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第十伍話 「冒険者」に名前はいらない

 新年二話目の投稿。

 相も変らず、話しが延び延びになってしまってすみません。何とかテンポよく話を進めたいんですけど、話を読み返して手を加えていると、やたらと話が長くなってしまう。

 

 今回の話しでは、勇者の紹介というよりもシトラスから見た勇者に対する評価という感じですので、話自体はあんまり進んでいません。

 後、自分の中ではシトラスという男はかなりの切れ者で、相当な先見の明のある男なんですが、この話の中でそれを表現したかったんですけど、伝わりますかねえ?




 さて、『全能の勇者』であるナオタカが、少なくとも王侯貴族と言った上層部の人間や、ナオタカの事を良くを知らない市井の住民からは高い評価を得る一方で、世間一般のその他の勇者達に関する評価は辛辣なものだった。


 寧ろ、ナオタカの評価が高い分、上層部の人間はナオタカと他の勇者たちを見比べて実力以上に低く彼らを評価し、共に戦う冒険者や同格の騎士達からは出陣前から既に貴族に取り立てられた嫉妬と、ナオタカにぶつけられない不満の捌け口も兼ねて、これ見よがしに悪し様に言われることの方が多かった。


 確かに実際、彼ら全員の実力を一言で評価するならば『凡庸』という他になく、それぞれが剣術や魔術で少しだけ、普通の人よりは才能あるのかな?と思える程度の能力しかなかった。



 だが、僕自身は彼等に対する評価は高く、出来るだけ積極的に彼らの助けになる様に、自作の体力回復の為の魔導水薬ポーションや腹持ちのする料理を差し入れしたり、少しでも彼等の勉強に役立つ魔導書を集めて勧めたり、出来るだけ冒険者からの受けを良くするために冒険者の話題を伝えたり、と今思うと何だか気持ち悪く、鬱陶しい位に四人の勇者に付きまとっていたと思う。


 僕が彼ら五人の評価が高い理由は大きく分けて二つある。



 まず第一に、読み書き計算ができる。

 

 

 彼らは言葉こそ僕たちの言葉で会話することができたが、僕たちの世界での文字の読み書きはできなかった。しかし、それでも彼らは自分たちの世界では高い教育を受けたのだろう。

 五人の勇者は、自分たちの世界で通じる文字を自由に読み書きすることや、四則演算、二次方程式などの高い数学技能を持っていて、どの階級の人間ともごく普通に基本的な会話は行えるようであった。


 これは冒険者だけでなく、騎士や貴族たちからでさえも軽く見られていることだった。 

 冒険者というのは、元々極貧の農家が農業で食えていけなくなってしまい、独学で剣術や偵察の技術などを覚えた人間というのが大半を占めている。

 そのため、読み書き計算はそれができる者。たとえば、ギルドの受付嬢や、冒険者の中でも最低限の知識階級から冒険者にならざるを得なかったものが代筆や代わりに読み上げていた。

 彼らの生活はそれだけ十分成立しており、そのせいで冒険者の中では読み書き計算というのは特殊な技能であっても、別になくても困らない技術といった位置づけでしかなった。

 そして、貴族や騎士からすれば、それらの知識は幼少期から家庭教師や学校を通して学ぶことのできる当たり前の知識だ。わざわざそこに価値を見出さないのだろう。


 だが、この事実の意味は大きい。


 元々、読み書き計算というものは、応用だ。ある程度自分たちの知識によって読み書きができるのであれば、それに合わせてこの世界の文字と自分たちの世界の文字を対応させることでこの世界の読み書きを簡単に覚えることができる。

 実際に、彼等はそうやって学習することで少しずつであるが、確実にこの世界での文字を覚えているようだった。

 そして知識水準については僕たちと同レベルか、物によっては僕たちよりも高いものがある。

 

 特に、計算については純粋にすごいと思った。

 彼らの使うアラビア数字は単純に便利で、応用がききやすく、何よりも筆記が楽だった。

 また、彼らの言うデジタルの数え方である二進法というのはすごい便利で、目から鱗が落ちる思いだった。

 まさかイエスかノーかを表現するだけで、ここまで複雑な計算や意思疎通ができるとは思わなかった。

 計算の方法が面倒なために、すぐさまになんでもかんでも応用できるというものではなかったけれども、これを魔導技術に応用したときの恩恵はすさまじかった。

 例えば、光や炎が点滅するだけの魔導具を作って王都内で通信を行ってみたが、かなり複雑で詳細な情報を一瞬でやり取りすることができたのはすさまじかった。

 キヘエと言う青年が教えてくれたこの通信方法を、モールス信号といい、かなり昔に廃れた技術だといったが、これほど便利で優れた技術が既に廃れたものであるという事実に衝撃を受けた。

 このままこの他の魔導具に応用するのは難しいかもしれないが、それでもこの数え方の応用方法は数えきれないだろう。

 

 そして第二に、精神力が強い。


 精神力という面に関しては、特に僕と周囲の評価とで乖離している評価だった。


 確かに、戦うという事が日常茶飯事である僕たちの世界においては、冒険者だけでなく、普通の子供でさえもある程度は戦いに巻き込まれたときの生き残り方を持っている。

 それは単純に喧嘩の強さだったり、逃げ足の早さや密かな近道の見つけかただったりと様々だが、逆に言えばそう言った事に対処出来ない人間はのろまなグズだと思われている訳だ。

 その為、そう言った当たり前のことができない勇者たちは評価が低いのだが、僕の意見は逆だ。


 そもそも、彼らの言葉の端々や、態度や身のこなしから、五人の勇者がとてつもなく平和な世界から来たことだけは簡単に理解できる。

 そして、僕たちでも戦争という人同士が殺し合いをするような異常な環境に置かれることは稀な話だ。

 大体、冒険者ギルドの依頼とは違って、戦場に立つと言う事は、依頼を拒否する権利や選ぶ自由が無くなる上に、魔獣や魔物の討伐依頼や、ダンジョンの探索の様に簡単に逃げられるわけでは無くなる。

 その状況に放り込まれて、いつもと同じ様な実力を出して、いつもと変わらない戦果を挙げて、いつもと変わらずに無事に帰ってこいと言われたところで、普通の人のみならず特級冒険者の中でもそれを達成できる人間の数は少ない。

 むしろ、それを平然と異世界から無理やり連れてきた、それもかなり平和で今まで人が死ぬことも珍しい世界から連れて来られた、僕と年齢の違わない若者に求める方がおかしいと思う。

 

 だがそれでも、冒険者の中の多くはそんな自分達の目の前に事実に対して、自分の実力への過信からか、戦場という道の状況への楽観からか、軽く受け止めて笑う飛ばすことが多い中で、ナオタカ以外の四人の勇者はそう言う説明を受けて、それを重く受け止めることができていた。

 

 だからだろうか。その日から始まった五人の勇者への稽古は、大人でも簡単に逃げ出す様な厳しい訓練だったが、それでもなお挫けることなく訓練や鍛錬に常に励んでおり、少しずつではあるが、神の祝福によって与えられた特殊な能力や、魔術・武術の才能を使いこなしている様だった。


 冒険者や貴族たちからすれば、それは「神の祝福を受けているのだから、この程度の事はできて当然」という風潮で見られている様だが、僕にしてみれば、そもそも「神の祝福」とやらも受けていない癖に、自分達の実力を過信している冒険者たちの方がよほど共闘するのに不安があった。


 寧ろ、周囲の人間の評価に流されずに、過酷な訓練に対して何一つ文句を言わない努力量は純粋にすごいと思うし、何よりも自分達がこれから巻き込まれるであろう戦争に対して、そこまで深く覚悟を決めることができるのは精神力が無ければできる事じゃない。


 

 特に、そう思ったきっかけがある。


 

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