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死ねない体

第二話です

 柔らかいような、硬いような。

 不思議な感触の冷たい床の上でうつ伏せになって、天云は意識を取り戻した。

 ここは何処だろうか? 投身直後ならここは花壇の筈だ。もしそうならこの感触も頷ける。花壇の土独特の感触だ。

 試しに右手を握り締めると。手の中に土の粒子を感じる。

 だが、ここで天云に新たな疑問が生じた。

 なんで手が動かせる(・・・・・・・・・)

 意識が途絶える直前、天云は自身の脛椎が折れるのを確かに感じた筈だ。

 脛椎が折れてしまえば、脳と全身を繋ぐ神経が損傷し、身体に深い後遺症が残る筈だ。いや、そもそも意識を取り戻す事すら不可能だ。なのに、何故……。

 そういえば、先程から感じるこの臭いは何だろう。何処かで嗅いだ事のある、鉄臭いこの臭いは……。

「おーい、大丈夫かー?」

 それが血の臭いだと気付いたのと、不意に男の声がしたのは殆ど同時だった。

「おい、君! 大丈夫かい!?」

 足音が近づいてくる。このまま倒れていて人を呼ばれるのは出来るだけ避けたい。腕に力を込めると、難なく立ち上がれた。

(……え?)

 そう。難なく立ち上がれてしまったのだ。全身がバキバキに壊れていた筈なのに。その証拠に、全身に捻挫のような痛みが僅かに残っている。

「君!」

 すぐ後ろから先程の声が聞こえる。振り向くと、薄緑の作業服に身を包んだ50代位の男性が焦った表情で立っていた。服装からして、天云の高校の用務員だろう。

「そ、そのっ……だ、大丈、夫……?」

「大丈夫です」

「いや、でも……」

「大丈夫です」

「でも、その顔……」

「顔?」

 顔面蒼白で口をワナワナと震えさせる用務員の態度は尋常ではない。天云が試しに自分の頬に触れると……。

 ぬるり。

「へ?」

 掌に、見に覚えの無い滑りを感じる。

 頬だけでは無い。不可解なその液体は顔のほぼ全体を覆っていた。

「何だ、これ……」

 恐る恐る、手に付いたその液体を見ると、天云の掌は真っ赤に染まっていた。

「これ、血……?」

 この鉄臭い臭いと赤い液体。その全てが天云の出血を表していた。だが……。

「君、その……本当に大丈夫なの?」

「はい。何処にも傷は無い(・・・・・・・・)みたいなので」

 そう、天云はどこも怪我していない(・・・・・・・・・・)のだ。血が出ている以上怪我はあったのかもしれないが、今は完全に塞がっている。傷跡も残らない位、綺麗サッパリと。

 ……あの女神、だろうか。

 確かにあの女神は天云に「あなたは生き残る事になる」と言った。だから、こうして無傷でおめおめ生き残ったのだろうか。

「おい、君……?」

 何故そこまでする?

 何故、自ら死のうとした人間の命を救うばかりか傷まで治す?

「お、おい……」

 何故、天云一人にここまで肩入れする? たかが一人の凡人……否、凡人未満である天云に女神とやらがここまで手を掛ける理由が分からない。

 それとも、あれはただの夢だったのか。

 死にかけたせいで垣間見た想像の世界だったのか。

 だが、今天云が生きている事が。

 校舎の屋上から飛び降り自殺したのにも関わらず、天云がこうして無傷で立っているという事実が。

 あの時見たのは現実だと天云に語りかけているようだった。

「君!」

 突如聞こえた大声に我に帰ると、用務員が不思議そうに天云の顔を覗き込んでいた。

「本当に大丈夫かい? 凄く怖い顔をしていたけど……」

「……大丈夫です。見た目ほど傷も深く無さそうですし」

「そ、そうか……」

「失礼します」

 更なる追及から逃れるべく、顔の血を拭った天云はそそくさと用務員の脇をすり抜ける。

 気落ちする必要はない、と自分に言い聞かせる。

 あの女神は言っていた。「一度生き返った後あなたの命は、あなたの自由。生きるなり死ぬなり、好きにすればいい」と。

 つまり、一度生き返っただけで、もう一度自殺すればちゃんと安心して死ねる、という事だ。

(……安心して死ぬって、こういう時に言う言葉じゃないよな)

 何事も無かったかのように去る天云を怪訝そうに見つめる用務員の事など最早忘れ、天云はそう、寂しく笑った。




*     *     *




「ただいまー」

 そのままの足取りで家に帰り着いた天云の声に答えたのは、家全体を包む沈黙だった。

「まだ帰ってない、か」

 天云の両親は共働きだ。私立高校に通う天云のため、夜遅くまで共に働いて懸命にお金を稼いでいた。

 今日までは(・・・・・)

「それも、今日で終わりだ」

 天云が死ねば、家族にかかる負担は大幅に減る。そうすれば、二人とも自分達だけの生活を送れるのだ。

 全て、隼恣天云という一人の人間が死ねば片が付く。

「……やるか」

 自室に向かい、ドアノブに少し短めのロープを結わえ付けた。その先端に円を作り、自らの首に巻く。

「……よし」

 天云が下半身から力を抜き、ドアに寄り掛かると、ロープに天云の全体重がかかった。

「ぐっ……」

 ロープが頸動脈と気管を圧迫し、脳に送られる血流と肺に届く酸素が遮断される。

「ぐ……か、は……」

 呼吸が出来ずに足をばたつかせて苦しみ悶えるが、天云の頭は至って冷静だった。

 心配はいらない。この苦しみは一瞬だ。肺が焼け付くような痛みを発し、血流を失って酸素不足になった脳の細胞がすぐに壊死していく。現に、天云の意識に黒い靄が広がり始め……。


 その靄が一瞬で引いた。


「……え?」

 同時に焼け付くような胸の痛みも消え失せる。

「な、にが……ぐうっ!」

 無理に喋ろうとして余計に喉が締まる。

 痛みは消えたものの、喉を締め付ける苦しみは消えない。

 血流と空気が途絶え、再び肺が焼け、頭に黒い靄がかかる。

 消える。

 苦しむ。

 靄がかかる。

 消える。

 苦しむ。

 靄がかかる。

 消える。

 苦しむ──。

「が、ぐ、あふぁっ……」

 死ねない。苦しみは続き、死の前兆は見えるのに、一向に死ねない。

 まるで波が寄せて返すように。

 死が寄せては返すのを、天云は延々と感じ、悶え苦しんだ。




*     *     *




 何十分、いや、何時間経っただろうか。

「…………」

 (おわり)の無い苦しみに耐え兼ねた天云は、首からロープを外して踞っていた。

 なんで、死ねないんだろう。

 死のうが死ぬまいが、命をどう扱おうが自分の自由では無かったのか。

「……なんで……」

 踞り、掌を見つめたまま、天云はポツリと呟いた。

「なんっ、で……」

 見つめる掌がぼやけ、透明な液体が溢れ落ちた。

 悔しかった。

 生きているべきではない自分が生きなければならない事が。

 死ななくてはならないのに、死ねない事が。

 悔しくて、悔しくて。

 こんな目に合わせた女神とやらが許せなくて。

「ふ、ぐううっ……」

 死にたくても死ねない自分の体も許せなくて。

「うあああっ……」


 涙が、止まらなかった。

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