離縁され隣国の王太子と海釣りをしていたら旦那様が泣きついてきた。私は別の隣国の王太子と再婚します。
旦那様に離縁を言い渡された数時間後には、私は隣国の王太子と海の上にいました。
船を操る王太子の日に焼けた小麦色の腕に抱かれて、カジキを狙っています。
旦那様が泣きついてくる予感はありましたが、海が私を呼んでいたので——。
◆◇◆
「平民のお前を愛したことは一度もない、貴族である彼女こそが俺にふさわしい」
(借金まみれの男爵令嬢と、私の資産で暮らす旦那様。二人は確かにお似合いですが……)
真実の愛に目覚めた旦那様と男爵令嬢が見つめ合っている。
(現実を知って正気に戻られる前に逃げましょう)
私は部屋を飛び出して荷物をまとめると、魔法陣を宙に描く。
「お、奥様!? 転移魔法など使ってどちらへ!?」
執事に見つかってしまう。
「旦那様に離縁されてしまったので、ちょっと隣国の王太子のところへ行ってきます。落ち着いたら執事にはちゃんと連絡します」
「いくらなんでも急すぎます! 孫姫……奥様……!」
私は魔法陣と共に消えた。
◆◇◆
執事の私が旦那様の部屋に行くと、男爵令嬢と旦那様が抱き合っていた。
「旦那様、奥様が出て行かれました」
「そうか、さすがに状況判断が早いな。そういう部分の有能さに間違って結婚してしまったんだ……あの女との間に、愛は最初からなかったんだ、男爵令嬢」
「ええ、わかっていますわ」
「……旦那様も、状況を理解して、判断なさった方がいいかと存じます」
「何をだ? 執事」
「明日の借金の支払いをどうするかについてです。せめて一日離縁を待っていただけたら、奥様が支払ってくださいましたのに……どうするんですか? 奥様がいないとこの屋敷は借金だらけなんですよ」
「な……なんだって……!?」
「ご存じなかったんですか、旦那様?」
「うちの借金も旦那様が払ってくれるんじゃなかったの!?」
「まさか、この屋敷に俺の財産はないのか……」
◆◇◆
「海に釣りに連れて行ってくれるって言ったわよね」
転移魔法を使って転移した先の、隣国の王太子に言う。
「……どうしたんだ、結婚したからもう連絡するなと言ったのは君だろう?」
「離縁されたから、暇になったの」
「離縁……!? 馬鹿な……君と離縁するなど、どんな大馬鹿者だ!?」
「……王太子……釣りの腕は旦那様の方があなたよりずっと上よ」
「それはどうかな。君と会えない間に俺も腕を磨いたんだ、君が夫にしたくなるくらいにね」
「それは、楽しみだわ」
◆◇◆
「鋼鉄総帥の孫姫を離縁しただと!? 何を考えているんだお前は!?」
旦那様が友人の伯爵に借金の申し込みをしている。
「鋼鉄総帥とは……なんの事だ……?」
「知らないのか? 国中……いや、大陸中の鉄鋼産業を支配する男のことを。一族の資産は国家予算の数十倍もあり、孫姫は特に後継者と名高い人物で、お前と結婚した時には大陸中で大騒ぎだったんだぞ?」
「……孫娘とは、あの老人が鉄鋼総帥なのか……?」
「会ったことがあるのか!? 一国の国王でも滅多に合える人物じゃないぞ!?」
「妻と出会った街の川で、一緒に釣りした老人を『おじいちゃん』と呼んでいた……」
「それだな。釣り好きとは聞いていたが、街の川でも釣りをしていたのか……。俺も釣りをしていれば良かった……孫姫と結婚したら絶対に離縁になどしないのに……」
「ちょっと待て! 鋼鉄総帥はともかく、妻の家族は平民で、街中に住んでいるぞ!」
「総帥の三男一家は庶民の生活が性に合っていると聞く。住まいは平民と同じでも一人一人が国家予算並みの資産を持っていて、一国の王とも対等に話す人たちだ」
伯爵のあの一族の説明は間違いではないが、一国の王とも対等に話せるからすごいんじゃない。
(王すら平民と同じ扱いなのが恐ろしいのだ……)
「謝って戻ってきて貰うんだな……間に合うとは思えないが……いや、待て!」
「……なんだ……」
あまりの真実に正気を失いかけた旦那様が伯爵と同じものに気づく……。
「こ、これは……!」
執事の俺もこっそり見る。
ハッと息を呑みそうになる。
執事なのだから、平静でいなければと、気持ちを落ち着ける……。
(しかし……。奥様はなんてものを忘れて出て行かれたんだ……!)
◆◇◆
海の上に王子の船がある。
「私も釣り用の船をおじいちゃんにお願いしてるのに、各国の注文が間に合ってないから後でって言われてるのよ。なんでも買える財力があっても、鋼鉄総帥の孫だからって我慢させられてるの」
「俺と結婚したら国中の船を全部君の釣り船として使えるようにしよう。君は好きな時にいつでも釣りができる」
「本当に!? 王太子って、私の欲しいものがすぐに分かるのね!」
「なら結婚しよう。鋼鉄総帥の孫姫ので後継者と言われる君と結婚できるなら何を差し出しても惜しくない……」
「別に私もおじいちゃんもただの釣り好きなだけなんだけど」
(高度な転移も、いつでも釣りに行けるように身につけただけで、釣りに関係ない魔法は使えないし……)
(この国の第三王子だったおじいちゃんは、釣り針の品質に怒って出奔した)
『釣り針が刺さらない! 刺さっても折れたり曲がって、大物がかかっても釣り上げられないではないか!?』
『いい釣り針を見つけても、錆びて保存できない! いつでも使える規格の揃った釣り針が必要だ!』
鉄鉱山のある隣国……つまり私の祖国に移り住んで研究するうちに、高品質の製鉄技術を確立。
造船から武器、生活用品まで、おじいちゃんの技術なしではこの世界が成り立たなくなった。
(転生者の私は、ただの釣り好きが高じて、一代でファンタジー世界に現代の企業論理を持ち込んでしまったおじいちゃんにビビる)
(私はただの放蕩孫娘なだけなのよね)
遠くの方にキラッと魚の背びれが光を反射するのが見えた。
「孫姫のために船には釣竿と釣り針を積みこんで置く法律を作ってもいい……」
船を操る王太子は、日に焼けた小麦色の腕に私を抱きながら、甘く囁き続ける。
(腕を磨いた? 笑わせないでよね。あの魚に気づかないようじゃ、まだまだよ)
私は王太子を後ろに引っ込める。
「船の舵は私は魔法で自動運転させるから、魚群に気づかないような王太子は引っ込んでて! そうね……釣った魚をすぐ料理できるように、船内のキッチンでハーブの選別でもしていて!」
「自動……運転……だと!? そんなこともできるのか孫姫は!?」
(大物との対決の予感がする! 結婚して釣りをしなくなった旦那様に付き合って、私も釣りは久しぶりだ……! 大物を釣り上げて、おじいちゃんに自慢しに行くわよ!)
私は真剣に海の波に目を向ける。
「こうなるともう何も見えなくなるな。俺は最高の料理のためのハーブを選別するから、大物を釣ってきてくれよ」
王太子が船室を降りて行った。
◆◇◆
「どうぞ、孫姫。君の釣った最高級のカジキで作った『厚切りステーキ 〜芳醇なフレッシュハーブバター仕立て〜』だよ」
「完璧な香りだわ。本当にちゃんとハーブを手作業で選別したのね……!」
萎びたり、少しでも変色したハーブは除かれて、高純度のハーブの香りがバターと一緒に香ってくる。
鋭利なナイフは、うちが『ギコギコしなくても切れる』と宣伝してる最高級品で、切り口の断面が輝くような滑らかさを見せている。
鉄製フライパンも最新の最高級品で、高火力のまま表面をカリッと焼き固め、中は余熱でトロミを残して旨味を閉じ込めてある。
「君のために腕を磨いたんだ……釣りに行く時は俺を一緒に連れて行くんだ」
「王太子……」
トゥルルル
船の魔法無線が鳴る。
「俺の人生のかかった孫姫とのクルージングになんだ。一切連絡するなと言ってあるのに……」
王太子が無線をとる。
「な、なんだって! 何故、そんなことが!?」
◆◇◆
王太子の船の上に、私の元旦那様がいる。
いや、元ではない……今も旦那様だ……。
何故こんなことになっているかと言うと……、
(あまりに釣りが出来ることが嬉しくて、離縁状に判を押すのを忘れていたわ!)
(借金まみれの旦那様に船をチャーターするお金なんてあるはずないのに、また借金したのね)
(でも、それだけ私のことが好きって……)
「違うぞ、孫姫。コイツはただお前の財産が欲しいだけだ」
王太子が言う。
(わかってるわよ)
「……彼女は俺の妻です。王太子といえども黙っていてください」
「彼女は、離縁後は俺のものになることが決まっている。一度捨てたものをそう都合よくは取り戻せはしない」
「なんと言おうと、書類上は俺の妻だ!」
「そこまで言うなら彼女を守って見せろ! いくら金を積んだか知らないが、王族の船を追跡して乗り込むなど、この国では許可がない限り許されないんだ」
「な、なんだって!?」
「船の持ち主と一緒に捕まえる……!」
「そ、そんな……執事が奥様はここだから借金しても追いかけろと言ったのに……」
「執事が……」
(私の釣りの行き先なんて興味がないと思ったのに……)
「離縁状を渡せ、渡せば逮捕だけはしないでやる」
「嫌だ! 妻がいなければ俺は破産する、破産するくらいなら逮捕された方がマシだ……! 妻さえいればいい、金……愛さえあればいいんだ!」
「金ですか……」
(旦那様は、変わってしまった……)
おじいちゃんと街の川で釣りしていた時——
『どっちが大物を釣れるか勝負よ、おじいちゃん!』
『まだまだ、孫娘に負けるわけにはいかんな!』
『少年が判定してね!』
『いいですけど、孫姫と総帥より大物を釣り上げてる人がいますよ』
『え!?』
勝負に熱中してる私たちの横でサクッと大物を釣ったのが旦那様だった。
『貧乏貴族だから夕食くらい自分で調達しないと』
(欲がなく、ただ純粋な生活のための釣りで私以上の腕前な所がカッコよかった。結婚してからは、旦那様を見習って釣りより生活を基準にしていたのに……)
(生活が旦那様に欲を与えてしまった)
(生活にはお金がいるし、身分があれば実入も大きい……)
「もう、私が好きだった旦那様はどこにもいないんですね……」
私は、情け無い顔で私に愛を乞う旦那様を見た
私に見つめられて、懸命に愛想を振り撒こうとするけど、私が旦那様をまっすぐ見つめているのに、旦那様の目は私の目だけ避けて泳いでいる。
そんなバレバレの嘘の愛の餌では魚なんて釣れないわ。
「あなたは私をしっかり釣っていたのに、逃した魚は大きかったわね」
「お前はまだ僕の妻だ、逃げられるわけがない」
「あなたに私の自由は奪えないわよ。書類上の妻でも、そばにいなければ意味がないでしょう? あなたに変わって借金を返す気はないのよ」
「なんだと……!」
「私はどこかで優雅に釣りしてますから、借金は自分で返してください。釣りの費用はもちろん、書類上の夫である旦那様に請求書がいくようにしますね」
「……! バカな……!」
「王太子、この船のチャーター代や滞在費と、王太子が自ら作ってくれた料理の値段はいくら?」
「俺がハーブの選別から全て手をかけた料理だからな……船のチャーター代なんかとは比べられない額になるな……」
旦那様に冷たい笑みを向けて王太子が言う。
ちょうど国の兵士が旦那様を、王族の船に無許可で乗り込んだ罪で連れて行く。
「待て! 俺は鋼鉄総帥の孫姫の夫だぞ!」
旦那様が兵士に喚く。
「いや、違う、こんな金食い虫いらない……! クソっ、お前は俺とやり直すんだ! 一緒に街の川で、また釣りしよう!?」
ドキっと胸が動いてしまう。
(街の川での釣りも楽しかった……)
(だからこそ許せない……!)
「王太子、もっとたくさん最高の料理を作ってね。私の旦那様が支払ってくださるから」
「さっき以上の高級食材を用意しよう。孫姫の釣った魚との相性は最高だ」
旦那様は青くなる。
「早く書類上の夫婦をやめないと国家レベルの借金が膨らみますよ? 私はずっとこのままでも一向にかまいませんけど」
「……俺は、何を間違えたんだ……」
「最初から私よりお金を選んでいたのは旦那様でしょう? 一生離れられないようにしてあげますから、愛したものと添い遂げてください」
旦那様は兵士に両腕を掴まれたまま膝をついて、絶望している。
「お金なんて私にはありすぎて使い道もないものなのに……釣りさえ続けていれば、旦那様にいくらでもあげたのに……」
「そんなにすごい釣り人だったのか……」
「もう興味ありませんけど……あ!」
兵士が罪人を連れて行く海の上に巨大な魚のヒレが見えた……!!
「あれは……クロマグロ!?」
「……あれを釣るのか、孫姫!?」
「もちろんです。王太子は、キッチンへ……」
魔法で船を自動運転にする。
私は大物への期待に、身体が震えていた。
◆◇◆
私と旦那様の離縁状が無事に受理されて、私は独身に戻った。
「あー! 楽しかった! 正式に受理されるのを待つ間、王太子と海釣りするの楽しすぎ!」
釣った魚と王太子の料理を思い出す。
(どれも最高すぎて、思い出すだけで涎が出るわ……)
(何より、海の魚の餌を引く力の強さ……! しなる竿を引き上げた時の快感! 海釣り最高!)
「俺との時間を気にいってくれたみたいだね、孫姫」
「ええ! とっても」
私は笑顔で答えた。
「それじゃ、俺と結婚してくれるね?」
王太子が私を優しく引き寄せた。
「いいえ、それはお断りします」
「はっ?」
「海釣りは堪能できたから、しばらくはいいわ。次は渓流釣りよ!」
王太子が呆然と私を見てる。
「別の隣国にとってもいい渓流があるんだけど、そこの王太子に『俺と結婚しないなら、君に我が国で釣りはさせられない』って言われて、入国禁止になってるの。独身に戻ったし、あっちの王太子と結婚するわ」
「渓流のある国の王太子って……アイツか!?」
私は王子の頬にキスした。
「じゃあ、楽しかったわ! またいつか会いましょうね、王太子!」
魔法陣を描いて転移する。
◆◇◆
俺が荷物の整理をしていると奥様……孫姫が転移してくる。
「執事、お兄さんに会ってきたわよ」
「十年以上前に捨てた国のことはどうでもいいです」
「ふーん。おじちゃんといい、お父さんといい、執事といい、なんで、あの国の三男って権力を捨てたがるんだろう?」
「兄が二人もいたら王になれるわけじゃないし、王宮なんて窮屈なだけだろう」
「執事は釣りしないのに……」
「釣りだけが自由なのか? 総帥と孫姫だけの基準だ」
「で、屋敷の整理は終わった?」
「そんなもの、こんな短期間で終わるはずないだろう」
(もちろん、本当は終わらせている)
「旦那様に船のチャーターなんてさせて追いかけさせるから、色々面倒がおこるのよ。執事がこっちで離縁状はなんとかしてくれればよかったでしょう?」
「孫姫を一時的にでも妻にしていた男を俺が許すはずないだろう。捕まったくらいじゃまだ生ぬるい」
「一生返せない借金は負わせておいたわよ?」
孫姫が俺に抱きついてキスする。
「次は渓流の国の王太子と結婚するから、執事も急いで来てね」
「他の男と結婚するんでしょう? 俺にキスなんてしていいんですか」
「今は独身だもの」
俺は孫姫を強く抱きしめた。
世界中の王太子から愛されている孫姫は、今だけ、俺のもの。
第三王子の身分を捨てたから手に入った。
独身の時の孫姫は、いつも俺だけのものだから。
「一生そばにいてね、執事」
「当然です」
孫姫が幸せそうに笑う。
少年だった時から、孫姫は必ず俺の元に戻ってくる。
一生を捧げると決めた何よりも大切な人——。




