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コシロと店長

作者: 西野迷亭

 筆者が仕事を通して遭遇した、あるいは見聞きしたエピソードを、コシロという軽い性格のドライバーを主人公に、軽い形にしてお伝えします。

 悪い人じゃないんですが。

年度末の別府の港は早朝でまだ暗く、ふらつきそうになるような強い潮風が吹き荒んでいた。フェリーから降りてそのままターミナルへの荷卸しを終えたコシロは、自分の支店に終了報告の電話を掛けた。忙しいのか数回コールを待った後、出たのは支店で経理を担当している、同期のノリコだった。

「あ、お世話になります。わたくしハヤブサ引越モズ支社のコシロと申しますが。城山紀子さんのお電話でしょうか?」

『お電話ありがとうございます。モズ支社の城山が承りました。失礼致します』

「ちょ、ちょっと待って!ごめん!承ってよ!」

『じゃあふざけてないで早く要件言いなよ。忙しいのわかってるくせに。何?終了報告?』

「イエス!今荷卸し終わったから、車はこのままターミナルに置いて今日は上がるでございますよ」

『そのままターミナルの小口ありったけ積んで。最終は福岡支社に入ってほしいけど、福岡行きじゃなくてもいいって。助手については店長が別府支社と話は付けてるみたい。積み完したらまた連絡して』

「ん?え?ちょっと待って?私今日は公休の予定じゃなかった?実家に帰ろうと思ってたのに!」

『わかってるよ。でも公休予定なんて書き換えちゃえば意味ないからね。たぶんコシロが乗ってった四トントラックを、丸一日空車にしとくのが嫌だったんでしょ。店長命令だよ、残念ながら』

「異議あり!勤務間インターバルを主張する!店長は?」

『クレーム対応で外出。かわいそうなコシロ。休みは振り替えとくから。あーもう、電話鳴ってるわ。じゃあね、また連絡ちょうだい』

電話が切れる直前には、もうノリコが次の電話に出ている声が聞こえて来た。この繁忙期の常ながら、支店はパンク状態のようだった。店長のケータイに電話したところで、おそらく出られないだろう。あわよくば別府の実家に帰ろうなどとは、この時期に夢想もいいところだったのだ。コシロは諦めのため息をつくと、一旦運転席を離れ、ターミナルの事務所に今日卸し予定のカゴの在り処を尋ねに向かった。長い一日になりそうだった。


夜八時、コシロは眠気で飛びそうになる意識をなんとか繋ぎ止めながら、福岡支社に一番近いサービスエリアに停車した。あとは残りの荷物を福岡支社の倉庫に卸せば今日は完了だ。コシロはタバコに火をつけて一息つくと、携帯電話を取り出して福岡支社に電話を掛けた。

『お電話ありがとうございます!ハヤブサ引越福岡支社です!』

(おっとびっくりしたあ!元気だな!)

繁忙期のしかもこんな時間とは思えぬ威勢の良さに、コシロは思わず面食らった。電話の声は若い男性のもので、まだ学生くらいのような印象を受けた。

「お疲れ様です。モズ支社のドライバーのコシロです。今日一八時から二一時の間にお届けってことでお伝えしてた荷物の件で。いつ頃なら持って行っても大丈夫ですかね」

『えーっと、一八時二一時のモズ支社分は…あっ、はい!聞いてますよ!もう来てもらって大丈夫です!』

「え?まじですか?たぶん今からだと一〇分くらいで着いちゃいますけど」

この時期には指定していた時間に入庫できないことがザラなので、意外に思ってつい聞き返してしまった。それは向こうも承知のようで、少し得意げに切り返して来た。

『心配しなくても大丈夫ですよ。元々一八時からで聞いてたんですから、空けてあるのは当然です!では、お疲れでしょうが、安全運転で来てくださいね!』

「はーい。お疲れ様でーす。失礼しまーす・・・」

この様子だと、本当にもう卸せるようだ。夕食にありついてから出発するつもりだったが、さっさと終わるなら上々だ。コシロはタバコを灰皿で消して、先ほど切ったばかりのエンジンを回した。福岡支社に行くのは初めてだったが、少し楽しみになってきていた。

インターチェンジから出て五分ほど走ると、国道沿いにハヤブサ引越の看板が見えてきた。

(お、あれだあれだ。便利な所にあるなあ。しかも、あのシルエットは)

敷地の電灯が少なくてわかりづらいが、建物の影はかなり大きいようだった。広く開いた門から中に入ると、五階建てと思しき長大な建物の左手に、トラックが何台か停まっているのが見えた。どう並べようかと窓を空けてタラタラ進んでいると、建物の上方から大声で呼びかける声が聞こえた。

「おーい!モズ支社のドライバーかー?」

一時停止して声のした方を見てみると、建物の二階の窓からワイシャツ姿の恰幅の良い男性が身を乗り出していた。コシロも窓から声を張り上げて返事をした。

「そうですー!モズ支社から来ましたー!」

「そうかー。お疲れさーん!その左手の一番奥に並べて停めといてー」

男性はカラッと乾いたよく通る声でそう言うと、窓を閉めて姿を消した。コシロは指示に従って、建物の左手に停めてあるトラックを過ぎた一番奥のスペースに向かってゆっくりと進んだ。建物にバックで近づけようとした頃、後ろで建物のシャッターがガラガラと開き始め、中の照明で付近が明るくなっていった。なるほど、荷台の荷物をそのまま倉庫に搬入できる構造になっているのだ。倉庫がわりのコンテナが積み上げてあるだけのモズ支社とはえらい違いだ。シャッターを空けてくれたのは先ほどとはまた別の、これまた学生くらいと思しき若い男性で、手際よくバック誘導をしてくれた。

駐車が完了してお礼を言おうとキャビンから出ると、若者の方からサッと走ってきてコシロの前でピタッと止まった。

「福岡支社のヤマダです!お疲れ様です!」

体育会系らしい早口でそう叫ぶと、バッと上体を九〇度に曲げてお辞儀をした。こいつは負けていられないぞと、コシロも疲れていたのも忘れて姿勢を正した。

「モズ支社のコシロです。お疲れ様です」

久しぶりに新人の頃を思い出し、帽子を脱いでキチンと挨拶をした。おそらく福岡支社ではこうしたルールが徹底されているのだろう。面倒ではあったが、店長の方針が徹底されている証拠でもあり、好もしくも感じた。

「店長にご挨拶したいんですが、どちらにいらっしゃいますか」

コシロができるだけ丁重にそういうと、ヤマダくんが申し訳なさそうにして慌てた。

「いえ、すみませんが荷卸しと、明日の荷物の積み込みを先に終わらせてもよろしいですか?店長は二階の事務所にいますが、挨拶はその後でお願いします。コシロさんもお疲れとは思いますが、荷台の鍵を開けて頂けますか」

「わかりました。すぐに開けます」

そこまで終わらせなければ明日が回らなくなると、わかってはいても繁忙期も佳境のこの時期にはなかなかそれが難しい。どうせ済ませたところで回らないという意識もある。福岡支社はこの膨大な荷物量をなんとか回しているのか、回らない中でも粘っているのか。どちらにしろ立派なことだ。

荷台の鍵を開けて積み卸しをしている間にも、手前に並んでいたトラックが次々と出発していった。このためにコシロのトラックを一番奥に停めさせたのか。コシロは手際の良さに感心しながら、テキパキと荷台を空けていくヤマダくんに声を掛けた。

「この時間から出ていくトラックもあるんだね」

「そうですね。この後九時一〇時と一〇時一一時で積み替えのトラックが来るので」

「まだ来るの?私のが最後じゃないんだ」

「他の支店さんからの引き荷なんですよ。ウチの支店の分はもう終わってるんですが、よそはなかなかそううまくいかないみたいですね」

段取りの良い自分の支社を誇らしく思う気持ちが滲み出た言葉だったが、時間に遅れがちなモズ支社を思うとコシロには耳に痛かった。苦笑していると、ヤマダくんが奥の時計を少し気にするようにした。コシロは目の前のヤマダくんがまだ相当若いであろうことを思い出した。

「ヤマダくん、時間大丈夫?まだ帰らなくていいの?」

「あ、実はそうなんです。ボクまだ一七歳なもんだから、一〇時には帰らなきゃならなくて。次のトラックに早く来て欲しいんですが・・・コシロさんこそ、長距離で休まれてないんじゃないですか?ここはあと積み込みだけなので、あとはボクに任せて、二階に行って休まれた方がいいですよ」

やはり、まだ高校生だったのだ。だが遅くなっているのを嫌がる様子はなく、むしろあと二台の作業が終わるまで自分が残れないことをもどかしがっているように見えた。コシロは荷台に立ってヒラヒラと手を振った。

「おやおや、そんな年寄り扱いされると困りますなあ!ヘーキだよ。フェリーに乗ってる間なんて、休んでるのと一緒なんだから。ほら、シャワー浴びて、甲板で夜景見ながらビール飲んで、狭いけど、ベッドで寝て。極楽なもんだよ。心配してくれてありがとう」

ほんとは疲れているにもかかわらず、随分恰好つけたものだと、コシロは自分が可笑しかった。それでもヤマダくんは体は手際よく動かしながらも、目を輝かせるようにしてこちらを見てくれた。

「すごいなあ。ボクも早く免許を取って、ドライバーになりたいです。長距離走って色んな所へ行って、サービスエリアで泊まったり、フェリーにも乗ってみたい。コシロさんは四トンのドライバーですよね?ボクもいつか四トンを動かせるようになって、店長みたいな配車の天才みたいな人の下で、バリバリ働きたいです」

「へえ。ヤマダくんは店長が好きなんだね」

「はい!ここのアルバイトもドライバーも、みんな店長を尊敬してますよ。ボクも配属されたのがこんな良い支店でよかったと、いつも思っています」

高校生をこんな時間まで働かせるのが良い支社なのかという問題はさておき、今どき珍しいガッツのある若者だ。

(私も頑張らないとなあ)

積み込みがもう完了しようとする頃、ちょうど次のトラックがやってきた。

「コシロさん、すみませんがボクはこっちを手伝います。終わったら二階に店長がいらっしゃるので、是非挨拶に行かれてください。では、お疲れ様です!・・・オーライ!!こっちです!」

ヤマダくんは隣のトラックの誘導に向かった。時間は夜の一〇時少し前、ギリギリまで粘るつもりだろう。コシロは予想よりも早く進んだ積み込みを終わらせると、荷台とキャビンを施錠してその場を後にした。作業が終わってしまうと、まだ冷える三月の夜の寒さが肌に突き刺さるようだった。広い駐車場はとても静かで、ヤマダくんの誘導する声と、駐車するトラックのバック音だけが響いていた。

支店の入口は入ってすぐに階段になっていた。資材や耐滑シューズでごった返しているモズ支社と違い、靴は靴箱にキレイに並べられ、廊下も古いがよく掃除されているようだった。コシロは靴箱の隅に靴を入れ、余っているらしいスリッパに履き替えて二階へと上がった。

二階の事務所の入口はガラス戸になっており、中の明かりが漏れ出ていた。先ほどのヤマダくんの様子からして、この支店はかなり教育が行き届いている。コシロは深呼吸して再び新人の心を引っ張り出し、えいやと扉を開けた。

「失礼します!」

九〇度のお辞儀を繰り出した後、大急ぎで店長の居場所を目で探った。すると目の前の事務机に座っていた若い男性が、無言で「こっちこっち!」と指差してくれた。コシロが慌ててその指の先を見ると、窓際で鷹揚に振り返るワイシャツ姿の、先ほど窓から指示を出してくれた男性が目に飛び込んできた。コシロは改めて姿勢を正すと、運動部さながらの大きな声で挨拶をした。

「お疲れ様です!モズ支社から長距離を届けに来ました、コシロです。よろしくお願いします!」

これまた九〇度のお辞儀をした後、これでよかったかしらと不安に思いながら顔を上げると、店長の方が面食らったように笑っていた。

「お、おう。お疲れ!何、めっちゃ元気な挨拶だな!いいねえ。話はモズの店長から聞いてるよ。俺がこの福岡支社の店長やってる、ヤオだ。よろしく」

店長は明るい声でそういうと、ツヤツヤの頰を上げてニカッと笑った。想像よりも随分と若い。まだ二〇代後半ではないだろうか。背が一八〇センチほどあり、かなり太ってはいるが不健康な印象は微塵もなく、貫禄ある男のオーラが溢れ出ていた。ヤオ店長は持っていたタバコを灰皿で消すと、出っ張った腹で上がらないベルトをユッサユッサと引っ張り上げながら話し続けた。

「もうアガリだったら、更衣室はあっち。勤怠のピッてするやつもあっちにあるよ。今日はこっちに泊まんの?」

「泊まります。近くの安い宿を探そうと思ってます」

「あ、そうなの?宿もあるけど、ここに泊まってけよ。五階に仮眠室があるよ。シャワーもあるし。どうよ?あ、女性はあんま仮眠室使わんか?」

「本当ですか?使う使う!めちゃくちゃ助かります。今から移動するのは億劫だったんで。え、ほんとにいーんですか?」

「いーよいーよ。見ての通り無駄にハコがでかいから、部屋は余ってんだよ。あ、やべ、でも今日あれだわ。テラモトも泊まるんだっけか?うわー、だめだわー。お前帰れよ!」

店長に笑いながらそうなじられたのは、先ほどコシロに合図を送ってくれた若者だった。テラモトと呼ばれた彼はパソコンを打ち込む手を止めると、冗談めかして笑った。

「帰れるもんなら帰りたいっすよ店長。今何時すか?終電まだでしょ?」

「馬鹿野郎マジで今帰ったらぶっ飛ばすぞ!今まだ一〇時だぜ!って、あれだ、ヤマダ帰さねーと!」

店長がそう言った矢先に、先ほどコシロが入って来た扉がやかましく開き、ヤマダくんが駆け込んで来たかと思うと、誰にも目もくれずに部屋の隅にあるパソコンに向かっていった。

「よし、ピッと。店長!完璧です!九時五九分ですよォ!」

無事一〇時までに打刻できただけで、随分と誇らしげにしている。褒めるのかと思いきや、店長は近づきざまヤマダくんの頭をバシンと叩いた。

「オイお前、あそこにイラッシャルのがどなたか存じ上げねーのか馬鹿野郎!オソレおーくも我が社の数少ない女性四トンドライバーのコシロさんであられるぞ!馬鹿言ってねえでまずは挨拶しねえか!」

あわれヤマダくん、折角ダッシュして来たのに、これは随分な言われようだ。だがコシロが口を挟むヒマもなく、ヤマダくんはすぐにこちらに向かって挨拶をしてくれた。

「コシロさん、すみませんでした!福岡支社アルバイトのヤマダです。よろしくお願いします!」

混ぜ返さず従順に指示に従うとは、高校生なのに立派なことだ。コシロはヘラッと笑って会釈を返した。

「あ、いーんですよそんな。てゆーか・・・」

「ふむ、そーだ!よろしい!」

「店長!ボク実はさっき下でご挨拶して作業にご一緒してたんですよ」

前言撤回。やはり事実は正確に伝えるべきだ。だが、案の定、もう一回バシンと良い音がした。

「お前、それならそうとさっさと言えよ!」

「すんません!」

店長はまだヤマダくんをバシンバシンと叩いている。理不尽な暴力にコシロは呆れて笑った。

「あの二人、仲良いんですねえ」

同じく二人のやり取りを眺めていたテラモトさんにそう話し掛けると、彼は細い目を更に細めて肩をすくめた。

「ああ、まあそう見えるなら、よかったよ」

「え?」

「店長はだれに対してもあんな感じだよ。みんなそういうところを慕ってる」

彼の表情に何か引っかかるものを感じたが、聞き返す間も無くまた店長のよく通る声が降ってきた。

「テラモトォ!俺、下の積み替えの手伝い行ってそのまま帰るから、あとよろしくな。ヤマダお前もさっさと帰れよ。今日キツかっただろ」

「何言ってんですか。動き足りないくらいですよ!明日もよろしくお願いします!」

「おう!いつもありがとな!よろしくゥ!」

店長はそう言って手を振ると、窮屈そうに扉を出てドカドカと一階に降りていった。

「では、お先に失礼します。お疲れ様です!」

ヤマダくんもまたペコリと九〇度のお辞儀をすると、更衣室の方に引っ込んでいった。事務所は嵐の後のように静かになり、コシロはようやく一息ついた。緊張モードは最初の挨拶までしか保たなかったものの、想像していたよりも随分ラフな店長だった。テラモトさんの方を見ると、早くもパソコンの作業に戻っている。腰の据わった物腰といいコシロへの口調といい、若い見た目とは裏腹に意外と年配なのかもしれない。

「テラモトさん、挨拶が遅くなりました。モズ支社のコシロです。よろしくお願いします」

テラモトさんは作業をそれとなく続けながら、こちらに向き直った。

「福岡支社の支社長付のテラモトです。よろしく。そんなかしこまらなくていーよ。ほら、コシロさんも打刻して、上の仮眠室覗いてきたら?シャワーもフトンも、自由に使ってくれていーから」

「ありがとうございます。じゃ、お言葉に甘えて、お先に失礼します」

やはり、若く見えて支店のナンバーツーだった。コシロはお許しを得たところで、先ほどのヤマダくん同様に勤怠管理のカードを切ると、荷物を持って扉の外の階段を上がっていった。

階段は電灯がついておらず、窓から街の青い明かりがうっすらと差し込むだけだった。コシロは冷えた階段をゆっくり五階まで上がった。時おり車の音が聞こえる以外はとても静かで、コシロの足音が響き渡って聞こえた。ガラス戸を開けて五階に入ると、二階と同じような間取りかと思いきや、何もない部屋に資材が転がっているだけだった。

がらんと広い部屋を進んでいくと、右手にまず給湯室、次にシャワー室と洗濯機を置く部屋が並んでいた。そして一番奥には木製の扉があり、コシロはそこでようやく仮眠室らしき部屋を見つけた。ちょっとした廊下に襖が二つあり、中は四畳ばかりの和室になっている。明らかに誰かが寝てそのままにした、抜け殻のような布団や灰皿の置かれたちゃぶ台などで生活感に溢れており、この空間だけまるで普通の家のようで、コシロは一人で可笑しくなった。そういえば、まだモズ支社に終了報告をしていない。コシロは抜け殻のない方の部屋に荷物を投げ出すと、小さなちゃぶ台の脇にどかりと座って携帯から電話を掛けた。

『お電話ありがとうございます』

受電の主は今朝と変わらずノリコだった。繁忙期のこの時期はどこの支社も超過勤務が甚だしい。

「お疲れ様でーす。コシロです。店長いる?」

『おつ。ボスはいないよ。下で積み替え手伝ってる』

「どこも同じだねえ」

『てゆーかうちの店長の場合、朝一で奥に停めた自分の車が出せないから、嫌々手伝ってるだけだけどね。馬鹿じゃん』

コシロはポケットから取り出したタバコを咥えながらケラケラと笑った。モズ支社の店長は配車があまり上手くないのだ。

「へへ、ノリコはすぐそーいうこと言うよねえ。こっちの店長も今下で卸し手伝ってるよ。私はもう上がって、今日は福岡支社に泊めてもらうことにした。モズ支社行きの引き荷はもう積んだから。明日は八時に出発でいーんだよね?」

『ちょっと待って。えーっと、うん、そうだね。予定通りそれで。店長には私から伝えとくよ。今日は意外と早く終わったんじゃん。いいなー!』

「そうそう。福岡支社すごいよ。最初は厳しい支社かと思ったけど、みんなフレンドリーだし、段取り良いしバイトも礼儀正しいし、仮眠室あるしシャワーあるし、カンペキ!」

『ふーん、めっちゃ気に入ってんじゃん。意外だわ』

「え?なんで?」

『そこの支店、社内でも離職率ナンバーワンだよ。人が続かないことで有名。知らないの?いつも人手不足だから、超過勤務もそこだけやばいことになってる』

「そーなの?でも残業なんてこの時期どの支店もヤバイでしょ」

『詳しくは知らないよ。でもこないだの経理会議で注意勧告されてたよ。まあどーせ明日の朝には出るんだし、関係ないけどね。じゃ、私、締めの処理あるから。じゃーね〜』

(あらら、切られちゃった)

ノリコのウワサ話を真に受けていたらキリがないが、カンペキな支店というのはありえない訳で、福岡支社にもコシロの知らない事情があるのかもしれない。

(ま、いいや。私そーいうのわかんないし)

コシロはタバコを吸い切るまでしばらく座り込んだ後、シャワーを借りるべくその場を後にした。


一一時になる頃、コシロが二階の事務所に戻ってみると、テラモトさんが自分の席でどんぶりから即席のラーメンをすすっているところだった。ちゃっかり卵も落としてある。テラモトさんはコシロに気づくと、顔を上げてニヤッと笑った。

「あ、やべ、見つかっちった。キミもなんか食う?そこの給湯室の炊飯器に米も余ってるよ」

「いーんですか?実はお腹減ってたんで。じゃ、ちょっと失敬して…」

コシロは遠慮なく給湯室にお邪魔した。整理してある福岡支社でも、給湯室ばかりはモズ支社と変わらなかった。シンクの脇には積み上がったコップやお椀が干しっぱなしで、鍋や炊飯器にも長年の謎のエキスがこびり付いている。コシロは密かに胸を撫で下ろしつつ、炊飯器から若干硬くなった白米を手近の茶碗に盛り上げ、レンジで温めた。冷蔵庫には卵があり、食器棚には醤油もある。せっかくなので急須を借りてお茶も頂くことにして、テラモトさんにも持って行った。

「どーぞ。勝手にお借りしましたよ」

「お、ありがとう。気ィ使わなくていいのに。どうしたの?腹減って降りてきたの?」

「いえ、日報書くの忘れてて。紙もらっていいですか?」

「なるほどね。そっちの棚にあるよ。席はどこでも適当に座ってくれていいから」

コシロはテラモトさんの向かいの空いている席に陣取ると、卵かけご飯にありついた。特別旨いとはいかないが、食べ飽きた出来合いよりは上等だ。テラモトさんと一緒になってしばらく無言で掻き込んでいると、ドスドスと階段を上がってくる音がして事務所の扉が開き、作業服を着た男性が三人入ってきた。コシロはモゴモゴしながら箸を置いて立ち上がった。

「お疲れ様です。モズ支社から長距離で来ました、コシロです。よろしくお願いします」

コシロが頭を下げると、若い中でも一番先輩らしき男性もお辞儀をした。

「そいつは遠くから、お疲れ様です。班長のキウチです。いいですよ食べててもらって。コラ、お前、挨拶ん時は帽子脱げ。なんべん言ったらできるんだ。お前も、シャツが出てるぞ」

班長はやにわに隣の若者二人を叱り飛ばした。

「すいません!お、お疲れ様です」

「お疲れ様です!」

コシロは若干喉を詰まらせながら手を振った。

「いんです、いんです。お疲れ様です。すいませんねヨソ者が手伝いもせず」

「そんな、他の店の人に関係ない作業をやって頂く訳にはいきませんから。テラモトさん」

班長に呼ばれ、テラモトさんもモゴモゴしたまま「うん?」と顔を上げた。

「九時一〇時の広島の分のトラックが来ました。今から卸すんですが、俺ら勤怠がかなりまずいんで、打刻だけ先にしに来ました」

テラモトさんはこくこくと頷きながらドンブリに箸をバチンと置くと、壁際のホワイトボードの方に歩いていって、唯一取り消し線が引かれていなかったマスに大きくナナメに線を引いた。

「・・・うん、りょーかい。どーしよっか・・・あのトラックは明日も朝イチだもんなあ。店長は帰った?」

「先ほど帰られました。テラモトさんに後はよろしくとのことです」

「いいかげん今日は日付変わる前に帰せてよかったよ。班長も、打刻は後でいーから、さっさと終わらそう。俺も行くよ」

「そんなこと言って、また本社から電話が掛かってきたらどうするんです」

「げ、そんなこともあったか」

「管理職はお偉いさんを相手にしといてください。打刻もやっときます。俺も上からうるさく言われるのはウンザリなんで」

「悪いなあ。頼むわ」

「このメンバーならすぐ終わりますよ。行こうぜ」

そう言うと班長は若者二人を連れて、部屋の隅の打刻用のパソコンでカードを切った。若者の一人がカードを取り出しがてら軍手を落とすと、もう一人が気づいてそれを拾った。

「軍手落としましたよ」

「おう、ありがとよ。お前、大丈夫か?まだいけるか?」

「ご心配なく。まだまだ持てますよ」

(おや?あの二人・・・)

敬語を使っている方が歳上に見える。おそらく年齢ではなく、勤続年数か役職で上下関係を築いているのだろう。コシロはこの三人を見て、福岡支社のマナー教育の秘訣を垣間見たような気がした。まるで一枚岩の軍隊のようだ。だが歳下にタメ口で偉そうにされるのは、嫌がる人もいるのではないだろうか。まして忙しい現場では、今のあの二人のように穏やかな口調でとは、必ずしもいかないだろう。

「コシロさん、どーしたの?ボーッとして」

席に戻ったテラモトさんが、怪訝そうに聞いてきた。コシロは素直に感想を述べることにした。

「あ、顔に出てました?いやいや、来た時から思ってたんですけど、ここの人はみんな服装や礼儀がちゃんとしててすごいなーって」

「あー、よく言われるよ。俺からすれば、他の支店はどんだけショボいんだよって感じだけどね。昔はどの店でもみんな普通にやってたよ」

「昔って、テラモトさんおいくつですか?」

「俺?三二歳だよ。いいよわかってるよ。どーせもっと下だと思ってたんだろ。みんなそーだよ!俺が童顔だからって。言っとくけどね、俺この店で最年長だからね」

「えっ、そうなんですか?すいません、私より年下だと思ってました」

「ちょっと、それはないでしょー!コシロさん、今いくつ?」

「へへ、二五です」

「ああー・・・まじか・・・」

「器、片付けときますね」

頭を抱えるテラモトさんを後に食器を運びながら、コシロは内心で驚いていた。

(三二歳で最年長って、もっと上はどこ行ったんだ?こんなに大きくて扱う荷物も多い支店なのに、人がこれでは・・・)

少なすぎる。確かに今いるメンバーで作業を回すことを考えると、ここの配車の段取りは最も効率良く練られている。少なくとも自支社の荷物に関しては完璧だ。とはいえ、作業員があと二、三人でも増えれば、作業を更に並行して進めて早く終わらせることもできるだろう。今の時期に人手が足りないのはどこの支店も同じだが、先ほどのあの様子だと、ここでは残業隠しも日常茶飯事のようだった。ノリコが言っていた、福岡支社では人が足りていないという噂は、ある程度本当なのかもしれない。

コシロがどんぶりを洗って(色々こびりつきすぎて何一つ汚れが取れた気はしなかったが)事務所に戻ると、テラモトさんは机にもたれ、タバコを咥えたまま眠そうな目で壁のホワイトボードと睨めっこをしていた。おそらく明日の配車のことを考えているのだろう。コシロも日報と睨めっこすべく、棚から一枚貰って先ほどの席に戻った。みんな吸ってるし、いっかと思ってタバコに火を付け、いつものボールペンを取り出して日報をグリグリやっていると、後ろからテラモトさんの穏やかな声が聞こえた。

「モズ支社も、今の時期は忙しい?」

振り返ると、テラモトさんが机にもたれたままこちらを向いていた。表情が相当疲れている。きっとこの人も連日働きづめなのだろう。

「そうですね。さっき電話したときは、店長も居残って積み替えを手伝ってるみたいでした。どこも同じですよ」

「どこも同じ、かなあ。うちの店、なかなか人が続かなくってさ」

コシロはノリコとの話を思い出してドキッとした。

「え。あ、そうなんですか?みんな活き活きと働いてるように見えましたけど」

「そう見えるんなら嬉しいけど。育ててもすぐ逃げられちゃってさ。そりゃ、ウチがあんまり甘やかすような支店じゃないってことはわかってるよ。でも、こっちが良かれと思ってやることも、全部裏目に出てるような感じでさ。最近の子って、わからない。ほんとにすぐ辞めるんだよね。あの店長でも、ときどき頭を抱えてるんだよ?なんで続かないのかって。だから、キミんとこのモズ支社と違うところとか、気がついたことを、教えてほしいんだよ。なんかある?ここが違うな、ってとこ」

あの豪快そうな店長が思い悩むのは意外だった。コシロには、先ほどの三人を見て、少し思うところがない訳ではなかった。だが、その違和感とは分かち難い表裏一体のものが、福岡支社の魅力にもなっているとコシロは感じていたし、それを失うことが果たして良いことなのかどうか、判断することができなかった。コシロはしばらく間を置いて、口を開いた。

「こっちの支社の方が、マナーが徹底されてますね」

「それ、さっきも言ってたね。そんなに違う?」

「少なくともうちの支社の連中とは違いますね。服装も敬語も、だらしないもんですよ。ここは先輩後輩の上下関係がしっかりしてるから、上がちゃんと下を指導して、店長の方針もちゃんと徹底されてるような気がします」

「なるほど、上下関係か。確かに序列は結構意識的に習慣づけてるかな。ただ、うちの場合は年齢じゃなくて立場で区別するのを徹底してるけどね。ほら、店長があの通りまだ若いから、年齢でやるよりもバイトより社員、社員よりリーダー、リーダーより管理職、って感じで、立場で上下をつけてるんだよ」

「そうなんですね。どちらにしろ、大事なことだと思いますよ。上下関係が明確でないと、なかなか人に指導なんて、できなくないですか?モズだとベテランのドライバーとかで店長にも文句言ったりする人もいますし、イマイチ誰の指示を聞いたらいいのかわかんないときもありますよ」

「やっぱりそうなるよねえ。体育会系のトップダウンでガチガチにやりすぎちゃってるのかと思うときもあるけど、そうしないとどんどん綻んでいっちゃって、結局困ることになるんだよなあ」

「お力になれなくて申し訳ないですけど、その辺りはどの店の店長も悩みどころだとは思いますよ。ほどほどでやってくしかないんじゃないですかねえ」

「そうだな、結局そうなるよね。悪いね、急に変なこと聞いて。キミ見てたらなんか昔の先輩を思い出しちゃってさ。その歳でわかば吸ってるの、珍しいじゃん?よく言われない?」

「これですか?まあ、あんまり見ないですね」

コシロは短くなってきたタバコを少し持ち上げた。安いが臭いがきつく、確かに同世代で吸っている人は見かけない。

「俺の先輩にも、昔そうやってわかば吸いながらボールペングリグリやってる人がいたんだよ。俺より一回りくらい上だったかなあ」

コシロはおや、と思ったが、聞き流すことにした。

「ふーん。どんな、人だったんですか?」

「書類が嫌いな人でさ。かなり偏屈だった。関西の方に応援に行ったときの短い間だったけど、よく覚えてるんだよね。昔は今よりもっと短気でバカな連中ばっかだった中で、それでも何となーくうまくいくように、目を配って立ち回ってた気がする。あのときは『なんだこの何考えてんのかわかんない人は』と思ってたけど、今になるとああいうことができる人って、貴重だったんだって思うよ・・・コシロさんも知らない?確か・・・」

「いやあ、私以外でわかばを吸ってる人がいたら、覚えてるんじゃないですかね」

コシロはテラモトさんの目をなかば睨みつけるように見据えると、ヘラッと笑った。

「テラモトさんも、私がこの部屋に入ってきてすぐ、助けてくれたじゃないですか。店長も気さくに話し掛けてくださって。私、ヤマダくんがめっちゃ礼儀正しいから、相当厳しい支店だと思って、そりゃあもうビビりながらここに入ってきたんですよ」

「え、そうだったの?」

「そうですよ!まさかこうやってタバコふかしながらペチャクチャ喋っていられる支店だとは、想像だにしませんでしたね。ほら、たまにありません?常に戦時中みたいなピリピリした支店とか、万年葬式みたいに空気が死んでる支店とか」

「あー葬式みたいな店ね。あるある!」

テラモトさんが声を出してケラケラと笑った。

「ああいうところよりずっと過ごしやすいですよ。少なくとも私は」

コシロはタバコを灰皿で消し、書き上がった日報を掴んで立ち上がった。

「じゃ、私はそろそろ失礼しますね。仮眠室を貸して頂いて、ありがとうございます。また明日、よろしくお願いします」

「うん、俺も隣使うことになるけど、まだ遅くなるし無視しててくれていいから。お疲れ様」

テラモトさんの顔ざしが先ほどよりも心持ち穏やかになった気がする。コシロも目を細めてお辞儀をし、事務所から立ち去った。先ほど来たトラックの荷物量からして、テラモトさんはあと二時間はここに残ることになるだろう。コシロは、寝る前にあの仮眠室の抜け殻の周りを、少し片づけておいてあげようと、そう思った。


朝六時半の白い朝日が差し込む五階の部屋で、コシロが前日に洗濯して干しておいた制服に着替えていると、階下から突然ドンガラガッシャンという、何かが倒れたような大きな音がした。続いて大きな怒鳴り声が聞こえ、二階の出来事のようだが、静かな分びっくりするほど響いている。驚いたコシロはとりあえず、コッソリと階段を降りてみた。

二階の事務所を階段の上から覗き込むと、店長がデスクを背に仁王立ちでこぶしを握っているのが目に入った。隣には昨日の若い班長が呆れた表情で肩をすくめており、店長が見下ろす視線の先では、テラモトさんがうなだれて立っていた。

「お前もう管理職辞めるか。え?」

店長はまた恐ろしい剣幕でそう叫んだ。建物中を轟かせるその大声に、コシロも思わず硬直した。

「この忙しい時期にみんなに迷惑掛けてんの、わかってんのか?港湾行きは時間厳守なのに、混ざった客の荷物を今からどうやって分けるんだよ。お前が全部積み直してみろよ!」

ドカンとまた大きな音がし、店長が蹴り飛ばした椅子が床に倒れて転がった。本人を殴り飛ばすことだけはどうにか踏みとどまっているようだが、堪えた怒りがそのまま気迫になって張り詰めていた。テラモトさんが苦しげに何かを言ったようだったが、扉越しでは怒鳴っている店長の声しか聞こえなかった。

「何?それで反省してるつもりか?目障りなんだよ!伝票出して積み替えろ。ほんで、港湾にもお前が持ってけ。言っとくけど港に引き渡した以外で電話してきたらぶっ殺すからな。さっさとしろ!」

テラモトさんはフラフラと移動し、頭を下げながら立ったままパソコンのキーボードを叩き始めた。店長は巨体をどかんと椅子に投げ出し、班長はやれやれというように頭を掻いた。コシロはひとり目を見張りながら顔をしかめた。

(ああ、これだ。やっぱりこれがだめなんだ)

昨日からの違和感が諦念に変わった。人が続かない理由が、それも年長者が続かない理由が、あの店長には本当にわからないのだろうか。どれもこれも「軟弱」で片付けてしまうのだろうか。店長が落ち着くまでしばらく五階で身を潜めておこうとコシロが立ち上がったとき、ポケットに入れていた携帯電話のバイブが鳴った。飛び上がって画面を見てみると、「店長」と出ている。コシロにとっての「店長」は、自分のモズ支社のウミノ店長だった。

(もー、こんな時に・・・!)

おそらく朝の出勤確認だろう。コシロはソロソロと階段を上りながら、声を潜めて電話に出た。

「おはようございます。コシロです」

『おはよう。起きてたか。もう出る準備は出来てるか?』

電話の向こうのウミノ店長の声はいつになく切迫していた。

「朝メシ食ってない以外は。どうしたんです?」

『オッケー。じゃあお前、そっちのヤオ店長に言って今すぐ出ろ。出たら無線で連絡くれ』

(え、ええー・・・)

コシロは今しがた見てきた二階の修羅場を思い出して呻き、つい混ぜ返した。

「う、えー、お客さんが急いでるんですか?」

『そういう訳じゃない。理由は後で話す』

「じゃあこっちの店長にはどう説明すればいいんです?」

『説明?そんなもん何でもいいだろ。俺が出ろって言ってんだから出ろ』

何気なく聞いたつもりが、店長は想像以上に苛立っていたらしい。コシロが口を開こうとすると、『もういい。お前じゃ埒が開かん』と言って、店長はガラガッチャンと電話を切った。コシロは嫌な予感がしてまた急いで二階に戻ってみた。ガラス扉を覗いてみると、案の定電話が鳴ってこちらのヤオ店長が出るところだった。

(ああ、これはまずい。やだなあ)

コシロは慌ててその場を離れ、五階まで猛ダッシュで駆け上がった。大急ぎで荷物をまとめてまた階段に戻ると、ちょうどヤオ店長が踊り場まで登って来ていたところと出くわした。コシロは先ほどの迫力を思い出し、思わずぎくっとして固唾を飲んだ。

「う、あ、お、おはようございます」

「おはよう。なんだ起きてたのか」

苛ついたウミノ店長がこの人の神経を逆なでするようなことを言っていないか心配だったが、思いのほか落ち着いているようだった。とはいえ怒りはまだ収まっていないらしく、顔に不機嫌さがありありと出ていた。

「お前んとこの店長から今連絡があったよ。荷主が自分が日程を間違ってたくせに難癖付けて来て鬱陶しいから、できるだけ早く出発させてくれって」

絶対に嘘だが、上手いこと言ったものだ。コシロはさも驚いたように目を丸くした。

「え、そうなんですか?こちらの朝礼に参加してからと、思ってたんですけど」

「そうだろうけど、すぐ出た方がいいよ。アルコールチェックするから来て」

店長が振り返ってドスドスと階段を降りるのに付いて行きながら、コシロは彼の肉の詰まった広大な背中を何となく眺めた。

(店長の口の悪いのなんて、どこも一緒だよなあ)

問題は、自分達がされてきたようにしか、部下を育てられないことだろう。もちろん、彼らが厳しい上下関係の中で苦労を乗り越えてきたのは立派だし、そのことに誇りを持つのも素晴らしいことだ。その同じ苦労を与えて耐えられない者は、たしかに軟弱なのかもしれない。だが、その与えられた苦労のせいで人材が離れてしまい、酷い場合は貴重な才能が崩れ去り、人格をねじ曲げてしまうなどとは、ちょっとでも想像できないのだろうか。それが支社にとって、会社にとって損失になることに、思い至らないのだろうか。先ほど横で見ていた班長の様子からして、上司と部下のああいうやり取りは、滅多にない訳ではなさそうだ。もしかしたら、班長自身もああいう、相手を問答無用で威圧する態度を取るのかもしれない。この支店は立派なことに、店長の方針が徹底される支店なのだ・・・

事務所で乗車前の点呼とアルコールチェックを済ませ、コシロは荷物を持って外にある自分のトラックに向かった。もうすぐ七時になるが空は薄暗く、骨まで貫くような冷たい風にコシロは歯を食いしばった。三月とは思えない厳しい風の合間に、搬入口の方から掛け声が聞こえた。

「………ミスター、キム。………ミセス、キム」

テラモトさんが混ざった二種類の荷物の区別を声に出してトラックから卸し、班長がそれを倉庫の中に積み分けていた。どうやら、同じ名前の性別のみが異なる荷主の荷物を混ぜてしまったらしい。間違った荷物が混ざったり、誤って廃棄してしまったりするのは、稀ではあるがどこの支店でもあることだ。テラモトさんの顔には、遠目にも暗い影が差していた。

(ミスしたらあんな何歳も歳下の人間にあんな罵詈雑言を吐かれて追い詰められるなんて、嫌にならないのかな。私だったら・・・)

辞めてしまうだろうか。慣れて馴染んでいる人には、ささいなことなのだろうか。それともそれに耐えることは、やはり美徳なのだろうか。コシロはそそくさと自分のトラックの運転席におさまり、まだ人気のない福岡支社を出発した。コシロは昨日あんなに浮かれていた自分の福岡支社に対する気持ちがすっかり冷えていることに気が付いて、少しさみしくなった。

その後、コシロが早朝の出発を強いられた理由が判明したのは、福岡県から離れて山口県内のサービスエリアで、最初の休憩を取ったときだった。

『これは秘密にしておいてほしいんだが、とある筋から、今日福岡支社に社内監査が入るって情報が入ったんだよ』

電話の向こうのウミノ店長の声からは、無事コシロが福岡支社を離れられたことに安堵している様子が伺えた。

『社内監査ってトラックチェックするために、朝礼前の早朝から来るだろ?巻き込まれて痛くもない腹を探られるのはごめんだからな。かと言ってお前に言っちゃうと、コシロのことだからペラペラ喋っちまうかもしれねえし』

そう言われるとコシロは妙に納得してしまった。コシロはサービスエリアで買ったおにぎりのカバーを剥きながら、穏やかになったらしいウミノ店長に事情を聞いてみた。

「抜き打ち監査ってことは、何かマズいことがあったんですかね」

『さあな。そこまでは知らん。コシロお前、随分福岡支社を気に入ってたらしいな。ノリコから聞いたぜ。心配しなくても、あの支社で何かあったって、だれもあの店長を辞めさせたりできねえよ。あの土地であそこまで売上伸ばせる店長なんか、他にいねえから』

それはあの支店のやり方が、今後も変わることはないということでもある。ヤオ店長には、自分の何が悪いのかがわからない。たとえわかるときが来たとしても、長く掲げたやり方を否定するのは、誇りを棄てるのは難しいだろう。だれしも、自分がしてきた苦労には意味があったと、信じていたいものだ。

「いや、別に、そこまで愛着があった訳じゃないですよ。ヨソはヨソですからね。あ、でも、モズ支社でも炊飯器は買いましょう。あれはほんとによかった。・・・」

コシロは電話を終えると、自分の支店の給湯室にも炊飯器を置く日を想像した。サービスエリアで買ったおにぎりは冷たい。炊飯器を買ったら、その時は炊きたての米を大盛りにして、また卵かけご飯を作りたいものだ。

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