大浴場に行こう3
大浴場は、大浴場という名に相応しい大きな施設だった。
西洋風の石造りなのはもちろん、なんと言うか、俺的に「裁判所っぽい」と思った。正面の階段を上ると四本の円柱に支えられた三角形のアーチが客を出迎え、人の背丈の何倍もある出入口が人をどんどん飲み込んでいく。そしてその左右に、緑がかった灰色の石の壁が左右対称にのびる。
大浴場にくる客目当てだろう、移動式の屋台が何台か並んで人が列を成していた。
大きなトカゲっぽい脚が串刺しになって売られていて、正直食欲はそそられなかった。
他は多分ビールだろう。ジョッキを何個も持って屋台を離れた客がテーブルに戻ると、待ってました!と場が湧き乾杯の声が聞こえる。
どこもいっしょだな酔っ払い。
火照った体を冷ます為か、外のテーブルについて酒を煽る客が多くいる。四人がけのテーブルが何十と、建物の周りを囲んでいて、そのどれも薄汚れた人で埋まっている。
透かし彫りの上品な椅子も、今は粗野な連中に座られて窮屈そうだ。
備え付けられたテーブルも相当な数あるが、テーブルを確保出来ずに溢れたガタイのいい男たちは平然と地べたに座り込んで楽しくやっていて、中には酔いつぶれて寝っ転がっている奴もいる。
近くにいても声が届かない喧騒の中で、なるほど、中流市民が来ないわけだと一人納得した。
イヴ姉は、キャロルとギルと距離を保って酔っ払いたちの間をくぐり抜け、時にぶつかられ、時に酒をかけられながらなんとか正面玄関にたどり着く。
あの人たち、酒かぶってるけど風呂入ったんだよね?
地べたに座り込んでるけど、風呂入ったんだよね?
よくわからん。
大きな入口から中へ入ると、思わず口を開けて見上げてしまいそうな高いドーム状の天井で、裸婦やら裸夫がくつろいでいる絵がびっしりと描かれて、まるでシスティーナのようだった。
ハダカだハダカ!
女の人のあんなところやそんなところも丸見えだ!
もちろん男もね。
……なんか目を逸らしたくなる。
多分、芸術として見られないのはハダカへの抵抗が強い日本人だからだと思う。
べ、別にスケベってわけじゃないんだからね!
変なこと妄想してるわけじゃないからね!
俺は誰にともなく言い訳をする。
裸体画からそっと目を逸らした俺をイヴ姉が下に下ろした。
床にも色のついたタイルで人魚のモザイク画が描かれて綺麗だ。
「じゃあ、レイヴン、また後でね」
イヴ姉が笑う。
突然のことにびっくりしたが、このホールで男湯女湯分かれるらしく、ホールから放射状に伸びる三本の通路のうちの二本。女湯に続く廊下には花のマーク。男湯に続く廊下にはドラゴンの横顔のマークが彫られていた。
「ギル君の側を離れないでね、ちゃんと言うこと聞くのよ」
イヴ姉は俺から離れることを特別何とも思っていないらしい。年頃の女の子らしくはしゃいで、いつもよりも眩しい笑顔を浮かべる。
……。
…………。
………………何だろう、寂しい。
息が詰まりかけるくらい、俺は恐怖している。安心できる空間からはじき出される感覚で嫌な汗が流れる。
よくわからないゲームの中で唯一、安心できる場所。
心の縁としているイヴ姉から剥がされて俺は立ち尽くした。
「…レイヴン、やっぱりやめておく?無理しなくていいの。怖いことは恥ずかしいことじゃないわ。」
固まる俺を見かねてイヴ姉がしゃがむ。
苦笑して、俺を責めるようなことは一切ない。残念そうな雰囲気もひとつも出さない。
ただ痛々しく、俺の頬を撫でる。
その表情が何を意味するのか、俺にはまだ分からなかった。
俺は優しいイヴ姉の手から逃げて、後ろにいたギルの服に両手でしがみつく。
「…へいき」
「お、おい、掴むなよ」
「そっか」
イヴ姉は眉尻を下げたまま笑って立ち上がると、手を振って、キャロルと一緒に女湯の廊下へ入って行った。
キャロルはしばしば振り返って、心配そうな目を向けてきたが、結局ギルにひとつ頭を下げてお願いして廊下へ消えていった。
…どうしよう、いい歳こいて泣きそう。
「……行くか」
ギルが気まずげに言って、俺を引きずって歩き出す。俺もそれにつられて歩き出すと、ギルが急に頭を抱え込んで視界を遮った。
髪の毛をがしがしと掻き回される。
それからすぐに、頭は解放された。
ギルを見上げると不機嫌顔で顔を赤くして、俺が見上げていることに気がつくと「シャアっ!」と威嚇してきた。猫か。
多分、ギルなりに俺を慰めてくれたのだろう。
いいところもあったんだな、このクソガキ。
何だか肩の力が抜けて、誰かに触れていなくても大丈夫そうだ。
服から手を離すと、ギルは怪訝な顔をして、けれどすぐに「行くぞ、赤ん坊」と前を向いてスタスタ歩き始めた。
俺ははぐれないように頑張ってギルの背中を追った。