4-7 本格準備
ーーーオリオンーーー
「兵士が足りない?」
領地に戻って軍の動員令を発した矢先、シルヴィから兵士が足りないとの報告を受けた。エリザベスを抱いて遊んでいた俺は訝しげな声を上げる。
「それがーー」
彼女によると、もし戦争になってもいいように、武官長としての権限で動員をかけたそうだ。かくして緊急の徴兵検査が行われたがーーそれに適合する者が少なく、当初計画の一五〇〇から千ほどに落ち込んでいるらしい。
「なるほど……」
「それにこれ以上新兵を受け入れるのは無理だ、との声が現場から上がっています」
「やはり急な増員はできないか……」
とはいえ戦争は確定事項だ。ならば戦力はできるだけ多く用意したい。現在千名の兵士がいるとはいえ、そのすべてを戦場に連れて行けるわけではない。領地の治安維持のため、最低でも百は残しておく必要がある。
「申し訳ございません! 責任は私にあります!」
これからどうやって戦力を確保しようかと悩んでいると、シルヴィが己の不手際だと謝罪してきた。どうやら勘違いをさせてしまったようだ。
「いや、お前に責任はない。むしろよくやってくれた。先に動員令を発していなければ、この問題が発覚するのは数日後になるからな」
早めに対策を検討できることから、戦力の低下は最低限で済む。彼女の働きを褒めこそすれ、責めることはできない。というか、責める要素がない。
「主様」
ここで横に控えていたエキドナが声を発した。
「どうした?」
「里のドラゴンたちを呼び寄せるのはいかがでしょう?」
「なるほど。その手があったか」
里のドラゴンたちはなぜか突然俺を慕っている。彼らなら喜んで協力してくれるだろう。……費用は相手持ちだし。ただ、
「目立たないか?」
「大丈夫です。どうせ辺境の地のこと。誰も気にしないでしょう」
俺の懸念をエキドナはバッサリ斬って捨てた。
「それと、念には念を入れて味方を増やしましょう」
「これ以上兵士は増やせないし、ドラゴンたちも呼んだ。王都からは精鋭の騎士団がやってくる。どこに味方がいるんだ?」
「主様。わたくし、この街への途上で申し上げました。森にはドラゴンがいる、と」
あ、すっかり忘れていた。
「彼は飛べないために差別を受け、妻とともに里を退去いたしました。しかし今もなお、里を想い、ゆえに里にほど近いここの森で過ごしていたのです」
「話せるのか?」
「もちろんです。既に話は通しております。ただ、一度は主様のお顔を拝見したいとのことでした」
「なら今すぐに行こう」
戦力は多くて困ることはないしな。
「いってらっしゃいませ」
「エキドナはこないのか?」
初対面なのに顔つなぎ役がいないのは困るんだが。
「ご安心ください。今回の案内役はわたくしではなくフィオナさんに任せますので」
「フィオナに?」
なぜそこで彼女が出てくるのか。まさかドラゴンを信仰しているから会わせてあげたいなどということではないはずだ。
「はい。彼女は森に棲まうドラゴンーーブリトラに育てられたのです」
は?
ーーーーーー
「森に入るのは久しぶりですね」
俺はフィオナを案内役として森に入った。
「信者たちは森に入らなかったのか?」
「私たちはドラゴンの棲まう山々を神聖視していて、麓の森も一部がその聖域に含まれています。そこにブリトラ様がいらっしゃるのです」
「なるほど。そうなるように誘導したのか」
「はい」
フィオナは政治家としてとても優秀だ。彼女にはカチンの街の施政を任せているが、滞りなく治めている。上司であるイアンさんも褒めていた。できれば部下に欲しいが、彼女は宗教団体に対する重石でもあるから簡単には動かせない。実現するにしてももう少し経ってからだな。
「しかしすまないな。俺のことでこうして駆り出すことになって」
「いえ。私もそろそろブリトラ様にご挨拶しようと思っていましたから。できればご領主様も一緒に」
「どうして俺と一緒なんだ?」
「それは……その、私の旦那様ですって紹介するために」
顔を赤くして蚊の鳴くような声で理由を話すフィオナ。その姿がとても可愛らしかった。彼女からすると、今回の訪問は彼氏を連れて親に結婚の報告をしに行くような気分なのだろう。テンプレに従うなら、俺はブリトラに『娘さんをください』と言わなければならないな。んで、ブリトラは『お前のような奴に娘はやらん!』と言って決闘を始めるわけだ。
突然だが、言霊という概念をご存知だろうか。言葉には魂が宿り作用するという、科学が発達していた時代に生きていた俺にとっては眉唾な話だ。しかし今回ばかりは信じることができる。半ば冗談でドラマにありがちな『娘さんをください』のシーンを思い浮かべていると、現実になってしまったかもしれない。
左右から微かな気配を感じる。相手の出方を待っていると、急に気配が膨れ上がった。これはーー殺気! 次の瞬間、一斉に飛びかかってきた魔物を打ち払う。一瞬見えた敵は恐竜のラプトルに似ていた。
「なんだこいつらは!?」
「ご領主様! この子たちはブリトラ様の眷属です! 殺さないでください!」
「んな無茶な」
ラプトルたちは殺す気満々で襲ってくるのだ。それを殺すなというのは難しい。戦いで手を抜くなどありえないのだ。しかもラプトルたちは連携が上手い。殺すなという制限をつけられると対応するのが精一杯になってしまう。仕方ないのでここは逃げることにした。ブリトラと思われる気配は掴んでいる。問題はない。逃走補助のために右手にある物を召喚する。
「フィオナ! 目を瞑って耳を塞げ!」
俺自身は耳栓にゴーグルを着用して準備万端。左手でピンを抜き、頭上に投擲した。直後、周囲を猛烈な光と爆音が発生する。俺が投げたのは閃光炸裂手榴弾だ。光と音で感覚を一時的に失わせ、敵を鎮圧するのに用いられる。これによりラプトルたちが怯んだ隙を突き、フィオナを連れて逃走した。
それからも断続的にラプトルの襲撃を受けるも逃げに徹した。そして森に入ってから感じていた大きな気配がある場所へとたどり着く。そこには巨大な恐竜が鎮座していた。瞳がジロリと俺たちを睨む。
「……フィオナではないか。久しいな。そして横の者は?」
「お久しぶりです、ブリトラ様。こちらはオリオン様です」
「はじめまして。フィラノ王国国王よりこのカチンの地を賜ったオリオン・ブルーブリッジ侯爵です」
「オリオンーーエキドナ様が話しておられたこの地の領主か」
「はい。そのことはエキドナから聞いております」
「竜王ファフニールより認められた御仁が、わざわざこのはぐれドラゴンのもとに足を運んでくださるとは光栄の極み」
「そのわりには嬉々として攻撃されていたようですが?」
すっとぼけているブリトラに毒を混ぜた言葉をかける。
「あなたはエキドナ様のみならずフィオナの夫でもあると聞いている。血はつながらぬが、娘も同然の存在を妻とした男がどれほどのものか確かめたいと思うのは不自然かな?」
「いや、そんなことはない」
なかなかに面の皮が厚いドラゴンだ。
「用件は聞いている。我々は里を追われたとはいえドラゴンの一族。竜王様がお認めになっている方への協力は惜しみませぬ。喜んで我が配下をお貸ししよう」
ブリトラのもとへたどり着くまでの行程は長かったが、それからの話は早かった。出発時にエキドナを使者にすれば、今回襲ってきたラプトルたちを五〇〇ほど貸してくれるという。俺はその返礼としてソフィーナに用意させた肉や酒を進呈した。ブリトラは野生の動物よりも人間が飼育する動物の肉の方が美味いのだ、と喜んでいた。酒に関しても彼らの大好物である。
そして別れ際、ブリトラはフィオナに優しく語りかけていた。
「フィオナ。そなたは幸せか?」
「はい! お友達がたくさんできて、夢にまで見た理想の旦那様とも出会うことができました。これもすべてブリトラ様のおかげです」
「そうか。我のもとを離れると言い出したときにはまだ幼かったが、随分と立派になったものだ。あの日、泣き腫らしながら別れを切り出した娘と同一人物とは思えんな」
「ブリトラ様! そんな恥ずかしいことを言わないでください!」
「はっはっは」
フィオナが抗議するが、ブリトラはどこ吹く風とばかりに呵々大笑している。フィオナはいじられキャラだったようだ。この光景を信者たちが見たらどう思うだろうか?
「達者でな」
「ブリトラ様こそ、お達者で」
そういって俺たちは別れた。
ーーーーーー
かくしてドラゴンという強大な戦力の参戦を取りつけた俺たちは、再びクレア嬢たちと向かい合っていた。今回は互いにドッキリなし。俺とクレア嬢が上座で向かい合っている。
「まとまりましたか?」
「はい。条件をお伝えします」
そう言って彼女が提示した条件は、驚くべきことにただひとつだった。
「わたしがブルーブリッジ侯爵の妻となります」
「……それがどういう意味かわかっているのですか?」
「はい。パース氏族はブルーブリッジ侯爵家に吸収されるということです」
「それでいいのですか?」
クレア嬢が俺の妻になるということは、パース氏族の嫡流が断絶するということだ。家だけだはなく領地もまた、ブルーブリッジ領に吸収される。これほど重大な決断を、たった一週間で下すとは。
「はい。色々と考えましたが、わたしたちには戦費を返済する手段がありません。ですが、生まれ育った土地を簡単に諦めることもできませんでした。なので戦費の代わりにこの身と愛するパースの土地を捧げます。ですからどうからパースの地を取り戻してください。そして厚かましいようですが、パースの家名を残し、わたしが余生を島で過ごすことをお許しください」
それは心からの請願だった。彼女がいかにパースの地を愛しているのかがわかる。そのために自分を差し出したのだから。これに応えないわけにはいかない。
「承知した。その条件を呑もう」
「っ! ありがとうございます」
クレア嬢は深々と頭を下げた。だが俺たちは契約者なのだ。感謝を示す方法としては間違っている。
俺は頭を下げているクレア嬢に見えるように手を差し出した。
「これは……?」
「あなたがたは今より我々の同盟者だ。その確認のための握手だよ」
俺がそう言うと、クレア嬢はすぐさま俺の手を握った。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
準備は整った。ーーさて、戦争を始めよう。




