閑話 『人生の悲劇は、人は変わらないという事です』
何かいい感じに書き上がったんで、今回は早めの投稿です。
寧ろ間章は視点がコロコロと変わって、プロットが難しいので今までの週一投稿が送れるかもしれませんのでそこはご了承ください。
ちなみに、今回のサブタイトルだけは、ハードボイルドものから取ったのではなく、ミステリーの女王であるアガサ・クリスティの名言から。まあ、ハードボイルドもミステリーの一種という点から見れば、この言葉もギリギリハードボイルドと言えますが。
シトラスが冒険者として活動していた頃、王宮には静かに一つの影が落ちていた。
その影は強いて言えば、曇りの日に見える影であったのかもしれない。
曇りの影は、昼間でありながらも薄く見えにくい。その所為で、あたかもそれが無いかの様の錯覚してしまうが、目を凝らせばその影はしっかりと足元に広がっている。
それと同じで、その影は当時の人類圏が発足した『神聖軍』の中に在っても、人々に対して、恐れや侮り、或いは共感や神秘性と言った、強い情動を感じさせる存在では無かった。強いて言うのならば、その影が人々に与えた感情は、肩透かしに近かったのかもしれない。
まあ、こんなものか。と、所詮はこの程度の者なのだろう。と、侮りや嘲りとは違う。
言ってみれば、できない人間ではないけども、別に凄すぎるというほどでもない。そう言う、程よい距離感の様な感情が、その影が人々に与えた感情の殆どだろう。
それ故に、人々はいともたやすくその影を受け入れてしまった。
その影の持つ、本来の力を推し量ることも無く。
だが、曇りの日の影は決して存在しないのではない。ただ、溶け合っているだけのだ。
或いは建物の影に。或いは雲の影に。本来、存在していた影の中に。だから気づかない。
その影の大きさに。
だが、曇りの日の影は、晴れない限り夜に変わるものだ。
現に王宮の中に落ちたその影は、人々の知らぬ間に、日々その大きさを増していき、今ではその影の力に多くの人の命運が握りしめられていた。
今、『神聖軍』の中に潜み、王宮に落ちていたその影の名を、五十嵐・尚高と言った。
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――――――どうしてこうなったのだろう。
王宮に仕えるメイドの一人である筈のメアリー・ジェーン・アスタリスクは、綺麗に手入れされた庭園の中で今にも振り出しそうな曇天を眺めながら、ぼんやりとそう思った。
彼女は、男爵家の三女という下級貴族の出身であったが、貴族学校の成績の良さから王宮に仕える侍女として就職することができ、そうして連合王国の王宮仕えとなって二年が過ぎた頃、『世界真理の勇者』の中で最も強い力を持った勇者である『全能の勇者』こと五十嵐・尚高の使用人として転属されたのだ。
その後、尚高は『全能の勇者』としての才能を王侯貴族に見せつけ、瞬く間に公爵位を与えられ、王都の中に王族の使っていた別宅を改装した専用の邸宅を与えられた。
そうして、単なる王宮仕えの侍女でしかなかったメアリーも、尚高の使用人として伯爵位まで与えられるほどになった。
これだけ見れば、下級貴族出身の女子の綺麗なまでのサクセスストーリーだ。
だが、実際にはどうだろう?
今メアリーは、顔を怒りの形相に染めて自分に馬乗りになった騎士の男に、一切の手加減なく盛大に殴られていた。
メアリーを殴っている男の名は、アルフレッド・レッカーソン。
勇者である尚高付きの騎士の一人であり、尚高がこの世界に来るまでは王宮の中でも屈指の美男子にして、連合王国が誇る高潔な若き大騎士として武名と勇名を馳せ、多くの女官や侍女が彼に恋心に寄せていた。
メアリー自身、アルフレッドには淡い恋心を抱き、彼の武勲や艶聞には聞き耳を立ててその活躍を応援し、時には叶わないと知りながらも彼に当てて恋文を書いたこともあるほどだ。
その若き大騎士は今、ぎらついた瞳と恐ろしい形相で馬乗りになってメアリーを殴りつけ、彼の話で盛り上がった仲の良い同僚たちが自分の手足を押さえて、罵倒と暴言を絶え間なく投げつけて来る。
「ナオ様に悪いと思わないのか!お前の所為でナオさまの機嫌を損ねたのだぞ!ナオ様は勇者なんだぞ!ナオ様は偉大な存在なんだぞ!そんな人の機嫌を損ねるなんて、貴様は一体何様のつもりだ!」
「ナオ様の御傍に侍りながらなんてことをしてくれたの、このクズ!」
「どういうつもりよ、このクズ!淫売!」
「ナオ様の慈悲で此処にいるのに、どういうつもりなのよ!」
先日まで友達と思っていた同僚のメイドたちに怒鳴られ、密かに憧れていた思い人に殴られながら、メアリーは謝罪の言葉を口にしつつ、訳の分からない涙で顔中をぐしゃぐしゃにしていた。
そもそも自分は一体どういうミスをしたのだろう?何故殴られているのだろう?何が悪くて彼女や彼に怒られているのだろう?
何もわからなかった。
ただ、尚高が少し機嫌を悪くして、それで誰かが怒鳴り声を上げて、いきなりアルフレッドが殴り掛かって来たのだ。
いつ頃こんなことになったのか、只気付いた時には既にこういう風に殴られ、罵られ、そして自分もまた、人を殴って罵る人間になっていた。
きっと、自分が彼女たちを責める番には、自分も彼女たちと同じか、それ以上に醜い形相をして彼女たちを罵っているのだろう。
そう思うと、ぼやけていく視界が尚更に形を失っていくようで、もう既に倒れている筈の自分の足元がさらに揺れてバランスを崩していくような、嫌な感覚にとらわれる。
その感覚の中で呟かれる謝罪は本当の本心だ。でも、誰に向かって、何に向かって言ってるのかは自分でもわからない。
そうして、ただひたすらに殴られ罵られ、それに対して謝り続け、その内、右の視界が真っ赤に染まり始めたその時だった。
「もういいよ、アル。ありがとう。そろそろを御仕置を止めようか?高々紅茶を溢しただけだろう?もう反省してるだろうし、そろそろ雨も降りそうだしね?」
今まで薄ら笑いを浮かべながらティータイムを続け、馬乗りになって殴られているメアリーを見ているばかりだった尚高はそう言ってメアリーの傍にやって来ると、力なく地面に横たわるメアリーを無理矢理立たたせてその傷跡に乱暴に手を置き、詠唱も無く神々の奇跡である『治癒』の神聖術を使った。
すると、今までボロボロだったメアリーの身体は瞬く間に癒され、立つのもやっとだったメアリーは殴られる前の状態へと戻った。
そうして、メアリーの傷がすっかりと言えたことを確認した尚高は、穏やかに微笑んで優しくメアリーの事を抱きしめる。
「ほうら、もう大丈夫。痛くないよー。だから大丈夫、大丈夫。それで、こういう時には何て言うんだい?」
「ご……、ごめんなさい……。ごめんなさいナオタカ様……!ごめんなさい、ごめんなさいいいいい!!」
集団で暴行した後、こうしてナオタカは暴行された人を自らの能力を使って傷を癒すと、優しく慰め労わるのだ。
そう言う風にされると、本当に自分達が悪いことをしている気がしてしまい、尚高の言う通りの事をしてしまっている。
そうしていつの間にか、全員が全員、尚高の機嫌と顔色を窺いながら使用人同士で暴言と暴力を振るい合い、ただ死んだ目をしながらじっと尚高の望みを叶える為だけに動くようになってしまっていた。
そうして、尚高の元で泣きじゃくりながら許されたメアリーは、御仕置によって汚れたメイド服を着替える為にその場を下がり、そうして再びティータイムに戻った尚高は、雷鳴が鳴り始めた曇天を見上げながら子供がわがまま言うような口調で口を開いた。
「あー。早く、王女様が欲しいなあ。やっぱり、勇者と言えばお姫さまとの恋だよねー。あー。でも、どうせならお姫様を手に入れるよりも先に、少しくらい冒険しといたほうがいいかなあ?そっちの方が箔もつくし、それに冒険者のお姉さんって言うのも少し野性味があって火遊び面白そうなんだよねー。
そうだねー。何か、美人で有名な女冒険者とか知らない誰か知らない?」
特に返事を期待している訳ではないのだろう。一瞬、返答に困った使用人たちを見ても特に機嫌を壊さなかった尚高は、紅茶を一口に啜りながら少しだけ鬱陶しそうに呟いた。
「まあ、でもその前にどうにかするのは、勇者の方だよね。……皆可愛いし、邪魔な奴はいるし」
そう言うと尚高は、笑顔を浮かべながらも、不意に目だけは真面目な色に染めて、冗談っぽく呟く。
「取りあえず、あの立花とか言う奴が勝手に死んでくれると助かるんだけどなー」
その言葉は、雷鳴が鳴り始めた庭園の中で、不思議なほど使用人の耳に届いた。
ちなみにですが、この回で酷い目に遭っているメアリーさんとアルフレッドさんですが、この後も少しだけ登場します。
あと、プロットではシトラス側のヒロイン三人が酷い目に遭うのは確定していたんですが、書いている内に思った以上に尚高がヤバい奴になったんで、作者の想定の三倍くらい酷い目に遭います。
まあ、ハッピーエンドにするように頑張りますよ。




