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異世界最強の自宅警備員  作者: 親交の日
第十章 終活
138/140

10-10 新帝

 



 ーーーオリオンーーー



 ーー最近、何か大切なことを忘れている気がする。


 そう思ったのは、華帝国の大使の交代に際して行われたパーティーの席上でのことだった。

 戦争から二年。華帝国はすっかり様変わりしていた。最も大きな変化といえば、何よりも君主が変わったことだろう。戦後、皇帝を含む皇族は老若男女問わず捕らえられ、モルゴが連れ去った。それが講和の条件だったらしい。

 情報によると、男性皇族はドウンフアンで幽閉され、無為な日々を送っているらしい。女性皇族は一部がモルゴ人の妾とされ、残りは全員、貴族向けの娼館で娼婦にされているという。まるで前金の洗衣院だ。個人的にはどうかと思うが、この時代に他国の政治にあれこれ口出しすることはできない。そのため黙認していた。

 こうした君主不在という事態を打開するため、華帝国では新たな皇帝を立てることとなった。皇女を生母に持つ貴族が本命と見られていたが、そこにダークホースが現れる。それがチャン・ボンヒョンだった。

 彼はモルゴとの交渉で同年代の皇女数人を妻や妾とし、皇帝を自称する。そしてモルゴの協力を得て敵対勢力を淘汰。都を東北部の最大都市シンチンと定め、その地で正式に皇帝に即位した。

 ボンヒョンは北の異民族と対決しつつ、国内開発を行わなければならないという二律背反な課題に直面する。そこで軍事的にはモルゴの、内政的には俺たち竜帝国とイディアのバックアップを受けることとなった。明治時代の日本が、欧米列強を見習ったのと構図は同じだ。根強い反対派は、これまでの戦乱で軒並みその力を失っている。邪魔はほとんどなかった。

 とはいえ、三国同盟の実質的な盟主は俺たち竜帝国。外交における儀礼を体系化したのも俺たちであり、必然的に外交については竜帝国を見習うことになる。在外公館(大使館や領事館など)の設置と外交官の派遣もそのひとつだ。

 華帝国の大使は、初めての外交官ということで張り切っていた。竜帝国の貴族や官僚たちと積極的に交流して人脈を築き、その紹介を得て人材をお雇い外国人のような形で華帝国に雇っている。ノウハウを取り込もうと必死なのだ。その慰労を兼ねて、特別にパーティーを開いたのである。


「皇帝陛下。滞在中は様々な便宜を図っていただいた上に、このようなパーティーまで開いてくださり、感謝しております」


「何を言うか。朕は貴殿のひたむきな姿勢と熱意に少し助力しただけだ」


「しかし、陛下のおかげでかなりやりやすかったことは事実。重ねてお礼を申し上げます」


 感謝されるのはいいが、度が過ぎるとむず痒い。俺はこの話題を嫌って、話を転換することにした。


「ところで、大使は帰国してからどうするつもりなのかな?」


「はっ。帰国してからは隠居しようと考えています」


「隠居? まだまだ現役だろう?」


 大使はまだ四十代。人生五十年時代ゆえに引退の文字がチラつく年齢とはいえ、まだまだ現役のはずだ。さらに大使としての働きぶりから、その有能さが窺える。帰国すれば大臣になってもおかしくない人材だった。しかし、大使は首を振る。


「そうですが……息子も成人し、孫も産まれました。さらに官職も得て、わたしの役目は終わったのだな、と。そこで郷里に戻り、子どもたちにものを教えながら隠居することにしました」


「そうか……」


 何とも言えないが、惜しいことだと思う。しかしこれもまた時代の流れだと、俺は自分を納得させた。


「……隠居の身ならば自由に動けよう。子どもたちに勉強させるのもいいが、人間は死ぬまで学び続けるーーとも言う。たまには他の土地へ出かけるのもいいだろう」


 竜帝国を訪れることがあれば歓迎する、と伝えた。これを聞いた大使は破顔する。


「ありがたいお言葉。『人間は死ぬまで学び続ける』ですか。これまでのわたしなら信じなかったでしょうが、この国で過ごした日々は新たな知識を得るばかりで、だからこそ信じることができます」


 そのときは是非、と大使は笑っていた。

 そこまで思い出して、俺は忘れていたことに気づいた。そもそも、俺はこの異世界で何を求めていたのか。最近、それをすっかり忘れていた。


 悠々自適のニート生活


 それが、異世界で求めていたものだ。夏休みの宿題をなるべく早く終わらせる学生のように、苦労は先払いしたいと考えた。だから商会を作ってひと財産築こうとしたのである。将来設計としては、シルヴィと夫婦になってお金に関しては苦労しないように暮らす、程度に考えていた。

 しかし、アリスを助けたことがきっかけで貴族になったかと思えば、国の混乱もあってあれよあれよという間に地位を上げ、最終的には国家元首となってしまった。楽をするために官僚制度を整えたわけだが、他所の国がちょっかいを出してくるために戦争が起こり、忙しい日々を過ごすことになる。そして現在に至るわけだ。

 ……俺、楽できてないじゃん。人生の半分以上を忙しく過ごしてしまった。ニート生活など夢のまた夢である。


「いや、今からでも遅くはない……はず」


 特に根拠はない。だが、今の俺は国家元首。国の父なのである。しかし、公人であるとはいえ人権は最大限認められなければならないと思うのだ。両者のせめぎ合いが続く。ひとりでいくら悩んだところで結論は出ない気がして、俺は客観的な意見を求めることにした。

 そこでイアン、ソフィーナ、クレアの三人を呼んだ。三人を集めたのは、この国の現状について最もよく知っていると考えたからである。

 イアンは俺が即位してから宰相を務めており、この国について精通している。ソフィーナもやはり即位してから財務大臣を務めていた。傘下にある商会を操って商人ネットワークから情報を得ており、ことによってはイアンよりも深く知っているかもしれない。クレアは今は第一線を退いているものの、長く軍の中枢におり軍部については誰よりも詳しい。


「単刀直入に訊く。この国についてどう思う?」


 忌憚のない意見を聞きたい、ということで言葉を飾らずに訊ねた。その意図をイアンたちも察してくれたようだが、あまりにも唐突なことなので困惑を隠せないようだ。


「それはまた唐突ですね」


 イアンは苦笑する。彼にとっては、学園長の突然の思いつきならぬ、皇帝の突然の思いつきはいつものことなので、慣れた対応だった。


「急に何なのよ」


 一方のソフィーナは慣れてはいるものの、生来の性格から対応は辛辣である。クレアからのコメントは特になかった。


「陛下がお知りになりたいのは、この国の政治や経済、対外関係などですか?」


「いや、それらを含めた総合的な評価だ。……より簡潔にいえば、この国は安泰かどうかーー三人の評価を聞きたい」


 そう言った途端、イアンの顔から笑いが消えた。


「……それは何故です?」


 嘘は許さない、という彼の意思が伝わってきた。だが、俺も長く為政者をやっている。この程度でたじろぐことはなかった。真意を隠すことも容易い。


「この国を興してかなりの時が経った。これまではひたすら国の発展を願って様々な政策を行ってきたが、それが正しかったのかどうか、意見を聞きたいのだ」


 人々のためという立派なお題目を掲げる。為政者が人々のため、などと言うときは大抵、別の目的があったりするものだ。しかし、俺が特に民の生活について気にかけていることは周知の事実。だからこそ、この理由は信憑性が増す。イアンもそういうことなら、と自身の評価を話してくれた。


「皇帝陛下の統治は大変優れたものでしょう。国の課題として常にあるのが財政、国防、そして人心の掌握です。財政に関しては、小麦などといった価格が変動するものではなく、金という比較的価値が安定したものを税にして税収を安定させました。戦争による赤字国債も、前回の戦争で解消に成功しています」


 賠償が約定通りになされれば、以前よりも大きな黒字を確保できるでしょう、とイアンは言う。


「国防では、一兵卒に至るまでが国への忠誠心にあふれ、また高度な命令に従うことができます。比類なき経済力や工業力にも支えられた、世界最強の軍隊といえるでしょう。人心も皇帝陛下のことを慕っております。そうなっているのも、陛下が始めた教育によるものです。当初は教育を平民に施すなんて、と内心では思っておりましたが、このような効果があったのですね」


 感心しました、というイアン。正直なところ、そこまで深く考えていたわけではない。第一には平民に埋もれている人材の発掘。次に教育を通して自ら考える、その材料を提供することだ。将来的には彼ら(平民)が主たる政治の担い手になってほしい。


「イアンの評価はわかった。ソフィーナはどうだ?」


「わたしもほとんど同じね。お兄ちゃんの施策はほとんどすべて成功といっていいわ。まるで神様みたい」


「……大げさだな」


 あまりにも過大な評価に、俺は笑うしかなかった。神様ではないが、転生者ではあるーーそんな言葉が出かかったが、しかし寸前で呑み込む。


「謙遜しないで。本当に凄いんだから」


「ソフィーナみたいな優秀な人々がいてくれたからだよ」


「それでも、適切に起用していったのはお兄ちゃんだよ。女を政治に関わらせるなんて、これまで誰もしなかったんだから。それに、視野もとても広い。一号道路みたいな巨大な道路を整備するなんて、他のどの国でもやったことはないわ」


 ソフィーナは手放しに褒めてくれる。普段から他人に厳しい彼女にそう言われると、なんだかむず痒い。


「く、クレアはどうだ?」


 これ以上は耐えられそうになかったため、話の相手を変えることにした。最後のひとり、クレアだ。


「宰相も言っていたように、税を金銭で徴収するという方法は税収の安定化をもたらしています。特に税を土地に課すことで、脱税がほとんどできなくなりました。軍隊を指揮していると、治世が長くなるにつれてオリオン様への忠誠心が高かったように感じます。それは教育の成果でしょう。官吏登用試験は基本的に学校で習う内容が出されます。だからそれらを完璧に頭に入れておけば平民の子でも官僚にーーともすれば宰相になることもできるのです。軍隊も同様ですね」


 だから人々は挙って勉学に励み、それが優秀な人材の創出と国の発展につながる、とクレアは言う。


「クレタ島も、以前とは見違えるほどに発展しました。どの部族も、その大小問わず友好関係を築けているのはオリオン様のおかげです」


 オリオンによって統一されたクレタ島は、総督領という形で帝国に編入されていた。その下に設置されている郡は部族単位で区割りされている。以前は領域などをめぐって争いが絶えなかったのだが、今となっては総督府の下で平和的に解決がされるようになり、争いは滅多に起こらなくなっていた。これを指してクレアは『友好関係』といったのである。まあ、それも帝国がなくなった瞬間に崩れてしまうような儚いものだが。

 三人の話を総合すると、帝国の現状は極めて良好といえるだろう。念のために確認をとったが、躊躇いなく頷いた。


「ありがとう」


 話は終わり、という意味を込めて感謝を伝える。その意図は正しく理解され、三人はそれぞれ挨拶をして退室していった。


 ーーーーーー


 その日の夜。食後の時間を俺はアリスと過ごしていた。普段はぽわぽわとして雲のような彼女だが、伊達に王女はしていない。ときにこちらが驚くような鋭い指摘をすることがある。いうなれば“王女モード”とでもいうべきか。今回はそんな王女なアリスに相談しようとしたのだ。内容は、昼に三人にしたものだ。


「……アリス。お前はこの国はどうなったと思う?」


「急にどうかなされたのですか、オリオン様?」


「ルドルフ王から政治を任されてから、俺はかなり自由にやってきた。それがどうなのか……よくなったのか、悪くなったのか。王女として国を見てきたアリスに訊きたい、と思ってな」


「私にはわかりませんよ。オリオン様や皆さんと違って、私には見守ることしか出来ませんから」


 あはは、といささか自嘲気味に笑うアリス。しかし俺はーーいや、彼女と関わりのある全員が、彼女が自分で言うほど無能ではないことを知っている。

 たしかにアリスはソフィーナのように経済に明るいわけではなかった。ラナのような発明の天才でもなく、クレアのようなカリスマもない。だが、人に寄り添う力。人を支える力。それに関していえば、誰よりも優れている。母性とでも表現しようか。とにかくそういう包容力はずば抜けていた。だからこそ国母たる皇后に相応しいし、誰もがそれをわかっているからこそ、これまで一度たりとも廃后論が出たことはない。もちろん、俺だって考えたこともなかった。


「そう言わず、正直なところを語ってくれ」


 専ら皇宮のことを取り仕切って、政治からは一歩引いた位置にいるからこそ見えるものがあるのではないか。そう考えるからこそ、俺はアリスに治世の評価を求めるのだ。

 引き下がらない俺に、アリスは困ったような笑みを浮かべていた。俺はひたすらお願いを続ける。すると根負けしたのか、アリスは仕方ありませんね、と言いつつ了承してくれた。


「ですが、」


 なら早速ご意見頂戴、と思っているとアリスが待ったをかけた。


「それは明日、ある場所にお連れしてからにいたしましょう」


 そう言うや、アリスはスッと立ち上がりスタスタと部屋の外へと歩いていく。


「お、おい、どうした?」


 どこへ行くのか問う。すると彼女はくすくすと笑い、


「お出かけするのですから、明日のお仕事は後ろにズラさないといけません。それを言いにいくのですよ」


 と説明してくれる。言われてみればそうだ。それくらい自分でやるぞ、と言ったのだが、アリスは首を振る。


「これくらい、私にもできますよ。そんなことは私に任せて、オリオン様はご自分にしか出来ないことをやってください」


「……俺にしか出来ないこと?」


 何だろうか。よくわからない。


「……オリオン様。今日はカレンちゃんの順番ですよね?」


「あ、ああ!」


 そこまで言われて理解した。彼女は夜のことを言っていたのだと。たしかに夜の生活を取り仕切っているのは彼女であり、今日はカレンの順番であった。いつもなら、そろそろ寝室に現れてもいいような時間である。


「オリオン様は急いで湯浴みを。カレンちゃんが泣いちゃいますよ」


「わ、わかった!」


 去り際にありがとう、とだけ言って部屋を飛び出す。すっかり慌てていた俺は、


「まったく。たまに抜けているんですよね、オリオン様は。……でも、そういうところも好きです」


 という言葉を聞き逃していたのだった。

 翌朝。朝食を食べ、食後の休憩兼子どもたちとのスキンシップタイムを終えた俺は、アリスとともに帝都の街へと繰り出していた。周りには少数の護衛がいるが、逆にいえばそれだけである。もちろん遠くからも見守られているわけだが、それにしても少ない。普段はこの倍はいるものだ。そしてその分、人々との距離は近かった。

 今回の外出は、身分を隠したお忍びではない。だから特に変装や魔法による人相の変化はさせていなかった。


「いい天気ですね、オリオン様」


「ああ。そうだな」


 アリスは俺と腕を組み、笑う。心がほっこりする笑顔だ。

 皇帝と皇后としての外出とはいえ、城(特にパーティーや式典のとき)のような装飾過多な服は着ていない。街にいてもおかしくはないかな? というような良家の夫婦に似せている。だからシンプルながらも仕立てのよさで勝負していた。

 アリスの服装は、コットンリネンを使った白いワンピースにつばの広い白の帽子、やはり白の厚底サンダルだ。もちろんいずれも最高級品である。

 もう四十路を過ぎているアリス。しかしながらワンピースは肩出しの上にスカートは膝上。完全に若い娘がする格好なのだが、アリスの場合はまったく違和感がない。肩やスカートから覗く肌は瑞々しく、シミひとつない白磁のような肌だ。


「見て。皇后陛下よ」


「なんてお美しいの」


「あれで成人したお子様がいらっしゃるのよ」


「羨ましい……」


「美しさの秘訣、聞けるかしら?」


 と、老いも若きも関係なく、街の女性から羨望の眼差しを送られていた。一方、男性からは、


「綺麗だ……」


「美しい……」


「オレもあんな嫁さんが欲しかった……」


 などと、やはりアリスの美魔女ぶりに羨望の眼差しを送っている。そんな彼らには漏れなくプレゼントが贈られる。


「「「ぐふっ!?」」」


 一斉に悶絶する男たち。いい一撃が相次いで決まったのだ。犯人は彼らの連れ。


「浮気者」


「最低」


「不出来な嫁で悪かったわね!」


 男たちの恋人や妻がそう言い残してズカズカと家路につく。


「ご、ごめん」


「誤解なんだ!」


「そんなつもりで言ったんじゃねえよぉ!」


 必死に弁解しながら、男たちは女性たちを追っていく。


「………………行くか」


「はい」


 同じ対象に見惚れているのに、それが許せないのか……と少しの不合理を感じつつ、俺はアリスに先を促す。おっと。その前に言わなければならないことがあった。俺は踏み出した足を慌てて止める。


「? どうかされましたか?」


 アリスはそんな奇行を見て、きょとんと首をかしげる。可愛いーーではなく。


「その格好、とてもよく似合ってるよ。綺麗だ」


 それが忘れていたことだ。美しいものは美しい。黙っているのではなく、きちんと声に出すことが大事。なぜなら、言葉にしなければ伝わらないからだ。


「ありがとうございます」


 アリスは微笑むと、組んでいる腕の力を強くした。すこぶる機嫌がいいことが伝わってくる。

 それから俺たちは特別なことをするわけではなく、普通にデートをした。しかもアリスは皇宮の正門から続く道に軒を連ねる富裕層向けの店には目もくれず、通りの終着点である広場へと移動。そこから中間層や低所得者向けの商店が並ぶ通りに出た。生粋の王女である彼女としては珍しい。


「皇后陛下だ……」


「皇帝陛下もいるぞ……」


「バカ! 頭を下げろ!」


「「「ははーっ」」」


 俺たちの姿を見るなり、その場の活動が止まった。全員がその場に平伏したためだ。身分差をなるべくなくそうとはしているものの、未だに王侯貴族に対して下手に出る者は多い。酷ければ、話しかけただけで打ち首になると思っている者もいる。若い世代は比較的マシだが、完全に解消するにはまだまだ時間が必要だった。


「皆さん、そんなことをしなくても、普通に挨拶をしてくれればいいんですよ」


 そう言うや、アリスは全員に立つように促す。大部分がそれに従ったが、なかには頑なに頭を上げない人もいる。そんな相手に対しては、アリス自らが立ち上がらせた。


「も、申し訳ありません」


「気にしなくていいですよ」


「……はい」


 男の顔が赤い。まあ、見た目は美少女だからな。無理もない。無理もないが……他人の奥さんにあからさまに色目遣ってんじゃねえよ。ムカつく。さすがに顔に出しはしなかったが、不愉快である。

 とにかく、アリスの許しを得たことで通りは活動を再開し、元の活気を取り戻した。下町のネットワークはSNSに負けないスピードで情報を伝達する。だから通りを移動しても、アリスが言ったように挨拶に留めていた。なかには知らずに平伏する者もいたが、アリスが諭すまでもなく周りの人間が教えて立たせている。

 そんな街の喧騒に紛れ、アリスはトテトテと商店に寄っては商品を物色しつつ、店主(皇后が来たということでどの店でも決まって店主が応対した)との立ち話に興じる。


「このようなみすぼらしい店にようこそおいで下さいました、皇帝陛下ならびに皇后陛下」


「そんなことありませんよ。立派なお店です。そうですよね、オリオン様?」


「ああ。なんだか懐かしい。商売を始めたときは、シルヴィやソフィーナとこれくらいの広さの店で商いをしていた」


「そういえば、たしかにこれくらいの大きさでしたね」


 今度、見に行きましょう、と提案してくるアリス。俺は頷く。ちなみに、商会の経営にはノータッチの俺だが、最初の店があった場所はその思い入れもあってどうなったのかを定期的に訊いていた。それによると、現在も同じ場所で変わらず営業中らしい。

 そんな話をしていると、店主が乗ってくる。


「おおっ。それは光栄です。会合で自慢させていただきましょう。『皇帝陛下にお墨付きを頂いた間取りの店』と」


「はははっ」


 勘弁してくれ、とは思っても言えずに笑って誤魔化す。是非とも忖度してほしい。俺は話を切り上げるために、商品を見せてもらうと言って適当な品を手に取る。一方のアリスは話を続けていた。


「最近、商売の方はいかがですか?」


「おかげさまで順調です。手前は農家の三男坊なんですが、一念発起して旧王都に店を構えました。実家から送られてくる作物を売っていたんですが、前はギルドがあって思うように利益が出ませんでした。しかし、皇帝陛下が領地をお持ちになった際、ギルドがないということでこのカチンに移転してきたのです。それから文字通り桁違いの利益が出るようになりました」


 店主は嬉しそうに話す。まあ、商人からすれば利益を出してなんぼである。元商人として、その気持ちはよく理解できた。だが、彼は気づいているのだろうか? 俺への賞賛は、ひいては元王族のアリスに対する失政の批判となることを。


「それは……申し訳ありませんでした」


「? なぜ皇后陛下が謝られるのですか?」


「フィラノ王国の王族として、民にそのような不自由を強いていましたから」


「あっ! た、大変失礼しました!」


 店主はその場で土下座した。うっかりとはいえ、貴人の批判は処罰の対象となりかねない。店主は許しを請い、どうしてもダメなら罰は自分がすべて受ける、と言った。


「安心してください。咎める気はありませんから」


 もちろんアリスがその程度で処罰するはずもなく、あっさりと許した。安堵する店主。

 ここにきて、ようやく俺はアリスの目的(の一部)に気づいた。彼女は城下の民ーーそれも中間層以下ーーと交流したいのだと。なぜそう思ったのかは未だに謎だが、彼女がそのつもりなら俺は協力する。

 許したはいいが、店主が後ろめたさを感じている。これではアリスが目的とする民との交流は、動物園でライオンを見たときのような歪なものとなってしまう。そこで話題を逸らすことにした。


「アリス。これなんかどうだ?」


「まあ、素敵な刺繍」


 俺は店の片隅に置かれていたコースターを見せる。それには綺麗な刺繍が施されていた。草花や動物など、実に多彩である。


「これは誰が?」


「それは妻が手習いで作ったものです。両陛下にお見せするにはとても恥ずかしく……」


「そんなことありません。素晴らしい品ですよ。いくつか買いましょうか」


「ああ。いいお土産になりそうだ」


「手前どもの商品を買っていただけるなんて、光栄です」


 店主は恭しく頭を下げる。アリスが必要分を見繕い、それを包装してもらう。その間に代金を支払った。

 こんな調子で、アリスは適当な店舗に足を運んで駄弁る。気に入った商品があれば買う、というようなことを昼食を挟んで繰り返した。デートというよりは、荷物持ちと言った方が正確かもしれない。


 ーーーーーー


 城に帰ってお土産を配り、夕食を済ませるとアリスと今日のデート(?)について話をした。


「どうでしたか、オリオン様?」


「どう、と言われてもな……」


 主に話していたのはアリスだ。感想を求められても困る。楽しそうな姿が見れてよかった、くらいしか感想は出てこない。だが、それは彼女の求めていた答えではなかったらしく、プクッと頰を膨らませる。


「そうではなく、民の感想です」


「感想?」


「はい。オリオン様が治めている国の、民たちの声を聞いてどう思われましたか?」


「……」


 今日の外出にそんな意味があったのかという驚きで、俺は咄嗟に答えられなかった。しかし、アリスは構わず話を進める。


「皆さん、オリオン様の統治を歓迎していました。そしてそれは私も同じです」


「アリス……」


「このように民が歓迎される統治をする国。そのどこが悪いというのでしょう?」


 もちろん、細かなところでは不備もあるのでしょうが、と付け加える。だが、概ね人々は満足しているのだ。それは事実である。


「この国は間違いなくいい方向に向かっています。だから安心して子どもたちに託せるのではないですか?」


「お前……気づいていたのか?」


「なんとなくですが」


 アリスは笑う。シルヴィが死んでから、俺が『死』について意識し始めたことには気づいていたという。今回、国の行く末をあれこれ訊く俺を見て、もしかしたらと思ったのだそうだ。


「大丈夫です。子どもたちはきっと、この国をよりよいものにしてくれますよ。だって、オリオン様という最高の教師に教え導かれたのですから」


 もしダメでも、優秀な人々がきっと支えてくれる。アリスはそう言った。俺も民の声を聞いてそうなると思ったし、またそうなるように願う。

 翌日、俺は一年後にエリザベスに帝位を譲るという布告を出し、きっちり一年後に譲位を行った。新米皇帝の誕生である。




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