6-10 グロリアーナ
今回でエリザベス回は終了となります。
拙作『お約束破りの魔王様』の方も是非ご覧下さい!
ーーーギルバートーーー
儂らは陣地を引き払い、街道を北へ進んだ。フィラノ王国は街道整備に熱心だった。帝国になってからはさらに道幅が広くなっており、とても移動しやすい。一万の軍勢がすいすいと移動できる。目指すは帝国南部の中心都市、モーティマだ。帝国の街道は帝都カチンから旧王都へ伸び、そこから東西南北の中心都市へ至る。これらが主街道であり、それらの都市からは脇街道と呼ばれる小さな街道が中小都市や町、村へ伸びていた。よくこれだけ整備したものだと思う。大陸で最大の版図を誇る我が大王国でさえ、主要都市を結ぶ街道を造るので精一杯なのに。帝国には金の成る木でもあるのだろうか?
「しかしこの街道は移動が楽だな」
「はい。道幅も広く、路面もしっかりしています。一万の軍勢の行軍が街道ひとつでここまで楽になるとは思いませんでした。是非とも大王様に進言いたしましょう」
「そうだな」
現在の大王国の街道はこの半分ほどの道幅しかない。そのためとはいわないが、やはり大軍の移動には苦心する。だがこれだけの道幅があればどれだけ楽だろうか? それだけでも進言する価値はある。儂は副官の提案に大きく頷いた。そんなやりとりをしていると偵察に向かわせていた兵たちが戻ってきた。
「どうだ? 集落はあったか?」
「はい。村や町がいくつか」
「そうか。それで、上がりはあったのか?」
上がりとはもちろん食糧のことである。まさか町村のひとつ二つで一万の兵を養えるとは思っていないが、足しにはなるはずだ。その首尾を訊ねてみたのだが、兵たちは困惑した表情になる。
「まさかやっていないのか?」
「い、いえ。そんなことは」
「ならばなぜ報告できない!?」
後ろめたいことがないのなら素直に報告すればいい。それができないのは調査を怠ったからだろう、と詰問する。すると兵士は言いにくそうに事の次第を話す。曰く、
「周辺の町村に人はいませんでした。食糧も持ち出され、残っているのは家具の類のみです」
「なんだと!?」
「お、恐らく、我々が足止めを受けている最中に逃げ出したものかと。この街道がありますから、それに沿って」
儂が大声を出したせいで兵は萎縮したようだが、それでもなんとか推測を述べた。儂も同意見である。
「ならば旧王都か、モーティマに逃げ込んでいる可能性が高いな。ふむ……」
儂はしばし黙考した。これからどうすべきなのか。そこではたと気づく。敵は各地方に軍団(師団のこと)を設置していたのではなかったか? その拠点は帝都と四方の大都市。儂らが今向かっているモーティマもそのひとつ……。軍団は常時およそ二万の兵を抱えているという。儂らの倍だ。敵の援軍を見て素早くその場を離脱したが、あれは敵の本隊だったのか? もしかすると先遣隊だったかもしれない。だとしたら今、儂らが向かう先には本隊が待ち構えているのか……? それは疑惑にすぎない。だが、ありえないというわけでもない。そしてそれが真実であるならば、儂らは今まさに窮地に陥っているということだ。正面に優勢な敵、背後に無視し得ない敵。儂らは挟撃されたことになる。身体をめぐる血が心の臓へと戻っていくような錯覚を覚えた。これが血の気が引くということなのだろう。
「いかん! これはいかんぞ!」
「将軍。どうなされたのですか?」
「なぜそんな平然としていられるのだ!? 儂らは挟撃されたのだぞ! なんとかせねば!」
儂は事態を理解していない副官に苛立つ。だが愚鈍な者に構っている暇などない。必死に考えを巡らせる。
「待たれよ。ギルバート殿。既にモーティマへ向かうと決めたのだ。そう易々と決定を覆されるのは困る」
と渋い顔をするのは領主のひとり。例の軍閥系領主の仲間だ。
「『なんとかせねば』と言っているが、一体何をするのだ? まさか引き返すつもりではないだろうな?」
「……そうだ」
「バカを言うな。既に食糧は三日ともたないのだぞ? 略奪も上手くいっていない。今さら引き返せばこぞって飢え死にだ。そんなのはご免だね」
この軍は、残念ながら領主の軍勢が主力となっている。だから儂の思い通りに動かすことはできない。今回の行動も、提案したのは領主の親玉である。領主たちを儂の指示に従わせるには彼らを納得させるだけのモノでなければならない。そのためには儂が考えた本来のモノではなく、ある程度の妥協が存在する。逆に領主側の提案は数にものをいわせて押し通される。ここに彼我の力関係がよく表れているだろう。特に今回は親玉から提示された作戦だ。親玉本人以外に撤回できる者はいない。
今回の作戦はどのようなものかというと、陣地に籠もる敵を誘き出すために敢えて別方向へと軍を向ける。敵が慌てて出てきたところで反転。痛撃を与えるというものだ。作戦の肝は敵を迎撃するための反撃にある。そのため移動時の陣形は迎撃に向いた翼の陣(鶴翼)がとられていた。敵を包囲殲滅することを目的とした陣形だが、目論見が外された以上はあまり意味をなさないだろう。
「将軍。今回ばかりはご領主様の仰る通りです。我々にとっては食糧の確保が喫緊の課題。今後どのように行動するにも、まず食べるものがなければ話になりません」
と、副官が意見してきた。同じ派閥であるはずの副官が。なるほど。たしかに食糧の確保は急務だろう。しかしそれは目先の利益でしかない。今、最も大切なのは一兵でも多く逃げ延びることだ。挟撃されてからでは遅い。敵に見つかる前に逃げ、本国へ戻って再起を図る。幸いにもここは教国との国境線に近い。逃げられる可能性は高いのだ。
「……そう、だな」
わずかな間に思い浮かんだ反論の言葉の数々を呑み込み、儂は副官の言葉に頷く。願わくば、儂の予想が外れていてくれ、と祈りながら。しかし神にその願いは届かなかったようで、直後に斥候から報告がもたらされた。
「敵です! 敵がすぐ傍まで迫っています!」
と。
ーーーーーー
敵発見との報告を受け、にわかに忙しくなった。
「数は!?」
「およそ六万ッ!」
「「「六万!?」」」
予想だにしなかった大軍に、領主や副官のみならず儂も驚いた。一体どこから集まってきたというのか。帝国には驚かされてばかりだ。
「とっ、とにかく陣形を整えよ! 中央突破を図るぞ! 爪の陣(錐行)だ!」
儂は陣形を組み替えるよう指示する。寡兵において中央突破など自殺行為と思われるかもしれない。だがもし左翼や右翼を抜けたとしても、追撃をかけられるのは間違いない。しかし中央を叩けば、ともすると大将を討てるかもしれない。大将を失った軍は瓦解する。少なくとも混乱させることはできるはずだ。儂の狙いもそこにある。敵が混乱している間に逃げるのだ。それならより多くの兵を生き残らせることができるだろう。今度は願いを叶えてくれ、と儂は神へと祈った。
ーーーオリオンーーー
ナハへ大王国軍迫る! その急報を聞いた俺は近衛師団と旧王都の第一師団、南都モーティマの第三師団、騎兵第一旅団に出動を命じた。大王国軍が現れた場所的に考えると教国も一枚噛んでいるのだろうが、今はどうでもいい。エリザベスたちを救うためにも、敵の迅速な殲滅が先決だ。
「わたくしもお供いたします」
「頼む」
最近はあまり戦場に出ていないエキドナがここぞとばかりに助力を申し出てきた。むしろこちらから頼もうとしていたから好都合である。周辺国との関係が緊張しているため、帝国軍は常に臨戦態勢(三交代制)をとっている。だから出撃準備はものの三日で整った。そこからは強行軍でモーティマまで急行(所要日数は三日。歩兵は荷馬車に乗せ、街道に整備した厩で元気な馬と交換しながら移動した)。一日だけ休息させるーー本当は休むつもりはなかったが、指揮官からの上申とナハから逃げてきた皇族の保護と事情聴取を行なっていたーーと、すぐさまナハへ向かわせる。この間も敵の情報は入っており、モーティマへの街道沿いに侵攻していることは掴んでいた。エリザベスたちを無視しているのは、彼女が仕掛けた計略(アレンジ版火牛の計)によって食糧の大半が焼かれたためということも。既に敵軍は死に体。ここでトドメをさし、不意打ちの落とし前をきっちりとつけてもらおう。
敵は鶴翼陣形で移動していた。翼の両端は俺とは反対方向を向いている。つまり、エリザベスたちを放置したように見せかけ、追撃してきたら反撃しようとしていたのだ。三方ヶ原の戦いにおける武田信玄のような戦法を敵はとったわけであるが、エリザベスはそれにまんまと引っかかった徳川家康とはならなかったようである。よかったよかった。俺はエキドナに乗って上空から戦場を俯瞰しつつ、そのことに安堵した。
……さて。意識を切り替えて戦場について考える。敵は一万ほど。まともにぶつかれば勝負にならない。こちらの圧勝だ。先ほどから敵が陣形を錐行に組み替えているが、無視していいだろう。練度が低いのか、はたまた別の理由かは知らないが、敵の動きは鈍い。スムーズな陣形の組み替えができておらず、団子状態になっていた。これでは陣形とすら呼べない。俺はゆっくりと下降していくエキドナの背で冷笑した。
本陣に戻った俺は作戦を手短に伝える。そして集まっている各部隊の隊長に訓示した。
「これより『定置網作戦』を行う。情け容赦は無用。敵を殲滅せよ」
「「「ハッ!」」」
「では陛下。お気をつけて」
シルヴィは前方に展開する近衛師団(主力)を指揮するため不在。そこで俺の側つきはレオノールちゃんとなった。建前は外務省の出向要員である。通常、副大臣が出向なんてありえないのだが、今回はノータイムで外交的手段を講じられるようにという配慮の込もった特例だ。
「留守を頼むぞ、レオノール」
「はい」
ーーチュッ
穏やかに微笑んだレオノールちゃんは周りに見えないよう片側を扇子で隠し、軽いキスをしてきた。彼女も『少女』というよりは『女性』と表現するのが適当なお年頃(子どもも産んでいるし)。それでもキスや抱擁などの甘え行為は止めない。こういった愛情表現は日常茶飯事である。最初は恥ずかしかったのだが、何年もやっているうちに慣れた。というか、慣れないとやっていけない。
かくしてレオノールちゃんと軽いキスを交わした俺は、エキドナへ跨り戦場を大きく迂回。南へと向かう。そこで待機していたドラゴン部隊(およそ千体)と合流。引き返して戦場へと舞い戻った。最強生物ドラゴンが千体、悠々と空を飛んでいる。この世界の人間が受ける衝撃は想像もできない。ただひとついえることは、慌てるだろうということだけだ。
ーーーレナードーーー
「どっ、ドラゴンだ!」
きっかけは兵士のひと言だった。新兵なのか、真新しい鎧を身につけた若い兵士が目まぐるしく動く陣形移動についていけずに立ち尽くし、所在なく空を見上げていた。そして偶然にも大空を飛ぶドラゴンを見つけたのだ。
「ああ? ドラゴン? そんなの一匹いたところで気にするな。それより周りの味方の動きに気を配れや、新人」
注意散漫な新人にベテランが注意するーーそんな光景がすぐ横に広がっていた。
「隊長、ですが……」
「なぁに。どうせ襲ってくるわけねえよ。ドラゴン(あいつら)は気まぐれだからな。ま、その気まぐれドラゴンどもが千もいれば話は変わるかもしれねえが」
「……います」
「あ?」
「千のドラゴンがいるんですよ!」
新兵が訴える。だが隊長の方は小馬鹿にしたように、その訴えを鼻で笑う。
「はんっ。そんなことありえるはずがーーっ!?」
聞き分けのよくない新兵を言い含めてやろうとした隊長が息を呑む。二人のやりとりを面白い、と思って聞いていたのだが、今度は何事かと儂も視線を空へと向けた。
「っ!?」
そして儂も隊長と同じような反応をした。まさか視界を埋め尽くさんばかりのドラゴンの大群を見ることになるとは。度肝を抜かれるとはこのことだ。
「おい、ドラゴンだ! ドラゴンが南からきたぞ!」
「なにっ!?」
「ホントだ。ドラゴン……」
年若い新兵よりも隊長の発言の方が信用があるのは当たり前だが、そのおかげもあって多くの者たちがドラゴンに気づいた。その反応は様々である。仲間に報せようと騒ぐ者、純粋な驚きを露わにする者、絶望する者……。各々が感じた感情は様々だったが、その向かう先は面白いことに同じだった。すなわち、恐慌である。
「にっ、逃げろォッ!」
「助けてくれ! 死にたくねぇ!」
「うわぁぁぁッ!」
兵士たちは一斉に逃げる。
「待て! 逃げるな!」
指揮官が制止するが、兵たちが聞き入れる様子はない。ドラゴンから逃げたいという、人の本能が命じる逃避行動だけがその場にあった。ある者は身軽になろうと武器や防具までも捨て、身ひとつで逃げる。ドラゴンから少しでも遠ざかろうと、北へ。陣形は要を失った建物のように崩壊していく。
「待て! 待てと言っておろうが、このっ!」
「ギャッ!」
兵が指示に従わないことに苛立った指揮官が手近な逃亡中の兵士を斬り捨てる。見せしめのつもりだったのだろうが、それは逆効果だった。逆上した兵士たちが指揮官を攻撃する。
「ぐっ、貴様ら……」
数人は撃退したが、数には逆らえずに討たれた。この騒ぎを見ていた他の指揮官は、明日は我が身と知らんぷりをする。
「まずいな……」
儂はドラゴンのーー最強生物の接近を感じて暴れる馬を抑えながら歯噛みする。兵たちは咄嗟に北へ逃げることを選択したようだが、そこに待ち受けるのは帝国軍だ。しかも北への逃げ道を塞ぐように布陣しているため、ドラゴンから逃げようとすると帝国軍に突っ込むことを余儀なくされる。すると帝国軍は待ってました、とばかりに攻撃する。大半の者が武器も持たないために何ら抵抗できず殺されていく。これは戦闘というより虐殺という表現が正しいだろう。
「しょ、将軍……」
副官が儂をチラチラと伺う。彼が何を言いたいのかはわかる。だがこれは儂の一存では決められないのだ。儂は敢えて気づかないふりをしてやり過ごした。ただ、あまり気分のよいものではなかったが。意図的に無視していることの罪悪感もあるし、何より目の前で大虐殺が繰り広げられているのだ。あとは己の無力さにも打ちひしがれてもいる。自分にもっと力があれば、この軍を完璧に掌握していれば、この悲劇を避けられたかもしれないのだ。ほとほと自分が嫌になる。
一方の副官は隣でしばらく悶々としていたようだったが、突如として雰囲気が変わった。なんというか、風にゆらゆらと翻弄されていた弱々しい火が、突然激しく燃え盛る炎になった感じだ。
「将軍」
そのイメージが合っているといわんばかりに声も凛としている。さっきまでの頼りなさが嘘のようだ。チラッと副官を一瞥すれば、鋭い眼差しが儂の目を射抜いた。そして縫い留められたように視線を動かせない。目を逸らさないのだ。
「指揮官とは戦に勝利することはもちろんのこと、兵を守る義務もあると思うのです」
「わかっている! だが、儂にはどうしようもないのだ! 領主たちを説得しようとしたところで、奴らは儂の話に耳を傾けん! 儂にできることはないのだ!」
「いえ、あります。できるだけ多くの兵を助けられる方法が」
「そんなものがあるなら言ってみろ!」
「降伏するのです」
「降伏だと? それこそ儂の一存では決められんわ!」
「そんなことはありません。将軍は大王様直属の軍団の指揮官であらせられます。ならば我々への指揮権はあります。逆らうこともありません」
「それは……」
儂は言葉に詰まった。言われてみればその通りだ。全軍の指揮に拘泥するあまり、そのことを失念していた。たしかに軍団の兵士たちなら従ってくれるだろう。いや、しかし……。
「それでは味方を見捨てることにならないか? 領主たちはともかく、領軍の兵たちに罪はない」
「そのことは保証いたしかねます。ただ、兵士たちにとって将軍は指揮官のおひとり。将軍が降伏なされるなら、自主的な投降の後押しになるでしょう」
「むう……」
直接してやれることはないが、間接的にやれることはある。副官の言葉に心を動かされる。そして決定的だったのは、兵士たちが無意味に倒されていく姿を見ていたくないという思いだった。
「わかった。降伏しよう。お前が使者となれ。他の者はこのことを各部隊に伝達。儂は領主どもを説得してみよう。……無駄だとは思うが」
そう言って半ばやけで領主たちを説得して回った。するとやはりというべきか、領主たちは拒絶した。ところが配下の兵士たちは儂の意見に賛同し、領主たちから離反。兵たちがいなくなったことで戦う術を失った領主たちも、渋々投降したのだった。
ーーーオリオンーーー
「ん? ……待て」
敵兵をエキドナたちドラゴン部隊で追い立てていると、その動きが変わったのを感じた。それがどのようなものなのかを把握するため、一度止まって観察することにする。先ほどまで恐慌状態に陥っていたのに、突如として沈静化した。
「なんだ?」
イマイチ事情が呑み込めない俺は首をかしげる。敵は戦闘行動を完璧に取り止めたのだ。意味がわからない。だが戦わないというのはありがたかった。色々と手を打ってなるだけ戦死傷者を出さないようにしているが、完璧に防ぐ手立てはない。戦闘となればどうしても死者や負傷者の類が出てくるし、なかには二度と戦場に立てなくなる者も出る。それはすなわち、時間と費用をかけて育ててきた兵士の損失である。戦闘ゆえに仕方がないといえなくもないが、なるべく犬死にはさせたくなかった。敵が動きを止めたのなら、必要もない脅迫をかけてこれまた必要のない犠牲を出すことはない。俺はドラゴンたちに停止を命じた。それから三十分ほど経ったころ、はるか遠くの本陣から騎士がひとり戦場を割って近づいてくる。あの家紋は……。
「陛下!」
呼びかけてきた騎士の声は男のそれにしては高い。間違いなく女性だ。加えて鎧の腹部に掘られている家紋は、俺が下賜した六文銭。彼女こそーー、
「よく参った、ベリンダ・テューダ」
アリスやオーレリア、ラナとともにテーブルを囲んだ親友。結婚したために名を改め、ベリンダ・テューダ。そう、あのベリンダさんだ。妊娠、出産を経て帝国陸軍少佐へ任官。現在は階級を大佐まで上げ、近衛師団の参謀長をしている。ちなみに秘密であるが、次は帝国西部に展開する第二軍の参謀長(同時に少将へ昇進)、その次は近衛師団の師団長(同時に中将へ昇進)といった具合に出世ルートが確定している。何もなければ大将への昇進と同時に予備役編入だ。それはともかく、わざわざ戦場を縦断してきたのだ。よっぽどの用件があるのだろう。まずはその労をねぎらい、続けてその用向きを訊ねる。
「いかがいたした?」
「はっ。敵が降伏を申し出て参りました。つきましては陛下のご裁可を仰ぎたくーー」
なるほど。敵が戦いを止めたのはそういうわけか。俺は納得した。降伏の是非は言うまでもなく是である。
「あいわかった。降伏は受け入れる。そのことをシルヴィアに伝えよ。それと、以後の様々な事項については外交的な要素が深く関わるため、その一切をレオノールに任せる」
「承知しました」
「うむ。朕はエリザベスのもとへ向かうゆえ、しばし別行動だ。では頼んだぞ」
「はっ!」
俺はベリンダさんに言いたいことだけ言うと、エキドナを駆って一路ナハへと向かう。ドラゴンは抑止力として戦場に残しておいた。あれらがいる限り、変な気を起こす輩はいないだろう。
それにしても、成り行きでなったとはいえ皇帝という立場には慣れない。公の場では相手が何者だろうと尊大な態度で接しなければならず、気が重かった。なにせ上司と部下というドライな関係ならまだしも、古くからの友人や家族にさえも、絶対権力者として振舞わなければならないのだ。俺からすると違和感が半端ない。今のベリンダさんに対してもそう。本当なら呼び捨てなどではなく、昔のように『ベリンダさん』と呼びかけたかった。だが私的な場でならまだしも、敵とはいえ兵たちの目がある場ではマズイ。彼らの前では『誰も逆らえない皇帝』でなければならないのだ。さらに私的な場というのも問題で、皇帝である俺の周囲には多様な人間がいる。日程を告げる秘書官に報告する官僚、身の回りの世話をするメイドや執事、護衛の騎士エトセトラ。病院の大先生が回診を行うときのように多くの人間がついて回る。皇族の生活空間にも使用人は常にいて、俺が完全に気を抜けるのは寝室くらいのものだ。転移の魔法なんかで逃げられなくもないが、そんなことをすれば大騒ぎになる。できてもやることはなかった。皇帝なんかになるんじゃなかった、と後悔している俺である。ニート生活を目指すという当初目標はどこへ行ったのか。はぁ……。
ーーーーーー
そんな具合に愚痴っていると、ナハの上空へさしかかった。俯瞰して見れば、都市部から離れたところに野戦陣地が構築されているのがよくわかる。近衛一個大隊(実数は中隊相当)とはいえ、落とすには骨が折れるだろう。贔屓目かもしれないが、よくできている。俺はその陣地後方へ降り立った。
「こっ、これは皇帝陛下!」
背後の門衛をしていた兵士たちが俺を見るなり平伏する。近衛だから俺の姿は見知っているし、エキドナを見てその接近は悟っていたのだろう。彼らは誰もが傷を負っている。いずれも軽傷だから治療は後回しにされていたのだろう。戦いが激しかったことを窺わせる。俺はそんな彼らを労うため、治癒魔法をかける。キラキラと優しい光が兵士たちを包み、その傷を瞬く間に癒していった。
「よく戦ったな。諸君らの勇戦敢闘に心より感謝と敬意を表する。追って褒美を授けるが、これはせめてもの労いだ」
本当はひとりひとり感謝の言葉を述べていきたいのだが、時間もないし許されない。だからせめてもの個人的なお礼として彼らの傷を癒してあげたのだ。俺としては子どもを保護してくれたお礼にお茶を一杯ーーくらいのつもりで治癒魔法をかけたのだが、兵士たちには思わぬ反応を示した。
「陛下が手ずから治癒魔法をかけてくださるとは……っ!」
「ありがたや、ありがたや」
「億万の黄金にも勝る褒美にございます! 生涯、何があろうとも陛下への絶対の忠誠をお誓い申し上げます!」
といった具合に跪き、拝み倒しの大騒ぎ。それはまさしく狂喜乱舞という表現があてはまる。皇帝という地位はとても重く、その行動が大きな影響を及ぼすこともわかっていた。だが、こうも斜め上の反応を示されるとは思わなかった。草むらに石を投げたらドラゴンが出てきた気分だ。すっかり舞い上がった兵士たちを落ち着かせるのは諦めた。ていうか無理だ。だから手近な兵士を捕まえてエリザベスのところへ案内してもらった。お喜びのところ水を差してごめんね。
ーーーーーー
少し申し訳ない気分になりながらエリザベスがいるという幕舎へ向かう俺。事の顛末を直接伝えたいのと、激戦をくぐり抜けた愛娘を労いたかったのだ。前者はいわばそのための方便である。
「入るぞ」
「何者ですかーーって、お父様!?」
俺がいるとは思わなかったらしく、エリザベスは目を丸くして驚いていた。しかしすぐに気を取り直すと頭を下げる。
「お出迎えもせず大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください」
「よい。先触れもなく来訪したのは朕だ。それに兵たちを見たが、誰も彼も傷ついている。それだけ大変だったことは容易に想像できる。ゆえに責めるつもりはない」
そう言って許す旨を告げる。実際にアポなし突撃したのは俺なのだから、責めるのはあまりにも理不尽だ。
「それで早速伝えたいことがあるのだがーー」
「はい」
「まず敵は降伏した。後のことはシルヴィアとレオノールに任せている。そなたは逃げ延びている敵がいないかを探索しつつ、モーティマへ向かえ」
「了解しました」
「うむ」
俺は鷹揚に頷くと、視線を周りに向けた。すると俺の意思を察してその場にいた者たちはそっと幕舎を出ていく。残ったのは俺とエリザベス、そしてエドワードとウィリアムなどの皇族だけだ。これからは皇帝と臣下ではなく、親子の時間である。
「みんな、まずはよくやった」
そう言って子どもたちを抱きしめる。
「わっ!?」
「父上?」
「お父様……」
エドワードとウィリアムなどは俺の行動に驚いたようだが、エリザベスはそっと抱き返してきた。
「みんなが無事で本当によかった。俺は嬉しいよ」
それは皇帝としての俺ではなく、父親としての言葉だ。戦場に子どもを出したくない、というのが本音だ。エゴでしかないが、それが誰しもの本音だろう。戦いがあったと聞けば、我が子は無事だったのかと案じる。そこに身分の貴賎はない。そしてそんな心配をしなくていいように心を砕き、手段を尽くす義務が為政者にはある。二度とこのようなことが起こらないよう、今回ですべてを終わらせる。改めて心に誓った。
ーーーーーー
そしてしばらくの後、帝都カチンにて凱旋式典が盛大に執り行われた。カチンの大通りを今回の戦いに参戦した者たちが闊歩する。帝都の市民たちはそれを大歓声で迎えた。そしていつになく飾られた訓練場で叙勲式が行われる。対象は今回従軍した各部隊。ナハで守備隊を編成していた市民たちもあわせ、『ナハ戦役』と銘打たれた一連の戦いに従軍したことを示す従軍徽章が全員に。各師団長が功績大として推薦した者に各種の勲章を。そしてエリザベスに従って戦った者たちには、今回新設された名誉勲章である『グロリア勲章』が。そしてその筆頭であるエリザベスには、
「皇太女エリザベスの巧みな指揮と深き智謀、そして何より類稀な勇気を称え、そなたに栄光ある女人ーーグロリアーナの称号を与える!」
と、新たな称号を与えた。その瞬間、会場が歓声に包まれる。千に満たない寡兵で万の軍勢と対等に渡り合ったその手腕は高く評価され、エリザベスが次代の皇帝であることに表立って異を唱える者はいなくなった。そしてこのグロリアーナの称号は、以後の帝国女帝に代々受け継がれる由緒ある称号となる。




