8-8 子どもか戦か
ーーーオリオンーーー
モルゴ、イディアの両国と条約を結び、三者が合同して華帝国と対峙することになった。外交的勝利といえよう。万が一のとき、彼らの存在は心強い。
三者会談を終えた翌日、俺は太宗に呼び出された。前日話してきた部屋で、二度目の話し合いに臨む。俺は通訳を連れて、太宗はチャン兄弟を連れている。
「昨日はどうだった?」
まず最初に昨日の感想を求められた。
「素晴らしかったですね。あれほどの大軍勢を揃えられる、貴国の力には驚くばかりです」
「はははっ。そうだろう、そうだろう」
太宗は上機嫌に笑う。あの軍事パレードが某北の国が行なっているような示威行為であることは明白である。俺が恐れをなしているように答えたことで、効果があったと思っているのだ。事実、あの兵力は脅威だ。
ひとしきり笑って落ち着いた太宗は、一転して真面目な顔になる。そしておもむろに話を切り出した。
「朕も、あれから考えた。そなたたちの意見も少し取り入れようとな。聞いてくれるか?」
「伺いましょう」
「この話は、そもそも国名をどうするかというものだ。朕は『皇帝』の称号を他国に許すわけにはいかん。そこで新たに『大王』の称号を創り、そこに封じようと思う」
「待ってください。それでは何も変わらないではないですか」
俺は反対した。太宗の提案は解決策ですらない。単に名前が変わっただけで、結局は『王』である。
「受け入れられぬというのか?」
「当たり前です。我らは別に、どちらが真の皇帝かはっきりさせよう、などと思っているのではありません。どちらも皇帝、それで構わないと言っているのです」
「この世に皇帝は二人としておらぬ!」
太宗は声を荒らげた。俺は驚いた表情をする。
「そうなのですか?」
「……何か文句があるのか?」
「いえ」
睨む太宗。しかし俺は動じず否定する。だが、それだけではない。
「ーーわたしもこの国にきてそれなりに勉強いたしました。すると、貴国よりも西方にある国もまた『皇帝』が治める『帝国』というではありませんか。本当に皇帝はこの世にひとりなのでしょうか?」
これはアニクに聞いた話だ。太宗の征西事業を阻んだ西の大国は、イディア商人のお得意様。よってその国の統治者、制度などは彼らの常識となっている。
「ふん。そんなことあるわけない」
しかし太宗は取り合わない。それからやや早口でまくし立てた。
「とにかく、大王位を創ってそれに任命してやる。お前たちは感謝の印に多数の貢物と、君主の子どもを贈れ。男なら後継者、女なら側室に迎えよう」
「お断りします」
ノータイムで断った。子どもたちを政治の道具に使わないーーそれが彼ら彼女らの生き方を縛ってしまった俺にできるせめてもの償いだ。
俺の即決に、太宗は呆気にとられたようだ。口をあんぐりと開けて固まっている。まさか秒で拒否されるとは思いもしなかったらしい。
「貴様! 陛下に失礼だろうが!」
チャン兄弟の兄、ボンギルが激昂する。腰に吊るした剣に手がかかっていた。斬られてはたまらないので、俺も意識を戦闘モードに切り替える。ボンギルの一挙手一投足に注目し、後の先をとるつもりだ。そんなことになってほしくはないが、万が一というやつである。
「……朕にも我慢の限界というものがある。そこまで頑なだと国が滅ぶことになるぞ?」
「ご心配なく。そんなことはないでしょうし」
太宗は低い声で脅してくるが、俺は動じない。真っ向から見返す。込めたのは『やれるもんならやってみろ』というメッセージだ。
イギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー曰く、国家は大陸国家と海洋国家に分類される。前者の代表例はロシアやドイツ、後者の代表例はイギリスや日本だ。前者は強大な陸軍力を有し、後者は海軍力を有する。両者は磁石の同じ極のように反発し、世界の歴史はこの大陸国家と海洋国家の闘争である、とマッキンダーは述べた。
この理論は航空戦力の発達とともにその意義を薄れさせたが、この世界では通用すると考えていい。では竜帝国、そして華帝国はそれぞれどちらにカテゴライズされるのだろうか? 考えるまでもなく、竜帝国は海洋国家、華帝国は大陸国家である。
よって両者の対決は必然だったのであるーーなんていうつもりはない。ただ、国家の立地ゆえに軍もまた異なってくる。
まず、国家にとって大切なことは何か。いうまでもなく、国の存続(独立)であろう。そのためには力が要る。軍事力だ。軍にはーーこの世界においてーー陸海軍があるが、そのどちらに整備の重点を置くべきかは国家の立地に大きく左右される。
華帝国の場合、北、西、南の三方を陸地で囲まれている。よって軍備の中心は陸軍であり、海軍は後回しになってしまう。
逆に竜帝国の場合ーーアクロイド王国などがまだ残っているとはいえーー、大陸のほぼすべてが自国。よって敵は外部からやってくる。四方を海に囲まれたこの国は、ぶっちゃけ海で止めてしまえば敵が領土に侵入してくることはない。海軍に力を入れるのは当たり前だった。
諜報部によれば、華帝国にまともな海軍は存在しないという。ならば恐れる理由はない。たとえ百万、千万の大軍勢を揃えたとしても、海ではただの荷物。木偶の坊である。帝国の巨大な海軍力を前にして、一体何隻がたどり着けるだろうか? 俺の予想では、ガダルカナル戦における日本軍のような悲惨な結果になるとしか思えない。
さらに俺たちにはモルゴ、イディアとの密約がある。竜帝国と戦えば彼らが支援してくれるだろう。直接(軍事)と間接(物資)があるが、イディアはともかくモルゴは間違いなく軍隊を出す。侵攻して版図を広げる絶好のチャンスだからだ。
以上の観点から、華帝国とは敵対もやむなしだと考えている。これは、例え交渉が上手くいかなかったときの対応を話し合い、(竜帝国の)幹部たちの同意を得ている。
「朕を虚仮にしたこと、後悔するぞ?」
「今後も平和的な交渉を続けていきたいので、よろしくお願いいたします」
太宗の脅迫を、俺は柳に風と受け流した。彼は席を立ち、のしのしと歩いて奥へと引っ込んだ。俺ももう用はないため、太宗が出て行った後に退席する。その際、ボンギルが声をかけてきた。
「このツケは高くつくぞ?」
「……」
その声に、俺は一礼することで応えた。するとボンギルはチッ、と舌打ちを残して去っていく。おー、怖い怖い。
こうして華帝国との交渉は物別れに終わった。
ーーーーーー
「ーーそれは災難でしたね」
その夜。俺はドルジとアニクと飲んでいた。まだ紹介していない産品を売り込むためである。そのため、二人を竜帝国が借りている屋敷に招いていた。あと、俺が帰るという事情もある。
華帝国にはしばらく滞在する予定だったのだが、太宗と会談した帰りに襲撃を受けたのだ。護衛の活躍によって被害は受けなかったものの、これ以上この国に留まるのは危険だ、という意見を受けて帰国することになった。アニクの発言も、その話をした感想である。
「で、やるのか?」
「それは相手の出方次第ですね」
ドルジはやる気満々である。そんな彼の反応に、俺は苦笑しながら答えた。
「ガハハッ! 華帝国を相手にそのようなことを言えるとは、頼もしいな!」
赤ら顔でドルジは言う。すっかり酔っ払っていた。酒が強いということなので、様々な酒を紹介したのである。ウイスキーやブランデー、焼酎などだ。
『もっと強い酒はないのか?』
と言うので封印していた最終兵器を出した。火酒だ。物によってはアルコール度数が九六パーセントにもなる。気化して引火、火災になるような危険な代物で、くれぐれも注意するように言い含めていた。
「……よく飲めますね」
とアニク。彼もちょっとした好奇心で口にしたが、瞬時にノックアウトされた。先述の通りアルコール度数が高いため、人によっては意識を失うこともある。それからはワインを味わうように飲んでいた。
「この酒は飲むとポカポカしていいぞ! 部族の皆にも広めたいくらいだ!」
ドルジは陽気に笑う。彼らが住んでいる場所は冬になると雪が降り積もってとても寒い。火酒もロシアや東欧で飲まれるものだから、相性はいいだろう。ただ、やはり危険なので度数は低めのもの(それでも四十パーセントにはなる)を輸出しよう。高いやつは高値で売って消費を抑えるべきだな。
しかし、この二人と飲むのはとても楽しい。彼らと出会えたことが、今回の一番の成果かもしれない。
「シゲル様」
と、ここでリャンオクが現れた。彼女は腰あたりまでスリットが入った絹服を着ている。その衣装はチャイナドレスに似ていた。華帝国ではフォーマルな服装である。スリットから覗く脚が艶めかしい。彼女は俺に小さく耳打ちした。
「ーー屋敷を賊が襲撃してます。気をつけてください」
「わかった」
俺が了承すると、彼女は一礼して下がっていく。その姿を、ドルジとアニクの二人がじっと見ていた。
「シゲル殿。彼女は?」
「ああ。彼女はイ・リャンオク。ミーポーで悪漢に襲われているところを助けたら、『恩返し』と言ってわたしに仕えてくれているのです」
「そうでしたか」
アニクは素っ気ない態度をとっているが、その目線がリャンオクを追っていることに俺は気づいていた。
「いい女だな」
対してドルジはストレートだった。それが彼本来の性格なのか、酔った勢いなのかはわからないが。
いずれにせよ、リャンオクは二人に気に入られたようである。
「先ほど連絡がありましたが、ここに賊がやってきたようです。お二人も気をつけてください」
「ん? おお。わかった。ま、襲ってきても返り討ちだがな。腕が鈍らずに済む」
「ご忠告ありがとうございます」
二人はここでも対照的だった。武人的な性格のドルジは獰猛な笑みを、文人的なアニクは用心すると言う。
そんなやりとりがあり、二人が辞去するという段になってそれは起こった。部屋の扉ーーではなく床から人が飛び出してきたのだ。
「うわっ!?」
一番近くにいたアニクが驚いて尻餅をつく。俺とドルジは咄嗟に得物を取るが、悲しいかなそれは果物用のナイフであった。宴会に武器は無粋、ということで持っていなかったのだ。ドルジも同じである。
現れたのは三人の黒ずくめ。体格からして男だ。その手には短剣が握られている。その刃は何らかの液体が塗られているのか、濡れていた。まあ、シチュエーション的に毒だろう。
「テメエら、何者だ!?」
ドルジが威圧感たっぷりに誰何するも、男たちは答えない。
「アニク殿!」
一方で俺は手にしていた果物ナイフをアニクの手元に投げた。彼が得物を持っていなかったためだ。文人とはいえ商人。最低限の自衛くらいはできるだろう。代わりに俺が得物をなくすが、魔法があるので問題ない。接近されると厳しいが。
「暗殺者だな。こいつら、慣れてやがる」
「そのようですね」
俺とドルジは暗殺者たちから視線を外さずに会話する。とにかく増援が来るまで持ちこたえなければならない。外からは幽かに剣戟の音が聞こえる。外は陽動、こちらが本命というわけか。ドルジの言う通り、彼らはこの手の仕事に慣れているのだろう。初めてではあるまい。死人に口なしーーとはよく言ったものである。
「○△¥%#」
暗殺者のひとりが声を発する。言葉がわからないので何と言ったのかわからない。
「何て言ったんです?」
「『死ね』だとさ」
随分とストレートである。もっとも死にたくはないので全力で抵抗させてもらう。心配なのは魔法がどの程度通用するかということだ。ここは俺の領域ではないので、能力は使えない。魔力の多い魔法使いというレベルであり、便利魔法を軽々とは使えず、無闇矢鱈と魔法を撃つわけにはいかないのだ。
「シゲル殿。ここはオレに任せてくれ」
「刃に毒らしきものが塗ってあります。ご注意を」
「おうっ!」
そう言うや、ドルジは突撃した。えっ?
「「「!?」」」
暗殺者たちは驚いて飛び退く。ドルジはその間を通り抜け、アニクの近くに着地する。……暗殺者の視線がひとりになった俺に集まった。
「え? どうして!?」
抗議の意味を込めてドルジに問う。すると、
「貴殿は強い。大丈夫だ」
「何を根拠に!?」
「あのリャンオクとかいう娘を悪漢から助けたんだろ? それなりに強くないとできないことだ」
「護衛にやってもらったかもしれませんよ?」
「もしそうなら、あの娘が貴殿に仕える理由がない。それに、こいつらが現れたとき、咄嗟に戦闘態勢をとることができた。そんなこと、荒事に慣れてないとできない」
俺は反論できなかった。まったくその通りだ。ある程度なら戦える。だが、それでも俺の基本的な役回りは後衛だ。剣の間合いでは厳しい戦いを強いられるだろう。
しかし泣き言は言ってられない。ドルジは暗殺者二人が牽制している。助けは期待できなさそうだ。アニクも護身で精一杯だろう。
「仕方ないなぁ……」
俺はやれやれといった調子で構えをとる。防御重視。生き残ることを第一に考えて立ち回るつもりだ。
「ーーシッ!」
暗殺者が飛び込んでくる。短剣を腰だめに構えた刺突の体勢。躱す、という選択肢はない。それをしてしまうと、暗殺者に挟まれる格好になるからだ。なので正面に障壁を張って迎え撃つ。解毒の作用がある障壁だ。これで剣を無毒化できたはずである。万が一にも掠ったら怖い。当然の処置だ。
障壁に激突した暗殺者は瞬時に後退。遅れて俺が撃った追撃の魔法が飛ぶ。これで仕切り直しとなった。
魔法以外に攻撃手段のない俺は、暗殺者たちに手出しできない。彼らの後ろにはドルジたちがいるからだ。魔法は何かを飛ばしたり、爆発させるものがほとんどで、巻き込んでしまう可能性がある。そのため安易に魔法は撃てない。防御とゼロ距離射撃でしか使わないつもりである。
ドルジはアニクを守らなければならないので動けず、暗殺者は俺やドルジに阻まれる。両者決め手に欠け、千日手の様相を呈した。狙い通りなのだが、あまり長引きすぎると俺の魔力が心許なくなってしまう。早くこの状況を打開してほしいものだ。
はたしてその願いが通じたのか、この場に乱入してくる人物がいた。
「シゲル様! ご無事ですか!?」
リャンオクである。
「ああ。俺も客人も無事だ」
「よかったです。シゲル様、こちらを」
そう言って彼女は剣を渡してくれる。これでようやく決着をつけられそうだ。ドルジ、俺、リャンオクの三人で挟み撃ち状態。不利を悟った暗殺者たちは逃亡を試みるが、
「逃すか」
唯一残された地下への逃げ道は、魔法で氷漬けにして封鎖する。本気の抵抗をされると厄介なのであえて残していたが、こうなった以上は逃がすつもりはない。敵を倒して手の空いた護衛たちもぽつぽつと姿を現している。逃走はますます困難になっていた。
「○△¥%#」
リーダーらしき男が何かを喋ると、部下たちは頷いて手にしていた短剣を自分に突き立てる。暗殺者たちは次々とその場に倒れた。
「こいつを拘束しておけ」
俺はそのなかのひとりを指して護衛に拘束させる。毒に任せて適当な場所を刺したようだが、詰めが甘い。念のために頚動脈を切るくらいはすべきだっただろう。拘束したことを確認して魔法で傷を治す。後で【読取】の魔法を使って下手人の正体を突き止めるつもりだ。おおよそ見当はついているが、念のため。
「今回はご迷惑をおかけして申し訳ない」
「気にしないでくれ」
「そうですよ。お土産もたくさん頂きましたし」
別れ際、二人に今回の騒動について謝罪する。気持ちとして、お土産の量を増やしておいた。最後は今後ともよろしく、ということで別れた。機会があればまた会いたいものだ。
そして暗殺者の記憶を【読取】の魔法で探ったところ、親玉が太宗に従っていたボンギルであることが判明した。側近らしき彼が動いたということは、太宗の意向が反映されていると考えるべきだろう。交渉を継続するために外交官は残しておくつもりだが、彼らには用心するように言い含める。
後始末を終えると、俺はリャンオクを部屋に呼び出した。
「リャンオク。今回の襲撃事件についてだがーー」
「申し訳ありません!」
話を切り出した瞬間、彼女はその場で跪き、謝罪を口にした。
「なぜ謝る?」
「だって、あたしの役目はシゲル様をお守りすることなのに、お側を離れてしまって……」
今回の件でかなり思いつめてしまっているようだ。非常に真面目で、役回り的にもかつてのシルヴィを連想させてくれる。
「気にするな。大事には至らなかったのだから。それに、最後はちゃんと駆けつけただろ?」
彼女を慰める。護衛たちに聞いた話だが、リャンオクは屋敷を襲った者たちと戦っていたそうだ。まさか本丸への直通ルートがあるとは思わないだろうから、対応としては間違っていない。それを責めるつもりはなかった。世の中、結果がすべてだ。幸いにも、全員無事。それでいいじゃないか。
「……ありがとうございます。あたし、もっと強くなる! シゲル様を守ります!」
今回の件で決意を新たにしたようだ。ーーと、俺はそんなことで彼女を呼んだのではない。まあ関係あるといえば関係があるのだが。
「リャンオク。今回はよくやってくれた。褒美をあげたいんだが、何がいい?」
「シゲル様にお仕えしたいです」
「それはもう決まってるからいいぞ」
俺はその申し出を流し、別なものはないのかと訊ねる。仕えることが決まっていると言ったが、あれは嘘だ。まさかそこまで重いとは思わなかった。少し働かせて、あとは好きな人のところへ嫁に行けばいいと考えていたからだ。何なら養子にしてもいい。
しかし、彼女がそこまで望むなら俺の護衛にするのも悪くない。筋はいいからだ。そんな考えもあり、俺は真実を明かさなかった。人間、知らない方がいいこともある。
別の褒美を、と言われて悩むリャンオク。
「では、『一生』シゲル様にお仕えしたいです」
最終的にはあまり変わらない要望に帰着した。金品を要求しない、実に誠実な子だ。俺はその無欲さに苦笑しつつ、『わかった』と了承の言葉を返す。褒美の件はこれでおしまいということにしたが、功績に対して褒美があまりにもささやかなので、これからも多少のわがままを許そうと決めた。




