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梟に捧げる愛  作者: 藤むらさき
宿り木のない梟
1/9

 うららかな春の昼下がり、宮廷魔法使いであるチヴェッタは、王宮の裏手にある池の『中』にいた。今が冬でなくて、本当によかった。

 チヴェッタは濡れた黒髪を適当に結い上げ、池に落ちた薬草の束を拾い集める。


「まったく……品が無いったらありゃしない」


 チヴェッタは好き好んで、池の中にいるわけじゃない。ドレスは濡れて重いし、春とはいえ、まだ風には冷たさが残る。

 このままじゃ風邪を引いてしまうかもしれない。早く池から上がらねば。


「そんなところで、何をしてる」


 聞き覚えのある声に、チヴェッタの視線が上を向く。太陽を背に池のふちに立っていたのは、騎士だった。青色の騎士服を身にまとったその青年を、チヴェッタは知っていた。

 アイザック・ヴェンデル――ヴェンデル侯爵の息子で、嫡男。二十二歳――だったと思う。角度によっては黒に見える紺色の髪は後ろで束ねられ、深い深い青色の瞳を持つ美しい騎士。家柄が良いだけでも十分なのに、剣の腕は誰もが認める腕前で、背も高く、見目も良い。王子の剣術指南役も請け負っているらしく、将来有望な若者。天は二物を与えるだけでは満足しなかったのか、三物も四物も与えてしまったようだ。自分に声をかけたのは、そういう人間。

 そんなアイザックの問いかけを無視して、チヴェッタは薬草集めに集中する。師匠に頼まれた薬草なのだ。持って帰らないと師匠が困るし、師匠に薬を依頼した人も困る。


「チヴェッタ。聞こえているのに無視をするな。そこで何をしてる?」


「……見ればわかるのでは?」


 チヴェッタは素っ気なく答えると、池の奥に足を進める。

 ここが川じゃなかったのは幸いだ。薬草は沈むことはあっても、流れていったりはしない。


「水遊びか?」


「違う」


「じゃあ、水浴びか?」


「もっと違う」


 イライラしてきた。

 この状況を見れば、ある程度の察しはつくだろうに。

 チヴェッタは小さく舌打ちすると、ようやくアイザックと向かい合うことにした。


「邪魔するならどっか行って。私が好き好んで、池の中にいるとでも? 見てわかるでしょ」


 こんな口の利き方、本当は許されない。相手は騎士で、侯爵家の嫡男で、彼自身も爵位を持っているのだから。

 けど今は、イライラが最高潮に達しようとしているのだ。できれば誰にも声をかけてほしくない。見ないふりをしてほしいのだ。華麗に無視スルーしてくれて、大いに構わない。

 実際、通りかかった多くの使用人達も、声はかけてこなかった。


「足を滑らせて落ちたのか?」


「…………そうよ」


 ホントは違う。落ちたのではなく、落とされたのだ。

 でもそれを、アイザックに言うつもりはない。

 チヴェッタは最後の一束を拾い、ようやく池から上がれると思った。さすがに寒くなってきたし、早く帰ろう。


「まだいたの……」


 振り返ればそこに、腕組みして自分を見下ろすアイザックがいた。

 てっきり帰ったと思っていたのに。……帰ればいいのに。

 ここ数日、チヴェッタは露骨にアイザックを避けていた。顔を見れば姿を隠し、噂を聞けば耳を塞いだ。

 それなのに何故、この男はタイミングよくいつも現れるのだろうか。


「つかまれ」


 池から上がろうとしたチヴェッタに、アイザックが手を差し伸べる。ご丁寧に、手袋を外していた。

 つかむべきか悩んだが、早々と池から上がりたかったし、何よりもチヴェッタは疲れていたのだ。差し出された手を拒む理由もない。

 アイザックの目は純粋だったし、心配するような気持ちで、チヴェッタに手を差し伸べているのだろう。――無表情だけれど。

 この男、見目はいいのに表情が変わらないことで有名なのだ。幸いなことに、チヴェッタにはなんとか表情が読み取れる。

 どうしてなのか、分からないけれど――もしかしたら、魔法使いで、占いが得意だからだろうか?


「ありがとうございま――!」


 見た目に反して、アイザックは力がある。鍛えているから当然とも言えるのだが、何せ細身。

 だが舐めてかかると、交えた剣を弾き飛ばされてしまうそうだ。

 そんなわけで、チヴェッタを抱え上げることもできる。


「お、おろして! どうして抱き上げる必要があるの?!」


「屋敷まで連れて行く」


 引き上げてもらった流れで、アイザックは軽々とチヴェッタを抱き上げてしまった。


「暴れると落ちるぞ。また池に」


「――――!!」


 それは嫌だと、チヴェッタは慌ててアイザックの頭にしがみつく。


「……って、そうじゃない! 服! 服が濡れてる!」


 上半身こそ無事だが、下半身は完全に池に浸かっていたのだ。チヴェッタを抱き上げれば、当然のようにアイザックも濡れる。

 それを必死に訴えているのに、アイザックは何食わぬ顔で歩き出してしまう。薬草も忘れず手に持って。



「最悪の気分だわ」


 チヴェッタは露骨に嫌そうな顔で、今もアイザックに抱えられていた。王宮の離れにあるチヴェッタと師匠が住まう屋敷まで送ってくれるそうなのだが、ありがた迷惑としか言いようがない。

 何せ、ものすごい視線を集めているのだ。顔を隠したい。耳栓もしたい。

 そしたら顔も見られず、自分達を見て囁き合う使用人や侍女、それから騎士達の声を聞かずに済むのに。


「それで、誰に落とされたんだ?」


「……足を滑らせたのよ」


「一週間くらい前は、木から降りれなくなっていたな」


「あれはハシゴを――……」


 言い訳を口にしようとしたが、チヴェッタはやめた。今はとにかく、無心になるのだ。何も考えない、何も聞こえない。私は人形。


「それにしても、得意の占いで分からなかったのか? 今日、足を滑らせて池に落ちると」


「……自分のことを占うと、どうしてだか極端に的中率が下がるのよ」


 チヴェッタが得意としているのは、占いだ。王女や貴族の令嬢、それから侍女達の恋占いもするし、明日の天気だって占う。

 チヴェッタの占いの的中率は、非常に高い。外れることが珍しい程に。

 それなのに、どうしてなのか自分のことを占おうとするとちっとも当たらない。外れてばかりなのだ。

 時たま、当たることもあるのだが、どうにも視えにくい。

 だからもう、自分のことを占うのはやめた。


「それは不思議だな」


「きっと、他人の未来を覗き見してるからね。自分の未来を知る権利はないのよ」


 自分の未来まで分かってしまったら、きっとチヴェッタは自惚れてしまう。自分はすべてを見通すことができる――まるで、神様にでもなったみたいな、そんな自惚れ。

 だから、釣り合いが取れているような気がした。


「ねぇ……もう屋敷が近いわ。下ろして」


 そろそろ限界だ。周りの視線に耐えられない。

 そもそも、チヴェッタが池に落とされた原因はアイザックにあるのだ。口が裂けても言えないけど。

 だって、この人は鈍い。自分で気づけなきゃ、意味ないのよ。

 それにこの人、ちっとも表情が変わらない。もっと笑いなさい。いい男なんだから。


「人の話、聞いてる?」


「聞こえているが、あえて無視してる」


「…………」


 チヴェッタはやれやれと肩を落とす。

 こういう扱いは、慣れない。チヴェッタは親のいない、魔法使いとは言え、労働者に分類される――それでも、農夫や女中とは違うのだが。

 貴族の令嬢のようにか弱くないのだから、優しくしなくてもいいのだ。アイザックは騎士で、侯爵家の次男で、恵まれている。

 もっと優しくすべき人がいるはずなのに!

 その人はきっと、池に落ちたりなんてしないわ。

 きっと、とても、貴方に相応しい人よ。


「着いたぞ」


「ど、どうも……」


 結局、アイザックは宣言通り、屋敷まで送ってくれた。

 一体どれだけの人間に見られたのか、考えるだけで恐ろしい。

 震えそうになる自分を励ましていたら、ようやく下ろしてもらえた。重いと言われるかと思っていたが――ほら、ドレスが水を吸っていたし――、それなのに、アイザックは一度も重いと言わなかった。

 こういうところが、紳士なのだろう。


「ではな。風邪を引かないよう、気をつけろ」


「あ、待って。師匠がいるから、服を乾かしてもらいましょう。そのままじゃその……あれだから」


 自分のせいで濡れたわけだし――頼んだわけじゃないにしても、そのくらいはしないと。

 ただ生憎と、チヴェッタは占いが一番得意で、他の魔法は苦手。火を灯したり、風を起こしたりはできるけど、一瞬で服を乾かすことはできない。


「気にしない。この天気だ。すぐに乾く」


 アイザックはそう言って、チヴェッタが引き止める前に行ってしまった。

 変な人だ。

 どうして自分に構うのだろう? 物珍しいから?

 貴方が私に構うから、私は会ったことも話したこともない令嬢や侍女に喧嘩を売られるのよ。すべては貴方のせいなの。私が池に落とされたのも、一週間前、ハシゴを隠されて木から降りれなくなったのも、貴方のせい。


「最悪の気分だわ」


 その言葉を吐き出すのは、今日二度目。遠ざかるアイザックを視界から追い出して、チヴェッタは屋敷の扉を開けた。

 まずはドレスを着替えないと。濡れたままだと、本当に風邪を引いてしまうから。



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