婚約破棄された天才魔道具師ですが、隣国で幸せになったので元王子が土下座しても戻りません
王宮の大広間。
華やかな舞踏会の最中、一人の声が高らかに響いた。
「ショコラ=ガトー! 本日をもって、お前との婚約を破棄する!」
音楽が止まり、貴族たちが一斉に息をのむ。
第一王子エドワードの隣には、豪華なドレスに身を包んだ侯爵令嬢マロン=グラッセルが寄り添っていた。
マロンは勝ち誇ったようにショコラを見下ろす。
「殿下には、私のように華やかな女性こそ相応しいのですわ。地味で研究ばかりしているあなたでは釣り合いませんもの」
会場のあちこちから笑い声が漏れる。
誰もがショコラが泣き崩れると思っていた。
しかし――。
「……そうですか」
ショコラは静かに一礼した。
「では、婚約破棄を受け入れます」
「なっ?」
あまりにもあっさりした返事に、王子は顔をしかめる。
「泣いて謝るなら今のうちだぞ?」
「謝る理由がありませんので」
ショコラは穏やかに微笑む。
「むしろ自由になれて安心しました」
その一言に会場はざわついた。
王子は真っ赤になって怒鳴る。
「強がるな!」
「いいえ。本心ですので」
ショコラは最後まで美しい礼をすると、そのまま王宮を後にした。
誰も知らなかった。
王国中で使われている魔道具の設計者が、ショコラただ一人だったことを。
◇
一週間後。
ショコラは隣国へ向かっていた。
迎えに来たのは、美しい銀髪と蒼い瞳を持つ第二王子レオンハルトだった。
「ようこそ、お待ちしていました」
優雅に差し出された手。
ショコラがその手を取ると、彼は優しく微笑む。
「ようやく会えましたね。あなたが匿名で助言をくださっていた魔道具師だったとは」
「秘密にしておりましたので……」
「その慎み深さも、あなたらしい」
レオンハルトは初めて会った日から、彼女を一人の女性として大切に扱った。
◇
数か月後。
ショコラが作る魔道具によって隣国は劇的に発展する。
農地は豊かになり、
魔物は激減し、
商人は世界中から集まり、
王都はかつてない繁栄を迎えていた。
国民は口々に言う。
「ショコラ様は幸運の女神だ!」
「王国の宝だ!」
一方、ショコラ自身は相変わらず研究室にこもっていた。
「また徹夜ですか」
レオンハルトは苦笑しながら温かい紅茶を差し出す。
「少し休みましょう」
「ですが、もう少しで完成しそうで……」
「仕事も大切ですが、あなたはもっと大切です」
そう言って額にかかった髪を優しく払う。
ショコラは耳まで真っ赤になった。
こんなふうに大切にされたことなど、一度もなかった。
◇
その頃、元いた王国では。
「なぜだ!」
転移門は止まり、魔道具は次々と故障。
農地は枯れ、魔物が街を襲う。
王国中が混乱に陥っていた。
「修理しろ!」
王子が叫ぶ。
しかし宮廷魔道具師たちは青ざめる。
「できません……」
「すべてショコラ様しか理解できない設計です」
「嘘だ!」
「事実です」
調査が進むにつれ、衝撃の真実が明らかになる。
王国を支えていた魔道具のほとんどは、ショコラが無償で開発していたものだった。
王子は膝から崩れ落ちた。
「私が……捨てた?」
◇
さらに追い打ちがかかる。
「マロン=グラッセル侯爵令嬢」
国王の低い声が響く。
「虚偽の報告で王家を惑わせた罪は重い」
侯爵家は爵位を返上。
社交界から追放された。
マロンは王子へ泣きつく。
「助けてください!」
しかし王子は彼女の手を振り払った。
「全部お前が言い出したことだ!」
「あなたも賛成したじゃありませんか!」
二人は互いを罵り合い、誰からも見向きもされなくなった。
かつて笑っていた貴族たちは冷たく言う。
「本当の宝石を石ころだと思って捨てた愚か者だ」
◇
一年後。
隣国。
王城の庭園には色とりどりの花が咲き誇っていた。
レオンハルトは跪き、小さな箱を開く。
「ショコラ」
「はい」
「これから先も、あなたの笑顔を私が守りたい」
「私と結婚してください」
ショコラは嬉し涙を浮かべながら頷く。
「はい。喜んで」
祝福の拍手が響く。
国民たちは心から二人を祝った。
「おめでとうございます!」
「末永くお幸せに!」
その知らせは元王国にも届く。
王位継承権を剥奪され、すべてを失った元王子は新聞を握り締めた。
そこには幸せそうに笑うショコラとレオンハルトの姿。
「もし、あの日……」
震える声が漏れる。
「婚約破棄などしなければ……」
後悔の涙が頬を伝う。
しかし、彼女が振り返ることはない。
ショコラはもう、自分を心から大切にしてくれる人たちに囲まれ、毎日幸せに笑っていたのだから。
――本当の「ざまぁ」とは、相手を憎むことではない。
自分が最高に幸せになり、相手が二度と手の届かない存在になってしまうことなのだ。
ショコラとレオンハルトの婚約が発表されてから、一か月。
隣国の王城は祝福ムードに包まれていた。
そんなある日、一人の男が城門へ駆け込んできた。
「頼む! ショコラに会わせてくれ!」
髪は乱れ、豪華だった衣装も泥だらけ。
かつて第一王子だったエドワードは、見る影もなくやつれていた。
王位継承権は剥奪。
婚約者だったマロン=グラッセルにも見限られ、侯爵家からも縁を切られた彼は、最後の希望を抱いて国境を越えてきたのだった。
「ショコラ! お願いだ!」
その声を聞き、ショコラは庭園へ姿を現す。
しかし彼女の隣には、当然のようにレオンハルトが立っていた。
レオンハルトはショコラを守るように半歩前へ出る。
「ご用件は何でしょう」
穏やかな口調だった。
それなのに、王族としての威厳がにじみ出ている。
エドワードは二人を見るなり、その場へ崩れ落ちた。
「ショコラ……!」
そして――
地面へ額を擦りつけた。
「頼む……帰ってきてくれ!」
庭園にいた騎士や侍女たちは息をのむ。
あの傲慢だった第一王子が。
誰よりも誇り高かった男が。
土下座している。
「私が悪かった!」
「お前がどれほど素晴らしい女性だったのか、今になって分かったんだ!」
「もう一度やり直そう!」
「今度こそ、お前だけを大切にする!」
ショコラは静かにその姿を見つめた。
不思議なほど、心は何も揺れなかった。
悲しみも。
怒りも。
憎しみも。
すべて、もう過去になっていた。
「エドワード殿下」
穏やかな声で口を開く。
「私は、婚約を破棄された日のことを忘れてはいません」
彼は顔を上げる。
「ですが、恨んでもいません」
「ショコラ!」
「むしろ感謝しています」
「……え?」
「もし、あの日婚約破棄されていなければ、私はこの国へ来ることもありませんでした」
ショコラは隣に立つレオンハルトを見上げる。
彼は優しく微笑み返した。
「大切な仲間にも出会えず……」
そっとレオンハルトの手を握る。
「私を、ありのまま大切にしてくださる方にも出会えませんでした」
エドワードの表情が絶望に染まる。
「ショコラ……」
「ですから」
ショコラは優しく、しかしはっきりと言った。
「もう戻る理由はありません」
その一言が、何よりも重かった。
エドワードは震える。
「そんな……一度だけ……一度だけやり直す機会をくれ……」
その瞬間。
レオンハルトが静かに前へ出た。
怒っているわけではない。
威圧しているわけでもない。
それでも誰も逆らえないほどの気品があった。
「元王子殿」
穏やかな笑みを浮かべる。
「ショコラは、私の大切な婚約者です」
その一言だけだった。
しかし、その言葉には揺るぎない愛情と覚悟が込められていた。
レオンハルトはショコラの肩をそっと抱く。
「彼女が涙を流す人生は、もう終わりました。
これからは私が、彼女を幸せにします」
ショコラは思わず胸が熱くなる。
前の婚約では、一度も守ってもらえなかった。
否定され、利用され、努力さえ認めてもらえなかった。
でも今は違う。
隣には、自分を何より大切にしてくれる人がいる。
それだけで十分だった。
エドワードは二人の幸せそうな姿を見つめ、力なく笑う。
「そうか……私は……世界で一番大切な人を、自分の手で捨ててしまったのか……」
返事は誰もしなかった。
その沈黙こそが答えだった。
騎士たちは静かにエドワードを立たせる。
「お引き取りください」
彼は最後にもう一度だけショコラを見た。
昔と変わらない優しい笑顔。
けれど、その笑顔はもう自分へ向けられることはない。
やがて城門が静かに閉じられる。
――完全に。
過去との縁を断ち切るように。
ショコラはレオンハルトを見上げる。
「ありがとうございます」
「何をですか?」
「守ってくださって」
レオンハルトは優しく微笑み、そっと彼女の額へ口づけを落とした。
「当然です。あなたは、私の世界で一番大切な人なのですから」
ショコラは幸せそうに笑った。
その笑顔は、かつて婚約破棄された令嬢のものではない。
愛され、認められ、心から幸せになった女性の笑顔だった。
一方、王国へ戻ったエドワードは、生涯独り身のまま過ごしたという。
豪華な王宮を見るたび。
幸せそうな夫婦を見るたび。
彼の脳裏に浮かぶのは、いつも一人の少女だった。
――もし、あの日。
彼女の手を離さなければ。
そんな後悔だけを抱えながら、彼は一生を終えた。
それでもショコラが彼を振り返ることは、二度となかった。
彼女にはもう、過去ではなく、未来だけを見つめる理由があったからである。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
感謝です。(*- -)(*_ _)ペコリ
山田 バルス




