4−4 礼賛劇場
礼賛劇場の近くで一時間ほどだろうか、時間を潰していた。二体の立像も、これほど近くからでは観覧席を囲う壁に遮られて、見えない。離れた所からはどうなのだろう。意識して見たことはない。
その周囲の花壇の縁に腰を下した。
6476が総統のコールを回して来た。今日は、6476は私とは別のフロアを見ていたという。そして総統は「正しい決断をしてほしい」と言った。
6476は何か総統と繋がりがあるのだろうか。あるとしてどのようなものなのかはわからない。6476自身、Blue-4-Greenだ。階級として総統と繋りがあるとは考えにくい。
総統の言う「正しい決断」というのもわからない。何を決めるのかもわからないが、「正しい」とは何、あるいは誰にとってのものだろうか。世の中においては、「正しい」という言葉には価値判断、そしてその価値をもたらす基準が存在する。単純に考えれば、総統にとって正しいということだろう。あるいは今の社会にとって正しいということかもしれない。では、それは実際に、あるいは現実的に正しいのだろうか。
わかるはずもなく、答えが出るはずもないことを考えていた。
「こんばんは」
その声で、思い浮かべ、そして見ていたキューブの内容と、この社会の様子から、視界が目の前に戻った。
左に8579が立っていた。
「大丈夫?」
8579はそう続けた。
視界は切り替えられても、考えが追い付かなかったのだろう。おそらくぼんやりとしているように見えたのだと思う。
「ああ。大丈夫だ。ちょっと考え事をしていたから」
「ふうん。そう。それはいいことね」
そう言うと、8579は右手を差し出した。
私はその手を取り、立ち上がった。
手を繋いだまま礼賛劇場の入口に行き、8579が端末に手を乗せた。そのまま私の入場も承認された。
礼賛劇場の中に入り、入口から少し離れた席に座った。あたりを見回すと、今日もいくらかの礼賛者がいる。もしかしたら、毎日来ている人もいるのかもしれない。6476に言わせれば、市民としては望ましいだろう。だが、同時にやはり6476は、遊興と友愛も市民の義務だとも言うだろう。
「今日はどんな話をしてくれるの?」
8579のその声で、私は8579に顔を戻した。
「あぁ、そうだな」
思い出せること。それはそもそもそんなに大くはない。
「こういう話を気にいってくれるかわからないが」
私は観覧席の椅子に背を預け、肘掛けに腕を置いた。
「聞いてみないと、わからないわね」
8579は笑みの込もった声で答え、私と同様に席に背を預けた。そして私の手の上に、彼女の手を重ねた。
「空の一番上の時より前だったと思う。その年だったのかもしれないが、一年前かもしれない。春だったと思う。田舎のどこかの道だったのか、それとも丘を昇っているところだったのか。祖母に手を引かれて歩いていたんだ。その握っている手を見ていて、急に涙が流れたんだ。声を出して泣いていたと思う」
「どうしたんだい?」
祖母は足を止め、しゃがむと私の涙を拭った。
祖母の手を強く握って言った。
「僕は何なの?」
祖母はじっと私の目を覗き込んだ。そして微笑んだ。
「そうだねぇ。何なんだろうねぇ」
そう言って、祖母は私の手を包んだ。
「何でそんなことを思ったの?」
8579が記憶に割り込んできた。
「何でだろうな。ただ、祖母がいて、私もいる。私はなんでいるんだろうと思ったんだと思う」
「ご両親の子供ということではなくて?」
「あぁ。もちろん子供だったから、詳しいことは知らなかったよ。だけど子供だっていうことはわかっていた。そういうことじゃないんだ」
「何となくわかるかもしれない」
「うん。『僕は』と言ったと思うんだが、それは実際には『僕』のことではなかったのかもしれない」
「えぇ」
「『僕たち』だったのかもな」
「そうなのかもしれないわね」
8579は静かに答えた。
8579の横顔を見ると、空を見ているようだった。彼女自身の何かを思い出しているのか。それともただつまらないだけかもしれない。
「なぁ。君は誰なんだ?」
総統からのコールと、今日総統と会ったことを思い出して訊ねた。
「総統からコールがあったそうね」
8579は静かに言った。
「あぁ。いや、なぜ君がそれを知っているんだ?」
単純な疑問だった。
「それだけじゃないわね。今日、総統に会ったんでしょう?」
8579は疑問に答えずにそう言った。
「確かにそうだが。なぜ君がそれを知っているんだ?」
8579は二体の立像に顔を向けた。
「そういうツテがあるの。まったく人間は。協約違反だわ。あっちがそれだけ介入したんだから、これくらいは言ってもいいわね」
「それはどういう……」
「明日。明日、すべてがわかる。そしてすべてが決まる。まぁ、当面のすべてが」
彼女はそれだけを答えた。
総統もそういうことを言っていた。それで何がわかるわけではない。やはりキューブで確認してみたいと思う。何かがあるのかどうかはわからないが。
それから、私は、灯心を用意してランプを作ろうとしたこと。その時に使った油が揮発性の高いものだったこと。その間、祖母は静かに濡れ雑巾を用意していたこと。油に火がつき、油を入れていた平皿から炎が上がると、すぐに横から濡れ雑巾を平皿にかぶせたこと。そういうことを8579に話した。その話の間は、8579も面白そうに笑った。
「最初から止めさせようとはしなかったのね」
8579は笑いながら言った。
「まったくだ。濡れ雑巾を用意していたんだから、想像はついていたんだろうけどな」
私も笑いながら答えた。




