不思議な鳥
水晶のように美しく輝き、細い何本もの糸により作られたような、幻想的な鳥。
触れたら溶けてしまいそうな…。
優しく握ったら、潰れてしまいそう…な。
「けれど、いやだからこそ。
人はそれに惹かれ、何かを求めるのではないのか?」
“不思議な力”を与えるその鳥を見て、そんな言葉を発した者もいるという。
しかし生存数は少なく、見つけるのも困難なこの鳥は、一部では『秘鳥』と呼ばれていた。
それを求めるのは、
秘鳥の美しさに惚れた者
強くなりたい者
守りたい何かがある者
そして、復讐を望む者──────
不思議な鳥が映っている写真を、数人の男女が覗き込んでいる。
「所長ー。これが『秘鳥』ですか?!」
そのうちの一人が興味をそそられたのか、笑顔で四十代ほどの男性に訊いていた。
「ああ。このあたりで目撃情報がでた。いいか? 見つけたら必ずそのまま捕まえてくるんだ」
_______________
便利さの追求のために工事が行われたものの、中途半端に打ち切られたぐちゃぐちゃの街。
けして大都市ではないがそれなりの大きさを持つこの街は、全体的な外見のバランスを失い、観光地としての価値はない。
唯一の救いは工事の手が回らずに残された、海沿いの街道とその周辺の建造物だろう。
そんな「ザートラ市」の中でもより混沌している、中途半端に工事を投げ出された土地がある。誰も寄りつかないその土地で、茶髪の少年がひとりでキョロキョロしながら歩いていた。
「秘鳥いないかなー」
よくみるとその少年の左手には携帯電話があり、左耳に当てられている。
気の抜けた声と口調から、茶髪の少年はかなりリラックスしながら誰かと通話中のようだった。
しかし、電話相手の感情は少年とは真逆らしい。
茶髪の少年のもつ携帯電話からは、怒りの声色が聞こえてくる。
「ちげぇよ! 連続殺人犯の男を探して捕まえろ!」
茶髪の少年は電話先の相手が、これでも本気で怒ってはないことを理解しているため、表情は明るいままだ。
「でも秘鳥も見てみたいしなー」
茶髪の少年がポツリと呟くと、電話相手も唸り始めた。
「秘鳥ねぇ…所長が言っていた、かなり珍しい鳥だろ?」
「ああ………!」
相手の言葉を肯定するとすぐに、茶髪の少年が一方的に電話を切ってしまった。
「いた」
吐息にも近いほど、小さな小さな独り言を呟く。するとその直後、笑みを浮かべながらターゲットに迫る。
すると相手が少年に気付き、妙な顔つきで少年に話しかけた。
「おまえ…『庭』の人間か?」
「うん」
素っ気なく、ただ笑顔のままで茶髪の少年は答える。
そんな少年の目の前に居る、日に焼け肌が黒く、がたいのいい男性はやれやれというように手を振った。
「はぁ…俺も舐められたもんだ。こんなガキを派遣されるとは…な!」
語尾の強調と共に、がたいのいい男性はいきなり重い拳を振り下ろす。
しかし少年は、軽やかにそれを避けた。
「おじさん…俺のこと、知らない?」
「知らないな」
「そっか…」
少年は背中に抱えていた筒から、一メートル程に収納された棒を取り出す。すると慣れた手つきで元の長さである二メートル越えへと戻し、勢いよく男の頭上をジャンプで飛び越える。
「あ?!」
その早さに着いていけず、がたいのいい男性が目で少年を必死で追う。
しかし少年はすでに男の背後にまわりこんでおり、長い棒で頭を強く叩いていた。
「ぐわぁっ…?!」
かんっ、という音と間抜けな声。
自分より大きな男をあっけなく気絶させると、少年は再び携帯電話を取り出す。
「ま、知らなくて当然か。俺、別に有名人じゃないし」
ぶつぶつ言いながら、少年はそのまま電話をかける。
「もしもし? 犯人捕まえ…」
「ごらああぁ! 『長閑』! 勝手に電話切るんじゃねぇよ!」
「あはは! ごめんごめん」
「所長、捕まえたよ!」
茶髪の少年こと『桜瀬長閑』は、自身が所属する『ガーデン』と呼ばれる国の防衛機関の所長室に駆け込んだ。
するとその部屋の中に居た所長が、みるみるうちに笑顔になっていく。
そしてその表情でともに、嬉しそうな声色に変わっていった。
「秘鳥をかい?!」
「いや、指名手配犯」
さらりと長閑が言うと、一変して所長はオーバーにがっかりする。
「なんだ…」
「秘鳥がそんなほしいんですか?」
すっかり興味を失った長閑は、伸びをしながら他人事のように訊ねている。
「あたりまえだよ! 貴重なものだから、色々見てみたいんだよ!」
優しげな声質の所長は、だだをこねるような口調で腕をぶんぶん振っている。ちなみに所長の見た目は、ちゃんとした四十代かつ白衣と眼鏡を見事に着こなした大人である。
「なるほーどです」
「…長閑、興味ないでしょ? 言葉の伸ばすところ変だよ」
「あー。 体も伸ばしてるから、言葉も伸びるんですね!」
「こらこら、雑すぎるよ」
軽く首を回した長閑は、今度こそしっかりと所長の方を向き言葉を発した。
「じゃあ俺、帰ります」
「ああ、お疲れさま。あとそうだ! もし秘鳥を見つけても手で触るのはいいが、他のところ…例えば顔などに必要以上に近づいてはいけないよ」
深い意味がありそうな所長の忠告を、長閑はほとんど聞き流していた。
「はーい」
パタン、という音を立てて所長室から出た長閑は、自分の寮へと向かう。
長閑たちが住まう寮は、この建物のすぐ側である。その短い時間のなか、長閑は本日の夕食について考えていた。
(そういえば、もう食材ないかな)
寮に向かって順調に進んでいた足を止め、建物の目の前にある海沿いの街道を進んでいく。
(秘鳥か…そういえば秘鳥ってなんでそんなに貴重なんだ? しかも顔に近付けるなって…?)
やっとのことで長閑は疑問を持つ。
(ちょっと『雪猪』に訊いてみようかな)
がたいのいい男を捕まえるときに話していた、口の悪い親友の雪猪。
恐らく休憩時間であろう彼に電話をかけようと、ポケットから携帯電話を取り出した。
「………ん?」
しかしそのとき長閑は、海辺の高台に座るある少女に目が行った。
つり目だが顔のかわいい、黒髪のセミロングの小柄の少女。まわりに人はおらず、たった一人きりに見える。
「可愛いけど…不思議な雰囲気の子だなぁ」
長閑は自分の主観を呟いていた。
しかし少し経ったときに、長閑はあることに気付く。
「………ああっ!」
少女の手には輝く美しい鳥が一羽。
その鳥は最近所長に見せられた、あの鳥にそっくりだった。
(ど、ど、どうしよう?!)
迷いながらも、長閑は無意識のうちに足を動かしていたらしい。気が付けば少女の二メートル後ろにまで辿り着いており、長閑の気配に気付いたらしく、振り返っていた。
(あ、やべ)
長閑が動揺して無言でいたせいか、少女が長閑を睨んでいた。
そんな今も秘鳥は少女の手の上にちょこんと乗っており、彼女の顔の近くで頭をキョロキョロさせている。
「あ、あの。あはは、その。鳥が…」
「…鳥?」
急劇な展開に混乱している長閑に対し、少女は冷静に素っ気なく答える。それが逆にプレッシャーとなり、長閑は頭の中がぐちゃぐちゃになっていった。
悪循環から抜け出せない。そう思われたとき、なぜか長閑の頭は一つの答えを導き出した。
(そうか! この子は別にこの鳥が特別なものと知らないんだ!)
そのひらめきは、長閑の鼓動を加速させていく。
(秘鳥は一般の人には存在を知らされてないから、この子は物珍しい鳥を捕まえたとだけ思ってるんだ! うん、そうだっ!!)
「き…きみ、その鳥、よかったら俺にくれない?」
絞り出された歯切れの悪い言葉に、少女は少し驚いていた。
「もらってくれるの?」
すっ、と少女は立ち上がり、秘鳥を手に乗せたまま長閑に近づいてきた。
「えっ…えっ?」
想定外の反応に驚く長閑を気にもせず、少女は距離を縮め、長閑の胸の近くに秘鳥を放した。
すると秘鳥は迷うことなくまっすぐに飛び立ち、長閑の中に入っていった。
(…は?)
何が起こったのか。
それが分からない長閑は、固まってしまった。
目の前の少年が動かなくなったことに気付かない少女は、うっすらと笑みを浮かべている。
「よかった。この子、とても弱っていたから」
「…え?」
(…えええええええええええ!!)
長閑はやっとのことで、自身の感情を表に出す。
「ちょっと、きみ! …はぁっ?!」
しかし、伸ばした手は空気を掴む。
すでに少女はいなかった。
「よし、解剖だ」
所長室の部屋の中央で正座をしてる長閑に、所長が静かにが言い放った。
「俺は善意無過失です!」
反論する長閑に、壁にもたれかかって腕を組む黒縁眼鏡をかけた少年が口を挟む。
「善意だが過失はあるな」
「雪猪まで…」
長閑はがくりと肩を落とす。雪猪は物事をハッキリという性格であるため、親友である長閑のミスもしっかり指摘する。
「そうだ長閑! なぜ普通に秘鳥を受け取れない!?」
雪猪が加勢したため、所長はいつもより大きな声を上げる。
その声に怯えはしないものの、顔を青ざめさせながら長閑は言い訳した。
「だって全てがよくわかんなかったし…」
声を小さくしながら話していく。ただあることに気付き、長閑は再び声を張った。
「っていうか秘鳥は俺の中にいるわけ?! どういうこと?!」
「秘鳥は人に宿ることにより、その身を守ると言われている。だからお前の中に居るんだろ」
「それって俺は大丈夫なの?!」
「知るか。だが被害報告はねぇな」
つーか所長から説明あっただろ、と言葉を付けたしながら雪猪が説明した。
「秘鳥って普通の鳥じゃないの?!」
「普通の鳥が人の体に宿ると思うか?」
「思わない。じゃ、なんなの?」
「正体不明…いや、生態不明の鳥だな。人の手からの侵入はしないが、ほかの体の部位からの侵入は確認されている。だから手で受け取れっつったんだよ」
長閑と雪猪がテンポよく話しているなか、所長が頭を傾げた。
「だけど長閑の話を聞くかぎり、その女の子は秘鳥を知っていたらしいね」
「はい。しかも顔に秘鳥近付けてたですよ。女の子には入ってかなかったですよ」
混乱しているのか口調が変になった長閑が、勢いよく顔を縦に振る。
そんな親友をスルーした雪猪は、目線を下に落としながら静かに考えはじめた。
「…その子、もう秘鳥を宿してるんじゃね? だから二匹目入んなかったとか」
「その可能性高いね! もしかしたら秘鳥にも詳しいかもしれない…」
所長は一人で頷きながら、左手を勢いよく突き上げた。
「よし長閑! その女の子をここにつれてこい」
「なんでですか」
「秘鳥をどこで見つけたかとか、なぜ秘鳥を知っていたのかとかききたいからな」
テンションが高くなった所長を横目に、雪猪も笑いながら賛成した。
「良いことだと思うぞ? もしその子が秘鳥に詳しかったら、お前自身いろいろと安心できるだろ」
雪猪の言葉に長閑ははっとする。
(そうか!)
実に単純、ゆえに従順。
そんな言葉を頭に思い浮かべた所長と雪猪は、少し良心が痛んだ。
「じゃあ会社のみんなで探そう!」
正座の姿勢から勢いよく立ち上がり、長閑は深い意味もなく明日の方向を指差した。
「容姿の特徴は黒髪のセミロング。そしてつり目でかなり可愛い」
いきいきとした声で長閑の提供された情報に、雪猪が冷や汗をかく。
「…もしかして名前とか聞いてないのか? 聞いとけよ」
「知らない人に名前聞かれたら怪しまれるって」
「まあ、そりゃあそうだな」
早くも携帯電話で呼出音をならす所長が、二人に向けて叫んだ。
「とにかく、それらしき人物がいたら長閑に連絡させて!」
「ううーん…気配を消すの上手かったからなぁ。見つかるかなぁ…」
腕を組みながら、長閑は街道を歩いていた。そしてふと見つけた建物と建物の間にできた狭い道へ入っていく。
そこで背中の筒にしまっていた棒を取り出し、壁を蹴ったり棒で突いたりして上に跳んでいく。
「よっ、ほっ」
すたっ、と小さな音を立てて辿り着いた屋上から、街全体を眺める。だんだんとその目線は少女から秘鳥をもらった場所へと移っていった。
しかし、あの場所には誰も見当たらない。
「うん。困った」
再び行く当てもなく長閑は歩きだした。
その時電話が鳴る。
「もしもし、いましたか? …って雪猪かよ」
「俺で悪かったな。それより新たな連絡が本部からきてな、ちょっとやばい奴がこの街に来た可能性がある。名前は…」
雪猪が名前を口にする前に、長閑がいつになく冷静に口走る。
「種去か?」
「よくわかったな」
「目の前にいた。じゃ」
長閑はまた一方的に電話を切り、筒の中にある棒を取り出した。
それを右手に持ちつつ、ターゲットの種去がいる方へと冷や汗をかきながら進んでいく。
そして、ターゲットの数メートル手前で長閑は立ち止まった。
「君は俺を何度混乱させる気?」
長閑は呆れたような声で、種去と睨み合いをしていた『あの少女』に問いかける。
種去と向かい合っているため、長閑に背を向けたままの少女は、ポツリと言葉を返すだけだった。
「…さっきの人?」
「そう。それより君、下がって。この人は危ない」
「種去でしょ? あなたこそ邪魔」
淡々とした口調で長閑に返答をした少女は、種去に向かって走り出す。その黒い髪をなびかせながら刀を取り出し、素早く種去の肩を斬り込んだ。
少女が戦えたこと、それにも驚いた長閑だが、それ以上に動揺することがあった。
(速い! 速さに自信のある俺より…速い)
しかし種去は余裕そうに笑いだす。
「こんな傷、怪我じゃないね」
野太い声でそう言うと、感心している長閑の背後をとり喉元にナイフをたてた。
「さあ、どうする?」
種去の脅しに少女はピタリと動きを止めた。
「卑怯者」
ぼそっと、ぶっきらぼうに発せられた少女の言葉。
しかし危機感のない長閑は笑っていた。
「いや、馬鹿者だね」
長閑は相手の死角になるよう隠していた棒で、後ろに相手を打ち飛ばす。
その隙に手錠などの拘束具を取り出そうとしたが、手元が狂いぶちまけてしまった。
「あ、しくった!」
そんな長閑の失態に付け込むように、起き上がった種去は怒り狂う。そして近くの建物を崩しながら、長閑に突進してきた。
「いい度胸だ!後悔して死ね!」
「こわいこわい」
棒読みしながら、その攻撃をかわすため立ちあがろうとした、そのときだった。
「…?! うぎゃっ!?」
長閑の足には、拘束具のうちの一種『拘束用の縄』が絡まっていた。
「え、嘘でしょ?! さすがにあの攻撃をそのまま受けたら危険だって!!」
慌てふためきながら、足の縄をほどく。しかし焦るあまり手が上手く使えない。
「てめーのほうが馬鹿者じゃねーか!」
種去から嬉しそうな、そして何より耳の痛い言葉が入ってくる。
「ほんとにバカ…」
少女も低い声で呟くと、武器の刀で縄を切ってくれた。
「助かった! ありがと!」
長閑はお礼を言うと、すぐそこまで迫ってきた種去の方を向く。
すでに軽やかな足取りでその場を離れた少女は、種去の隙を伺って刀を構えていた。どうやら種去の目には長閑しか映ってないらしい。
「ふぅ……よっと!」
短めの深呼吸のあと、地面を強く蹴り上げジャンプし、種去の真上へと上がる。
その後、今度は長閑が種去の背後をとってやろうと考えていたが、少々あまかったらしい。
「かかったな!」
そう叫んだ種去は、右腕に仕込んでいたらしき拳銃の銃口を自分の上へ…つまり長閑のいる場所へと向けた。
「うわっ」
さすがに想像外の出来事に長閑は戸惑った。
(落ち着け…俺。弾道をしっかり読んで、棒で弾けばいい!)
冷静になろう。冷静になろう。
どこかの小説投稿サイトに似た言葉を頭の中で唱えた、その時だった。
「…ん?」
「え…?」
「あ…?」
長閑、少女、種去が思わず目を見張った。
(あれ…おれ、いま……)
そして気が付けば、長閑は種去より遠く離れた地面へと降り立っていた。
「………?」
(俺は…いま…。空中に居るときに何かを踏んで、さらにジャンプできて…)
もう一度、種去の頭上に目をやる。
しかし、やはりあるのはただの空気だけ。それでも長閑の足には、まか何かを足で踏みしめて、跳躍した感覚が残っていた。
困惑する長閑と種去をよそに、ひとり状況を飲み込みつつも、驚きを隠せない人物がいた。
「信じられない…もう『秘鳥の力』を使ったの?」
誰にも聞こえない、少女のひとりごと。そしてその疑問に答えるように、長閑がやっと動き出す。
自他ともに認められるスピードで種去めがけて走り込み、得意の棒術でその腹に強烈な一撃を喰らわせた。
「くっ…」
油断した種去に手早く手錠などの拘束具を付けると、雪猪が事前に呼んでくれたのであろう犯人連行専門の人々に託す。
残ったのは、長閑と少女のみ。
当初の目的をぼんやりと思い出した長閑が、いきなり少女に声をかけた。
「あ、そうだ。君に聞きたいことがあるんだけど」
「私に?」
「うん。えっと…」
(…しまった。何を聞くんだっけ?)
考えなしに動いたことに後悔しつつ、必死で雪猪との会話を思い出していた。
(………そうだ!)
「君の名前は?」
「…そんなこと聞いてどうするの?」
「え、だって。聞いとけって言われた気がしたから」
(でもあれ? なんか違った気がするような)
冷や汗をかいていると、少女が不審な物を見る目で長閑を見てきた。
「…」
「あはは…えっと、俺は桜瀬長閑って言うんだけど」
「………………………そう。私は───」
長い間をおいて返事をしたあと、少女は少し考え込む。
「私は『ナギ』」