迷子
[エリオットside]
第五分署に戻ると仁王立ちをした署長が入口に立っていて、私が目の前まで来ると黙って左を指さした。
今来た方角を指さされて、お叱りを受けるのだと固まると、
「……ロッサんとこ行ったぞ」
むっすりとした低い声でそう言われた。
「頼むから、取り締まりに行った先で問題をおこさんでくれ」
「はい。申し訳ありませんでした!」
「エリオットがいるからと油断した。ギリアスめ」
「いえ、今回ばかりは私の不手際です。面目ない」
「気にすんな、行け」
ギリアスだけの責任のような響きに苦々しさが残る。普段の行いのせいだと思うことにして、とりあえずギリアスの弁護は後でやろう。
同じ通りにある、貴族街との境目で診療所を営むロッサの元へ向かった。
診療所は割と静かだった。
街中の祭りの喧騒から来たせいもある。だがそれ以上に、祭りに活気を吸い取られていつもよりも寂しい雰囲気が漂っている気がする。
外階段を上がって診察室の扉をノックするとギリアスが出てきた。
「どうでしたか、重症ですか」
「相当な。でも俺たちのせいじゃない」
「何言ってるんです!!」
平然ととんでもないことを言い出すのでギリアスという男はどうしようもない。
「どう考えても私たちの責任でしょう!?」
「そうかっかするなって。話を聞け」
「あなたにだけは言われたくないですね」
「そうかい。それはすまねぇ」
とりあえず中に入り、少年の寝かされている寝台まで足を運ぶ。
薄暗い待合室の隣の診察室では、白衣を着たロッサが少年の紫色になった腹を調べているようで、私をちらと見て話し始めた。
「この痣は随分前からのだ。すぐにこんな紫色にはならんよ。肋骨が折れたのも前のようだし、良かったな。水中だったのが功を奏したらしい。」
「そ、そうですか。良かった」
とりあえず除名は免れそうだ。
減俸くらいは覚悟しなければならないかもしれないだろうが、クビよりはマシだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
撫で下ろして、ふと聞き返した。
「……え、肋骨が折れているのですか?」
「んあ?もうくっついちゃってるくらい前のだ。変なくっつきかたしてるから、まあ医者には連れて行って貰えてないな。連れて行ってもらえてこれならヤブだな」
やはり貧民街の住環境は劣悪だ。
金がない人々が住まうところで、騎士の分署は端から置こうとすらされないし、診療所もない。金が払ってもらえないところに店を出すようなお人好しはそう多くはないのだ。
街の清掃は一応入るには入る。
だが広すぎて手が回らないのが現状だ。
東西南北、上・中流市民街の外側に広がる貧民街が実は最大の面積を持っている。
風呂に入らない習慣も相まって、とてもじゃないが多少まともな生活をしている人間は足を伸ばそうとも思わない。
感染症が広まっていないのが奇跡と言える。一応でも清掃が入っている証、ということだろう。
少年の痣は、そんな街の闇を垣間見せる。
「そんな小さな子にまで暴力を振るうなんて……仲間意識が強いと聞きましたが、派閥でもあるのでしょうか」
「いや、あいつらには貴族っつー共通の敵があるからな。分裂することは考えにくい。」
「では、彼は何故」
「……考えたくはないが、その敵とやらの仕業なんじゃないか。やりかねんだろう、あの人でなし達なら」
苦笑したロッサの目は決して、笑ってはいなかった。
「奴隷上がりなのかもしれない。中にはいるからな。いたいけな少年を–––」
「ちょ、先生、そんな目の前で」
「平気だよ。聞いてない」
「え?どうして」
話の渦中にいる少年を見下ろして、ぎょっとした。目を開いているのに眠っているような顔をしていた。
「あ、あの、先生?どうしたのですか、少年は」
「体を見せてくれと言ったら暴れたから、鎮静剤をね。…そりゃあ、見られたくないよなぁ、可哀想になぁ」
ロッサはまるで孫を見る祖父のように優しい顔をしていた。
「…本当に、誉れ高き青い血族が、こんな子どもに…?」
「エリー」
ギリアスが暗い顔で俯いている。
「お前みたいな奴のが、珍しいんだよ」
「……申し訳ありません、情けない」
「エリーが謝ることじゃねぇだろ」
顔を伏せた私の頭をギリアスがぐしゃぐしゃにする。
今ばかりはそのことを責める気にはならなかった。