1−5 祖母
フォーンという、まだ静かな、交代一時間半前のサイレンを聞きながら、私はベッドの中で幼ないころのことを思いだしていた。8579が言っていたことが気になったのか、その後になって考えたことが気になっていたのかはわからない。ただ、思い出していた。
* * * *
祖母の部屋で、祖母の匂いのする部屋で、向い合った椅子の片方に私は座っていた。
祖母は自分のグラスと、私のグラスを外し、電源を切り、横にある机に置いた。机には、お菓子とお茶が乗せてあった。
背を伸ばし、私の目を凝視めて祖母は言った。
「いいかい。これからお祖母ちゃんは、お前に呪いをかけるよ」
私はどういうことかわからず、祖母を凝視め返していた。いつも穏やかで、物静かな祖母だった。ある面では厳しくもあったが、優しい祖母だった。その目はその時も変わりはなかった。ただ、祖母の目はとても真剣だった。あるいは、その言葉を聞いたからそう思ったのだろうか。
「こんなものが本当にヒトを幸せにすると思うかい?」
祖母は机の上に目をやった。
私はやはり、ただ祖母を凝視めていた。
「よくお聞き」
祖母はそこで一回深く息を吸った。
「お前がなにをしたのかは、お前が知っている」
そう言うと、祖母は身を乗り出し、私の胸と額に二度ずつ人差し指を置いた。
「法律を破ったとして、そして罪を償ったとしようね」
私の顔の真正面から祖母は続けた。
「それでも、お前がなにをしたのかは、お前が知っている」
祖母はまた、私の胸と額に二度ずつ人差し指を置いた。
そうすると、祖母は椅子に背を戻した。
「だとしたら、どういう生きかたをすればいいのかも教えておこうね」
祖母は、少し表情を崩した。
「お前が心の底から信じる生きかたをしなさい」
机からお茶を取り、祖母は続けた。
「そうすれば、お前がなにをしようと、お前は後悔しないよ」
お菓子を一つ取り、私に優しく差し出した。
「そういうヒトにおなり」
私がお菓子を受け取ると、祖母は優しく私の頬をなでた。
「お祖母ちゃん、心の底から信じるってどういうこと?」
お菓子の袋を開けながら訊ねた。
祖母は微笑むと、私の胸に手をあてた。
「お前のここにちゃんとあるよ。何のために生まれてきたのか。何に呼ばれて生まれてきたのか。それを見つけなさい」
「お祖母ちゃんは何のために生まれてきたの?」
祖母が珍しく明るく笑った。
「そうだねぇ。お前たちにこのことを言うためかねぇ」
翌朝、祖母は亡くなっていた。役割を果したというように。
祖母の枕元には家族に宛てた封筒が並べられていた。予感していたのか、それとも習慣だったのかはわからない。
私宛ての封筒にはキューブが一つだけ入っていた。
* * * *
それから数年後、家族制度は廃止され、全員が個人世帯となった。養育院もそのころには充実し、未成年はすべて養育院へと居を移した。
さらに数年後、私と、そして同い歳の子供は精原細胞、卵母細胞の摘出処置と、体内に残っていた場合に対しての放射線処理を受けた。
それからさらに数年後、私は養育院から社会に出ることとなった。
個人番号「6461622113721830818」、エンハンスト=0。知り合いからは「0818」と呼ばれ、たまには「0818-0」と呼ばれる。
* * * *
サイレンが鳴り終るころ、私はベッドから出た。
クローゼットを開け、淡い青色のつなぎを着た。左胸には濃い青色のラインが4本。その4本の線をまたぎ、スラッシュのように入る黒いライン。このスラッシュで、エンハンスト=0であることを毎日確認させられる。
それから、グラスをかけ、部屋の入口近くの配送管に昨日のつなぎを放り込み、宿舎の食堂へと向かった。
食堂で、トレイを取り、認証端末に右手をあてる。掌紋、静脈が読み取られ、そしてグラスからの信号がPANによって右手から端末に伝わる。
朝の配合飼料は、ハムエッグとサラダ、トースト、そして紅茶。栄養バランスもよく整えられ、また健康維持のための何種類ものナノカブセルが含まれている。
まずくはない。だが、幼ないころの、甘く、あるいは塩っぱいお菓子をたまに懐しく思う。
食事を終え、簡単に口をすすぐ。
食堂を出て、職場である教学院に向かう地下鉄駅へと歩き始めた。
PAN: Personal Areal Network
人体を誘電体、つまりはアンテナとして用いる近距離通信技術。現在の
Bluetoothなどとは若干異なる。
人体を誘電体として用いるPANの発想自体は古く、しばらく研究もされて
いたが、Bluetoothなどの登場により廃れた模様。
養育院、教学院: 実在の団体とはまったくなんの関係もありません。