3-8 竜王ファフニール
ーーーオリオンーーー
「え……?」
普段ならまず聞くことはない、シルヴィの間の抜けた声。そりゃ、最強の存在が攻撃することもなく、人に向かって頭を下げたのだから当然だ。だが俺はこうなることを予測していた。というのも、俺の魔法はドラゴンを殺さない程度に痛めつけるように設定していた。死の危険を感じた動物が逃げないーーその行動の意味を考えたとき、こちらと対話しようとしているのだろうと考えた。ドラゴンは最強であると同時に、高い知能を持っている。対話ができる相手なのだ。
「はじめまして。俺はフィラノ王国のオリオン・ブルーブリッジ伯爵。あなたは?」
『我は竜王ファフニール。ブルーブリッジとは聞かぬ名だ』
「ついこの前できたばかりですからね」
『なるほど。通りで知らぬわけだ』
ドラゴンは厳しい声で呵々と笑う。
「ところで本日はどのようなご用件で?」
『我らの領域たる山が侵されたため、その報復にきたのよ。だがまさか、軽くのされるとは思わなんだ』
「領域?」
『左様。そなたらの都より北の山は我らドラゴンの領域よ。我らはそなたらの国に危害を加えぬ代わりに、そなたらは我らに都の北にそびえる山々を与える。そのように取り決めたはずなのだがな』
そう言われても、そんな約束は聞いていない。そもそも、北の山脈を目標にしたのは騎士たちの提案だ。王国を守護する彼らが、ドラゴンを刺激するような愚を犯すとは思えない。
いや。まずは確認が先だ。
「シルヴィ。騎士や王様に今の話を伝えてきてくれ。知らないようなら調べるように」
「はい!」
俺の指示を受け、シルヴィは騎士たちのもとへ走っていった。そして再びドラゴンーーいや、ファフニールと対峙する。
「それで。他にも何かあるのでは?」
『察しがいいな』
「不自然なので」
『不自然?』
「普通、領域を侵された報復ごときでドラゴンの王が出てきますか? それに撃退されて、その場に留まっていることもおかしい。普通なら命の危険を感じて逃げるはずだ」
『ふふっ、ははは。そなたは強いだけでなく賢いな。我がこの場に留まっただけでそこまで言い当てるか』
ファフニールは心底愉快だといわんばかりに笑う。
『たしかに。そなたの言うことはもっともだ。よかろう。話してやる。まず我が出てきた理由だが、そなたの魔法は我らの防御を容易く破る。それは山々を崩した魔法を見れば明らかだ。あれはかつて、数少ない超越者が使った魔法。超越者の真似事に終始した人間どもの魔法とは一線を画すものだ。いかにドラゴンといえど、防ぎきれるものではない。それを理解したものは行くのを拒んだ。そこで王たる我が自ら出てきたというわけだ』
「それならなぜ単身敵地へと乗り込んできたのですか?」
『それは二つ目の理由になる。我はそなたと一対一で話したかったのだ。ゆえに他のものの同行は拒んだ。少し勝負していればそなたと二人になれると思っていたが、ああも一方的にやられるとはな』
なるほど。だから逃げなかったのか。そして領域を侵されたことを伝えるのも目的だが、本当は俺と話すことにあったと。
「それで、わたしと話すことで何をしようと?」
『うむ。我々ドラゴンにはある風習がある。互いの意見が対立した際には戦って、どちらが正しいかを決める』
それはまた、えらく原始的な。
『今回、我は負けた。ゆえにそなたの意見を通すことにする。それを伝えにきた。あとはこちらからの要請だな』
「約束を破ったのはこちらなんですけど?」
『それを正そうとした我が負けたのだ。つまり、ドラゴンの風習では我々は正しくないことになる』
「わかりました。王にはそう伝えておきます。それで、要請とは何でしょう?」
『そなたの力は強力だ。我々ドラゴンを上回るほどにな。だから我らはそなたと個別に不可侵の約定を交わしたい。無論、相応の見返りは贈るつもりだ』
「……わたしは国に属しているのです。国がした約束は守るつもりですが?」
『そうであろう。でなくては、そなたが伯爵という地位に甘んじていることに説明がつかん』
「それはどういう意味で?」
『その気になれば、この国を簒奪することもーーつまり、そなたが王になることなど容易いということだ』
ファフニールの言葉を聞いた瞬間、俺は周囲を見渡した。自分ではない他人が口にしたこととはいえ、今の言葉は国に対する敵対行為ーー反乱を画策していたと取られかねないからだ。王様が信じるとは思わないが、間違いなく暴発する輩は出てくる。余計な騒乱の火種を作りたくはなかった。
『そう警戒せんでも、周りに人がいないことはわかっておる。話を戻すが、我がそなたに約定を求めるは、国がなくなったときのためだ』
また縁起でもないことを……。このドラゴンは俺を貶めたいのか? しかし言わんとしていることはわかる。自らの領域を守ろうとするなら、それは確実な手だ。ただ、
「見返りは?」
この一点で俺はまだ承諾できない。ただ『お互い攻撃しないことを、わたしとドラゴンとの間で約束しました』と報告したとしよう。するとこの話を聞いた誰かが必ずこう言う。『国が約束しているのに、あなたがたの間で改めて約束する意味は何だ』と。まさか国が滅びた際のドラゴンの保険です、と言うわけにはいかない。俺の力を恐れたドラゴンが保険をかけた、と言っても、その裏に国の命令は聞かないという意味があるのではないかと邪推する奴も出てくるはずだ。
以上の観点から、この約定を個人で締結することは俺の一方的な不利益にしかならない。であるならば、ドラゴンはこの不利益を補填できるだけの利益をこちらに与える必要があるのだ。だから俺はその利益とは何かを問うている。
ファフニールはしばし悩み、
『有事には我らが力を貸すというのはどうだ?』
「却下」
ドラゴンが味方をしてくれるのは魅力的だが、そんなことをすれば反乱を疑われる。
俺は躊躇なく提案を蹴った。
『ならば娘を差し出そう』
「人質ですか? それなら王国にお願いします」
いち伯爵が王様からの命令でならともかく、個人的に人質をもらうのはそれこそ何様だということになる。基本的に外交関係は国王が統括する。ファフニールからの提案はそれを明らかに逸脱していた。
『人質であることに間違いはないが、人質ではない』
「……言葉遊びなら他所でどうぞ」
『言葉遊びではない。人質なら問題にはなるが、馬ならば問題あるまい?』
「娘さんは馬なので?」
『たわけ! あやつほど愛い存在はこの世におらぬ! 正真正銘ドラゴンじゃ!』
大声で反論するファフニール。先ほどまでの落ち着きや威厳はどこへやら。完璧な親バカドラゴンがそこにいた。
『本来なら他所にやるなど以ての外だが、そなたの下なら安心して送りだせる。ちとじゃじゃ馬なのが玉に瑕だがの』
おっと。これは体のいい厄介払いっぽいぞ。
『それはともかく、他所の貴族が駿馬を手に入れたからといって、羨みこそすれ問題にする者はおるまい。ならばその駿馬がちとドラゴンに似た姿形でもな』
「そんな無理矢理な」
詭弁もいいところだ。馬の代わりにドラゴンに乗る伯爵ーー王様以上に目立っている。貴族たちが目の敵にするのはもちろん、王様もさすがに許容しないだろう。
『王都に迫ったドラゴンが竜王の娘で、そなたはそれを退治した。娘はドラゴンの領域へと逃げ帰り、事の顛末を父親の我に知らせる。我は王都に使者を送り、迷惑をかけたことを謝罪する。そして迷惑料に国王には財物を、そなたには騎竜として娘を差し出す。こんなところであろう』
「それだと、この場にいない娘さんが悪いことになるんですが?」
『そ、それはだな。我にもイメージというものがあるのだ。竜王である我が、人に負けたというのはマズいのだ。だから王都へ向かったのは我ではなく娘ということにする』
「それで娘さんは納得するのですか? さっきはじゃじゃ馬と言っていましたが……」
『問題ない。娘の婿は我を負かす強者だけだと、娘も言っておったからな』
ファフニールは娘に責任を押しつけることに決めると、俺に王様へ話を通しておくように言いつけて領域へと飛び立っていった。話している間に回復したらしい。個人的には逃げただけだと思うのだが……。
ファフニールに逃げられたため、王様に彼の和解案を話してみた。さすがに断られるだろうと思ったし、貴族はドラゴンは王様に服従の証を贈るべきだと主張した。俺もそう思う。しかし王様はドラゴンが言ってきたことだからと受諾する意向を示し、約定を破った迷惑料と返礼に食料(肉)を用意するように指示したのだった。
納得いかねぇ。
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