1ー1 礼賛日
夕闇が濃くなるころ、巨大な2つの像のライト・アップが始まった
一つは、世界を治める10人の総統を象徴する巨大な立像。その顔は誰かのものでもなく、ただ顔と認められるだけの造形になっている。ローブを着て、肘を脇に着け、その先は広げている。右手には開いた本を乗せ、左手には四角錐を乗せている。
もう一つは、目隠しをした女性像。緩やかな着衣と胸の膨らみで、やっと女性像だとわかる。やはり、顔は誰かのものではない。加えて目隠しをしている。その右手には天秤を持ち、左手にはやはり四角錐を乗せている
礼賛劇場。 10人の総統に、そして法、社会秩序、加えてその執行に感謝する場所。
周囲にはいずれも淡い、赤、緑、青、黄色、オレンジ、黒――いや、灰色か――のつなぎを着た人々。いずれも左胸には1本から、4本のラインが入っている。またそのラインはスラッシュのように別のラインが入っている。
私が着ているものは淡い青色のつなぎ。左胸には濃い青色のラインが4本。その4本の線をまたぎ、スラッシュのように入る黒いライン。
誰もが巨大な2つの立像に歓声を挙げ、手を叩いている。ところどころではグラスをほんの少しずらし、目を、あるいは顔を拭っている人もいる。
音楽が流れているわけではない。ただ人々の歓声が、この場を満たす音楽となっている。
私は出来る限りの笑みを浮かべ、手を叩き、歓声と聞こえるだろうものを挙げている。定期的に訪れる苦痛ではあるが、そうせざるを得ない。
おそらく、どこかから私を見ている人がいるだろう。だから、そう演じざるをえない。
* * * *
礼賛劇場からは、同じ班の6476と宿舎に帰るつもりだった。
だが、6476は遊興館へと私を誘った。礼賛の日には遊興館はいつもとは違う騒がしさがある。そういう日、そういう場所は苦手だ。
それでも6476は私の腕を強く引き、遊興館へと引き摺って行った。
遊興館のバーでも、総統たちと、そして法、社会秩序、加えてその執行を人々は礼賛ししていた。
「せっかく遊興館に来てるのに、男二人で飲んでるってのもアレだよな」
何杯めかの配合アルコールのカップを手に6476は言った。
「0818、女性と楽しんでこいよ」
「やめてくれよエンハンスト=0だぞ、俺は。相手にしてくれる人なんかいやしないさ」
私の言葉を聞いているのかいないのか、6476は嫌がる私をテーブルから引き剥がし、登録カウンターに向かった。
「俺が楽しみたいんだ。その間、お前だって暇だろ?」
「エンハンスト=3のお前とは違うんだ。そういうことなら、俺は帰りたいんだが」
「ものは試しって言うだろう? これまで駄目でも今日は違うかもしれないじゃないか」
結局友愛登録カウンターへと私は引き摺られて行った。
PAN端末に6476に無理矢理右手を当てられると、カウンターの上に私の名前、いや個人番号と階層が表示された。
「6461622113721830818-0: Blue-4-Black」
「Blue」、「4」なら、まだ物好きもいるだろう。だが、「0」と「Black」。これを見て友愛の相手として私を指定してくる物好きはいない。
6476も続いて登録する。
「3645583295353426476-3: Blue-4-Green」
エンハンスト=3。「3」と「Green」。エンハンスト=0とは人の扱いが違う。
そう思いながら、新しい配合アルコールのカップを取り、手近なテーブルに6476とともに腰を下していた。
6476は友愛登録カウンターに向かう女性を眺めている。
私は、実際には一杯も飲んでいない配合アルコールのカップを眺めていた。祖母の顔が見えたように思えた時もあった。
右手でつなぎの腰の右ポケットを上から触る。そこにキューブがあることを確かめようと。
右手をテーブルに戻し、カップを掴んだ。飲みもしない配合アルコールを、また覗き込んでいた。
ポーンと私のグラスが鳴った。ありえないことだった。
私は友愛登録カウンターを見た。一人の女性がこちらを、私を見て、微笑み、右手を振っていた。
「ほら、こういうことだってあるんだ」
6476も気付き、私の背中を叩いた。
「楽しんでこいよ」
楽しむ余裕などない。ただ、何を考えているのかを相手の女性に訊ねるだけだ。
私はゆっくりと席を立ち、カウンターへと向かった。
PAN : Personal Areal Network
人体を誘電体、つまりはアンテナとして用いる近距離通信技術。
現在のBluetoothなどとは若干異なる。
人体を誘電体として用いるPANの発想自体は古く、しばらく研究もされてい
たが、Bluetoothなどの登場により廃れた模様。