8-6 タート
ーーーオリオンーーー
リャンオクを使節団の一員ーー待遇としては俺の侍女ーーに加えた一行は、ミーポーの街を出発して華帝国の首都、タートへ向けて出発した。予定では半月かかる。この国が広大な国土を有することが窺えた。
手続きが終わるとミーポーからすぐに出発している。本来なら一日置いての出発となる予定を俺が早めたのだ。訝しがる団員たちにその理由を明かす。
「リャンオクを保護した際の兵士がおかしかったからだ。あれを見ていて不自然に思わなかったか?」
「確かに。いささか男の方に肩入れしすぎているように感じました」
あの場にいた護衛のひとりが同意する。声を上げずとも頷いていた。
「それがなぜ出発の予定を早めることに?」
「あの男たちとミーポーの県令はつながっている。だからすぐに街を離れた」
そうなれば県令としての職権が及ぶ範囲から脱せられる。あの県令も、裏社会と関係を持っていることがバレるリスクを冒してまでリャンオクを消そうとはしないだろう。
「なぜ確信が持てるのです?」
「リャンオクが話してくれた。そうだな?」
「うん。あたし、はっきり見たよ!」
リャンオクが元気よく返事をする。とはいえ、それだけでは信憑性はない。ただの子どもの戯言だと言われるのがオチだ。そこで俺もフォローする。
「そして俺も、魔法で確認済みだ」
そう言ってはじめて、団員たちは納得の表情を見せた。
「では道中、襲撃してくる可能性があると考えてよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。表立って動けないなら、裏の連中が動く可能性は十分にあるからな」
「「「はっ!」」」
護衛たちは頷く。そこまで話したところで俺の服の裾が引かれる。そんなことをするのはーーこの場ではーーリャンオクのみだ。彼女は幼くして両親を亡くし、以後はスラムで生活してきたという。盗みなどはせず、ちゃんと働いて日銭を稼いでいたという。だが、所詮は子どもである。頑張って働いても飢えをしのぐ程度にしか稼げなかったらしい。
そんな彼女だが、磨けば光る逸材だった。頭の回転が早く、竜帝国で使われている言葉(フィラノ語)も簡単な単語ならすぐに覚えた。また容姿についても、身体を洗うと艶やかな黒髪黒目の、日本人の俺からすると見慣れた美少女となっている。これからの成長が楽しみだ。
「どうした?」
「シゲル様、あたしも戦う!」
「んー。あんまり勧められないな」
その心意気は認めるが、戦いは何より危険である。リャンオクは賢い。きちんと学べば文官として身を立てることができるだろう。なのに敢えて危険な道へ進ませるのはどうかと考えてしまう。
リアナはレイチェル姉さんを守るという明確な目標があった。だから戦う術を与えた。
カレンについてはーー調子に乗っていたことは認める。とはいえ、彼女には『今より強くなりたい』という明確な意思があった。だからこそ戦う技術を仕込んだ。
ではリャンオクは?
「えーっ。どうして?」
リャンオクは不満そうだ。まあ予想通りといえば予想通りである。そんな彼女に俺は問う。
「どうして戦うんだ?」
と。なぜ自らを危険に晒してまで戦おうとするのか。俺はその真意を問う。彼女は答えて曰く、
「シゲル様のお役に立ちたいから」
俺はリャンオクを真っ直ぐに見て、決して視線を逸らさない。リャンオクもまた、俺を見返した。その目が逸れることはない。
「前に恩返しって言ったけど、何をすれば恩返しになるんだろうって考えた。それで色々なことをすればいいんじゃないかなって」
「それで戦うと?」
「うん。シゲル様を護る!」
その言葉は決意に満ちていた。その瞳は意思の炎を燃やしていた。他の仕事もあるぞ言いたいところだが、そうやって彼女の決意に水を差すのは無粋というものだ。俺は甘いな、と思いつつ頷いた。
「わかった。なら教えよう。戦い方を」
「ありがとう!」
リャンオクは満面の笑みを浮かべる。……ちなみに、彼女には俺の正体を明かしていない。いずれ知ることになるだろうが、そのときが楽しみだ。そんな彼女にひと言。
「責任重大だな」
と言った。その言葉に彼女は挑戦的な笑みを作る。頼もしい利限りだ。
翌日からリャンオクへの戦闘訓練が始まった。とはいえ、最初から特別なことをするわけではない。カレンは基礎ができていたのでいきなり武器を使った実戦的な訓練を施したが、リャンオクは違う。なのでいきなり武器を使った訓練をせず、じっくりと基礎から叩き込んでいく。
まずは基礎の基礎ーー体力作りからだ。やることは簡単。馬車で進む俺たちに、ランニングしてついてくることだ。なお、これは文官三人を除けば俺を含めて全員できる。最低でもこれを四時間続けなければ話にならない。いかに技術が優れていようが、疲れでやられたのでは本末転倒である。
ランニングは毎日継続的に行い、少しずつ距離を伸ばしていく。初日は血反吐を吐かんばかりに疲労していたが、決して『辞めたい』とは口にしなかった。やがて体力もついてきて、旅が終わるころには二時間くらいは走り続けられるようになっていた。
それと並行して行われたのは戦闘勘を養うことだ。具体的には、護衛たちによる襲撃に対処することである。誰が襲撃するかを事前に教えられ、護衛扮する暴漢から俺を守るーーこれが初級。中級になると寝込みを襲われるので、飛び起きて対処しなければならない。上級編では、所構わず襲われる。
戦闘訓練を受けていないので制圧する必要はないが、対処はしないといけない。要人の護衛に求められるスキルは高いのだ。ちなみにこの訓練はシルヴィの発案で始められた。今では帝国で要人(特に皇族)のボディーガードを務めるのにこの技能は必須とされている。発案者であるシルヴィはもちろん、カレン、リアナも修得していた。その他、皇族付きの侍従武官には必須技能だ。
護衛たちもプロなので、事前情報がある初級の段階でもリャンオクを翻弄する。だが元々の才能もあり、目的地に着くまでには対応方法を見つけて中級に移行していた。さすがにこちらは易々と突破できない。しかしリャンオクはどこまでも真面目であり、護衛たちにも気に入られていた。
この他にも、帝国で生活するには必須のフィラノ語の学習も進んでいた。この教師は俺。代わりに彼女からは華帝国で使われている言語を教えてもらう。
そうこうしているうちに、俺たちは今回の旅の目的地である華帝国の首都、タートに到着したのだった。
ーーーーーー
タートに到着した日はもう夕方だったので、太宗皇帝への謁見は翌朝に行われた。
「使者よ、よく参った」
「拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極にございます。わたくしは竜帝国の皇帝陛下より命を受けて派遣されました特命全権大使、シゲル・ヨシダです」
俺は謁見の間で跪き、挨拶を述べる。丁寧な口上を心がけるが、あくまでも自分たちは『帝国』であるということを強調した。
「面を上げよ」
促されて頭を上げる。そうすれば改めて周囲の景色が目に入った。華帝国の宮殿も中華風。朱色を基調とした木造の宮殿のところどころに金銀で細工が施されている。
玉座に座るのが皇帝の太宗。見た目は四十代のおじさんだ。ただし、決して凡庸そうな見た目ではない。鋭い切れ目がこちらを向いている。かなり賢そうな見た目だ。
「遠路はるばるよくぞ参った。我が国の優れた文物を見学していくといい」
「お気遣いありがとうございます。それはぜひとも。加えまして、交渉の席を設けてくださると幸いです」
「無論だ。預かった国書についても、内容をよく検討しよう。必要であれば再び謁見することも厭わぬ」
「ありがとうございます」
ーーというような会話が交わされ、俺たちはタートに腰を落ち着けて外交交渉に臨むことになった。
まず俺たちの交渉相手となったのはこの国の宰相、トゥ・ヒョンシクだ。華帝国の差別意識は激しい。それは彼を見てもよくわかる。こちらが正装なのに対して、彼は常装だ。椅子に深く腰掛け、やや海老反りになっている。非常に失礼だ。内心イライラするが、喧嘩をしに来たのではない。和解にきたのである。文句その他はグッと呑み込み、笑顔を作った。
「本日は面会のお時間をいただきありがとうございます」
「なに、蛮族を導くのも世界の中心にいる我々の務めだ」
「(イラっ)……えー、本日はヒョンシク様にわたくしどもの立場についてご理解いただきたいと思いまして、こうしてまかり越しました」
「ふむ。立場とな?」
視線で先を促される。俺は竜帝国があくまでも皇帝を戴く国家であり、また華帝国とは対等な国家であること。敵対する意思はなく、今後とも友好関係を結びたいということだ。ヒョンシクは最初こそ話を聞いていたが、すぐに興味をなくした。そしてこちらの言葉が途切れたことを確認すると、すぐさま反論する。
「なるほど。……まったく話にならんな」
彼はやれやれと首を左右に振る。
「どういうことでしょう?」
「世の理を理解しておらぬということだ。……チャンから聞き及んではいたが、これまでの蛮族でも最も野蛮な輩だな」
後半部分は独り言だったのかもしれないが、バッチリ聞こえていた。マジで腹立つな、おい。
「(イラっ、イラっ)……それはどういう意味でしょう?」
「そのままの意味だ。よいか? この世界は我ら華帝国を中心に構成されている。世界の中心が華帝国であり、そこに住む我らは周囲の蛮族に文明を理解させる使命があるのだ。そして、華帝国の皇帝は天帝が地上世界に遣わした子であり、その支配は世界の中心たる華帝国のみならず、世界全土に及ぶ。よって本来なら、すべての人間は皇帝陛下の支配に服さねばならないのだ。しかし、慈悲深い皇帝陛下は地上世界をすべて直接支配するのではなく、各地に王の存在を認めてこられた。よって蛮族の王は入朝し、陛下のお慈悲に感謝し、貢物を捧げるのが筋。だというのに、貴様らはあろうことか皇帝を僭称し、我が国と対等に付き合おうなどと、分を弁えず無礼千万ッ! 命あるだけでも感謝するのだな!」
ヒョンシクは勝手にヒートアップし、怒鳴り散らすと席を立ってズカズカと奥へ引っ込んでいった。言うだけ言って退散とは……どうやら先方に交渉する気はーーこちらが『帝国』という看板を取り下げない限りーー皆無なようだ。それだけはよくわかった。
「はぁ……」
俺は思った以上に前途多難だとため息を吐いた。ちなみにヒョンシクの話を解釈すれば、
『この世界は我ら華帝国を中心に構成されている。』→それがあなた方の世界認識(世界観)ですか。
『世界の中心が華帝国であり、そこに住む我らは周囲の蛮族に文明を理解させる使命があるのだ。』→知るか。お前らが勝手に決めただけだろうが。
『そして、華帝国の皇帝は天帝が地上世界に遣わした子であり、その支配は世界の中心たる華帝国のみならず、世界全土に及ぶ。よって本来なら、すべての人間は皇帝陛下の支配に服さねばならないのだ。しかし、慈悲深い皇帝陛下は地上世界をすべて直接支配するのではなく、各地に王の存在を認めてこられた。よって蛮族の王は入朝し、陛下のお慈悲に感謝し、貢物を捧げるのが筋。』→一国が世界全土を支配するなんて不可能だからね。そういう前提を作った上で『所有を認めている』というスタンスをとることで自分たちが上に置けるというわけですか。
となる。長い時間をかけて練りに練られた理論なのか、なかなか上手くできていた。特に世界全土を支配するのは不可能だから支配権を譲る、というスタンスをとって自分たちを上位に置くのは、理想と現実を上手くすり合わせている。
ただし、これを認められるかと言われれば、答えは否だ。別に完全否定するわけではないし、自国で勝手にそう思い込むのも一向に構わない。だが、少なくとも俺たちにその価値観を押し付けないでほしいのだ。
しかしその願いも虚しく、俺の主張が華帝国の人間には受け入れられなかった。それは宰相のヒョンシクのみならず、面会した閣僚全員にだ。当初の計画では有力な臣下を説得して交渉を優位に進めるつもりだったが、路線を変更せざるを得ない。
皇帝はしばしば『絶対君主』のように思われがちだが、為政者である以上は柵から逃れることはできない。君主が絶対的存在でいられるーーあるいは独裁権を振るえるーーのは建国した黎明期や中興した人物のみで、その他は群臣の意見も容れなければならなくなる。その点を利用して攻めるつもりだったが、想定が甘かった。異世界版中華思想ともいうべきこの考え方は、華帝国の上層部に浸透しているらしい。
「リャンオクはそんなことを考えてないのにな……」
正直、華帝国の人間に対する印象は最悪だ。他者ーーというよりは異民族に『自分たちより劣った存在』と勝手にレッテルを貼って見下している。それはやってきた使者だけでなく、多くの民衆も同じだった。交渉が上手くいくのは絶望的だと思っていたが、それでも差別意識に毒されていない人間がいるのではという淡い期待もあった。そしてリャンオクに出会って少し希望を持つこともできた。だが今回の交渉で、それは打ち砕かれてしまう。どうしようかと、俺は頭を悩ませるのだった。
ーーーーーー
結局、解決の糸口を掴めないまま太宗に謁見することとなった。今回は謁見の間ではなく、部屋で対面しての話になる。太宗は護衛の他に二人の人物を連れていた。ひとりは見たことがある。使者をしていたチャン・ボンチャンだ。もうひとりもチャンと顔が似ている。兄弟か? 色々と推測できるが、正直どうでもいいことだと思い直す。挨拶をして、早速本題に入った。
「本日は我が国の立場について交渉したく思います」
「国書については読ませてもらった。以前とあまり変わらない内容だったな」
そりゃそうだ。言っていることは同じなんだから。変わった点といえば、前回の遣使の結果を踏まえ、表現が変わったことくらいだろう。
「それと同様に、我が国からの返事も変わらない」
ですよねー。何の行動を起こしていないのだ。意見が翻らないのも当たり前といえる。
「そもそも、そなたらは新たにできた国ではないか。以前の体制を崩したことをこちらが認めて国交を開こうというのに、それ以上のことを認めさせようなどとはいささか望みすぎというものではないか?」
太宗は子どもに諭すように穏やかな口調で話しかけてきた。事実、彼からすれば俺たちは子どものようなものなのだろう。たしかにその通りだ。彼らの思想が正しいのであれば、だが。そして正しくないからこそ是正を求めているのだ。折れるわけにはいかない。
「お言葉ですが。竜帝国は前身であるフィラノ王国の女王、現皇后陛下が、皇帝陛下に王権を譲る形で成立した国です」
「ゆえに『王国』であろう?」
「いいえ。皇帝陛下は皇后様の同盟者でありました。すなわち、自らも王であるのです。カチンとフィラノ、二ヶ国の王であらせられます。しかし、それでは不適当です。よって両者を包含する概念として『王のなかの王』ーー皇帝という称号を生み出したのです」
事実は異なるが、これが竜帝国の公式見解であった。編纂される史書にも、同様の建国ストーリーが載せられる予定だ。そのロジックは中華皇帝のそれであり、華帝国の皇帝も同じような経緯をたどっている。いわば水と油だ。俺としては互いに皇帝、それでいいじゃないかと思うのだが、彼らには許容できないのだろう。
「……どうしても認めぬというのか?」
「はい」
ここは譲れない。俺は皇帝を見返した。
「貴様、なんだその態度は!?」
「待て!」
激昂した部下を太宗がスッと手で制した。短慮はよしてほしい。こちらは戦闘能力皆無な文官しかいないのだから。
「しかし陛下ーー」
「落ち着け、ボンギル。……いいだろう。ならば見せてやる。世界の中心に住まう朕と、僻地に住むそなたら蛮族との違いをな」
そう言って太宗は口の形を歪めた。




