5
白いテーブルには、白いティーカップ。中には熱い紅茶が注がれており、白い皿にはお菓子やサンドイッチが乗っていた。美味しそうだが、チヴェッタは食べる気になれない。
宮廷魔法使いになってはいても、本質は労働者。近衛騎士や侍女達が見ている中での食事には、抵抗がある。
「こうして話すのは、はじめてだな。半年も王宮にいたのに、今更とは笑ってしまう」
チャールズは笑った。年相応の笑顔に見えて、チヴェッタは少し、安心した。
「あの占い――いや、予言か。あれは本当に実現するのか?」
「はい。します」
紅茶を飲もうとしたが、チヴェッタは中断してはっきりと答えた。本当は、肯定しないほうがいいのかもしれない。
けれど、自信は今も消えていないのだ。
「そうか……。姉上達が言っていた。チヴェッタの占いは本当によく当たる、と。そのおかげで、一番上の姉上は良い縁談がまとまった。感謝する」
「いえ、仕事ですので」
チヴェッタは紅茶を飲む。いい香り。それにとても、甘い。蜂蜜が入っているらしい。
きっと、いい蜂蜜だ。
「さっき宰相に聞いたんだが、雇用期間を延長するらしいな。アイザックが喜ぶ」
「……どうしてそこで、アイザック・ヴェンデルの名前が出るんですか?」
カップを置き、チヴェッタは小首を傾げてチャールズを見た。
「どうしてって……アイザックはそなたを気に入っているようだ。よく話題に出るし……本当なのか? あの年中無表情の男の感情を見抜けるというのは」
「は、はい……」
チヴェッタは意味がわからなかった。話題に出る?
もしかして、悪口とか?
「それはすごいな。魔法使いだからか? 私は知り合って二年になるが、一度も見抜けたことがない」
チャールズは可笑しそうに笑っている。
アイザックが剣術指南役になったのは、二年前だそうだ。以前の剣術指南役は引退し、田舎で悠々自適に暮らしている。
次の剣術指南役は、多くの者が立候補し、また推薦もあった。国王は「王太子の気に入った者を選ぶといい」と言って、すべてをチャールズに一任したのだ。
チャールズはいろんな騎士を隠れて見た。単純に強い者、形だけの中身のない者、中には魔法を使える騎士もいた。
そんな中で、アイザックを選んだ。侯爵家の嫡男だと知ったのは、選んだ後だった。
「あの者の剣は真っ直ぐだ。ズルして勝とうとする者もいるが、アイザックは負けない。私はあの者の剣に、正義を見たのだ」
「なんとなく、わかります」
アイザックが剣を抜いているところを、何度か見たことがある。うまく言えないけれど、チャールズの言う通り、真っ直ぐな剣だと思った。正しい人。正しいことを、正しいと信じて選び、決定することができる人。
正義――そう、正義だ。チヴェッタには似つかわしくない言葉。なんだか、胸がムカムカした。
「そうか。同じ感想を持つ者がいると、やはり嬉しいな。……チヴェッタというのは、本名ではないと聞いた」
「はい。魔法名、です」
チヴェッタのカップの中身が空になると、侍女が素早く、熱い紅茶を注いでくれた。居心地がいいとは言えない。目の前には王太子がいて、周囲には大勢の人間がいる。見張られているような気分だ。
チヴェッタが何か粗相をすれば、厳しくも冷ややかな目を向けられそうで怖い。
「魔法名か……。本名を知りたいと言ったら、教えてくれるか?」
「できません。お許しください」
チヴェッタは反射的に、即答してしまった。
チラッと騎士や侍女を見たが、責めるような目では見られていなくて、安堵した。
「残念だな。アイザックに勝てると思ったのに」
「私の本名を知ることが、勝ったことになるんですか?」
「なるさ。アイザックよりも先に知れば、悔しがる。無表情が崩れるかもしれない」
チャールズは楽しそうだ。悪戯を企む子どもみたい。
いや、十二歳なのだ。子どもらしい面があって当然。
「そうだ。本題を忘れていた。もうすぐ、私の十三歳の誕生日を祝う舞踏会が開かれる。その時、占って欲しいのだ、相性を」
「相性ですか? どなたとでしょう?」
「その場にいる令嬢すべてとだ」
少しだけ、チヴェッタは驚いた。意中の相手がいるのかも、と思ってしまったのだ。
「未来の王妃を決めるには早い気もするが、父上や母上は心配性だし、私自身、早めに決めて安心しておきたい。だから舞踏会の夜、隠れて占ってほしい。具体的には、将来子どもが――男子が生まれるのか、浪費癖がないのか、とかだな」
「……わかりました」
チヴェッタは頷く。断る理由はない。
それでも、目の前の少年が急に、冷めた人間に見えてしまった。
さっきまでは、子どもらしく見えたのに。
「そんな目で見ないでくれ。私は王族だ。恋をするのは、諦めている。姉上達は違うようだが――違うな。姉上達も諦めているのだ。小説の中にあるような恋を諦め、夫になると決まった者に恋をする。笑える話だ。――だがそれは、アイザックとて同じこと」
また、あの人の名前を出す。
どうして? 私とあの人がまるで、特別な仲みたい。
「この国に定住する気はあるか? あるのであれば、私が後ろ盾となろう。エキドナの魔法は素晴らしい。日照りの続く村に雨を降らせ、大雨で作物がダメになるとわかったら、作物の成長を早めて、収穫させる。だがそれらすべては、そなたの占いがあればこそだ」
「……私は宿り木のない梟。いつかは飛び立つ運命にあります」
「無理強いする気はない。そなたらは『所有物』ではないのだ」
チャールズはそう言って笑った。大人びた笑顔だった。子どもらしさは、消えている。
王族や貴族の子どもは皆、こんな風なのだろうか?
王女に恋占いを頼まれたときは、普通の女の子に思えたのに。男の子だから?
責任とか、義務とか、そういったものを自分に課して、苦しくないの?
「舞踏会のときは、エルネスタが令嬢の説明をしてくれる。エルネスタはすごいぞ。知らない令嬢はいないかもしれない」
チャールズの視線を追えば、真面目そうな顔の侍女がいた。
「殿下……もしよかったら、殿下の恋を占いましょうか? その、差し出がましいとは思いますが」
十二歳の少年は、これからもっと、美しく成長することだろう。
それなのに、この少年はもう、諦めてしまっている。
それが少しだけ、不憫に思えた。
「いや、いい。恋をする相手が、妻ならばいい。だが、妻でなければ? 貴族でなく……使用人だったどうする? 叶わぬ恋ならば、いっそ知らぬ方がいい。お互いのために」
そうじゃないのよ――チヴェッタは心の中で、否定の言葉をつぶやいた。
けど、うまく言葉にできないような気がして、声には出せなかった。
気の迷いだ。恋なんて、口にするべきじゃなかった。
「何か、必要なものはあるか? 個人的な頼みを聞いてもらうんだ。何か礼をしたい」
「……特には何も」
考えてみたけれど、欲しいものも必要なものも浮かばなかった。
あるにはあるけれど――エキドナと住む家とか、エキドナを愛してくれる男性とか――でもそれらは、人に頼んで得るようなものじゃないと、チヴェッタは理解している。
「思いついたら、いつでも言ってくれ」
チャールズは機嫌を悪くすることなく、笑っていた。
チヴェッタは思い出したように、カップを手に取る。紅茶は少し冷えていたけれど、構わず飲んだ。
(どうして私、ここにいるんだろう……?)
この国に来てから、いろんなところに行って、いろんな人に会った。
それはいいことなのかもしれないけれど、チヴェッタは困ってしまうときがある。自分の世界が、なんだかとても、広がるような気がしたのだ。
いいことのはずなのに、いい気分じゃない。愛着がわいたら、鳥だって飛び立つのを躊躇うものだ。
チヴェッタは梟――梟は鳥――鳥は飛び立つものよ。羽があるんだから。
そう、どこにでも行けるの。
だから、飛び立つ邪魔をしないでほしい。