閑話 シルヴィアの思い出
翌零時に二章九話『プリンセスオーダー』を投稿します。こちらもどうぞご覧ください。
ーーーシルヴィアーーー
私は小さな村に生まれました。小麦と野菜を作り、近くの山から獲れる獣の肉や川から獲れる魚を食べるーーそんな生活を送る、これといった特産品もない貧しい村です。お父様は騎士でした。隣国との戦争で味方を苦しめていた敵の部隊長を討ち取り、その功で領地持ちの騎士となったのです。お母様は地元の豪農の娘でした。明らかな政略結婚ですが、二人の仲は良好でした。私を含めて二男ニ女を儲け、領地の経営も順調。家族六人で楽しく暮らしていました。
しかしある日、近くの領地で反乱が起こりました。お父様は国の命令で領地から兵士(百人)を集めて出陣されました。
『お父様、頑張って!』
『敵をいっぱい倒して早く帰ってくるからな』
お父様は笑って征かれました。そしてーーー二度と帰ってこられませんでした。国から戦死を報せる文書が送られてきました。遺品はお父様がいつも大切にされていた剣だけです。お父様が戦死されたことで、私たちは領地を没収されることになりました。騎士は一代限りの身分。相続を認められる場合もありますが、後継者が成人して武功を立てている必要があります。ですが私は五歳、弟は双子で四歳、妹は三歳です。武功なんてあるわけがありません。結局私たちはお母様とともにしばらく領内の村々を転々とすることになりました。そのうちお母様も病気になって亡くなってしまいます。私たち姉弟はお母様の親戚に引き取られました。まだ幼くできることに限りはありましたが、それでもお手伝いを一生懸命頑張りました。ーーところがある日。就寝後、少し催して厠へ行った帰りに親戚のおじさんが村の村長や有力者さんたちと話している内容を聞いてしまいました。弟たちは親戚と村長の娘とそれぞれ結婚させて村に残し、私と妹はもうじきやってくる奴隷商人に売るというのです。これを聞いた瞬間、私は逃げることにしました。もちろん妹も連れて。まだ陽が沈んで少ししか経っていませんし、好都合です。私は簡単な荷作りをして、妹を起こして逃げました。街道を使い、陽が昇ってくると森に入って逃げます。目的地はありません。ともかく遠くへ。それだけしか考えていませんでした。幸い魔物に出くわさずに進むこと三日。持ってきた食糧は尽き、また疲労でフラフラになっていました。それでも進みます。でももう身体は限界と訴えていました。逃げなければーーその意思だけで動いていた身体もやがて止まってしまいます。妹ももう限界でした。私たちは倒れ、このまま死んでいくのだと思いました。悔いはありません。これでお父様やお母様のところへ行けるのですから。残る弟たちが心配ですが、そう酷い扱いはされないでしょう。意識が失くなる寸前に浮遊感がありました。これが天に昇るということなのでしょう……。
ーーーーーー
私は死んでいませんでした。助かったことが嬉しくもあり悲しくもあります。嬉しかったことーーそれは生きていられることです。悲しかったことーーそれは私の首についていた首輪でした。これは奴隷の証。行き倒れているうちに、私は奴隷商人に捕まってしまったようです。隣には妹のイヴもいます。イヴにも首輪が……。私たちは結局奴隷になってしまいました。これなら死んだ方がマシでした。お父様たちにお会いできたのですから。これから先、どうなるのかはわかりませんが、あまりいい未来が待っているとは思えません。奴隷にまつわる明るい話など滅多にないのですから。せめて生きていけるように。それがただひとつの願いです。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫よ。大丈夫」
もちろん、隣にいるイヴも一緒に。
ーーーーーー
その日から苦しい日々が始まりました。食事は朝夕の二回。内容は硬い黒パンと塩味がついただけのスープです。それに対して労働は食材の荷運び、配膳、皿洗い、洗濯ーーそれらを私とイヴ、その他五人くらいの同年代の子どもでやらなければなりません。かなり過酷な労働です。たまに奴隷の買いつけに来た人のところに行かなければならないのですが、だからといって仕事が減らされるわけではありません。与えられた仕事を期限内にこなせなければどんな理由ーー怪我や病気ーーがあったとしても罰が加えられます。私たちは女の子なので鞭打ちみたいな体に傷をつけるような罰はありませんが、代わりに食事を抜かれました。体が思い通りに動かず、とても大変でした。そんな生活が続けば病気にもなります。私は幸いどうにかなりましたが、幼いイヴには耐えられなかったようです。
「イヴ、大丈夫?」
「うん。それより早くお仕事しないと。またご飯がなくなっちゃう」
「私がやるから。イヴは休んでいて」
「そんな……」
「いいから。休んで」
「……」
私はイヴを寝かしつけてから仕事に向かいました。ひとり欠けていたので大変でしたが、なんとか遅れも失敗もなくやりきります。食事を受け取って帰ってくると、
「おら! 仕事をサボってんじゃねえよ!」
「きゃっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「『ごめんなさい』じゃねえよ。寝てばっかりいるんじゃなくてさっさと起きて仕事しろ!」
イヴが少し年上の男の子(奴隷)たちに水をかけられて蹴られていました。
「何をしているの!」
「あっ、姉貴が出てきた」
「サボり魔の姉貴だ」
「やーい。働きアリ」
ケラケラとこちらを指差して嘲笑する。誰が働きアリですか! いえ、それよりも。
「イヴをいじめるのは止めなさい!」
「いじめだなんて人聞きの悪い。俺たちは立派な働きアリの姉貴を見習うよう、怠け者の妹に教育してたんだよ」
「水を浴びせて蹴りを入れ、罵詈雑言を並べ立てることのどこが教育なの!?」
「わー、姉貴が怒った」
「逃げろ〜」
「こらっ。待ちなさいッ!」
私は彼らを追いかけようとしましたが、
「止めて、お姉ちゃん」
イヴに止められました。
「イヴ?」
「イヴが悪いの。お仕事をお姉ちゃんにまかせて寝ていたイヴが悪いの」
「そんなことないわ。イヴは悪くない」
「ううん。イヴが悪いの。だから明日からはちゃんとお仕事するから」
イヴは男の子たちに自分は悪い、とすっかり思い込まされているようでした。私がいくら言っても聞き入れてくれません。仕方なく次の日からは仕事に連れて行ったのですが、病気だったうえに冷水をかけられた幼い子が無事でいられるはずもなく……。日を重ねるごとに衰弱していきました。そして数日後、イヴは遂に立つことさえもままならなくなりました。すっかり痩せ細ってしまい、元気だったかつてのイヴの姿はどこにもありません。
「お姉……ちゃん……」
「イヴ。ゆっくり休んでね。すぐに元気になるから……」
「うん……」
翌朝。私がご飯をもらってきてもイヴはまだ寝ていました。
「イヴ、起きて。朝だよ」
「……」
「イヴ?」
呼んでも、体を揺すっても、イヴはまったく反応しません。
「イヴ!? イヴ! ねえ、起きて、イヴ!」
しかしいくら呼んでも、イヴは二度と目を覚ますことはありませんでした。そしてーーその日、私の人生も終わりました。




