9-6 アクロイド親娘対決(前編)
ーーーアダムスーーー
長城を攻めて大敗を喫して以降、我が軍は守勢に回っていた。敵はあれ以来、頻繁に夜襲を仕掛けてくる。こちらも警戒はするのだが、気が緩んだところを巧みに突いてくる。手強い。
「敵将は誰かわかったか?」
「はっ。皇族にのみ使用が許された黒地の旗印。橙色であることから、第四皇妃クレア・パースと思われます」
クレア・パース。第三皇妃シルヴィアと並び、軍事面で皇帝オリオンを支える将軍か。従来の戦術を覆している厄介な相手だ。どちらかというと攻勢が得意だと思っていたが、攻撃を防御にするとは……。
チャン将軍は大損害を出した部隊を再建するため、本国に援軍を要請している。補給物資とともにこれが届くまで積極的な行動はとれない。つまり、敵に攻撃の主導権が渡るということだ。攻勢を得意とする敵相手にこれは苦しい。
「とにかく、見張りを厳重にしろ。敵の接近を許すな」
城門付近を見張っていれば奇襲は防げる。これまでは見張りの怠慢から夜襲を許してきたが、守りに徹する以上はそのような不手際は許されない。わしは部下たちに厳命した。
だがその夜、わしらはまたしても襲撃を受けた。しかも、背後からの奇襲だ。
「なぜだ!? いつ後ろに回り込まれた!?」
「将軍! 今はそんなことより、早く事態を収拾すべきです!」
喚き散らすチャン将軍をなだめ、兵士に指示を飛ばす。被害状況の確認と反撃のためだ。しかしこちらが態勢を立て直す前に敵は撤退しており、捕捉することはできなかった。
「どこから攻められた! 敵は城門から出ていないはずだ!」
チャン将軍は部下たちに訊ねるが、答えられる者はいない。彼らの視線はすべてわしに集まった。説明しろ、という心の声が聞こえる。……心当たりがないことはない。
「海だ」
「海だと?」
「以前、わしは奴らにブレストを占領されたことがある。そのとき奴らは船に乗り、海を通ってやってきた。今回も同じようにしたのだろう」
移動距離は長城を通過するだけで済むから、ブレストを落としたときよりも難易度は下がるだろう。そして村人に聴き取りを行うなどした結果、目撃証言は海岸からも得られた。つまり、そういうことだ。それを聞いたチャン将軍は、
「それだ! 海を使えばあれを攻撃する必要はないではないか!」
と食いつく。彼は名案を閃いたとばかりに敵の二番煎じを主張した。彼の部下たちも口々に賛成する。が、そう上手くいくものかな?
「敵もそれくらいは想定するはずだ。成功しないだろう」
この長城は帝国防衛の要だ。当然、あらゆる対策を講じているだろう。海を使えば長城に阻まれることはないーーそれは守っている方がよくわかっているのだから。
「やってみなくてはわからないではないか!」
忠告したにもかかわらず、チャン将軍がそれを聞き入れることはなかった。結局、チャン将軍の強い意向を受けて海から侵攻することが決定した。呆れるのは、敵の目の前で木を切り出して筏を作っていたことだ。これでは何をしようとしているのかバレバレである。失敗する作戦に従わなければならない兵士たちが可哀想だ。
参加する兵士はすべて華帝国から出される。わしはこれに賛成せず、兵を出さなかったからだ。成功しても手柄はすべてチャン将軍のものということで話をまとめた。失敗は目に見えているので文句はない。
そして作戦は強行され、失敗した。予想通りすぎて何とも思わない。報告を受けても『そうか』としか言えなかった。
難を逃れた者に聞けば、上陸は順調だったらしい。しかし敵の素早い反撃を受けて海へと追い落とされたという。これは……沿岸を見張っていたな。それが素早い反撃につながったのだろう。
この件で、華帝国軍の兵力は当初の半数を割り込んでしまった。今や実働部隊でいえば我が軍の方が多いという状況だ。普通なら軍の主導権もこちらに移るーーのだが、チャン将軍はわかっていないのか、決して指揮権を手放そうとはしなかった。挙句、
「中央だ」
作戦会議の席上、こう提案してくる始末である。長城を突破するのではなく、中央部の山岳地帯を進めと。
「偵察によれば、中央部、南部は敵の数が極めて少ないという。南部は密林地帯で部隊の進軍には向かないが、中央部の山岳地帯なら比較的マシだ。わざわざ防備の厚いところに真正面から突っ込むことはない」
と説明するが、ならば今までの攻撃と犠牲は何だったのだ。最初の攻撃は、威力偵察が大規模になりすぎたと説明がつかなくもないが、海上からの侵攻は明らかなミスだ。ただえさえ相次ぐ作戦失敗により士気が下がっているのに、ここで城の攻略を諦めては軍が崩壊しかねない。
そう反対したが、チャン将軍は聞き入れない。わしがそう言うなら、華帝国軍だけで行くという。
「それではここの戦力が減ってしまう!」
「攻撃しなければいい。城壁にまともり取りつけない城を攻略しようというのがそもそもの間違いなのだ」
だから、それなら今までの犠牲は何だったのだ! それとも、そんな記憶は既に忘却の彼方なのか?
「とにかく、オレたちは行くぞ」
「待ってーー」
「くどい!」
制止の声も振り切られ、チャン将軍たちはすぐに軍をまとめて南下した。……白昼堂々と行軍するなど、自らこちらの意図を暴露しているようなものだ。やはり失敗は目に見えている。
「……将軍」
「仕方ない。この兵ではすべての陣地は守れん。華帝国のものをすべて解体せよ。見張りもより厳重にな」
もし城に籠もる竜帝国軍が襲ってくれば勝ち目はない。だが、無理でもなんとか守らなければ戦争に負ける。
「情けない話だ」
「……将軍、飲みませんか?」
ガラにもなく黄昏れていると、部下が酒を勧めてきた。戦争で酒は断っている。酔っていては思わぬ不覚をとるかもしれないからだ。それも部下はわかっているはず。なのに敢えて勧めるということは、彼なりの考えあってのことだろう。
「そうだな。飲むか。わしらだけでは悪い。兵士たちにも伝えよ。今宵限りは飲めや歌えや、とな」
「はっ!」
部下はニカッと爽やかな笑みを浮かべ、足取りも軽く立ち去った。早速、報せに行ったのだろう。それを見て、わしも少しは晴れやかな気分になった。
ーーーチャン・ボンギルーーー
クソッ! 腹が立つ。アダムスめ、いちいちオレに指図しやがって! 作戦に失敗したときのしたり顔もムカつく。絶対に見返してやるからな!
「兄上」
「ん? ボンチャンか。どうした?」
「斥候から報告がありました。『この先の山に敵影なし』とのことです」
「それはおかしくないか? 以前の偵察では陣を張っていると言っていたではないか」
「我が軍の威容を見て逃げ出したのかもしれません。陣地跡には、物資が散乱していたとのことですから」
「なるほど。そうか」
北の敵には苦しめられたが、ここの連中は腰抜けしかいないらしい。あの屈辱を、今度は敵に味あわせてやる。
その夜は放棄された敵陣地を再利用して野営した。手間が省けて楽だ。この山を越えれば勝ったも同然。戦勝の前祝いだと宴会を開く。久しぶりに気持ちよく寝れそうだ。
「てっ、敵だ! 敵の、大軍だ!」
深夜。酔って気持ちよく寝ていたオレを、外の喧騒が目覚めさせた。
「なんだ……はぁ!?」
寝起きで不機嫌だったが、目の前に矢が突き刺さったことで一気に目と酔いが覚めた。ここは危険だと本能が警鐘を鳴らしている。
「兄上!」
そのときボンチャンが飛び込んできた。
「よかった! ご無事なのですね!」
オレの無事を確認してほっと安堵する弟。だが、今は安心している場合ではない。
「逃げるぞ!」
「馬を用意してあります」
ボンチャンが用意した馬に乗ってオレたちは脱出した。その際、わずかな護衛も連れている。それで少し余裕ができたオレは何があったのかを訊ねた。
「ボンチャン。何があった!?」
「奇襲だよ。周りに伏せていた敵がーーいや、あの野営地は敵の防御陣地のど真ん中だったんだ!」
興奮するボンチャンの話を総合すると、周りの岩山から火矢を射かけられたという。その矢はすべて岩のなかから突然現れた。つまり、敵はあれからずっと岩山に潜んでいたことになる。
「どうして気づけなかった!?」
いや、わかっている。敵に騙されたのだ。偵察によれば、敵は陣を張っていた。それが欺瞞で、近くに本命の防御施設があると気づくーーそんな人間がいるだろうか?
「とにかく、急いでここから離れるんだ!」
まだ戦場からほど近い。山を下りて逃げてくる兵を収容することにした。野蛮人のくせによく頭が回るようだ。
夜が明けるころには逃げてくる兵士もいなくなった。ボンチャンが中心となって確認した結果、一万の兵がいなくなっていた。ここに連れてきた軍はほぼ全軍の五万。そのうちの二割がやられたことになる。当初から数えれば六割の損失だ。未だかつて、このような目に遭ったことはない。
「……この屈辱、忘れんぞ。国土を灰燼に帰し、すべての住民を奴隷にしてやる」
特にこの軍の指揮官は必ず見つけ出して殺す。ただ殺すんじゃない。短剣で毎日一片ずつ肉を削ぐ。雨の日も関係なく削ぎ落とし、激痛に苦しみ、オレに味あわせた屈辱を何百倍もの苦痛としてかえしてやる。
「許さん……許さんゾォ……ッ!」
オレは軍をまとめ、再度攻撃の準備をさせる。防御施設の場所がわかれば、そこを攻撃すればいい。簡単な話だ。攻撃の前、オレは兵士たちの前に立つ。
「皆、これまで敵には散々辛酸を舐めさせられてきた。だが、それはもう今日で終わりだ! 昨日は奇襲を受けて敗れたが、それは我らとまともに戦えない証左でもある! 勝利は目の前だ! 槍を掲げろ! 鬨の声を上げよ! 敵は殺せ! 財貨は奪え! 勝利は約束されているッ!」
「「「オオーッ!」」」
オレが煽れば、見る見るうちに兵士たちの目がギラつく。やる気になったようだ。
「全軍、突撃!」
その命令を合図に、兵士たちが一斉に坂を登り始めた。登ってしまえば敵の陣地へと突入し、これを奪取する。奇襲しか手がない相手だ。所詮は弱兵。精強な我が軍なら容易に落とせる。
坂を半ば登ったところで敵は虎の子と思しき騎兵を出してきた。重装騎兵による逆落としはたしかに強力だが、馬鹿め。ここは四十度近い急勾配。馬で駆け下りることなどできるはずがない。これがモルゴの騎兵なら話は別だろうがな。所詮は野蛮人か。
「落ち着け! 盾を構えろ。槍を突き出せ!」
対騎兵戦術の定石だ。これで防げるーーと思ったら、防御陣形をとる部隊の横から敵が攻撃を仕掛けてきた。
「ぐわっ!」
「敵!?」
「どこからだ!?」
「左右だ! 挟まれてる!」
味方に矢が刺さり、兵士たちに動揺が走る。敵が左右に潜み、不意を打ったのだ。兵士たちは反撃しようと態勢を変えた。変えて、しまった。その隙を敵の騎兵は見逃さず、槍のように突っ込んでくる。
「おおっ!?」
馬蹄を轟かせて突撃する敵騎兵隊。すぐに崩れるかと思われたが、敵はモルゴ騎兵を彷彿とさせるような手綱さばきを見せ、統制を保ったまま我が軍とぶつかった。不意打ちを受けて態勢を崩していた我が軍はこれに耐えられず、あっという間に粉砕される。
敵騎兵は勢いそのままに坂の下まで突入してきた。我が軍にそれを止めることはできない。敵の思うがままに蹂躙された。さらに、騎兵がこじ開けた道に敵歩兵が浸透、拡大していく。もはや立て直すことも難しい。
「全軍、北へと撤退せよ!」
オレは決断した。敵の勢いは止められない。敗色濃厚。よってこの場は離れるべきだ。特に指揮官であるオレが死ぬわけにはいかない。ボンチャンや側近たちも続く。
「待ちなさい!」
そんなオレたちに追いすがる者がいた。女だ。若い。が、あの装備からするとかなり高位の貴族かもしれない。得物は槍に弓なりの刃がついた不思議な形をしていたが。
「どうやら蛮族は女子どもを戦場に駆り出さねばならぬほど切羽詰まっているようだ」
オレがそう言えば、一斉に笑いが湧き起こる。そうだ。敗戦した屈辱をこの女で少しく晴らしてやろう。そう考え、オレは馬を止めて女に向き直る。
「征東大将軍のオレに挑んだことを後悔しろ!」
叫び、馬の腹を蹴る。馬は駆け出し、互いの距離は急速に縮まった。
「シッ!」
「やあっ!」
ガキィン、と金属同士が当たって火花が散る。意外にその攻撃は重い。
「な、なかなかやるな」
「……」
チッ。無視か。
再び肉薄。今度はすれ違うことなく打ち合いを始めた。得物を振るいつつ、馬と呼吸を合わせる。敵の突きを払い、こちらが突き返す。あるいは斬撃を受け止め、いなしつつ反撃。一合、五合、十合……と、激しい攻撃の応酬が続く。
こうして戦っていると、敵の癖が読めてくる。この女は突きで勝負を決めようとしていた。
「突きしかできないのか?」
嘲笑うが、やはり女は無視した。こうも反応がないと面白くない。そのとき、
「はあっ!」
ひと際大きな掛け声が上がる。そうして繰り出されたのは、やはり突き。……面白くないし、そろそろ決めるか。急所を外せば生け捕りにできるはずだ。
「それは通用しねえんだよ!」
叫びながらカウンターを狙う。とはいえ、敵の攻撃も強い。それなりに力を込めなければ得物を弾かれてしまう。改めて得物を握りしめ、攻撃をさばく。
「あっ……」
呟いたのはーーオレ。突きを払うために固く握った槍をいなしたのだが、そのときに女の持つ得物に絡めとられてしまったのだ。咄嗟に手を離して剣を抜こうとするが、それよりも女が得物を引き戻す方が早い。
「しまっーー」
「イヤァァァッ!」
得物がオレの胸を目がけて突き出される。剣を抜くのを諦めて身体を捻り、なんとか躱そうとしたが、躱しきれず右肩に深々と刺さった。
「グウッ!」
衝撃で落馬する。右手が思うように動かず、剣も抜けない。次は躱せないだろう。……逃げなければ。
「兄上!」
そのとき、女にボンチャンが斬りかかった。女はその迎撃のためにオレから視線を外す。助かったが、
「ボンチャン! もういい! 逃げろ!」
「いえ! 兄上が逃げるまでの時間を稼ぎます!」
「バカ! お前の腕はーーー」
「わかってます。でも、兄さんが生き残るためにはこれしかないんです!」
「そんなことあるか! いいから戻れ!」
呼びかけるが、ボンチャンは聞かない。無視して斬り結んでいる。だが、明らかな劣勢だ。オレは何度も呼びかける。弟は決して答えない。
「将軍! 弟君が時間を稼がれているうちにお早く!」
「っ! させない!」
部下の声を聞いた女が攻勢を強める。たちまち均衡は破られ、
「グアッ!」
ボンチャンは肩から脇腹にかけて斜めに斬られた。……あれでは助からない。
「ボンチャン!?」
そうとわかっていても血を分けた兄弟だ。助からないとわかっていても、助けたくなってしまう。オレは弟に駆け寄ろうとする。だが、それは叶わなかった。
「将軍、失礼します!」
部下がそう言ってオレの馬に鞭を打った。当然、馬は駆け出す。
「なっ!? おい、お前たち!」
「将軍はお逃げください!」
「ここは我々が食い止めます!」
「すぐに追いかけますから!」
そう言いつつ、次々と女に挑みかかる。だがひとり、またひとりと討たれていった。最後のひとりが討たれたとき、その距離は追いつけないほどに離れていた。オレは弟をはじまとした部下全員を犠牲にして生き残ったのだった……。




