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騎士団に戻ったアイザックは、自分に向けられる視線が妙なので、不思議に思った。見られている。
もしかして、団服が濡れているからだろうか?
それなら仕方ない。
アイザックは納得して、着替えるために更衣室へ向かった。
「アイザック! アイザック・ヴェンデル!」
更衣室へ向かうアイザックを呼び止めたのは、自分の上司だった。
ジェラルド・ユルゲンス――王国騎士団第五師団師団長である。金色の髪と、緑色の瞳を持つ、精悍な男性だ。
「お前宛の差し入れが、また来てるぞ」
「また、ですか」
「人気者は辛いなぁ」
ジェラルドは慰めているのだろうか?
なんだかとても、楽しそうだ。
「以前、断ったのですが……」
「断ったって無駄だ。彼女達にとって、お前は憧れの騎士様なんだからな」
「憧れの騎士様、ですか……」
アイザックには、よくわからない。騎士というのは、どちらかと言うと敬遠されてもおかしくないのでは、と思うのだ。剣を持ち、魔物を討伐し、時には人を傷つけたりもする。憧れるような職種だろうか?
まぁ、出世する機会があるという意味では、確かに憧れるのかもしれない。男性は。
「それにしても、なんで団服が濡れて――あぁ、あれか」
濡れたアイザックの団服を見て、ジェラルドはひとりで勝手に納得した。
「すみません。すぐに着替えて来ますので」
「気にするな。チヴェッタ嬢を送り届けてきたんだろう?」
「見てたんですか?」
「いや。小隊の奴らが目撃したらしくてな、もう団の中に知れ渡ってる」
アイザックはやれやれと肩を落とす。女性ならばわかるが、男性で、しかも騎士が噂話を好むとは。
あまり褒められたものじゃないな。
「お前、いい加減にしないとチヴェッタ嬢がそのうち、大怪我をすることになるぞ」
「どういう意味ですか?」
アイザックが無表情で問い返すと、ジェラルドはしまった、という顔をした。
アイザックが鈍いのは分かっていたことなのに、つい失念していた。
「チヴェッタが池に落ちたりするのが、まるで私のせいみたいです」
「あ〜……それはだな」
ジェラルドはぽりぽりとほおをかく。言っていいものだろうか?
こういうことは、自分で気づかなきゃ意味がないと思うのだ。
「ユルゲンス師団長」
「……つまりだな、チヴェッタ嬢が池に落ちたり、犬に追いかけ回されたり、空から生ゴミが落ちてきたりするのはすべて……侍女や令嬢の嫉妬からくるものだ」
「嫉妬? 彼女にですか?」
アイザックはいつも通りの無表情で、ジェラルドにはちっとも心の中が読めない。
「お前がチヴェッタ嬢に構うから、お前を恋い慕う女性達が嫉妬して、嫌がらせをしてるんだよ」
「それは……本当ですか?」
「お前、本当に気づいてなかったのか?」
「私はただ、チヴェッタの不幸な場に居合わせることが多かったので、手を貸しただけなんですが……」
不思議な縁もあるものだ、と思っていた。
一週間前は、木から降りれなくて困っていたチヴェッタを木から降ろし、その数日前は何故か犬に追いかけられていたので、犬を捕まえ、追い払った。
その数日前には、生ゴミまみれで歩くチヴェッタを見つけたし、それからチヴェッタはよく、物を無くすな、と思っていた。
それがすべて自分のせいなのだとしたら、申し訳ない。
「悪循環なんだよなぁ」
「悪循環?」
「ほら、チヴェッタ嬢の占いはよく当たるだろ? だから明日の天気とか、魔物の活発になる日とかを占ってもらって、騎士団も世話になってる。お前もよく、彼女に会いに行ってただろ?」
「仕事ですから」
「お前にとっては仕事でも、それを偶然目にしたお嬢さん方には関係ない。一度や二度ならよくても、回数が増せば、特別な間柄だと思われる。だから彼女達は嫉妬して、チヴェッタ嬢に嫌がらせをする。その現場にお前が居合わせ、助ける。それを目撃したお嬢さん方は、また嫉妬して嫌がらせをする。――これの繰り返しだ」
絵に描いたような悪循環に、チヴェッタ本人はとっくに気づいていた。
だから最近、チヴェッタは露骨にアイザックを避けていたのだ。
「……それは、申し訳ないです」
「無表情すぎて、俺には全然、申し訳なさそうに見えないんだが……」
アイザックは、家族からも言われ続けていた。お前はちっとも、表情が変わらない、と。楽しいときも、悲しいときも、疲れているときも、表情が変わらないらしい。
アイザック自身は、楽しいときは笑っているし、悲しいときは悲しい顔をしていると思っているのだが、どうも周囲の人間からは無表情だと言われ続けている。
「チヴェッタ嬢はよくわかるな。お前の表情が」
「そうですね……」
チヴェッタとアイザックの出会いは、とある一言から始まる。
――貴方、かなり疲れているみたいね。休んだらどう?
周囲の人間――実の両親すら見抜けないアイザックの表情の機微を見抜いたのだ。
あの時は本当に驚いた。無表情に見えるのだろうけど、確かに驚いたのだ。
「けどそうなると、私がチヴェッタと距離を置けば問題は解決できると?」
「多分な」
ジェラルドは頷き、まだ着替えの済んでいないアイザックを更衣室ではない別の部屋へ連れて行った。
その部屋には、アイザックに好意を寄せる女性達からの贈り物で溢れていた。多くは侍女からだ。中には貴族の令嬢からのものもある。
実家に届けるよりも、こうして騎士団に送りつけた方が確実だと知っているのだ。アイザックは嫡男なのに、侯爵家の領地にはほとんど帰らないから。
「どうかしたか?」
「いえ。ただ……チヴェッタに会えないのはなんだか、寂しいな、と思いまして」
「そ、そうか……。無表情でそういうこと言うなよ」
目を伏せると、テーブルに置かれた贈り物が視界に入り込んだ。丁寧に包装されていて、中身はお菓子だとか、刺繍入りのハンカチだったりする。
アイザックはあまり、こういうものに興味がない。母親や妹に贈り物を選んだりするが、店の者が今「人気なんですよ」「売れ筋です」というものを適当に買って贈るだけなのだ。
「…………」
自分宛の贈り物を見つめながら、アイザックは考える。贈り物は、時として謝罪の意味を含むこともあるのだし、迷惑をかけているのが本当に自分なら、何か贈った方がいいだろうか?
いや、自分が会いに行ったり贈り物をしたりすれば、ジェラルドのいう悪循環がひどくなるだけ。距離を置くのが最善なのだ。
「こういう言い方はよくないんだろうが、お前がチヴェッタ嬢を気に入っても、階級が違う。お前は未来の侯爵で、彼女は魔法使い。お前、チヴェッタ嬢の本名だって知らないだろう?」
魔法使いは古来より、本名を隠し、魔法名を使う。本名を知られると、呪いをかけられたとき、その効果が増してしまうからだ。
何より、本名はとても大切なもの。本名を使い放つ魔法は、魔法名を使って放つ魔法の何倍も強い効果を発揮するのだ。
だから魔法使いは、本名を隠す。本名を教えるということは、それだけ相手を信頼している証とも言えた。
チヴェッタは梟。師匠のエキドナは毒蛇という意味だ。
当然、アイザックはチヴェッタの本名を知らない。
「まるで私が、彼女に恋してるみたいだ」
「――違ったのか?」
ジェラルドが、心底驚いた目で、アイザックを見た。
きっと騎士団のほとんどの者が――もっと言えば、王宮中の者がそう思っているのではないだろうか。
「恋、恋ですか……。よくわかりません」
アイザックは貴族で、騎士。果たすべき義務と、国を守る責任ばかりを考えて生きてきた。
いつか妻を娶り、子どもを持って、侯爵となるのだろう。恋については、一度も考えたことがなかった。
妹はよく、恋愛小説を読んでは夢を見ていたようだが、アイザックにはよくわからないのだ。
「ま、まぁ距離を置けばチヴェッタ嬢への嫌がらせもやむだろう」
ジェラルドはこれ以上、この話をするのは危険だと思ったようだ。恋とはなんですか――などと聞かれたら、答えることなどできないのだ。
アイザックは優秀な部下で、今は第五師団の小隊長。アイザックは侯爵家の嫡男なのだから、もっと高い地位に就けたはずなのに、それを拒んだ。腕は良かったから、すぐに小隊長になり、もうすぐ中隊長になってもいい頃だろうと周囲が噂している。
それでも、どんなに優秀な人間にも欠点はあるものだ。アイザックの場合は、色恋だろう。
アイザックは誰にでも紳士的に接するが、池に落ちた女性を抱え上げ、家まで送り届けるようなことはしない。せいぜい上着を貸して、手も貸して、近くまで送り届ける程度だろう。
アイザックは気づいていないのだ。自分がチヴェッタに向けている感情が、どういうものなのかを。
「それだけは、自分で気づけよ。アイザック」
ジェラルドは力を込めて、アイザックの背中を叩いた。油断していたアイザックが、その勢いで贈り物の山に倒れ込んだのは――見なかったことにしておいた。