プロローグ1 魔王が如く
「ふふふ。どうだ、この我の物となれ勇者よ。さすれば、世界の半分をくれてやろう」
魔王城の玉座の間にて、その男はそう言った。
魔王城に備え付けられた窓は、荒れ狂う嵐によって雨と風が叩きつけられ、時おり鳴る雷が夜中の場内を明るく照らす。
玉座の傍らには、二頭のケルベロスがその牙を剥き出しにして玉座に座る男に従い、時折玉座の男に顎を撫でられ、気持ち良さそうに目を細める。
そんな男に従い、玉座の間の周囲を守り固める衛兵たちは、一目で選び抜かれた精鋭兵たちであることが分かるほど、無駄と隙の無い動きで青年の一挙手一投足を監視しており、男の命令が有ればいつでも行動に移れるように緊張感の走る態度でその場に佇んでいた。
剣や槍を装備している衛兵たちは高価な魔導具である魔剣や魔槍を惜しげもなく装備し、それだけでなく、中には長杖や短杖と言った強力な魔術を使う為に必要な霊装を装備した、高位の魔術士までもが大勢混じっている。
宮廷魔術師ですら、多くても三名しか雇うことのできない人類社会ではとても考えられない強力な軍隊である。
恐らくは、この謁見の間に存在する高々百名ほどのこの部隊だけでも、人類社会の小国であれば簡単に陥落させてしまうであろう、強力な軍隊。
それを顎で使う男が、タダ者であるはずがない。
男の名は、魔王アポカリプス。
魔大陸に唯一存在する国家である魔国『ディストピア』を現在唯一支配している最強の存在であり、人類にとって最も恐るべき脅威であった。
そんな魔王に仲間に誘われたのは、この世界での成人である十五歳をまだ少し超えたばかりの童顔をした青年だった。
青年は、まだ成人前の少年と間違われるほどには幼い顔立ちをしており、更には鎧や刀剣で武装した兵士が詰めかけた魔王城の中で、ただ一人スリーピースの揃ったスーツ姿と、ある意味ではこの魔王城に最も似合わない恰好をしていた。
赤のワイシャツにシルバーグレーのベスト、その上にライトグレーのスーツとスラックスを着た格好で、首元にはシャツに合わせたワインレッドのネクタイが巻かれている。頭の上には白い中折れ帽子を乗せて、足元には質実な黒い革靴を履いており、時折大理石で出来た床をコツコツと小気味良い音を鳴らす。
その恰好は、一見すれば、まるで交渉の得意なビジネスマンか、質実な手腕を振るう銀行家の様に見えるが、その眼の奥に宿る異様な鋭さを放つ光が、そんな外見のイメージを払拭してしまう。
だが。そんな事を気に留めるでも無く、青年は魔王の言葉を聞くと、軽く首をひねった。
「…………足りないな」
「何……?」
一瞬の思考の後に、青年は溜息をつく様にそう言った。
「世界の半分程度では足りない、と言っている。僕と手を組む覚悟があるのなら、君の命を含めてすべてを差し出すべきだ。無論殺すつもりは無いが、せめて一生奴隷でいるだけの言葉は添えるべきだろう?」
青年の言葉に、魔王は不愉快気に眉間に皺を寄せると、そんな魔王の心情を察したのか、周囲に配置された衛兵たちが青年を威嚇するように手にした武器を構えた。
「ほほう。我の誘いを断るというのか?その答えの代償は重いぞ?分かっているのか?」
「耳が悪いな。それとも悪いのは頭か?誰も断るとは言っていないだろう?ただ、報酬が足りないと言っているだけだ」
「それを断りの言葉と言うのだ!我の前で生意気な口を叩いた罪は重いぞ!死ねい!」
青年の言葉に、目に見えて怒りを露わにした魔王アポカリプスは、周囲に居た衛兵に軽く手を振って青年を取り囲み、構えた武器でそのまま青年に突撃しようとした。
その瞬間。
「………………」
「おっそーい。せーっかく一週間前から準備していた兵器が無駄になるかもって、すっごい焦ったんだからねー。女の子を待たせるなんて、ボスってさいってーい」
「はっは。若いお嬢さんはせっかちでいけねえや。何事にも順序と手順というのがありまさあ。それは喧嘩にしたって同じことです。あんまり我儘を言うもんでもないですよ」
「はぁーあ、やっぱりこんな事になるのか。嫌だねぇ。どうしてみんな、こう血の気とヤル気が多いのかね?できるだけ楽に生きようってーの」
「くはは。漸く祭りか。随分と焦らしたもんじゃねーか!親方さんよお、俺をここまで待たせたんだ!さぞかし楽しい余興を用意しねーとただじゃ済まんぜ!」
思い思いの言葉とともに魔王城の天窓を突き破って五人の男女が現れると、その中から今まで黙っていた青年が魔王と相対していたスーツの青年の前に立つ。
天窓から現れた青年は、やおらに懐からシガレットケースを取り出してその中の煙草を一本だけ口元に咥えると、慇懃無礼に青年に質問する。
「親方。ご無事でしょうか?」
それは、黒いスーツに黒いシャツとダークグレイのベストを着て、日本刀を二振り腰元に差した眼鏡をかけた青年、シトラス・ファミリーきっての武闘派幹部であり、直系二次組織である『橙組』の組長、立花・喜兵衛だ。
喜兵衛からの質問に、今まで魔王と相対していた青年は軽く服に着いた埃を払うと、眉間に皺を寄せながら飄然とする喜兵衛に返答する。
「無事かどうかを聞くんだったら、出来れば僕にガラスの破片が当たるような真似はよしてほしいな。いくら魔導具の効果で傷がつかないと言っても、鋭い刃物が自分の頭に振って来るのは嫌な気分なんだよ?」
「分かりました。善処します」
「つまり直す気は無いってことね。本当にお前って、僕の事をボスだと思っているのかい?たまに無性に気になるんだが?それよりも僕にも一本くれよ。丁度煙草切らしている所だったんだ」
「はいよ。一本銀貨一万枚ね」
「高い。負けろ」
「分かった。ただでいいよ」
指を鳴らして煙草に火を点けながら言い切る喜兵衛の態度に、青年は呆れた溜息をつきながら肩を竦めると、コントの様な軽口を叩いて目の前に差し出されたシガレットケースから一本だけ煙草を取り出し、喜兵衛と同じように火を点ける。
まるで此処が敵陣の真っただ中であるとは到底思えない程の軽いやり取りを繰り返す二人の青年に、思わず魔王アポカリプスは怒りで顔を鬼の様に恐ろしいものに歪めるが、そんなことなどどこ吹く風とばかりに、悪ガキがはしゃぐ様な声が上がる。
「んな事よりもよお!魔王ってのは、そいつの事か!中々強いってーのは本当だろうな!折角震旦島から出てまで、こんな世界の果てまでやって来たんだ!骨が無けりゃあ、困るぜええええ!」
黒のスラックスに素肌に直接ヘビ柄のジャケットを着た大男、シトラス・ファミリーが誇る人類最強の戦士であり、最大の武闘派組織『檸檬連合』を率いる総隊長である軍荼利は、その凶暴そうな顔を凶悪な笑みに歪めて、舌なめずりをしながら魔王を睨んだ。
今にも目の前にいる魔王に襲い掛かりそうな空気のグンダリだったが、そんな彼の前に一人の男が進み出て、彼の行動を制止した。
ワインレッドのスーツとスラックスに、黒いワイシャツを着ただけのカジュアルな格好をした無精ひげを生やした男は、アロンソ・セルバンテス。
かつて栄えた人狼族最大の勢力であったネブカドネザル一族の当主であり、現在はシトラス・ファミリーが誇る最大戦力『短柑連盟』の総帥である。
アロンソは、血に飢えた狼の様に荒ぶる軍荼利の動きを制しながら、煙草を吹かすシトラスの方を見た。
「グンダリ。余りやる気を出すな。俺達の目的は交渉であって、殲滅じゃない。行動するのは、あくまでも親方さんの指示待ちだ」
あくまでもやる気が無さそうに、されども最低限の闘志は漲らせながら言うアロンソの言葉に、軍荼利は渋々というよりも、ギリギリのところで踏みとどまったようで、生肉を放られた野良犬の様に兇悪な笑みを張り付ける。
「あーあー。分ったよ、犬ッコロ。要は親方さんの合図があるまで殺さなきゃいいんだろ?だったら、全員半殺しにすりゃイイだけの話しじゃねえか!」
悪意は無いが、遠慮の欠片の無い軍荼利の軽口に、アロンソは頭が痛そうに蟀谷を押さえた。
すると、そんなテンションがハイになりすぎたアロンソの様子を見て、深々とした溜息を吐いた女がいた。
「もう、本当にさっきから野蛮なんだから。暴れる事しか考えていない脳しか入っていないんだったら、とっとと死んで私の検体になりなさいよね。死体って言うのはいくつあっても困らないものなんだからね」
今にも暴れ出しそうに舌なめずりをする軍荼利に茶々を入れるのは、『小夏党』総裁であるカラミティ・セミラミスだ。
バンシー族の魔女である彼女は、何時もは魔導技術研究に余念が無く、研究所の奥底から滅多に出て来ようとしないのだが、流石に今回の様に国を一つ丸ごとを相手にするとなれば黙っていられないのだろう。
彼女は、黒のイブニングドレスに黒い長手袋。それにヒールの高い厚底の黒いサンダルを履いた、黒づくめの服装をした怪しげな格好をして、嬉々とした笑顔を浮かべて手にした短杖に手を伸ばしている。
そんなカラミティを見て、軍荼利は鼻で笑った。
「ああ?何だよ、黒女!?いつもは陰険に裏から手を引く事しか出来ない癖に、他人の尻に隠れながらだと随分とデカイ口を叩くじゃねえか?」
「は!学問の高尚で崇高な理念の理解できない猿の言いそうなことね。私がいつも研究所にこもっているのは、私の実験や研究を進める事で一分一秒でも早く戦局を有利に進める為よ。
そんな私が今回はわざわざ前線に出向いてあげたの、親方さんの顔を立ててね」
「はっ!よく言うぜ。碌に完成もしちゃいないガラクタを部下に使わせて楽しんでいるだけのポンコツどもの分際で、恥ずかしげもなく口を回らせるもんだな!」
「あーら。そのポンコツに命を助けられながらそんなことが言えるのだなんて、随分とゆかいな脳みそをしている様ね?」
「ああ、だから。二人とも、此処は親方を立ててだね、我を抑えてくれって……。って、全く聞いてないねー。せめて、戦場でわざわざ口げんかすることはやめよう?ね?」
「まあまあ。仕方ありやせんって。元々、お二人ともお若い上に、血の気の多い御仁だ。まして今回は、特に大きいヤマなんだ。少しばかり羽目を外していることくらいは、認めてやりましょう。なあに、本当にこんな状態で気を抜くようなバカなら、勝手に死にます。お説教はそれからでも遅くはねえですよ」
癖の強い二人に振り回されるアロンソを宥めるのは、『八朔隊』総隊長である新門・市郎兵衛だ。
人間族でありながら、多くの魔族を狩る事を生業にした『闇狩り』の一族に生まれた戦士である彼は、秀真島出身の剣客らしく、着流しの赤い着物に高下駄を履いた姿で快活に笑う様は、近所の気の良い親父にしか見えない。
しかしそんな彼の眼光は戦意にギラつく狼を思わせる程に鋭く、決して見た目通りの気のいい親父では無いことが手に取るようにはっきりと分かった。
まるで幼稚園か小学校の学級会の様に喧しい幹部たちを見て、とりあえずはこの状況をどう納めるかを考えながら煙草を燻らせた青年は、口元に咥えていた煙草を人差し指と中指でつまんだ。
その時だった。
「……貴様ら!!さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃと!一体何者だ!」
今まで突然の事態に茫然としていた魔王アポカリプスが漸くの事で我を取り戻したらしく、動揺は残れども怯えは微塵も感じさせない口調で、呑気に剣呑な言葉を口にするシトラス・ファミリーの面々を睨みつけた。
それは、魔王の本気の威圧。
不意に謁見の間に溢れていた茫然とした間が抜けた空気は消え去り、魔王を中心に肌を凍え灼く様な異常な緊迫感が走り、魔王に呼び出された青年を始めとして、その場にいた全員に向けて実体を持った殺意の波動が空間内を走った。
だが。
「そう警戒することは無いですよ、魔王陛下。彼らは僕の部下であり、我が『シトラス・ファミリー』が誇る五人の大幹部『大看板』のみんなです。話さえ分かってくれるなら、気のいい奴らですよ」
青年は魔王の威圧に対して、特に何の感慨も抱いた風もなく煙草の煙を吐き出すと、まるで居酒屋で友達を紹介するような気やすさで、彼らの紹介を済ませた。
「ああ、それと。魔王陛下、貴方は勘違いなさっているようですが、僕は勇者ではありません。昔も、今も。昔は、うだつの上がらない冒険者で、今はそうですねえ。言葉にするのなら、『マフィア』ってのが一番近いのかもしれませんね」
そう言って、青年は口元の紫煙を燻らせた。