表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

愚人の目覚め

初投稿です。どうかお手柔らかに…


(5/30)ルビ振り等を修正しました。他の話も同様です。

 頬に突き刺さるような冷たい風を感じる。

 髪や服が風に煽られて激しく棚引く。今日は強風の予報は出ていなかった筈だが。

 まあ、無理もない。ここは地上五階にあたる学校の屋上なのだから。

 周囲には誰もいない。当然だ。今は授業中。それも、中間試験中(・・・・・)だ。そんな時間にサボる奴なんて滅多にいない。

 彼、隼恣(はやし)天云(たかのり)が周囲に誰もいないこの時間、この場所を選んだのには理由があった。

 自殺するため(・・・・・・)だ。

 耐えられなかった。ありとあらゆる事が、天云には重過ぎた。この世界は、天云にとっては優し過ぎた。

 自分が生きている事が。自分が誰かと関わっている事が。自分の存在が誰かに影響を与えている事が。嫌で嫌で仕方なかった。

 だから、死ぬ。

 誰にも迷惑を掛けないように。

 誰にも気付かれないように。

 周囲に張り巡らされたフェンスに足をかけ、少しづつよじ登る。天云の全体重を支えるフェンスの針金が指にきつく食い込むのを感じた。

 フェンスを乗り越え、天云は屋上の端すれすれに降り立った。眼下には、日の当たらぬ校舎裏の荒れ果てた花壇が見える。その周囲には砂場を均すための大型モップや用途の失われた材木などが散乱していた。

 あの場所に落ちれば、飛び降りる天云の姿を誰かに見られる事も、誰かにすぐに発見されて通報される事も無い。自殺しようとしたものの誰かに早期発見されたお陰で病院に担ぎ込まれ一命を取り留める……なんて事はまっぴら御免だ。

 死ぬ。死ななくてはならないのだ。

 自分は、隼恣天云は、この世の役にも立たないのだから。

 恐怖も、感慨も無く、天云は両腕を広げ、屋上から身を躍らせた。

 その心にあったのは、悔恨だけだった。

 『生まれてきて、ごめんなさい』と……。

 重力に従い、顔を下に向けて天云の体は自由落下する。

 空気抵抗から来る風を全身で感じる。

 音速で迫り来る死を目前にして、ドクン、ドクンと心臓がうるさく脈打つのが聞こえる。

 胸の奥に、不可思議な熱さを感じる。

 命の暖かさだろうか。だとしたらそれは、今の天云には酷く邪魔っ気だ。

 目前に茶色の地面が迫る。

 顔面から冷たい地面にめり込み、全身に形容しがたいほどの鋭い痛みが走る。

 天云が最期に感じたのは、自らの頸椎がポキリと折れる感覚だった。






 ぐしゃり。






*     *     *





「――い」

 目の前にぼんやりと光が見える。

「――さい」

 俗に言う『死後の世界』というやつだろうか。

「いつ――るの――?」

 ぼんやりと優しい、全身を包み込むような柔らかな声が聞こえる。

「――ほら、起きなさい」

 今度ははっきりと聞こえてくる。女性らしい、透き通るような……どこか神聖さも感じられる、そんな声だ。聞く者に有無を言わせぬ不思議な力を持つその声に従い、天云は目を覚ました。

 天云が最初に目にしたのは、どこまでも広がる花畑だった。色とりどりの花が咲き誇り、果てまで続くと言わんばかりの地面を覆い尽くしている。その真ん中にポツンと置かれた木製の椅子に、天云は座っていた。

 ここは、どこだろうか。

 天云のそんな疑問は、目の前に立つ人物の存在を前に霧散した。

 その人物は、純白の服を着た女性だった。長く棚引く茶髪と大人びた表情は、まるで女神のそれのようだ。身に着けている服も神話に出てくる女神のように布を体に巻き付けただけのような簡素な物だ。

 そして何より目を引くのは、その背中に生えた一対の白い羽根だ。純白のそれは彼女の全身を包み込むほど大きく、彼女が人ならざる存在である事を示していた。

「え……えっと……」

 彼女は誰だろうか。恐らく先程天云を起こした声の主だろうが、少なくとも人でない事は確かだ。

「私はニケ。ウィクトーリア、とも呼ばれるわね」

 天云の思考を読んだように、彼女――ニケは静かにそう答える。その名に、天云は聞き覚えがあった。

 サモトラケのニケ。確か、ギリシアで作られた彫像にそんな物があった筈だ。首と両腕が損壊した、羽根の生えたその女神像は非常に有名なものだ。

 ニケとはギリシア神話の勝利の女神ニーケーの事で、ローマ神話ではウィクトーリアと呼ばれていたと記憶している。

 ちょっとした神話オタクの天云はそんな事を思いながら、改めて自分の置かれた状況を整理した。

 天云は学校の屋上から飛び降り、死んだ……筈だ。全身を地面に音速に近い速度で打ち付けたのだから、全身が粉々になっている筈だ。

「じゃあ……やっぱりここは『死後の世界』、って事ですか」

 天云がそう尋ねると、ニケは寂しげに首を横に振った。

「いいえ、違うわ。あなたは今、生死の境にいる。肉体は殆ど死にかけだけど、あなたの魂はまだ……」

「そうですか。じゃあ、死なせて下さい」

 そこまで聞いて天云はそう頭を下げた。

 生死の境だとか言って、結局生き残ってしまうのでは意味がない。そうなる位なら、とっとと死なせて貰った方がいい。何故なら、この死は――。

「……自ら望んだ死だから?」

 憐れむような目を向けるニケに、天云は頭を下げたまま頷いた。

「憐れみとか、慈悲とか必要無いです。僕にそれは相応しくありません。死は、僕にとって救いなんです」

「……申し訳ないけど」

 天云の悲痛な頼みに、ニケはそう言って目を伏せる。

「あなたを死なせる事は出来ない。むしろ、あなたは生き延びる事になるわ」

「何でですかっ!?」

 予想外の拒絶に、天云は思わず声を荒げた。

 何故、死ぬ事が許されないのか。

 何故、自分のような人間が生かされるのか。

 何故、何故、何故――。

「……あなたが、選ばれたからよ」

 そんな天云の疑問は、ニケの言葉に遮られた。

「選ばれたって……何に、ですか」

「……それは、まだ話せないわ」

「話にならない。死のうとしている人間をわざわざ生かそうとする必要は無い筈です」

 相手が女神である事も構わず、天云は捲し立てた。

「どうせ、生き返らせたって俺はまた死にます。それだけが、僕の望みです。他には何もいりません。」

 拳を握りしめ、自分に言い聞かせるように天云は言い放った。だが、どれだけ強く言ってもニケの天云を見る憐みの目には何の変化も訪れなかった。

「あなたがどれだけ拒んでも、今あなたが生き返るのはもう決まっている事。それは私にだって止められない事だわ」

 ニケから告げられる理不尽で残酷な事実に天云は目の前が暗くなるのを感じた。

「だけど、一度生き返った後あなたの命は、あなたの自由。生きるなり死ぬなり、好きにすればいいわ」

「じゃあ……!」

「でもその前に」

 思わず身を乗り出す天云をニケの手と言葉が制した。

「あなたはこのカードを引く必要があるわ。……まあ、あなたで最後(・・・・・・)だから一枚しか残ってないけど」

 そう言うとニケは天云の前に右の掌をかざした。するとその掌が青白く光り輝き、次の瞬間一枚の白いカードが静かに表れた。

「……そんな物」

 いりません、と言おうとする天云に、ニケはキッ、と鋭い視線を向けた。それは、彼女が初めて見せる怒りだった。

「受け取りなさい。これは、義務よ」

 有無を言わせぬその佇まいに、天云は渋々そのカードを受け取った。

 そのカードは非常に軽かった。軽いというより、重量が全く無いように感じられた。それでいて、触った限りでは非常に硬く、折り曲げたり破ったりは出来そうになかった。

 そしてそのカードに描かれていたのは――一人の男だった。

 ボロボロの服を着たその男は崖の上に立ち、荷物を結びつけた三尺棒を携えている。足下では犬が鳴き喚いており、今にも崖から落ちそうなその男は……しかし朗らかな表情を浮かべていた。

「これは……」

「THE FOOL。『愚人』よ」

 カードを見たニケは淡々とそう言った。

「『愚人』……?」

「愚者、愚か者とも言うわね。」

「……一体、どういう……」

「それが何を意味するかは、いつか分かる時が来るわ」

 そうニケが言ったのと、周囲の景色が揺らいだのは殆ど同時だった。天云が座る椅子の周りの花の輪郭がぼやけてくる。

「……時間ね。あなたはこれから現実世界に戻るわ」

「……どうせまた死にます」

 天云はカードを握り締めたまま、きっぱりと言い切って見せた。

 その言葉にニケがどんな表情を見せたかは分からない。ただ、何かを言おうと口を開くニケの顔が光の渦に呑み込まれるのが見えただけだった。




*     *     *




「……あなたは死なないわ。あなたは生きる理由を見つけるのよ。その力で」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ