10-4 処女帝
ーーーオリオンーーー
始帝陵の仕上げが終わると、都市は未完成ながら立太子儀を行うことにした。今回は国を挙げての式であり、大臣たちは無論のこと、すべての貴族(名代含む)も参列する。そのため最大で十日間、一部の行政事務が滞ることになった。まあ、これは今後の課題として残しておこう。
さて、肝心の儀式だが、これは揃う面子に比べるととても質素なものだ。皇太子候補が大群衆の前で始帝陵へと入り、台座に刺さった王笏を抜く。そしてそれを持って群衆の前に戻り、決意のほどを述べてもらうのだ。
「皇帝陛下よりたくさんの大切なことを学びました。そのなかのひとつに、人はかくあるべしという精神もあります。そのひとつが、『ノブレス・オブリージュ』。他者によって生きる権利を持つ我々は、その他者に対して果たすべき義務があるということです。その精神を忘れず、また今後の竜帝国皇帝の基本理念として継承し、国がより一層安定し、繁栄することを願い、努力することを誓います」
エリザベスの決意は、魔法に乗って拡散される。簡潔だが、その声には強い意思が込められていた。それは確かに人々の心に届く。大きな歓声が上がった。ひとつだけではない。ほぼ同時に、あらゆるところから。貴族も、たまたま遭遇した平民も関係ない。彼女の覚悟に突き動かされ、声を上げたのだ。
この世界のことではないが、かの島津家中興の祖と呼ばれる島津忠良は孫たちを評価し、期待していた。それに倣えば、エリザベスは義久の『三州の総大将たる材徳自ずから備わり』という評価がもっとも適当だろう。言葉だけで人間を動かせる者はそうそういない。
彼女は今日、帝王たる器を示したのだ。
「お疲れ様」
壇上から降りてきた愛娘を労う。落ち着いているかのように見えた彼女だが、こうしてバックヤードに戻ってくると緊張していたことがわかる。声をかけても反応がない。かなり上がっているようだ。
まあ、無理からぬことではある。万の群衆を相手に臆せず朗々と演説する十代女性がいれば見てみたい。だから俺は反応を待たずに言葉を継いだ。
「いい演説だったよ」
「あ、ありがとうございます」
心ここにあらずといった様子で返事をするエリザベス。普段はともかく、今日のように儀式となると少し気負ってしまうようだ。これもそのうち慣れるだろう。俺も似たようなものだったし。
俺はウェディングドレスのような純白のシルク製ドレスに身を包んだ愛娘の、シルクのようにサラサラの髪を撫でる。すると、花が咲くように柔らかな笑みを浮かべた。癒される。可愛い。
儀式が終われば宴会だ。都市はまだ完成していないので、野外での宴会となる。幸い、今日はエリザベスの立太子を賀ぐかのような晴天であり、夜も変わることはなかった。
会場では無数の篝火が焚かれ、昼間のように明るくなっている。長テーブルがいくつも用意され、その上には所狭しと料理が並べられている。そこから料理を自由にとるというビュッフェ形式にした。
集まった人々は、各々が仲のいい人物で固まっている。そこにいるのは王侯貴族だけでなく、商人や周辺住民もいた。身分はあるが、基本的に分け隔てなく。それが竜帝国の流儀であり、実践できない者は特権階級から排除されている。だからこうして貴族と平民が交ざっていても、トラブルはそうそう起きない。
そしてその精神は俺が言い出しっぺであるから、俺も率先して実践する。やや非効率ながらエリザベスとその実母であるシルヴィを連れ、片っ端から挨拶していった。細部は異なるものの基本的には同じで、皇太女のエリザベスを今後ともよろしく、というものだ。
「陛下からお声をかけてくださるなど、恐縮です」
「お国のため、皇帝陛下と皇太女殿下のために貢献したく存じます」
「任せてくだせぇ!」
と、平民たちはだいたいそんな反応を返してくれる。濁った川に生きる美しい魚のような存在だ。なぜ彼らをそのように形容するかというと、濁った川に生きる醜い魚がいるからである。その魚の名前を貴族という。
「これはこれは皇帝陛下。本日はご息女が正式に立太子され、大変めでたいですな」
「まことに。これで帝国もひとまず安泰といったところですな。しかしーー」
「国家千年の計には未だ成らず、といったところでございますな」
などと、見事な言葉のリレーで婚姻しましょうアピールをしてくる貴族たち。オリンピックでもあれば、リレーで金メダルをとれそうだ。普段は足を引っ張りあっているというのに、こういう共通の利害が絡むと途端に足並みを揃える。まるでコウモリの集合体だ。
俺はそんな奴らを適当にあしらいつつ、挨拶をこなしていく。マジで貴族ウザい。とはいえ簡単に存在を消すわけにはいかないというのも厄介だ。長い目で無害化をしていく必要がある。はぁ……。
「お兄様!」
先のことを考えて憂鬱な気分になっていると、そんな声が聞こえてきた。俺をこう呼ぶのはこの世でひとりしかいない。
「メロディーか」
「はい。お久しぶりです、お兄様」
「そうだな」
アーロンさんとメリッサさんの娘、メロディー。俺にとても懐いており、『お兄様』と呼び慕ってくれている。なお、将来の夢は俺のお嫁さんだそうだ。……マジ勘弁してくれ。
メロディーはメリッサさんをより女性らしくした見た目をしている。やや背は低いものの、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。それでいて優雅さを持ち併せており、世の男性貴族の理想を体現したような存在だ。そのため、彼女には縁談が殺到しているらしい。
その人気を示すかのように、メロディーの肩越しにたむろしている年若い男性貴族の姿があった。全員ではないが、一部見知った顔がある。下は男爵から、上は侯爵まで。ただ、俺に遠慮して近寄ってこようとはしない。
このように大人気であるのだが、本人は俺と結婚すると言って憚らないので、両親は苦労しているらしい。
「あら、メロディーじゃない」
「っ! エリ……今日はおめでとう」
「ありがとう」
どういうわけか、エリザベスを敵視しているメロディー。お祝いの言葉も、どこか硬い。その後、二人は睨み合いを続けた。緊張した空気が二人の間に流れる。そんな空気に割って入った勇者がいた。
「陛下!」
男性貴族たちをかき分けて入ってきたのは、メロディーの実兄であるアンソニーだった。成人を機にネヴィル家の名跡を継ぐと同時に伯爵に叙されている。そして彼の隣にいるのは我が子ウィリアムだ。二人は無二の親友である。
「申し訳ありません。妹がご迷惑をおかけして」
「はははっ。気にするな」
いつものことなのでいい加減慣れた。だから問題ないと言うが、アンソニーはひたすら平謝りだった。そんなアンソニーに代わってメロディーを叱っているのはウィリアム。
「こら。父ーー皇帝陛下やアンソニーに迷惑をかけるんじゃない」
「ウィリアム殿下。将来の母に向かってそういう物言いはよくないですよ?」
「そうとは限らないじゃないか」
二人が言い争っていた。なんだかウィリアムが必死だ。メロディーにすげなくあしらわれても食い下がっている。これはもしや……と、お節介な近所のおばさん根性が出た。
「アンソニー」
「はっ……は?」
俺が名前を呼ぶと、アンソニーは怪訝な顔をした。というのも、ここは公式の場。皇帝が臣下を名前で呼ぶなどまずないのだ。だがこれは、皇帝としてではなく、オリオン個人として話すことだ。だから、敢えて名前呼びにした。しばらくして、アンソニーも俺の意図に気づいたようだ。改めて何事かと訊いてくる。そこで俺は無言で言い争いをする二人を指さした。
「どうだ?」
「……よろしいのでは?」
俺の抽象的な問いの意図を汲み、的確に答えを返してくる。噂に違わず、とても優秀だ。
「アンソニーもそう思うか?」
「はい。貴族としては皇帝陛下と家族同然の付き合いをするどころか、本当の家族になれるということはとても嬉しく思います。ですが、何よりメロディーの兄として、このご縁は妹のためになると思うからこそ賛成します」
「ほう。それはどういう?」
「恐れながら、陛下はメロディーの想いに応えるおつもりはないようにお見受けします」
「……ああ。その気はない」
メロディーはたしかに妻たちに勝るとも劣らない美少女だ。そんな娘が好感を持ってくれている。それだけでも男冥利につきるというものだ。応えるのもやぶさかではない。だが、ここは自制すべきだ。
きっぱりいえば、貴族の多くはロクデナシである。しかしわずかにだが、まともな者もいた。メロディーはそのひとりである。エリザベスと何かと張り合うのは問題だが、他のロクデナシたちのような権力欲とは無縁だ。そんな娘にこそ、皇后になってほしいという思いがある。だからメロディーには申し訳ないけれど、俺はその想いに応えられない。
「でしたらせめて、想い人と近しいお相手を選んであげたいのです。説得はお任せください」
「頼んだぞ」
マジで頼むな。ただ、勘違いだったらアレなので、一応ウィリアムに確認をとることにした。ちょいちょい、と手招きする。どうしましたか? とウィリアムはのこのこやってきた。
「お前、メロディーのことが好きだろ」
「え? ……な、何を仰っているんですか父上!?」
ウィリアムはめっちゃ焦っていた。面白い。そしてわかりやすい。これで裏はとれた。
「では頼んだぞ」
「お任せを」
俺とアンソニーは頷きあった。ウィリアムは訳がわからず、なんなんですか、と絶叫していた。すまない息子よ。悪いようにはしないから、しばらく我慢してくれ。
ーーーーーー
宴会から数日が経過した。結局、アンソニーはメロディーの説得に成功した。俺の言葉をストレートに伝えたという。メロディーはそういうことなら、と納得してくれたそうだ。曰く、最愛の人の求めに応えるのもいい女の務めなのだという。
ひとまずはそれでいいが、願わくばその『最愛の人』が俺からウィリアムになってくれることを願うばかりだ。親バカかもしれないが、ウィリアムはいい男だと思うぞ。俺よりもはるかに優秀だし。
そんなわけで、二人は婚約した。結婚式には色々と準備があるので、ひとまず婚約ということで落ち着いている。だが年内には挙式するつもりだ。だからウィリアム。嬉しいのはわかるが我慢してくれ。ほんのちょっとだから。
さて、ウィリアムとメロディーの婚約を受けて俄然勢いづいたのが貴族たちだ。彼らは娘を皇子に嫁がせるため、あるいは一族の男子に皇女を娶らせるため、あの手この手で工作をしてきた。当然、すべて却下だ。
「ウィリアムをよろしく頼むな、メロディー」
「お任せください、お義父様」
「メロディーちゃんがお嫁さんで、嬉しいです」
「色々とご迷惑をおかけすることもあると思いますが、よろしくお願いいたします、お義母様」
婚約の挨拶にきたメロディーに、俺たちはそう声をかけた。
「お義姉様も、よろしくお願いしますね」
「え、ええ……」
メロディーはエリザベスにも声をかける。そこには以前までのような敵対的な色はない。そのギャップに戸惑っているようだった。返事も歯切れが悪い。そんな彼女を見て、メロディーはニヤリと笑う。
「そんなに意外ですか? 私だって、とるべき礼儀は知っていますよ。これからは家族になるのですから、今までのわだかまりは水に流しましょう」
「そうね。私も水に流すことにするわ。メロディーが変わってなくて安心した。てっきり悪いものでも食べたんじゃないかって思ったし」
エリザベスはメロディーがあまり変わっていないことで調子を取り戻したようだ。字面だけは立派だが、ニヤリといやらしい笑みを浮かべていては信じる者はまずいない。
この返しに、メロディーは渋い顔だ。しかし、彼女たちは本気で敵対しているわけではない。あくまでも芸人が相方を弄る程度のことだ。
これにてウィリアムのお嫁さん問題は解決した。あと数人は娶ることになるだろうが、そちらは自己責任である。そこまで親が介入すべきでもない。
またこれを皮切りに、ロイヤルファミリーにはカップルが次々と誕生した。それは喜ばしいことなのだが、問題がある。
「お前たち、本当にいいのか?」
「「「はい」」」
子どもたちは元気よく返事をする。お相手を連れて報告にきた子どもたちだ。
エドワードとメアリー。
スペンサーとフランシェスカ、ヘーゼル。
オスカーとリナ。
などなど。よりにもよってほとんどの子が結婚相手に兄弟姉妹を選んだのだ。頭が痛い。
近親婚が悪影響を及ぼすことはよく知られているところである。地球では科学的な検証が行われており、この世界でも経験則として近親婚はあまり歓迎されない。閉鎖的なところでは必要に迫られてやっている場合もあるが。
「……わかった」
結局、俺は反対することはしなかった。あまり気は進まないが、妻たちは異例とはいえ例がないことではないと賛成。皇族としての力を内部で保持するという観点と、同母兄弟姉妹間のカップルがいなかったことから俺も首を縦に振った。
ただし遺伝上、近親交配が様々な障害を生むことは事実。だから子どもたちが結婚してから三親等以内の近親婚を(皇族に限り)禁じるように法改正することとした。
エドワードたちの式は、ウィリアムのそれのさらに後となる。面倒なことだが、こういう順番も大事だったりする。予想外の事態にはなったが、なんとか子どもたちの結婚問題には決着がついた。
今度は帝都にて婚約披露パーティーが行われる。婚約者が決まった子どもたち全員分を一斉にやるのだ。個別にやっていたら面倒だという事情もある。ついでに節約にもなり、一石二鳥だ。
貴族たちは落胆していた。皇族と婚姻関係を結び、出世の礎とするという目論見が崩れ去ったのだから当然といえる。だが、縁故があるからといって偉くなれるわけではない。官僚組織において血族は関係なく、個人の資質による実力至上主義社会であるからだ。
だが、彼らの辞書に『諦め』という言葉は載っていないらしい。上の世代は諦め、下の世代を狙ってきた。
「いやはや。これで各公爵家も整い、憂いがなくなりましたな」
「左様左様。これで臣下としても安心できるというもの」
「しかし縁は多くて困ることはありますまい」
などと言って一族の子どもを売り込んでくる。だが子どもたちはなるべく自由に自らの人生を決めてほしい。諸々の柵はあまり用意したくなかった。
このパーティーの主賓は、いうまでもなく婚約した子どもたちである。それはすなわち成人した子どもなのだが、ひとりだけ例外がいた。エリザベスである。彼女は未だ誰とも付き合っていないし、そうした気配もない。だから彼女は会場でひとり浮いていた。挨拶回りも終えたので、少し話をする。
「つまらないか?」
「お父様……いえ、そんなことは」
儚く笑うエリザベス。本心ではないことは明らかだった。
「いい人はいないのか?」
俺は話題が見つけられず、結局、結婚相手はいないのかと訊ねた。もちろん彼女の答えは否である。力なく首を振り、それを否定した。
「いえ。興味ありませんし、家はヘンリーか継ぎますから」
「そんな投げやりな……」
つい咎めるような口調になってしまう。すると、彼女の瞳に怯えが浮かぶ。不安に揺れる瞳で訊ねてきた。
「……お父様は、私が誰かと一緒になった方が嬉しいのですか?」
「どうしてそうなる?」
「メロディーが、『最愛の人の求めに応えるのもいい女の務め』と。私の最愛の人はお父様ですから……」
「なるほどねぇ」
メロディーめ。エリザベスに余計なことを吹き込みやがって。俺は内心義娘を恨む。
「まあ、俺は別に結婚する必要はないと思うけどな」
「え?」
「幸せなんて人それぞれだからな。望まない結婚なんて、お互いが不幸になるだけだ」
世の中には様々な価値観がある。結婚したい人としたくない人。前者でもひとりだけを愛し続けたいという人もいれば、ハーレムを作りたいと思う人もいる、後者にしても、誰とも付き合いたくないという人がいれば、結婚は人生の墓場だといって敬遠する人もいるのだ。
別に皇族だから結婚は義務である、なんて言うつもりはない。俺の願いはひとつ。子どもやその子孫が自由に生きてほしい、ということだけだ。
まあ、可愛い娘を他人にやりたくないというのが本音なのだが。そう思うのも、やはり自由なのだろう。とにかく、皇族でも人である以上は然るべき権利は保障されなければならない。そこには自己決定権も含まれる。
しかし、その思いとは裏腹に貴族たちはエリザベスに執拗に婚姻を持ちかけるだろう。なにせ彼女は現時点で残った唯一の成人皇族なのだから。そこでひとつ知恵を授けよう。
「エリザベス。どうしても周りが結婚しろと煩いなやこう言えばいい。『私は国と結婚した』とね」
イギリスのエリザベス女王のセリフをそのままパクった。悪戯っぽくウインクしてその場を去る。カッコイイかな、と思ったがやってみると割と恥ずかしい。二度とやるかと思った。
ーーーーーー
後日。やはりというかなんというか、貴族たちの矛先はエリザベスに向いた。ある程度分散されていた婚姻を望む貴族たちが、すべて彼女に向いたのだ。そのスケジュールは執務の時間を除き、すべて面会で埋まった。頑張れ娘よ、なんて思っているとメイドが血相を変えて飛び込んでくる。
「こ、皇帝陛下!」
「何ですか、騒々しい」
これには横にいたシルヴィが顔をしかめる。メイドは軽く頭を下げてから、俺に向き直った。
「皇太女殿下が!」
「エリザベスがどうかしたのか?」
「殿下が、面会した貴族に『私は国と結婚した。だから結婚することはできない』と」
「まあ」
シルヴィが驚きの声を上げる。まあ、娘が突拍子もないことを言い出せばそういう反応になるだろう。俺? もちろん笑った。いやはや、愉快痛快。
「そうか。はははっ。そう言ったか、あいつは」
笑いが止まらない。そんな俺の様子を、シルヴィやメイドは唖然として見ていた。ひとしきり笑った後、シルヴィに何か知っているのかと詰め寄られる。別に隠すことでもないので、俺の入れ知恵だと話した。
「どうしてそのようなことを……?」
「あいつが悩んでたみたいだったからな。父親としては相談に乗ってやらなければならないだろう?」
「それはそうですが……」
『国と結婚した』はないだろう、と言わんばかりにシルヴィは苦い表情をしている。だがしかし、俺も自己満足でそんなことを言ったのではない。もちろんそれもあるが、一番の理由はもっと別のものだ。
「シルヴィ。あまり言いたくはないが、貴族たちにお前たちはどう思われているか知っているか?」
「あまり快く思われていないのは知っていますが……」
「ああ。そしてこれが今回、エリザベスに持ちかけられた縁談の相手ーーそのプロフィールだ」
俺は机から紙束を取り出す。『極秘』の判子が押されたこの文書は、内務省警察局公安課(対内情報機関)が作成したものだ。そこにはエリザベスに求婚している貴族子弟の個人情報が羅列されている。
シルヴィはそれを受け取り、ペラペラと眺める。すると、ページをめくった量に比例してその端整な顔が歪んでいく。
「これは……」
シルヴィは言葉を失う。俺が初めて見たときと同じ反応だ。そう。エリザベスに持ちかけられた縁談は、中身を見るとかなり酷いものだった。
貴族たちが結婚相手に勧めてきたのは、五十路のオヤジだとか、離婚回数が二桁であったり、女癖の悪いことで評判だったり。極めつけは、嗜虐癖がある者だ。
容姿の良し悪しはどうしようもないのでともかくとして、性格くらいは選べるだろうに。もちろんこれは貴族たちの作為である。簡単にいえば、奴隷の子にはこれで十分というのだ。これでどうして娘をやれるというのか。俺は理解できない。
「こんな相手しかいないなら、いっそ結婚しない方がいいんじゃないかと思ったんだよ。わかってくれるか?」
「そういうことなら」
というわけで、エリザベスの発言はシルヴィも容認することになった。
この話は瞬く間に広がり、貴族たちは縁談を諦めた。なお、クズ男どもを押しつけようとした貴族たちは過去の不正が明るみになり、次々と失脚している。
人々はエリザベスを『処女帝』と呼び慕った。ただし以後、帝国の歴代女帝が彼女の例に倣って生涯不婚を貫くという慣習ができるとは想像だにしていなかったが。
【補足】
結局、エリザベスは生涯不婚を貫きます。シル・ブルーブリッジ公爵家の家督はヘンリーが継ぎますが、シルヴィアの子どもを『奴隷の子』と一段低く見る風潮は消えず、ヘンリーを含む歴代当主の多くは仕事で知り合った平民女性と結婚します。以後もそのようなことがしばしば起こり、同家は『平民公爵家』として帝国で一番親しまれる貴族家になっていきます。




