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異世界最強の自宅警備員  作者: 親交の日
第七章 平和へ向けて
86/140

7-5 西部戦線異常なし

前回の投稿で1600PVを達成いたしました(新記録)。ありがとうございます。励みになります。今後も『異世界最強の自宅警備員』をよろしくお願いします!

 



 ーーーオリオンーーー


 カレンの降伏を受けて、俺たちはブレストに入った。入城する帝国軍の姿を、住民たちは怯えた目で見ていた。この時代、兵士による掠奪や強姦などは当たり前。そして敗者は勝者に何をされても文句を言えない。だから自分たちがそのような目に遭わないか心配なのだ。

 だが帝国軍ではそのような行為を軍規によって禁止している。これを犯せば憲兵によってドナドナされていく。なお、その末路は士官であろうが下士官兵だろうが一緒。軍法裁判にかけた上でーー有罪であればーー官位・栄典その他の一切を剥奪して死刑、鉱山送りである。さらに氏名と罪状は官報に記載され、全ての村街に貼り出される。自分のみならず家族にも累が及ぶのだ。そんな状況で、敢えて軍規に背く者はいない。

 事実、内戦で戦った諸侯軍のなかで最もそういった事案が少なかったのは俺たちだ。具体的には二桁ほど。やはり初犯を殊更に喧伝し、公開裁判の上で処刑したのが大きかったのだろう。その噂は諸侯軍から国軍になっても引き継がれているらしい。

 今回、憲兵にお世話になったのはわずかに数名。該当者の所属部隊の隊長には、当事者とともに被害者のところへ行って頭を下げさせた。もちろんそれなりの賠償も行なっている。そんな俺たちを珍獣を見るかのように見ていた住民たちも時が経つにつれてーー表面上はーー受け入れてくれたらしく、あちこちで親しげに話す様子が見られた。

 民政面では落ち着きを見せた一方、軍上層部では次回作戦の討議が佳境に入っていた。今回の至上命題はアクロイド公爵軍の撃滅である。事は今後の戦局に重大な影響を及ぼすため、万が一にも失敗があってはいけない。だから自然と議論も白熱する。

 だがしかし。オマケである俺には関係のない話である。だからとても暇をしていた。暇つぶしの一環として行っているのがカレンの指導。きっかけは入城した直後のことだった。


『私に稽古をつけてください!』


 と言ってカレンはシルヴィに頭を下げた。困惑したのはシルヴィである。まさか一騎討ちで負かした相手にそんなお願いをされるとは思っていなかった。横で聞いていた俺も同じである。


『そんな急に言われても……』


 シルヴィは困惑した。しかしカレンはグイグイと押してくる。


『暇なときだけでいいですから。どうか』


『それくらいなら』


 押されればつい一歩引く、日本人的な気質を持つ彼女である。これほど強く出られては断れなかった。そして稽古をつける様子を、俺は暇つぶしがてら見学する。するとあるとき、俺に水が向けられた。


『ところで皇帝陛下は強いのですか?』


 ほう。俺が一騎討ちを受けなかったのを弱いからだと思ってか……と、カレンの物言いにカチンときた俺は彼女を一方的にぶちのめした。終わってからやりすぎたか、と今更のように思った。しかし俺の懸念は杞憂に終わる。


『すごく強いです、陛下』


 負けて地面に這いつくばっているというのに、カレンはそんなことをのたまった。しかも満面の笑みで。

 そこへ便乗したのがシルヴィ。彼女は俺が褒められたのが嬉しかったらしく、誇らし気に自分の師匠が俺であることを語った。そうなればカレンの考えることは単純。


『陛下も私に稽古を!』


『ああ。まあ、暇だしいいよ』


 という理由でオーケーした。本当に暇つぶし以外の理由はなかったのだが、やっているうちに興が乗ってきた。というより何を言っても『はい』としか言わないので、アイドルならぬ令嬢育成ゲームでもやっているような感覚に陥ったのだ。気分はプロデューサー(この場合は執事か?)である。

 ……誇張でもなんでもなく、本当にカレンは肯定しかしない。体力をつけるためにサッカー場よりも広いだろう訓練場を五十周走れ、と言っても嫌な顔ひとつせずに走る。ミスをしたペナルティに筋トレを命じてもやりきった。もし『脱げ』といえば脱ぎそうだった。正直なところ少し怖かった。

 ともあれそんな風に素直なカレンを俺たちはすっかり気に入った。年齢的には少し年下という程度だったが、我が子のように育成した。彼女自身の才能もあってぐんぐん成長していき、俺も嬉しくてーーまた暇でもあったためーー武芸だけでなく用兵術や政治なども教え込んだ。カレンはそれらをカラカラに乾いたスポンジのように吸収し、結果としてものすごい逸材が出来上がっていた。……どうしよう? となったのがつい先日のことである。

 俺は稽古の最中にカレンに訊ねた。


「なあカレン。俺はそろそろ国に帰るんだけど、お前はどうする?」


「え? そうなのですか?」


「ああ。いくら戦時中とはいえ、いつまでも国のトップが不在ってのはよくないし」


 ついでに言うと、机の上に積まれているだろう決済待ちの書類の山がそろそろヤバいことになっているだろうという予測もあった。そろそろ帰らなければ、と思っていたのである。カレンの育成もひと段落したし、ここらで一旦セーブしておこうと思ったのだ。


「そんな……。陛下と離れ離れになるのは……嫌です」


 なんともいじらしい発言だが、そこに色っぽい意味は微塵もない。純粋に自分を成長させてくれる俺がいなくなるのを惜しんでいるのである。

 とはいえ、俺もこれほどの逸材を放置する手はない。そこでひとつ提案をしてみた。


「なんなら帝国にくるか?」


 と、まさかの引き抜き提案である。領主の娘にそんな手が通用するわけがないと思うかもしれない。


「それはいいですね。兄もいますし、私がいなくなっても問題ないはずです」


 だが予想に反して好感触だった。とても前向きである。とはいえそのまま連れて行ったのではただの人さらいである。親御さんにきっちりと同意を取る必要があるだろう。ただし手段は問わない。

 折しも軍部では作戦の内容が決まり、全軍に周知されたところであった。それが俺に回ってきたため、政治的なことを織り込んでから裁可する。そしてブレスト占領から三日目で作戦は発動。海兵師団は負傷兵と治安維持のための一個大隊を残して東進した。


 ーーーアダムスーーー


 わしは悩んでいた。このままこの場に留まり続ければ、王都を攻める帝国軍の動きを抑制することができる。だがブレストが落ち、カレンの行方がわからないというのはとても心配だ。留まるべきか、帰るべきか……。


「公爵様」


「おお。将軍たち。そろって如何した?」


 そこにはわしの下につく将軍たちが勢ぞろいしていた。一体何事かと思って用向きを訊ねる。


「公爵様にお願いがあって参りました」


「どうかカレン様の救出にお戻りください」


「待て待て。わしもそうしたいのは山々だが、このまま王都を危険にさらすわけにはいかない」


「しかしカレン様を失うことはあってはなりません!」


「ここは我々が命を懸けて守り抜きます。なのでどうか!」


 将軍たちはこのように次々と言い募った。誰もが真摯にカレンの救出を祈っていた。それほどの人心を集めた娘をわしは誇らしく思う。これに応えないわけにはいかない。


「わかった。五千の兵を連れて行く。わしが戻るまでなんとか粘ってくれ」


 そう言って、敵に気づかれないよう夜間に五千の兵を連れてブレストに向かった。斥候を放ってみたが、ひとりとして帰ってこない。わしは確実に敵がいる。そしてわしの存在に気づいているということを念頭に進軍する。奇襲を警戒していたが、意外にも敵は素直に現れた。斥候を執拗に警戒していたのはなんだったのか。

 敵の数はおよそ一万二千。こちらの倍以上おり、一筋縄ではいかないだろう。そしてこれだけの軍勢が攻めてきたのなら、ブレストが落ちたのも無理はない。敵は陣地を設営したので、こちらも同様に陣を敷く。その作業が落ち着いた段階で、わしは供廻りを連れて敵情視察に向かった。陣地をこの目で確認し、攻略の糸口を掴もうとしてのことだ。この戦力差ではまともにぶつかっても勝てない。となれば、狙うは夜襲や奇襲だけだ。だが、


「固いな……」


 陣地に目立った粗は見つからなかった。敵兵にも勝ち戦だと緩んだ様子はない。明らかな精鋭だ。

 帝国がドラゴンという強力な戦力を使えるのは事実だ。しかしそれを以って帝国が強国たる理由にすることは間違っている。もちろんそれもひとつだが、最大の要因は兵士の質にある。王都で対峙していた軍も、今対峙している軍も、兵士の質がわしらよりもはるかにいい。質のいい兵士に支えられた軍隊こそが、わしはドラゴンよりも恐ろしいと感じた。


「さて、どうしたものか……」


 思わずそんな声が出た。今のところ手の打ちようがない。だが、かといって時間はかけられない。今この瞬間にもカレンが酷い目に遭っているかもしれないのだ。急がなければ。


「こ、公爵様。あちらをご覧ください」


「ん? どうしーー」


 その言葉の続きをわしは言えなかった。兵士が指し示す先には、鎧を着たカレンがいたからだ。捕らえられていたのではなかったか? なのになぜ、あのような姿で帝国軍にいる? 疑問は尽きなかったが、その前に問題が発生した。


「何者だ!?」


「っ! 気づかれたか!」


 そんな声がした途端に、わしは脱兎のごとく逃げた。お陰で追手から逃れることができたのだが、直前に見たカレンの姿をわしは忘れられなかった。

 その夜。


「公爵様」


 陣幕で休んでいると、外からわしを呼ぶ声がした。対応を召使いに任せ、わしはまたカレンのことについて考える。


(まさか、カレンが敵に降った? いや、そんなはずはない。あの子が簡単に寝返るはずがない)


 そうは思うのだが、となると先ほどの姿と整合性がとれない。そしてまた裏切った、いや違う……と思考がループしていた。


「公爵様」


「なんだ? わしは今忙しいと言っておるだろうが!」


「申し訳ございません。それは承知しておりますが、どうしてもお伝えしたいことが」


「……申してみよ」


「はっ。実は先ほどの来客はマクドウェル将軍でございました」


「なにっ!?」


 マクドウェルといえば、わしがブレストに残した軍勢の指揮官ではないか。なぜその者が今さら訪ねてくる?


「カレン様からの伝言を預かってきたそうにございます」


「今すぐ通せ」


「はっ」


 召使いに促されて入ってきたマクドウェルは、身なりも整っていてとても敗軍の将とは思えない姿だった。


「マクドウェルよ。随分と血色がいいな。帝国はそなたを手厚く遇しているようだな」


 などと皮肉を込めて言う。


「はっ。カレン様をお守りできなかったこと、大変申し訳なく……」


「それで、カレンからの伝言があるそうだが」


「はい。カレン様は敵に捕らえられたあと、巧みに取り入って敵の軍事機密を引き出しておられます。おかげで虜囚の身ながら、自由を獲得しておられます」


「そうだったのか」


 降ったふりをしていたのか。やはりな。


「さすがに軍は連れてこられませんでしたが、供廻りはブレストの人間である自分を選ばれました。カレン様は自分を使い、公爵様の軍を引き入れると仰せです。タイミングを計り、自分が使者として向かいます」


「よしわかった! では合図を待って攻めかかるとしよう」


 これで帝国軍を撃破できる。わしは娘の成長が嬉しく、思わず笑みを浮かべた。


 ーーーオリオンーーー


「親バカって虚しいよな」


「どうされたのですか、突然?」


「いや、カレンをエサにした作戦に、アクロイド公爵がまんまとかかった」


「そういうことですか」


 シルヴィは納得したらしく、俺の言葉に頷いた。今回の戦いでは戦力差は歴然。正面から押し潰すこともできたが、それだとあまりにも芸がない。なるべく損害が出ないようにするのが俺の信条である。そこでアクロイド公爵が単身出てこなかったときのために用意していた策を、ここで使うことにした。

 ブレストの家臣団に対して、俺は占領時からある工作を行っていた。カレンへの稽古を敢えて家臣たちに見える中庭で行い、風魔法で声を遮った上で一方的にボコる。結果、家臣たちは俺たちがカレンを虐めていると勘違いする。さらにカレンは負けるとぶーたれるので、信憑性はますます向上。彼女が俺に懐いた後は、家臣たちの前では俺に反抗的な態度をとるように指示して固定観念を形成した。そしてカレンが返り忠を言い出せば、家臣たちは容易に信じる。そしてそのメッセンジャー役としてマクドウェルを連れてきたわけだ。


「いつ決行されるのですか?」


「明日だ。早いに越したことはない」


 というわけで、作戦は明日の夜に行われることとなった。ちなみにカレンは指示を出したあと、撤退する兵士たちとともにその場を離れる。彼女の代わりにアクロイド公爵を待つのは、準備万端整えた精鋭の海兵部隊。万が一にも逃亡を許さないよう、退路を断っておく。もし逃げてきても、ここで一網打尽にするという寸法だ。

 次の日の夜。予定通りマクドウェルを使者に出したカレンは、俺のところへ逃げ出してきていた。擬装工作のため、篝火などはつけっぱなし。また静かであることに不信感を抱かせないために鎧を着た人形をあちこちに配置し、時間も夜遅くにしている。


「父は引っかかるでしょうか?」


「間違いなく」


 不安がるカレンに、俺はきっぱりと断言した。アクロイド公爵は娘が敵についたなど夢にも思わないだろう。いや、仮にそう思ったとしても信じたくないはずだ。俺だって、エリザベス以下の子どもたちが敵についたと言われても信じないだろう。それだけにこの策戦は成功しやすい。まあ、子を思う親の気持ちを利用するところはどうかとは思うが、戦争なのだから許してほしい。

 なんて話をしていると、俺たちがいる幕舎に兵士が入ってきた。


「報告! 第一海兵連隊長より『ネズミは罠にかかった』」


 第一海兵連隊は敵の後方に回り込むとともに、その動向の監視をさせていた。そして伝令が口にしたのは、アクロイド公爵が囮陣地へと向かったことを意味する符丁である。


「よしっ! 全軍へ伝令。『ネズミは一匹たりとも逃すな』」


「はっ」


「私たちも行きましょう」


 そう言ってカレンも立ち上がった。やる気満々。つい先日まで味方だった相手と戦うことに対する葛藤も何も感じられない。


「そうだな」


 俺も立ち上がる。


「シルヴィ。この場は任せる」


「はい」


「カレンには近衛の一隊を預ける。護衛程度の戦力しかないから、くれぐれも前に出て戦うなよ」


 効果は大きいとは思うが、まだまだ未熟な彼女を前に出さなくてもケリはつく。それに直接戦わなくても、姿を見せるだけでも効果は大きいはずだ。


「わかってます。そもそも分隊程度じゃ、ほとんど何もできませんから」


 カレンは帝国軍の軍制も一応は理解している。だから自分に任される分隊が十名前後であること、数千人規模の会戦では役に立たないことはよくわかっていた。さらにいえば、分隊にとってカレンは護衛対象であって従うべき指揮官ではない。

 こうして俺は敵の後背へ、シルヴィは本陣、カレンは敵軍へーーと三手に分かれて行動することとなる。


 ーーーアダムスーーー


 わしはマクドウェルに案内され、全軍を率いて夜道を進む。夜も更け、いつもなら寝るような時間だ。

 マクドウェルの話だと、帝国軍は寝る時間が厳格に決まっているのだという。それでも歩哨についている者はいるのだが、夕食に睡眠薬を混ぜておいたので眠っているはずだという。わしは訝しんだが、敵陣に着くとその通り。門扉に立つ歩哨までもが、篝火の下で眠っていた。すっかり敵陣は静まり返っている。


「絶好の好機だ! 一隊はわしに続け。カレンを保護する。マクドウェル、案内を頼むぞ」


「お任せあれ」


「他の部隊はブレストを蹂躙した憎き帝国軍を叩きのめせ! 誰一人として生きて帰すな!」


「「「おうっ!」」」


「全軍、突撃ッ!」


 騎兵を先頭に全軍が突っ込む。数こそ少ないが、わしとともに戦い抜いた精鋭揃い。実に頼もしい。

 まず景気づけにと、眠りこける歩哨を馬蹄で踏み抜く。ーー異変はそのとき起こった。


 ーーグシャ!


 ーーパサッ!


「むっ」


 軽い。人体を踏んだにしては感覚が軽すぎる。わしは慌てて馬を止め、歩哨を見る。


「これは……麦藁?」


 鎧は本物のようだが、それを身に纏っているのは藁人形だった。

 血の気が引いた。わしは悟る。これは罠だと。


「撤退だ! 今すぐ引き返せ!」


 わしはあらん限りの声を出して命じる。だがそれに従ったのは周りのごく少数であり、大部分は馬蹄と喊声にかき消されて指示が届いていないようだった。だがしばらくするとわしと同じことに気づいた者が現れ、喊声は止んだ。敵がいないことに拍子抜けしたその直後、


「撃て!」


 ーーヒュン、ヒュン、ヒュン!


 矢が風を切る音がした。直後、矢の雨が降る。


「ぐわっ!」


「て、敵ーー」


「隊長!?」


 混乱が広がる。その最中、前方の暗がりから帝国軍が姿を見せた。百人ほどが見事な密集陣形をとり、横一列になっている。それが二重、三重に並んでいた。


「くっ、嵌められた。下がれ! 全軍、元来た道へ引き返せ!」


「命令だ! 引き返せ!」


 配下の将軍たちがわしの命令を叫んで回る。そんななか、わしはひとりの男を探していた。そ奴は呆然として動かない。好都合だ。


「マクドウェル! よくもわしを謀ったな!」


「公爵様! これはーー」


「ええい。言い訳など聞きたくないわ!」


 問答無用。わしはマクドウェルを剣で頭から真っ二つにした。さて、引き返すか。悔しいが、急ぎ軍を立て直さなければならない。カレンを助けたかったが、奇襲が失敗したのだから今回は諦めるしかないだろう。わしが不明だったばかりに……。悔やんでも悔やみきれぬ。


「公爵様! 大変です! 退路にも敵が!」


「なにっ!? いつの間に回り込まれた!?」


 これでは完全に袋の鼠だ。敵将は悪魔か!?


「密集陣形を敷き、我らの退路を阻んでおります!」


「ぐぬぬ……。なんとしても血路を開け!」


 とは命じたものの、一向に進展する様子はない。その間にも敵は迫っており、動けるスペースは着実に狭まっている。いよいよここまでか、と思われたときにそれは起こった。


「敵が引いていく?」


 先ほどまで迫っていた帝国軍が、またしても見事に後退していく。その代わりに、わしらを黒い影が覆った。


「なんだ?」


「公爵様! そ、空を!」


「空?」


 兵士に言われた通りに空を見るとーーそこには漆黒の鱗を持つドラゴンがいた。


「漆黒のドラゴンーーまさか、騎竜エキドナ!? となると、この軍を率いるのは皇帝オリオン!?」


 わしをここまで追い詰めたのが、まさかオリオンだとは思わなかった。わざわざこんなところまで一国の主が出張ってくるとは思わない。それだけに驚きは大きかった。

 エキドナは羽撃き、猛烈な風を巻き起こしながら着地する。地上に降りてきたのなら世話はない。


「全軍、恐れるな! ドラゴンの背に乗るは皇帝オリオンだ! 討ち取れば帝国すべてが瓦解する! 討ち取った者には国王陛下より恩賞自由の沙汰があるだろう!」


 実際はそんな約束はないが、ここは空手形を切ってでも兵たちを駆り立てる。窮地に陥ったわしらが打てる手は、どれだけの犠牲を出そうとも敵の総大将を討ち取ることだけだ。わしの煽りは兵たちの士気をこれ以上ないほど高め、オリオンの元へ全軍が殺到する。さすがに数千人の攻撃を阻むことはできないだろうーーと考えた。しかしすぐさまそれが甘いことを知らされる。最強の生物という肩書きは伊達ではないのだと。


『主様を討とうとは片腹痛いですね』


 どこからか女の声がした。そしてエキドナが翼をひと打ち。瞬間、烈風が生まれた。わしらはなす術なく吹き飛ばされる。そして大半の者が戦闘不能になった。


「なっ……」


 あまりにも力が隔絶していることに愕然とする。声も上手く出ない。これが畏怖なのだと気づかされる。父に連れられて挑んだ初陣のときのようなーーいや、それ以上の『畏れ』と『怖れ』。

 のし、のしとエキドナが迫る。一歩ごとに地響きを立て、ありとあらゆる恐怖心をかき立てる。

 やがてわしの前にきたところでエキドナは止まり、ヒラリと男が舞い降りた。その男は緑と茶が混じった珍妙な色をした服を着ている。だが、誰かは簡単にわかる。この男こそが竜帝国の皇帝オリオン。世界で唯一、ドラゴンを従える存在。


「貴様……」


 わしは精一杯の虚勢を張って奴を睨みつけた。その返礼はオリオンではなく、エキドナから返ってきた。先ほどよりもはるかに強い殺気として。

 正直に言う。怖い。気絶して、全てを忘れた耄碌じじいとして余生を過ごしたい。そんなわしの側にはカレンがいて、片田舎で朽ち果てるわしを看取ってもらうのだ。だがそのような『逃げ』は許してくれないらしい。死にそうなほどに強く、ただ本当に死ぬことはない程度の強さで首を締められているような気分だまさに生き地獄である。


「エキドナ。やめておけ。公爵がプレッシャーのあまりぽっくり逝ったらどうする?」


『あっ……すみません、主様。そこまで思い至りませんでした』


「まだ死なんわ!」


 わしは思わず言葉を返した。するとオリオンは笑い、


「ようやく普通に戻ったみたいだな」


 と指摘した。言われてみると、部下を叱咤するときのようにオリオンを怒鳴った。先ほどまでの畏怖もーーこれはエキドナが抑えているのだろうがーー感じない。


「さて。いつもの調子に戻ったところで、感動のご対面といこうか」


「何を言っている?」


「いいからあっちを見てみろ」


 そんなオリオンの言葉に促され、わしは指さす方を見る。そこにはカレンがいた。


「カレン……帝国に降ったのか?」


「はい。領地の後継ぎには兄がおります。私は外で生きたいのです、お父様」


「そうか……止めはすまい。アクロイド公爵家の血を絶やすなよ」


「それは、どういう……?」


「すぐにわかる。ーー皇帝よ、わしらは降伏しよう。兵の命は助けてくれ」


「元よりそのつもりだ。占領したブレストからも引き揚げる。そのための条件は二つ。カレンをこちらへ引き渡すことと、アクロイド公爵軍を帝国に差し向けないことだ」


「わしが当主である限り保証しよう。カレンはその人質として貴殿に預ける」


「少なくとも王室に渡すよりは本人のためになるだろう。その点は約束しよう」


 などと話はトントン拍子に進み、停戦に関する合意が成った。わしはすぐさま本隊に合流し、ブレストへの帰還を命じる。オリオンも戦地まで同行し、同じように帝国軍に撤退を命じていた。こちらがまごついたのに対し、帝国軍は夜間のうちに離脱して翌日には影も形もなかった。

 ブレストではブレストの臨時領主をしていたカレンから諸権利の返還を受け、第三皇妃シルヴィアの指揮で帝国軍は海へ繰り出していった。そのまま本国へ帰還するという。陸兵を海を使って輸送しようなど、わしらにはとてもできない芸当だ。帝国の強さを垣間見た気がする。

 頭が痛いのは城壁や港湾の再整備だと思っていたのだが、すべて元通りになっていた。オリオンの仕業だという。もう驚きを通り越して呆れるしかない。事務もカレンがひと通り捌いていたため、まったく滞っていなかった。わしがやったのはそれらの継承だけである。

 そんな諸々の事後処理がひと段落したとき、王都から使者がやってきた。


「アクロイド公爵に王都への出頭が命じられています」


「わかった。すぐに向かおう」


「ち、父上……?」


「そう不安がるな。わしがいない間、ブレストをよく治めるのだぞ」


 息子のグレッグにそう言ってわしは王都へ向かった。


「アダムス・アクロイド。そなたは帝国軍と談合し、交戦を避け、王国を窮地に陥れた利敵行為の罪に問われている」


 そして王都では利敵行為の嫌疑をかけられ、取り調べを受けた。やはりこうなるかと思いつつ、自己弁護した。事実をありのままに話したが、有罪にしたいネイサンは聞き入れない。かといって確たる証拠もみつけられなかったネイサンは、今回の敗戦の責任をわしに負わせることとしたようだ。


「隠居し、グレッグにアクロイド公爵位を継がせよ。貴公を北将軍とする。一軍を率い、失陥した北東部を回復せよ」


 という処分が下った。完全に隠居させないのは、軍事面でわしの後継になる者がいなかったからだろう。

 三万の軍を与えられたわしは、とりあえず北東部へ向かった。オリオンとの約束はアクロイド公爵としてのものであり、北将軍になった今では関係ない。それは協定を結んだ際に相手も事情を理解していたようだから問題ないだろう。

 進軍は順調。予定通りに北東部の側へと着いたのだが、ここで問題が発生した。


「……なんだこれは?」


 そこには壁があった。石造りの高い高い壁が。その上には帝国の旗がひしめき、兵士がこちらを見下ろしている。当然のように臨戦態勢だ。調べさせると、帝国に占領された北東部と王国の境界すべてにあるらしい。


「これは落ちないな」


 すぐさま無理だと悟ったわしはその場に陣を張り、動くことはなかった。


 ーーーオリオンーーー


 王国からの帰路、ブレストの城壁をちょちょいと元通りにしたり、北東部に万里の長城を築いたりして疲れた俺は、三日ほど何もすることなくカチンで怠惰に過ごしていた。しかしさすがに活動しなければ怒られるので、四日目からはきちんと政務をこなしている。

 そんなある日のこと。いつものように書類の山と格闘していると、諜報を担当しているソフィーナがやってきた。


「アダムス・アクロイドが北東部に攻めてきたわよ」


「やっぱりな。でも長城があるから大丈夫だろ」


 レイモンドは堅実な性格だ。アダムスに勝るとも劣らない将軍であるし、彼がいる限りはそう易々と落ちるはずがない。

 話をしている間も書類を読み込んでいたのだが、そのなかに件のレイモンドからの定期報告書があった。それをソフィーナにも見せてやる。


『「第二軍定期報告」

 アダムス・アクロイド率いる王国軍が来襲。しかし攻撃は仕掛けず、陣を張って駐屯中。西部戦線異常なし』


「大丈夫みたいね」


 ソフィーナも同意した。


「それとどうだ? かなり楽になりそうか?」


「ええ。戦前よりも大きな利益を上げられそうよ。これなら大丈夫ね」


「それはよかった」


 ブレスト侵攻のもうひとつの目的。それは隣の大陸にある国家との通交だった。相手は華帝国という。過去に何度かブレストに侵攻し、占領したこともある国だ。そこと貿易をしようと商船を派遣したのである。結果、それは成功した。ソフィーナの口ぶりだと、かなり大口の取引相手になりそうだ。

 用事は済んだと退出しようとするソフィーナを、しかし俺は呼び止めた。


「そうだ。閣僚に召集をかけてくれ。この戦争にひとつの決着をつけるぞ」


 かくして閣議が行われ、その結果、帝国軍に新たな命令が下された。それを受けた軍は作戦行動を開始した。




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