第十六話 冒険のテクニック。
僕がナオタカ以外の勇者を高く評価する事になったきっかけは、ほんの些細な事だった。
その日僕は調べ物の為に何度か王宮の図書館や書庫に出入りを繰り返しており、何度となく王宮の中庭の側を通り抜けていた。
そうしている内にいつのまにか時間が過ぎ去り、すっかりと周囲が暗くなった頃だった。
気付くと、中庭にはいつのまにか、『剣技と武闘の勇者』であるトーカ・サメジマが王宮の誰もいない裏庭に差し込んだ月夜の光の中にで 出て来ており、まだまだ素人らしい手つきで剣と盾を構えて一心不乱に昼間の剣技をなぞっている姿があった。
当時の僕は、勇者達の持つ知識や精神性に敬意は払っていても彼等自身には興味が無く、特に取り立てて関わり合おうとは思わなかったし、できれば関わり合いになりたくなかった。
何故なら丁度その日、勇者達五人は出陣前から揃って爵位を手にした日であり、それを見た僕は彼ら四人に対して、権力者や周囲の人間に利用されるタイプの人間であり、ナオタカとは違う方向性で危うさを感じていた。
だからその晩に偶々見かけたトーカさんに対しても、そのまま無視していようと思ったのだが、そんな僕の内心を他所に、トーカさんは夜間の冷たい空気が肌に痛い中で、全身が汗に濡れるほどの稽古を続けていた。
そんな愚直なだけの少女の姿を僕は暫くの間何ともなしに眺めていたが、そのうちに必死すぎる彼女の姿を見兼ねてしまい、思わず声をかけた。
「精が出ているところにちょっかいをかけるようで悪いですが、稽古も余り無理をすると逆効果になりますよ?今日はもう大人しく休んだ方がいいと思いますが?」
「……あー。こんばんは。えっと……」
「特級冒険者のシトラス・レモングラスと言います。僕自身、他人に口出しできるほど武術に詳しく無いんですけど、それでもあなたの努力は余り褒められないものだと思います。これだけ寒い中で汗をかきすぎると風邪をひいてしまいます。病気を治す為に休みを取れば結果的に稽古をサボる事になってしまい、稽古の意味がなくなってしまいますよ?」
常日頃から多数の人々に囲まれているからだろう。一度自己紹介はしたはずなのだが、僕の事を全く知らなかった彼女は咄嗟に僕の名前が出て来ずに、少し困った様に顔にかかった髪の毛の先を弄り、僕はそんな彼女に改めて自己紹介しつつも彼女の稽古方法について忠告した。
するとトーカさんは、僕の名前を忘れていた事に律儀に謝ると、そのままクールで冷徹な見た目の印象通りに、はっきりとした口調で厳格そうに言う。
「……確かに、シトラスさんの言い分はもっともだと思います。私達の世界でも無茶な努力は褒められるものじゃないですから。
それでも、今の私が出来る事はどちらにせよ強くなる事だけですから。強くなる事でしか存在理由を示せません。自分の居場所は、自分で掴んで、自分で守るものです。そして、守る以上はどんなに無謀でもどんなに無茶でも努力を重ねないといけません。……それに、これがの私にできる唯一の事ですから」
如何にも生真面目に眼鏡を直す彼女の姿は、勇者というよりも誰かに言われるまま従う操り人形の様な印象を感じしてしまい、僕はその顔になぜか無償に大人気なく皮肉の一つでも言って意地悪したい欲に駆られてしまい、思わずその感情のままに言葉を口にした。
「戦争の為にそこまで頑張るだなんて、自殺願望でもあるんですか?それとも、そんなに人を殺したいんですか?」
「……どう言う意味ですか?それは?」
「どうもこうも無いですよ。ちょっとしたことわざです。『戦争は腕利きの墓場』とか、『戦場は手練れの処刑場』とか、この世界では良くそう言う言い回しを使うんですけどね。騎士であれ傭兵であれ冒険者であれ、腕が立って有名な奴ほど戦場で死んでいくから、それを皮肉っているんです」
このことわざは、余りにも夢見がちすぎる冒険者から得た皮肉であると同時に、冒険者に対する戒めとしての言葉でもある。
突き詰めて言えば、冒険者だけでなく騎士であれ神官戦士であれ、戦うことを目的としている職業の人間自体、能力が極まれば極まるほど自分の得意な状況の依頼を専門に受けることが多くなり、自分の専門外の仕事には余り口出しをしなくなるものだ。その為、今回の様な強制的な依頼でその能力を十全に発揮された例などあまりない。
特に、冒険者ギルドの依頼の様に、魔物や魔獣を相手にして一方的に自分達が狩りに回る討伐依頼や、最悪入ってもすぐに出れば死ぬことはないダンジョンの探索とは違い、魔族を相手にしての完全な殺し合いが目的である戦争では、特級冒険者と言えども簡単に死んでしまう。
そこから、分不相応な大口を叩く人間の事をこう言う言い方で揶揄する様になったのだ。
そうして、僕の言葉を聞いて黙り込んだトーカさんに向けて、僕はとどめを刺すようにさらに口を開く。
「加えて言わせていただければ、言い方は悪いですけど、結局の所貴方のしている事は全て殺人の為の訓練ですよ?それに対してそこまで熱中するのは、死にたがりか殺したがりかのどちらかじゃないかな?って、単純にそう思っただけです魔族との戦争がどれだけ過酷なのかは、僕達を含めた多くの人間の目の前で、この国の王様が説明してくれたじゃないですか?この戦争に参加したところで、大概の人間が元の姿で帰ってくることはない。帰って来ても廃人同然になる。って」
この話は、特に魔獣の討伐依頼を専門にしている冒険者であればあるほど顕著で、戦争に行く前は屈強さで鳴らした冒険者が、帰ってくれば面影の無い死人の様になっているというのはよくある事だ。
それは、どちらかというと、精神力を含めた強さ云々では無く、認識の甘さというのが大きな理由を閉めている。
確かに特級冒険者は魔獣を相手に一人で戦えることができる実力を持つ。とはよく言われる事だが、その実力を発揮するのには、相当な鍛錬と周到な準備とが必要になる。
けれども、魔族と言うのはそもそも魔獣とは違い、僕達人類と同じように知恵を持ち、魔術を始めとする技術や道具を使い、そして何よりも国家を作り意思疎通することが可能な、僕達と同じような存在だ。
そんな相手を、魔獣と同じように軽く考え、殺そうとした時に命乞いや断末魔の悲鳴を上げて死に、時には自分達の油断や隙を伺い、明確な殺意と敵意、何よりも強い憎悪をぶつけながら戦って来る相手を前にして、初めて多くの冒険者が三つの事実に直面する。
それは、自分が明確に『人』を殺しているという事実と、
自分がそういう『人』同士の殺し合いをしているという事実と、
そして、殺し合いの中から抜け出せないという事実だ。
この三つの事実に直面した冒険者の殆どが、罪悪感に苦悩し、葛藤し、そしてあまりにも重すぎる絶望に心が耐えきれずに、精神が崩壊する。
僕はあえて彼女を挑発するようにそういう話を言ったが、ひとしきり僕の話を聞いたトーカさんは一度静かに目を瞑ると、意外にも僕の言葉を静かに肯定した。
「……確かに、シトラスさんの言う通りです。私達がやっていることは結局のところ人殺しの訓練で、ついでに言えば私たち自身は、頼まれたから人を殺すだけの単なる殺し屋です」
てっきり、彼女の性格であれば怒りに任せて突っかかるのかと思っていたが、彼女はそう言うと、
「でも、仕方ないじゃないですか」
そう、静かに一言呟いた。
「死にたくなかったら、生きるしかないじゃないですか。殺されたく無かったら、生きるしかないじゃないですか。生きる為に殺すしか無いって言われても、それでも、生きるしか無い、じゃない……ですか」
彼女はそこまで言うと、今までの生真面目で厳格な雰囲気では無く、まるで泣き笑いの様な顔で笑った。
その後、汗で身体が冷えたのか、一瞬だけ身震いした彼女は、仕方なさそうに僕に頭を下げてその日の稽古を終えて、中庭を後にした。
「……流石に、悪いことをしちゃったかな」
そんな彼女の後ろ姿を見てそう呟きつつも、僕の中では不意に何かが腑に落ちた。
嗚呼、成る程な。彼女は、彼女たちは、強い人では無いんだ。
強くなろうと、強くあろうとしている人なんだな。と。
そう思った時、少なくともトーカ・サメジマという少女は、『勇者』という言葉に相応しい人間なんだなと、直感した。
どんな理不尽な要求にも求められれば応えてしまい、どんな人間からの頼みであっても、困っている人からの頼みであれば断れない。
目の前の眼鏡をかけた知的で冷徹な雰囲気のその少女には、そんなどこか危ういお人好しじみた不器用な優しさがあるのだろうと、直感した。
正直、個人的にはエスメラルダさんと似ていて苦手とするタイプだけれど、それでもこういう人間が『勇者』を名乗り、その人の下で戦うのなら、仕方がないのかな。と思ってしまった。
英雄や勇者は嫌いだが、不器用な人間もお人好しな人間も嫌いじゃない。そうして、その日から僕の勇者パーティーに対する評価は大きく変わり、出来るだけ小さい事でも積極的に彼女や彼等の助けになる様なことを始めていった。