【閑話】アクロイド王国
ーーーネイサンーーー
私はネイサン・アクロイド。父王が崩御し、その後継者をめぐる愚兄との争いに勝利して王座に就いた。
そんな私の悩みは、隣国の竜帝国。少し前までフィラノ王国という名前だったが、女王アリスが夫オリオンに臣従するという形で成立した国だ。できて数年も経たないうちに新教国を教国と連合して併合した。
この軍事力は脅威ーーそう考えた私はかねてから誘われていた帝国包囲網に参加。領土を拡張しようとする。参加国は我がアクロイド王国、東の大国ナッシュ大王国、一大宗教国家教国。大陸すべての国が味方だ。勝ったーーそう思った矢先に帝国が攻めてきた。
帝国は北西部の要衝であるブレストを落とし、北東部はろくな抵抗も許されず占領され、王都のある王国中部に攻め寄せた。正直なところ生きた心地がしなかったが、なんとか撃退に成功した。嬉しいことに、アダムス叔父上の本拠地であるブレストを落としてくれていた。この失態を利用し、アダムス叔父上を当主の座から引きずり下ろすことができた。これだけは感謝できる。
だが、帝国軍は未だに北東部を占拠しており、奪還できていない。そうこうしているうちに帝国は教国を滅ぼし、大王国をも降した。わずか数年のうちに、帝国は大陸の覇権国家となったのだ。
私は悩んだ。帝国と和平すべきか、徹底抗戦すべきか。家臣の多くは後者を勧めてきた。このまま和平交渉に入っても従属を強いられるだけだと。しかし、我が国よりもはるかに強大な大王国が容易く敗れたのだ。はたして勝てるのか。この判断次第では国を滅ぼしかねない。私はどうしても慎重になってしまう。そんな私を訪ねてきたのは、ロッド・ウェンライト。私の腹心のひとりで、反帝国派のトップだ。
「陛下」
「どうした? 帝国の件についてはまだ考えているところだぞ」
「その件で、ひとつご提案が」
「言ってみろ」
「はっ。ーーそもそも、我らも帝国と事を構える愚かさは承知しております。彼我の国力の差は歴然。帝国は大人しくしておりますが、彼らがその気になれば我が国を容易く陥とすことができましょう」
ロッドはこんこんと、帝国がいかに強大かを述べる。そんな彼に、私は問うた。
「ロッド。そなたはなぜそこまでわかっていながら帝国と対決しようというのだ?」
私はてっきり彼らが勝機があるからこそ徹底抗戦を唱えているのだと思っていた。しかし、語られたのは帝国には到底敵わないということだった。ではなぜ帝国と和平を結ばないのか、私は気になってしまう。
「それは何度も申し上げている通り、帝国は我らを従属させようとするからです。皇帝は口でこそ『平和』と唱えておりますが、その本質は平和的侵略です。自らの一族に王家の血を入れ、その者を王に立て、やがて帝国の一部とする。クレタ島の豪族やナッシュ大王国の件を見れば明らかです」
たしかに。皇帝オリオンは有力者の一族を妻とし、その子を後釜に据えている。クレタ島では支援したパース氏族の女当主を妻とし、その子が次のクレタ島の支配者として君臨することになっていた。直近ではナッシュ大王国のリアナ王女を女王とし、自らの手元に置いている。やがてはその子に大王国の領土を継承させ、帝国に併合しようとしているのだろう。なるほど。たしかに平和的侵略だ。
「では、和平で我が国から姫を出さなければいいのではないか?」
帝国が我が国に侵攻した際、王都への攻撃に失敗して撤退している。北東部は奪われたままだが、概ねこちらの勝利といえるだろう。その点を強調しつつ、あえて『引き分け』を提案することで白紙講和に持ち込めばいいのではないかと提案した。しかし、ロッドは首を横に振る。
「残念ながら、そうはいかないでしょう」
「なぜだ?」
「既に帝国は、アクロイド王家の血を手に入れているからです」
どういうことだ? 帝国には私の血族は嫁いでいないはずだが。もちろん王家の婚姻はあったが、それも数代前のこと。さすがにそれだけ血が薄いと、当主候補を名乗るには無理があるが……。いや、待て。まさか!?
「カレンか!」
「はい」
カレン・アクロイド。アダムス叔父上の娘で、文武に優れた才媛だという。その評判は我が国で知らぬ者がいないほどだ。そして何より、アダムス叔父上は父王の信任厚く、抜群の功績から父王の妹(私からすると伯母)を妻としている。つまり、私の従姉妹にあたる存在だ。王家を継ぐ資格は十分にある。そのカレンは現在、帝国の将をしていた。
「何ということだ……っ!」
ロッドたちの考えがようやく理解できた。もし私が和平を提案したならば、帝国は喜んで乗ってくるだろう。白紙講和にも応じるはずだ。しかし後々、カレンが産んだ子を王にすべく攻め込む口実ができる。帝国が講和に二つ返事で応じるのは、その目算があるからこそだ。私はなんと視野が狭いんだ!
「ロッドよ、感謝するぞ。よくぞ私の目を覚まさせてくれた!」
「いえいえ。臣下として当たり前のことをしたまでです」
「危なかった……。だが、帝国は強大だ。どうやって倒す?」
それが問題だ。今や戦争は形骸化しており、民草の多くは戦争をしているという意識もないだろう。
しかし実態はどうあれ、帝国は敵国。その内情を探るために多くの間諜を放っている。彼らからは帝国の動きが逐一報告されていた。それによると皇帝は国内の安定に腐心し、不穏分子は証拠を掴まれて粛清されているという。民は皇帝の徳治を称え、不満はほとんどない。
時間が経てば経つほど、帝国は強大になる。その前に討つのが最適だが、我が国一国では逆立ちしても勝てない。落ち延びたナッシュ大王国の残党と手を結んでいるが、彼らが戦えるようになるまでどれだけの時間がかかることか……。
「ひとつだけ、帝国に対抗できる勢力があります」
「本当か!?」
「はい。つきましては、陛下のご尽力をいただきたく参上した次第」
「もちろんだ。帝国を倒すためならば喜んで協力しよう。それで、どこを頼ればいいのだ!?」
私は一条の光明にすがるしかなかった。和を結んでも亡国となるのなら、一縷の望みにかけて徹底抗戦するしかない。そのための強力な同盟者を得るために、私は何でもしよう。
「我が国より西にある華帝国です」
「なるほど」
その国のことなら知っている。何度かブレストに大軍で攻め込み、荒らし回った国だ。彼らが求めるのは服属。歴代の王はこれを拒否し、多大な犠牲を払いながら撃退してきた。直近では、父王の時代にやってきて撃退されている。その際に活躍したのがアダムス叔父上だった。彼らに頼るのか……。
「しかし、華帝国は受け入れてくれるだろうか?」
我らは何度も戦っている。そう簡単に受け入れてもらえるものだろうか?
「ご安心ください。華帝国にとって、竜帝国は受け入れられない存在です」
「なぜだ?」
「華帝国というのは、地上世界の支配者たる皇帝を戴く国です。つまり、『皇帝』とはこの世界全体を統べる存在であり、この世に二人といません。ところが竜帝国は?」
「皇帝を名乗っている……。なるほど。両者は不倶戴天の敵ということか」
「はい。それを討つために我らが協力を申し出れば、受け入れてくれるでしょう」
「すぐに国書を認めよう。ロッドよ。そなたは華帝国への使者となれ」
「はっ」
こうして私は華帝国と合同して竜帝国に対抗することにした。ロッドが上手く運んでくれたのか、同盟はすぐさま締結された。私は華帝国の皇帝よりこの地の王に任じられ、その見返りに多数の貢物を、人質として長男を差し出すことになる。このくらいは覚悟していたことで、特に文句はなかった。
ーーーーーー
それからおよそ一年。華帝国からの軍隊が続々とブレストに到着した。その数、およそ十万。私はその威容に度肝を抜かれた。我が国では逆立ちしても無理だ。数を揃えることはできるだろうが、一度戦うので精一杯だろう。大陸を平定する過程で竜帝国はこれと同じくらいの軍隊を動員したというが、いかに規格外なのかを実感させられる話だ。
しかし、それと同じことを華帝国はやって見せた。彼らとなら帝国を打倒できるのではないかーーそう期待させられる。私はその期待を胸に、この軍の司令官と会見した。
「皇帝陛下より、賊の討伐を命じられた征東大将軍チャン・ボンギルだ。悪路異奴国王よ、よろしく頼むぞ」
「はっ」
高圧的なところが気に入らないが、これも竜帝国が滅ぶまでの辛抱だ。そう思って家臣のごとく振る舞う。ただ、少しして私は後悔した。華帝国軍の数は心強いが、モラルは最悪だったのだ。数日としないうちに、私のもとには数えるのも億劫になるほどの陳情が上がってきた。無銭飲食から始まって強盗、強姦その他諸々の犯罪。すべて華帝国の兵士たちの仕業だった。私は抗議したが、
「オレに逆らうのか? どうなっても知らんぞ」
と、人質として送った子どものことを仄めかされては強くは言えなかった。代わりにロッドを呼び出す。
「あれはどういうことだ!?」
「申し訳ございません、陛下。まさか、華帝国の兵士のモラルがここまで悪いとは……」
彼も想定外だったようだ。
「……まあよい。別に責めるために呼び出したわけではない。だが、この献策はそなたによるものだ。よって、華帝国との交渉、対応をそなたに一任する」
「ははっ」
私は後事をロッドに託した。彼は華帝国軍を駐屯させる施設を造り、国中から料理人と娼婦を集めて事態を収めた。これにより、犯罪の件数をかなり減らすことに成功したのだった。まったく。先が思いやられる……。本当に竜帝国を倒せるのか、私は一転して不安でたまらなくなった。




