第十話 ハニー貸します。(後編)
お待たせしました。地獄というにはほど遠いですが、軽いジャブになります。
シトラスはこの話でちょっとした裏切りに遭います。
「特級冒険者『青い流星』の面々だな?私は『カタルシア公国近衛騎士団』の正騎士、エスメラルダ・グラウである!勅命である。これより、至急王宮に参内せよ!」
ドアノブを蹴破るようにして突然現れたその女性は、重厚な白銀色をした鎧を身に包んだまま僕たちの家の中に入り込んでそう言った。
エスメラルダと名乗ったその女騎士は、一言で言えば男装の麗人といった風情の美女だった。
肩口で切りそろえた黒髪に浅く日に焼けた肌が良く映え、生来の気質を表しているように鋭い眼光をたたえた瞳は名前の通りにエメラルドを思わせる緑色をしている。
突如として居丈高に現れた武装したその女性の姿を前にして、咄嗟にグラウカさんが前に出てアルバとプリムラの二人が魔法攻撃の準備をしたのは、長年の冒険者生活が故に体にしがみついた反射的な動きだろう。
そんな三人にいつでも対応できるように、エスメラルダと名乗ったその女騎士も、剣を鞘ごと引き抜けるように腰元の左手を剣に置いて間合いを図っている。
一瞬で狭い我が家の中に殺気が漂うが、僕はそんな三人を抑え込むようにエスメラルダさんの前に進み出て、頭を下げた。
「ひとまずはお仕事お疲れ様です、騎士様。僕はこの家の主でシトラス・レモングラスと言います。何事かのっぴきならない事情が起こったことは理解できますが、まずはお互いに剣を引いてお話を聞かせていただかせないでしょうか?唐突に勅命だと言われても、我々のような一般市民では礼を欠いた作法しか取れないと思うのですが。それでもかまわないでしょうか?」
僕は視線だけで戦闘態勢に入った三人を押さえつつも、エスメラルダさんの方に言外に無条件には従わないという事を伝える。その一方で、念のために僕自身が壁になるようにエスメラルダさんを玄関に抑えて退路を確保して、プリムラとアルバにはさりげない身振りで窓際に移動してもらう。
しかしエスメラルダさんは威圧的な第一印象とは違って話の分かる人であったらしく、僕の言葉を真摯に受け止め、剣に置いていた手を放して会釈した。
「ふむ。急ぎの命令とはいえ礼を欠いた手段を取ったのはこちらだ。些か暴力に訴え出るような真似をしたのは申し訳ないと思う。だが、こちらも火急の要件であることは理解してほしい」
「いえ。こちらの方こそ、僕たちの事情を組んで頂いてありがとうございます。ただ、先ほど部屋に入ってくる前に言われたことが理解できないのですが?僕たちは先月には既に冒険者を引退しています。そんな勅命を下される謂われも、その命令に従う謂われもないと思うのですが?」
とりあえず話の通じる人であるらしいエスメラルダさんに僕は本題を切り出すと同時に、エスメラルダさんからの命令を遠回しに断る。
「引退?残念ながら、我らは君たちのそんな話は聞いていないな。何はともかく、我らと一緒に来てもらおうか。事態は急を要する。最悪の場合は実力行使に及んでも構わんというのが、私に下された命令だ」
「申し訳ありませんが、僕たちはキチンと一カ月前にギルドにプレートを返却して、冒険者を辞めています。ギルドマスターに確認してもらっても構いません」
「しかし、この町のギルドマスターからは未だに『青の流星』は現役であると聞いた。あくまでも活動を休止しているだけだと。それであるならば、これを機に活動を再開してもらっても構わないはずだ」
一瞬、僕は自分の耳がどうにかしてしまったのかと思うと同時に足元が揺らぐような気がしたが、一瞬震えそうになる喉を気力で抑えてエスメラルダさんの顔を見据えた。
「ギルマスが……、ですか?そんなことは無いと思います。」
「いいや。我等に報告されている限りでは、『青の流星』はあくまでも冒険者活動は休止中とある。あくまでも一時的な休業状態であると。でなくば、我等とて王命とは言え一市民の生活を脅かす様な真似はしない。その程度の分別など、騎士であれば弁えているものだ」
淡々と言うエスメラルダさんの言葉は権力に物を言わせて無理やりに聞き出すものではなく、あくまでも事実だけを述べているものであり、そこに嘘や張ったりが入るような余地がなかった。
「正直、信じられないです。確認のために一度ギルドに行ってギルマスから話を聞いても構わないでしょうか?」
「構わない。何なら、我々の馬車を用意しようか?」
「そうですね。よろしくお願いします。馬車が来るまでの間、三人と話しても構わないですか?」
「無論だ。ただ手短に済ませてもらえばありがたい」
そう言って家の中からエスメラルダさんは出ていったが、その時のドアの軋みが嫌に不吉に聞こえ、僕はそんな予感を振り払うように三人に振り向いた。
☆★☆★☆★☆★
それから一時間後。
突然の話に困惑する三人を宥め透かして、僕はこの話の確認のために一人で騎士団と連れ立って冒険者ギルドに行くことになった。
本当は四人揃っていくべきなのだろうし、そうしたいという事は三人からも聞いていたが、僕はあえて一人で行くことにした。
エスメラルダさんの話が本当であるとすれば、ギルドマスターは僕たちのことを騎士団に売ったも同然であり、それは詐欺と裏切りを同時に食らったようなものだ。
決して順風満帆ではなかった僕の冒険者生活の中で数少ない理解者であったギルマスにそんなことをされたのが本当だとして、正直、三人と一緒にギルマスに会って、僕自身が冷静でいられるとは思えなかった
感情と理屈が整理できないまま、それでも騎士団の馬車は目的地の冒険者ギルドにたどり着き、僕は通いなれたはずの執務室までの道のりを重い足取りでたどっていた。
「ギルドマスター。話があります。少しいいですか?」
そう言って冒険者ギルドの執務室に入った僕の眼に映ったのは、僕を見るなり深く頭を下げたギルドマスターの姿だった。
「すまん……。シトラス……」
その顔と声を聴いた瞬間に、直感的にエスメラルダさんの言っていたことが全て真実であることを理解した。
途端に、今まで胸の奥深くに押さえつけていた激情が噴出し、そのままギルドマスターに突っかかった。
「やっぱりあなたですか!!一体どういうことですか!?これは?!僕たちは一カ月前にきちんと冒険者を辞めたはずだ!!それなのに、いきなり王宮に出てこいだとか引退していないだとか!!話がめちゃくちゃにもほどがある!!!一体どういうつもりでこんなことをしているんだ!!!」
あらん限りの激情を込めてギルドマスターに怒鳴りつけ、食ってかかる僕に対して、ギルマスはただ静かにその頭を深々と下げた。
「すまん……。シトラス……。とんでもないことが起こったんだ。此処は、俺の顔を立ててくれ……。頼む……。この通りだ……」
「そう言う事を聞いてるんじゃないんですよ!!僕が今まで冒険者を続けてきたのは、全部アルバとプリムラとグラウカさんを幸せにする為なんです!冒険者ではそれができないから、僕たちは引退したんです!!
冒険者がどれだけ危険な仕事か、貴方が一番よく分かっている筈じゃないですか!それも騎士団だの王命だの話はやたらと大きいし!!どれだけ危険な仕事を僕たちにやらせる気なんですか!!!」
「今回の件に関しちゃ、俺が全面的に悪い。だが、ギルドとしてはどうしても引き受けなきゃならない依頼なんだよ……。頼む……。ここは特級冒険者だったお前たちの腕前を見込んで、お願いだ……。頼む」
違う。違う。そういうことを言いに来たんじゃないんだ!そういうことを聞きに来たんじゃないんだ!
「もう、僕の目の前で三人が傷つく姿を見たくないんだよ!!あんたならわかるだろう!!僕に冒険者の心得を教えたあんたなら!僕が、僕が今までどういう思いで冒険者を続けてきたのか!!どうして今まで冒険者を続けてきたのか!!それもこれも全部、全部!!」
そうだ。僕が冒険者を辞めたかったのは。僕が冒険者を辞めようと思ったのは。全部あの三人の為だ。
冒険者だなんて、要は命の保証のない便利屋だ。何時、何処で、どんな死に方をしても誰にも文句を言えない。
それが、才能が有って、未来があって、努力を重ねている三人が、何の取り柄もない僕のためにそんな仕事をしていることが耐えられなくて、それで僕は冒険者を辞めたんだ。僕の夢だとか、目標だとか、そんなことのために、彼女たちの未来を奪いたくなくて、それで僕は冒険者を辞めたんだ。
それが、なんでこんな形で邪魔されなきゃいけないんだ。
「……………………………スマネエ。だが、俺もこの話だけは、見逃せねえんだ」
そんな僕の悲嘆を聞いて、それでもギルマスは震える声で断固としてそう言うと、不意に頭を上げて強く暗い炎を宿した瞳で僕の顔を見据えた。
「今、自由同盟軍では、長年の悲願であった『勇者召喚』が成功したんだ!それで、ロンダニア連合王国には特級を始めとした上級の冒険者たちが続々と集まって、今年の暮れには『魔王軍』への大侵攻が開始されるんだ!頼む!そこにカタルシア公国の冒険者として参戦してほしい!」
『勇者召喚』。
それは、市井に棲む一市民でしかなかった僕の耳にも伝わるほどの凄まじい魔術だった。
数千年にも及ぶ魔族と人類との闘いの中で、常に劣勢を強いられていた人類が勝利を得る為に異世界から勇者を召喚するという奇想天外な魔術だった。
詳しい理屈は不明だが、異世界から勇者を召喚することで神々の祝福と莫大な魔力を内包した強力な戦士をこの世界に呼び出すことができるというその魔術は、その発想が提唱されてからの百二十年間一度も成功することなく研究だけが続けられていたが、それがついに成功したという。
その話自体は聞いていたし、それが人類勢力における最大の福音になるであろうことも理解していた。
度重なる『魔王軍』からの侵略に対して、漸く人類が手に入れることができた勝機。
これを機に人類側が持てるだけの戦力を以て、総力戦を仕掛けるというのも理解はできた。
でも、それに僕が巻き込まれることになるのは、違うんじゃないのか?
よしんばそれ自体は仕方ないとしても、僕たちは一度は冒険者を、戦いや危険な仕事から一線を退いた一般人であるはずだ。それを法律もルールも何もなく、勝手にそんな場に引き戻されるなんて、身勝手にもほどがある。
そう言って、目の前のギルドマスターの横暴を糾弾したかった。
けど……。
「……お前も分かっているだろう?俺は親父と兄貴を、……そして息子までもを、『魔王軍』との戦いで失った……。お前が冒険者を続ける理由も、辞める理由も痛いほどわかる。
けど、けどなあ……。俺にとっても、これだけは見逃せない仕事なんだよ!俺が柄でもなく、冒険者ギルドのマスターなんて仕事をしているのは、こういう時の為だったんだよ!!!
いずれ起こる魔王軍との戦争に強力な冒険者を送り込んで、あいつらを一泡吹かせるためなんだよ!
どういう形であれ、あの魔族どもには一矢報いてやりてえんだ……!!俺の力で、報いてやりてえんだ!頼む……!!これだけは頼む!!どうか、どうか、頼む……!この依頼を、聞いちゃあくれねえか?」
ギルドマスターは、僕の手を取りながら啜り泣いてそう語った。
恥も外聞もなく情けない姿を晒すギルマスに、僕は何も言えなかった。
未熟な駆け出し冒険者の時に、冒険者として必要な心得や技術を教えてくれたのはギルマスだった。
いつも豪快に笑いながら僕の実力を褒め、時に高い情報や貴重な知識を教えてくれたのはギルマスだった。
特級冒険者だなんて言う分不相応な階級に上がれたのも、その階級で居続けられたのも、全部ギルマスがギルドの中で手を回してくれたからだ。
僕にしてみれば、ギルマスは辛い冒険者生活の中で支えになってくれる恩人であり、僕に冒険者として必要な知識と技術を教えてくれた恩師であり、そして、僕たちが特級冒険者に成り上がるための立役者だった。
それほどの恩義が脳裏に焼き付く僕にとって、彼の手は突き放すには重すぎた。
それから暫くして、特級冒険者として復帰した僕達『青い流星』は、人類圏最大の国家であるロンダニア連合王国へと渡ることになった。