで、私の好きな魔法少女もののアニメが終わり、私は好きなキャラをスケッチブックに描きながら、下手な歌を口ずさんでいた。

 歌も絵もそのころから好きな方だったが、どちらも別に取り立ててうまいわけではなく、子供の歌としては聞ける程度の歌を歌っていた私は、その時に勢い余って、手にしたクレヨンを画用紙からはみ出させてしまい、フローリングを汚してしまった。


 その時だった。


「いい加減にしろよトーカ!!日曜日からうるさくした上に何で床に落書きまでしてるんだ!」


 父はそんな私にそう怒鳴り付けたかと思うと、突然、握り拳を勢い良く私の顔に叩きつけた。

 

 その時の私は、父の突然の暴力に泣くよりも先に茫然としてしまい、怒りの形相で謝る事を強要する父にただだただ謝ることしか出来なかった。

 そして、父がその場を去り、母が洗い物を終えた時に漸く体に痛みが襲ってきて、母の膝にすがり付きながら泣きじゃくった。


 その日以降から父はとにかく日常的に神経質になり、何かあると私達を殴った。

 だが、その時も、それ以降もそうだったが、その際の父は別に酒に酔っていたわけでは無かった。というよりも、父が私達を殴るときは常に素面だった。

 素面の状態で、不意に何かにイラついて、いきなり私や母を殴りだす。

 それは仕事がうまくいかなかったり単純に仕事で疲れていた時に顕著だったが、そうでない時でも、不意に掃除や洗い物、食事の時の音やマナーのことで怒り出すのだった。


 そして、父が酒を呑んだ日は素面の時よりも辛く私達に当たった。

 酒に酔った父はいつも上機嫌になって私達に自分の自慢話を交えながら、夜遅くになっても私達が眠ることを許さず、私達を詰り、罵り、貶した。

 そしてそれを説教やしつけと言って憚らず、それを教育の一つであるということを疑いもせずに私達の心を遠慮容赦なく踏みにじる。

 それは、母が父の言葉に耐え切れずにその場にうずくまってただ涙をかみ殺すように啜り泣くころに終わり、咽び泣く母や喉がガラガラになるまで謝った私を見て、父は漸く満足したように酒の酔いに任せるままに眠りにつき、私達も陰鬱な気分で眠るのだった。

 そして翌朝になると、父は昨夜の事は全く忘れて、夜に言っていた事とは真逆の事を言いながら母や私を無能や役立たずと責めなじり、時には朝っぱらに私たち二人はビンタや拳骨で殴られた。

 こうして父が酒を呑んだ日は、精神的にも身体的にもボロボロにされて、その日一日中を暮らし、私達は父の様々な暴力に苦しめられた。


 その内に父は私達の生活費まで制限するようになり、私達母娘は都心の一等地に住みながら貧乏をするという奇妙な生活をするようになった。


「お前たちの様なダメ人間は金を管理すると無駄に浪費して増々ダメになるから、今後は俺が一切の生活費を管理する」


 何に触発されたのかそう言いだした父は、私達母娘に一ヶ月で一万円の生活費だけを与えて、その費用だけで暮らすことを強要したのだった。

 それまでの私達母娘はけっこう、とういうより、かなり裕福な暮らしをしていた。

 父は新進気鋭のベンチャー企業の役員だか経営コンサルタントだかをしており、その仕事の収入はかなりのもので、曲がりなりにも私達は東京の高級マンションに住みながら、時おり高級な外食に出かけては、好きなものを買ってもらう生活を送っていた。

 その生活も小学校入学と同時に終わった。


 その日からの暮らしは正直、私にとっては精神的に地獄だった。

 住む場所と光熱費ばかりは流石に父が出していたが、食費と衣料品、何よりも私の学費はその一万円から捻出しなければならず、その所為で小学校の食べ盛りの歳であった私は、常に空腹に苦しんだ。

 それなのに、無駄に美食家だった父は自分では料理を作ることはなく、母に自分の料理だけは高級和牛や新鮮な海鮮類、旬な食材を使った料理を作ることを強要し、空腹に耐える私の見ている前で父はそれをおいしそうに食べるのだった。


 今思い返しても異常な光景だ。


 父は、毎食キッチンでワインや高価な食材を使用したイタリア料理やフランス料理に舌鼓を打ち、アルマーニやグッチなどのブランドのスーツを着こなして毎朝会社に出社し、普段着でさえも高いブランドもののシャツを着て、趣味の車やバイクを大量に購入しては、専用のガレージにコレクションして並べ立てた。


 その裏で、母と私は和室で一日に二食か一食だけ、水ともやしの炒め物を食べてその日の飢えを凌いで、いつの日も半袖の薄汚れたTシャツやワンピースを着こんで生活しており、時につぎはぎを当てたズボンやシャツを着こみ、好きな絵を描くための紙を手に入れるのにも苦労し、お風呂でさえまともに入れることはなかった。


 傍から私たち家族を見ていた人たちは、とても私達が同じ家族であったとは思えなかっただろう。

 その暮らしは、経済的には勿論の事、特に精神的に辛かった。


 周囲にはお金持ちの隣人が暮らし、道を高級外車が走っている町のなかで、私達二人は貧乏そのものの格好をして、一円でも安くその日の暮らしを生き抜くことに全力を注いでいた。

 その様子はまるで自分達が父のお情けとカネに集っているようであり、周囲の人々は私たちの事をまるで人間のクズか、犯罪者予備軍の様に扱い、冷たく白けた目で私たちを見ては、遠慮容赦なく私たちの悪評を流しては父を持ち上げる様なことを言うのだ。

 お金のことで苦労するよりも、そうした周囲の冷たい視線が嫌だった。

 何も悪いこともせずに暮らしているのに、一日一日を頑張って生きているだけなのに、まるで周囲の人間に、お前たちが生きている事こそが悪い。と、私の全部の存在価値を否定されているような生活が、たまらなく嫌だった。


 だが、私の父は、これら全ての行いを「教育」であると信じて疑わず、その上、母に対しても単に悪い事を注意しているだけとしか思っていない様で、自らを亭主関白だと放言して憚らなかった。


 そんな生活をぬけだす為に、母は父と離婚しようとしたが、その都度に父はそれを鼻で笑ってろくに相手にしようとせず、時には金や暴力を振るって母の意見を無理矢理黙らせた。

 浮気も不倫もせずにまっすぐ家に帰り、夜に呑みに行くのもふた月に一度あるかないかだけであり、趣味に関しても自分の稼ぎと貯蓄のバランスを考えて適切に行っているのだから、自分が離婚される理由はない。

 それが父の言い分であり、その言い分は聞くだけならば正しかった。


 実際に父は本気で自分の「教育」の正しさを疑っておらず、自分のやる事成すこと全てにおいても、道徳的で倫理的な、人道に則った正しい物事であると信じていたようだった。


 私が生活費を無理矢理削られたせいで裁縫や料理が上手くなったことも。

 学費が足りないせいで碌に受験を受けられなかった私が推薦を狙う為に成績を必死に良くしたのも。

 父からの暴力を受けないために寝る間も惜しんで礼儀作法を必死に覚えたのも。


 全てが自分の教育のたまものだと公言していた。


 父からそう言う言葉を聞くたびに私は、泣きだしたくなるほどやるせない気持ちで胸が締め付けられた。


 常に三つか四つのバイトとパートを掛け持ちしている所為で、あらぬ噂を立てられて友人の一人としてできなかった母の苦労や、お風呂に入るのだって苦労する所為で小学生の頃からいじめられた私の苦悩を、何一つ知ることなく、考えることなく、覚える事すらなかった人が、全てを「教育」の一言で片づけている。


 あるいは父は、ただのサイコパスだったのかも知れない。

 そうでもなければ、DV被害のニュースや児童虐待のニュースを見るたびに本気で怒りながら「何て酷いことをするやつだ。人間のクズだな」と、頭のおかしい事を言う訳が無い。


 テレビの中の哀れな被害者に対して義憤を募らせながら、私達に対してテレビの加害者と全く同じことをする父を見る度に、私は父に対して絶望と諦観と、そして殺意を感じずにはいられなかった。





 …………私は、父を殺してでもこの生活から逃げ出したくてたまらなかった。





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