2ー12 猫の手プリーズ
ーーーオリオンーーー
最後の最後に痛い目を見たが、ともかく課題をひとつ片づけた。これで少しは楽になるーーそう思っていた時期がありました。しかし物事の終わりは始まりにすぎない。俺はそのことを身を以って体験した。
寝不足ーーというかお姫様の愚痴につき合わされてまったく寝ていないせいでダルい体を叱咤して店に向かう。今日乗り切れば夜は休めるーーそんな希望を胸に。
「店長おはよーー大丈夫ですか?」
開店準備をしていた店員のひとりが俺を見るなり挨拶を中断して体調を訊ねてきた。どうやら相当疲れた顔をしているらしい。俺は大丈夫だと答えて店員を作業に戻す。今くらい元気を出さねば。俺は店長なのだから。部下に心配されるとは情けない。背筋を伸ばし、凛とした表情で。どんなに忙しくとも、仕事のときはシャキッとしなければ。
「おはようございます」
「おはよう」
と、そこへシルヴィとソフィーナが連れだってやってくる。
「おはよう、二人とも」
彼女たちに爽やかな挨拶をする。朝の静謐な空気に勝るとも劣らない清々しさで。
「おはようございます、オリオン様。お身体は大丈夫ですか?」
「昨日、王女様からお兄ちゃんが体調不良だから離宮に泊まるって使者がきたときには驚いたよ。シルヴィなんか慌てて家を飛び出そうとしたし」
「それは言わないでください、ってお願いしたじゃないですか! なんで言っちゃうんですか」
シルヴィが狼狽える。恥ずかしかったのだろうが、そんな風に身を案じてくれていたのは純粋に嬉しかった。俺は彼女の頭を撫でつつ、
「ありがとう」
と感謝の言葉を贈った。
「はぅ」
ほにゃ、と表情を緩めるシルヴィ。とても幸せそうだ。
「むう……お兄ちゃん。わたしも心配したんだよ」
「さいですか」
「だからわたしのことも撫でて!」
「嫌だ」
「むぅう」
ソフィーナはぶーたれる。たしかに心配してくれたことは嬉しい。だがシルヴィとの約束を破ったから罰として頭は撫でない。
「ほら。そんなことよりも仕事だ仕事」
そう言って俺は『営業中』の札を店先に掲げるために店を出る。頬を緩めていたシルヴィはその言葉に表情を引き締めーーそれでもまだ少し緩んでいるーー、頭を撫でてもらえなかったソフィーナも、渋々自分たちの仕事に取りかかった。
ーーーーーー
店を出た俺は呆然とした。店の前には既に人が並んでいたからだ。四、五人ならこれまでも同じようなことはあった。しかし今日はその比ではない数十ーーともすると百をも超える人が並んでいたのだ。なんじゃこりゃ。最近は入居ラッシュもひと段落しているのに。この列の長さーー開店した日以来じゃないか? しかも今までの客との違いは身なりがいいことだ。貴族の従者だろうか? どうしてここにきたんだろう。不思議に思っていると、先頭の人と目がばっちり合う。
「どうも」
「失礼ですが、ゲイスブルク卿でしょうか?」
「そうですが?」
「自分はボークラーク家の者です」
ああ。オーレリアさんの実家ね。何の用だ?
「実はオーレリアお嬢様の別荘の建築を依頼しに参りました。お嬢様が王女殿下の行啓に随行された際に卿が建築された離宮をご覧になられました」
それは知ってる。だって案内したのは俺だし。
「その際、お嬢様は離宮を大変気に入られたようでして。その夜、旦那様に『自分も別荘が欲しい』と珍しくおねだりになられたのです。旦那様はお抱えの設計士に依頼しましたが、お嬢様が『オリオン不動産がいい』と強硬に主張されました。旦那様は渋っておられたのですが、昨日の落成式にて離宮をご覧になり、こちらに依頼することを即決なさいました」
それで朝一にここへきたのね。ご苦労様。でもうちは基本的にそういうことはやってないんで。こういうのはすぐさま断るに限る。
「うちはーー」
「ゲイスブルク卿! 是非キャンベル家の別荘も建てていただきたい!」
「ウェズリー家は別荘ではなく屋敷の改築をする予定でーー」
「なんの。公家であるマクレーン家が先だ!」
「歴史の浅いマクレーン家が何を言う。そんな家よりも最古の公家であるウォルトン家のーー」
列を崩して従者たちが俺に矢継ぎ早に要望を告げる。聖徳太子じゃあるまいし全部聞けるか! というかそもそも建設業はやってないんだ! 桜離宮は特別! 王族のお願い(=命令)だからやったの! ーーそんな俺の心の声を他所に、俺は従者たちに揉みくちゃにされた。声が大きいのは伯爵以上の上級貴族。それ以下は声は小さくてもしっかり人垣に参加していた。なんでこんなことに……。
俺が困惑していると、大通りを一台の馬車が通っているのが見えた。こっちは修羅場なのになんて呑気な、と我ながら理不尽な怒りを覚えた。恨みがましく見ているとその馬車が店の前で止まった。よし、一発殴ってやる。そうでもしないと気が済まない。俺は密かに拳を握りしめた。今なら人生最高の右ストレートが放てる気がする。黄金の右を喰らいやがれ! サンドバッグーーもとい、馬車から降りてくる人物を今や遅しと待つ。
「おはようございます、ゲイスブルク卿」
「ブルーノさん。おはようございます」
降りてきたのはドーン商会のブルーノさん。俺が不動産業を始める際に物件を提供してくれた人で、今も割安で物件を売ってもらっている。彼に足を向けては寝られない。そんな人に拳を見舞うわけにもいかず、すぐさま手から力を抜く。
「繁盛していますねぇ」
「これもブルーノさんが最初に物件を世話してくださったおかげです」
「卿の実力ですよ。私のしたことなど、微々たるものにすぎません」
謙遜しているが、うちが格安で物件を提供できているのはブルーノさんが未だに開業初期と同じ値段で物件を提供してくれるからだ。俺は初期を除いて組織運営にはタッチしていないーーほぼソフィーナに任せているーーので、これは人づてに聞いた話だが、本当に感謝している。どうもソフィーナは無茶な要求を連発してブルーノさんを困らせているらしいが……うちの義妹がご迷惑をおかけしています。どうかお体には気をつけて。
俺たちが店先で挨拶合戦をしていると、店内に戻ってくるのが遅いことを訝しがったソフィーナが出てきた。ソフィーナはブルーノさんを見つけるや、
「あ、ブルーノさん。いらっしゃい」
「おはようございます、ソフィーナ嬢。本日は面会の申し出を受けていただきありがとうございます。昨晩遅くに連絡した非礼をお許しください」
「気にしないでください。お世話になっているブルーノさんの申し出を断るはずがないじゃないですか」
「そう言っていただけると幸いです」
ちなみにこれも人づてなのだが、ソフィーナは店の実質的な支配人として認識されており、面会希望者が殺到しているという。相手は貴族や商人、豪農など。アウトローな人もいるとかいないとか。そんなわけでソフィーナに普通にアポを取れば面会日は数週間先になる。であるのにブルーノさんはお世話になっているからと即刻面会に応じたというわけだ。ーーわかっているじゃないか、義妹よ。俺もそうする。
「ところで今日はどうしたんですか?」
今までブルーノさんが店に来ることはなかった。だいたいは店員の誰かが使者になっていたはずなのに……。不思議に思った俺は直接訊ねてみた。するとブルーノさんはバツの悪そうな顔で答えてくれる。
「実は息子の婚約者が決まりまして」
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。それで私の家もかなり古くなっているので、息子たちには新しい屋敷で暮らしてもらおうと思っているんです」
おや、そこはかとなく嫌な気配が。
「ついてはゲイスブルク卿にお願いしようとまかりこしました。王女殿下の離宮を設計された卿ならば息子たちも満足してくれるはずです」
ブルーノさん、あなたもそのクチですか!
「私も婚姻の誼みで昨日の落成式に出席しておりましたが、あれは凄いですねーー」
それからブルーノさんは桜離宮の素晴らしさを熱弁した。……そこまで言われたら引き受けるのもやぶさかではなくもないかもしれませんね。
「承りました」
なんて渋っていたら横のソフィーナがあっさりと引き受けてしまった。まあ別にいいんだけどね。あ、詳しい契約内容は店の中で決めるの? うん。いいよ。いいんだけどね。
ーーこの発言を聞いた貴族の従者たちが色めき立つ。よくある『あいつがいいなら自分もいい』という論法で、ブルーノさんが屋敷を建ててもらえるなら自分たちもいいよねと考えたのだ。
チッチッチ。お茶会で親しくしてもらっている家ならともかく、見ず知らずの貴族の屋敷を建てるほど暇じゃないのだよ、俺は。そう、暇じゃない。このあとも仕事が大量になるんだ……。こなせるのかな? 最近心配になってきた。だがまさか『嫌だ』とだけ言っておしまいにするわけにはいかない。外見はともかく中身は現代人の俺にとって、貴族との威光なんてものは『なにそれおいしいの?』というレベルだ。しかし俺は既に貴族体制に組み込まれてしまっている以上、気を遣う必要はある。……よし、ここは『一見さんお断り』でいこう。屋敷を建ててほしいなら王様かお姫様たちに紹介状を書いてもらってこい! ただしほとんどは数ヶ月先になるだろうけどな! 貴族としての権威を振りかざして威張り散らす奴は帰れ! 俺が心の中でシッシッ、と群がる従者たちを追い払っていると、タイミングよくシルヴィが警備員を連れて現れた。よし。先の条件に納得して帰れ。さもなくば強制執行に移る!
「お待たせしました、ソフィーナ様」
「あら、早かったわね。じゃあお願い」
「「「はっ!」」」
ソフィーナの指示で始まったのはーー列の整理。あれ?
「ソフィーナ。これはーー」
「稼ぎ時にはしっかり稼ぐ。いい? お兄ちゃん」
「ハイ」
完璧なブラック経営者スマイルを浮かべる義妹様に、俺はただ頷くことしかできず、ここに更なるハードスケジュールが組まれることが確定した。
とりあえず、猫の手プリーズ!
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