8-7 モルゴ・イディア
ーーーオリオンーーー
俺は太宗に連れられて城外に出た。タートの周辺は見渡す限りの大平原である。城の東西に街道が走り、大河に近い南側には農地が広がっている。そして北は軍の演習地に利用されていた。
「見よ」
わざわざ造らせたと思われる高台には多くの人が詰めかけていた。人種は様々。白人系、黒人系、モンゴロイド系……人種の坩堝である。そのうち最も高い皇帝用の席の側に案内された。
席に座り、眼下に広がる景色を見る。そこには広大な平原を埋め尽くすかのように、人が並んでいた。
人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人……。
見渡す限りの人。一体何人いるのかわからない。全員が鎧を着て武装している。どうやら華帝国の軍隊のようだ。
「我が軍の精鋭、百万だ」
「そんなに……」
これには驚かされる。帝国も根こそぎ動員すれば可能だろうが、普通は無理だ。膨大な人口を抱える華帝国だからこそできることである。俺はよく揃えたものだと感心した。
太宗はそれを見て、俺が大軍勢を前に畏怖していると思ったらしい。得意気である。
「我が軍の強大さを見て感じるといい」
太宗の視線を合図に演習が始まる。とはいえ、帝国が以前行ったようなものではない。完全武装の兵士たちが隊列を作り、高台の前を通るという軍事パレードに近いものである。しかし、何十万という兵士が行進し、数万の騎馬隊が目の前を駆け抜けるという光景は壮観だった。
「どうだ?」
壮大な光景に見入る俺に声をかけてきたのは、元日本人の俺からすると見慣れたモンゴロイド系の男だ。ガッチリした体躯を胡服で包んでいる。遊牧民らしい装いだった。
「どうだ、というのは?」
「ん? ああ、すまない。言葉不足だったな。この集団演武にはうちの部族も参加しているんだ。ほら、あの騎馬隊がそうだ」
男が指さす先では数万人の騎兵が地響きを立てて平原を疾駆していた。胡服の上に革鎧を身につけ、剣と小型の弓で武装している。身軽な軽騎兵だ。
「すごい数だ」
俺は驚嘆する。帝国でもサラブレッドを持ち込んで軍馬として運用しているが、彼らが乗る馬もそれに劣らない体躯だ。スピードは競走馬として育成されたサラブレッドの方が速いだろうが、そもそもの数が違う。
「だろう? 我が部族の誇りさ」
男は屈託のない笑みを浮かべる。彼はドルジと名乗った。華帝国から見て北西に勢力をもつモルゴという遊牧民の族長だという。
「貴殿が有名な竜之国の代表殿だろう? 是非会いたいと思っていた」
「竜帝国の全権大使、シゲル・ヨシダです。わたしも、お会いしたいと思っておりました」
「ーーその話、僕も乗せてもらっていいかな?」
面会の日時を話し合おうとしていたところで、ひとりの男が割り込んできた。彼は赤黒い肌をしており、ターバンやクルタを身につけている。
「おお、貴殿はイディアの」
ドルジの言葉で、この男がどのような素性なのか察しがついた。華帝国の南西部にある国で、大陸とは険しい山脈に隔てられている。東西の結節点にある点を利用した中継貿易が盛んな商業国家だ。
また、険しい山地に育てられた兵士は山岳戦に秀でる。パレードの兵士のなかに、『く』の字型に曲がった特徴的な刀剣ーーククリナイフを持っている集団がいる。彼らがイディアの山岳兵だ。ククリナイフは戦士たる証であり、イディア兵の誇りである。
「アニクと申します。お二人とも、お見知りおきを」
「シゲル・ヨシダですーー」
互いに挨拶を交わし、夜に集まって話すことになった。会談場所はドルジたちモルゴ勢が泊まっている屋敷。そこに酒や肴を持っていくことになっている。会談とともに、軽い宴会も兼ねたものだった。パレードは夕方に終わり、俺たち三人は太宗に挨拶をしてからタートに戻る。
ーーーーーー
屋敷に戻った俺は外務官僚を通訳として引き連れ、提供する酒や肴を護衛に運ばせる。モルゴ勢が泊まる屋敷は俺たちに割り当てられたものと変わらない。わざわざ迎えに出ていたドルジに案内されて宴会の席に通される。中では既にアニクが待っていた。
「お待たせしたようで申し訳ない」
俺は遅れたことを謝罪しながら席につく。
「いえいえ。お気になさらず」
「アニク殿。シゲル殿は多くの酒と肴を用意してくれたぞ」
「それは楽しみですね」
「持参したものはいずれも我が国の産物です。お詫びにといってはなんですが、ご賞味ください」
と、そんな調子で会談(兼宴会)が始まった。ドルジの従者らしき人たちが料理とグラスを持ってくる。これにアニクが目を丸くした。
「これは……」
配られたグラスを手にとってしげしげと眺める。
「美しいグラスですな。モルゴにはこのようなものが?」
アニクの疑問は無理もない。遊牧民は戦闘民族と思いがちだが、交易を行うという一面もある。いわば陸の海賊であり、アニクたちイディアからすれば商売敵。一体どこから仕入れたのか、と探りを入れるのも無理からぬことだ。
彼のそのような問いに対し、ドルジはゆっくりと首を横に振る。
「いや。これはシゲル殿が贈ってくれたものだ。見事な品だったので、早速使わせてもらっている」
「そうだったのですか」
アニクの好奇の視線が俺に向いた。
「お土産に用意していますよ」
別れ際に渡そうとしていた、と説明する。ただ、アニクの用件はそれだけではないようだった。
「それはありがたい。このグラスの輸出について、またお時間をいただいても?」
「もちろん」
俺としても、販路の拡大は嬉しいことだ。そこへドルジが割り込む。
「待て待て。そういうことならオレも混ぜてくれよ」
「ははは。なら、また集まるとしますか」
今回の話し合いの目的は商談ではない。なので俺は別の日に集まることを提案した。それは了承される。
「まずは華黄酒で乾杯といこう」
華黄酒は華帝国で最も一般に流通している酒だ。質の良し悪しはあれど、庶民から皇帝まで幅広い層に好んで飲まれている。華帝国において、宴会の始まりでは必ず飲まれる酒だ。『郷に入りては郷に従え』という趣向だろうか?
「「「乾杯っ!」」」
グラスがチン、という澄んだ音を立てる。俺たちは誰に言われるでもなく、グラスに注がれた赤黒い液体を一気飲みした。酸味の後にわずかな甘みを感じる。これが華黄酒か。帝国ではアイデアを出して作らせた酒類(ビール、ワイン、日本酒など)しか飲んでなかったが、そのどれとも違う独特の味わいだ。紹興酒に近い。こういうのを飲むと脂っこいものが食べたくなる。
「お、これこれ」
鳥の丸焼きみたいな料理を見つけ、皮の部分をいただく。口の中に広がる甘辛いタレと鳥の脂が口の中に広がる。それを酒で流し込む。
「これはなかなか……」
「美味いじゃねえか!」
二人も俺の食べ方を真似していたらしい。アニクが静かに、ドルジが激しくその旨味を絶賛する。
「う〜ん」
「どうしましたか?」
「何か物足りない気がして……」
アニクが訊ねてきたので、俺は思っていたことを話す。もっといい組み合わせがあるはずだ。俺はいいものを思い出し、従者に持ってくるように頼む。
従者は望み通りのものを持ってきた。俺が贈った酒が入った瓶だ。栓を開け、グラスに中身を注ぐ。黄金色の液体が、シュワシュワと音を立てている。そう。俺が頼んだのはビールだ。
「かーっ!」
同じように鶏肉を食べ、それをビールで流し込む。タレ、脂をビールの苦味と炭酸が洗い流す。やっぱりこれだな。
「美味そうだな……」
「ですね……」
二人はそう呟き、
「おい! 俺にも同じ酒をくれ!」
「ぼ、僕も!」
グラスにビールが注がれ、鳥を食べ、ビールを飲む。
「「美味いっ!」」
そして歓声を上げる。
「これは美味い! 美味いぞ!」
ドルジはそう言いながら、鳥をパクパクと食べる。ビールをゴクゴクと飲む。とても豪快で、気持ちのいい食べっぷりだ。
「いいですね、これ。僕も東西の名酒を商ってきましたが、こんなお酒は見たことがありません」
対してアニクはじっくり味わうように食べ、感想を述べる。そして俺に向かって商談を持ちかけた。まったく抜け目のない奴である。
「他にもありますよ」
しかしそんなに嬉しそうにされるとこちらも気分がいい。そこで持ってきた酒を並べさせる。まずは鉄板の赤ワインと白ワイン。肉は赤、魚は白ーーという俄知識を頼りに赤ワインを勧めた。なお、注ぐグラスはワイングラスだ。
「なるほど。葡萄酒ですか。ですがこれは……今まで飲んできたものよりも苦い」
「苦手ですか?」
「いや。こちらの方がより洗練されている。今までのワインの概念を覆す、画期的なものだ! これは売れる!」
彼の評価に少し不安にさせられたが、リアクションからすると問題ないようだ。
「こちらはどうでしょう?」
今度は白ワインと魚料理を渡す。アニクは一切の躊躇なく口に運び、
「っ! これもまた……芳醇な香りと、赤葡萄酒よりも鮮烈な甘み! それが淡白な魚とよく合っている!」
やはり大好評。気をよくした俺は陶器(これはドルジが用意していた華帝国産)に日本酒を注ぎ、とある珍味とともに渡す。
「こ、これは……」
先ほどまでの喜びはどこへやら。アニクは微妙な表情になる。肴ーーイカの塩辛のせいだろう。見た目があまり美しくなく、というより醜悪で、食欲は湧きにくい。それでもアニクは意を決した表情で口に入れ、日本酒を飲む。
「お、美味しい……」
信じられない、といった様子のアニク。感じるのはイカのプニョプニョした食感と、強烈な塩味。その後に日本酒を飲むと、ほのかな甘みが口に残る塩味によって引き立てられてより一層美味く感じられる。これがハマってしまうのだ。
「おお、これも美味そうじゃねえか!」
そこに出された分のビールを飲み尽くし、鳥を食い尽くしたドルジが加わる。そして出されていたワインや日本酒、肴の類をかき込んでいく。なんだか帝国の産物の試食会みたくなっていた。
提供された土産物が尽きたあたりで落ち着いて本格的な会談に入る。嗜む程度だった俺とアニクはともかく、馬鹿食いしていたドルジは大丈夫なのかと心配になったが、彼は酔った様子がない。酒に強いようだ。
「シゲル殿。単刀直入に訊く。ーーこの国と敵対する気があるか?」
「っ!?」
俺は驚き、すぐに周囲の気配を探る。警戒感を露わにする俺に、アニクは苦笑しながら安心するように言う。
「人払いはしてありますよ」
「ふう……。それで、なぜそのようなことを?」
「いえ。あなたがたの国の噂はこの国で聞かないことはありませんからね。『優れた文物をもたらす東方にある国』と」
そんな話になっていることは知っていたが、彼らも興味を抱いていたとは……。諜報部のリサーチ不足だな。まあ、最近は華帝国への諜報活動を重点的に行わせていたので無理もないか。
「オレたちは帝国と和平を結んだが、従ったわけじゃない」
「機会があれば攻め込む、と」
ドルジは頷く。聞けば、華帝国とモルゴの間には長城はおろか、川すらないという。……攻め放題じゃねえか。彼がやる気に満ちるのもわかる。俺も戦略ゲームなら躊躇なく攻め込むからな。
「イディアは?」
「僕たちの場合は、貿易の拡大ですね。港が限定されているのは痛い」
アニクは商人の目線で語った。たしかに、南からやってくる彼らがわざわざ華帝国東岸中部にあるミーポーにやってくるのはタイムロス以外の何物でもない。彼らが求めるのはその是正だ。しかし海禁政策をとる華帝国は受け入れないだろう。だから敵対関係にあるというわけだ。
そして俺たち竜帝国。国名をめぐって華帝国とバチバチと対決している。つまり、三国は華帝国と敵対関係にあり、『敵の敵は味方』理論では協力関係を構築し得るということだ。俺はここにきて彼らの狙いを悟った。
……ところで、この場のイニシアチブを握っているのは誰なのだろうか。ドルジ(モルゴ)ではない。彼らは農耕民を支配できないからだ。
次にアニク(イディア)。……こちらもない。彼らは単独では華帝国に敵わないからだ。対抗するためには俺(竜帝国)かモルゴの協力が不可欠。そしてモルゴも協力者を探していることから、主導権は俺にある。
……俺も商人の端くれ。ここで退いてはソフィーナに何を言われるかわかったもんじゃない。ここはひとつ、俺たちの商品価値を盛大に釣り上げてやろうじゃないか。
「さーて、どうでしょうか。交渉次第ってところですかね〜。我々に積極的に争う理由はありませんし」
これは本音。華帝国が俺たちが『帝国』と名乗ることを認めるなら文句はない。したがって争う理由もない。平和万歳。だが、あくまでも反対するというのならばO・HA・NA・SHIも辞さない。
これは一種の茶番である。彼らは俺が味方になり得る存在だと思って接触した。そして、それは間違ってはいない。あとはつれない態度をとる俺に利益を示し、仲間に引き込むだけ。いわばこれは、口裏合わせによって結果が確定している会議のようなものだ。
「実はですね、貴国の産物に興味がありまして、いくらか卸してはもらえませんか?」
「もちろんですとも。土産物としていくつか渡しますので、どうぞご参考に。しばらくは華帝国を経由しての取引となりますが、いずれは直接の取引をしたいものです」
「まったくですな」
俺はアニクと握手を交わす。これでイディアとの話はまとまった。
「オレたちも買うぞ!」
「お待ちしております」
ドルジも名乗りを上げる。俺は営業スマイルで対応した。取引するのは俺ではないが。そしてそれ以上は何も言わない。足りない、という言外のメッセージだ。それを察したドルジは言い募る。
「うちは名馬が揃っていてな」
「ふむふむ」
と頷いてみるものの、魅力に欠ける。好事家たちにとっては素晴らしい商品かもしれないが、地理的な関係で華帝国を通して入手するしかない。馬とは軍需物資だ。それを俺たちが大量に購入すれば、戦争準備と捉えられても文句は言えない。
「なら毛皮とかーー」
「う〜ん」
商品として成立しなくもないが、毛皮なら自国でもとれる。いいとこ珍品扱いだろう。やはり魅力が足りない。
「騎馬隊を育てるための教官はどうだ?」
「わたしの一存ではなんとも。陛下の御裁可を受けないといけませんので」
まあ、俺が許可すればいいだけの話なのだが、建前としては外交の全権大使。軍事に踏み込むのは越権行為であり、将来の悪例になりかねない。
「なら女だ! オレの娘を嫁がせる。貴殿にも一族の娘を嫁がせよう。どうだ!?」
「いえ、『どうだ!?』と言われましても、さすがに皇室の婚姻にまでは口を出せませんよ。もちろんお伝えしますが、お返事は陛下より頂くことになります」
要は時間がかかるよ、ということだ。遊牧民が血縁で結合するのは百も承知だが、この動きも華帝国は見逃さないだろう。人格に問題はあるとはいえ、曲がりなりにも大国だ。東と西の国家が縁戚になることを容認するとは思えない。
「ーードルジ殿。貴殿の誠意は受け取りました。交渉は継続するにしても、我々があなたがたに協力するのはやぶさかではありません。そこであくまでも密約という形でお願いしたいのですが……」
そう前置きして、俺は和親条約の締結を提案した。まずは手に手を取り合って仲良くしましょう、というとんでも詐欺条約である。そこで決められた内容としては、
一、三国(竜帝国、イディア、モルゴ)は今後、恒久的和親を結ぶ
二、三国は今後、周辺地域の恒久平和を実現すべく協調する
三、三国は今後、通商関係を結ぶべく努力する(この一環として竜帝国はイディアの首都デーリ、モルゴの都市オルドバに大使館を設置する)
の三点。これが公にされる。が、さらに第二条を根拠とした密約として、
付、三国のいずれかの独立が脅かされた場合、他の締約国は当該国を支援する(ただし、侵略戦争は除く)
というものをつけた。同盟国のうち一国が侵略を受けた場合、他の国はこれを支援するという内容だ。なお、ここでいう『支援』にはあえて解釈の幅を持たせている。つまり、援軍を送ろうと物資を送ろうとどちらでも構わないということだ。さらに、自分から仕掛けた侵略戦争に負けた場合は例外としている。そこまで面倒を見る必要はない。というより、自業自得である。
「この内容でどうだろう?」
「「異議なし」」
ドルジ、アニクは俺の提案に同意。その場で書面が作られ、調印となった。
俺たちはタート滞在中に交流してその仲を深めることとなる。特にイディアに関しては交易が盛んに行われ、航路が確立されてから数年後には竜帝国の貿易相手国(輸出、輸入ともに)第一位となって深い関係になるのであった。




