4.龍の尻尾(後)
「あの、センキ様」
「……イレーシスか」
イレーシスが一人、俺の元にやって来た。
こうして考えると、ここに集っている人の中でも彼女はかなりまともだ。
ドルクは……明らかにおかしいとまでは言わないが、どこか怪しさを感じないでもない……。
もっとも、自慢じゃないが俺は人を見る目には自信がない。これでドルクが真っ当な人物なら、俺は彼に謝罪しよう。
「ドルク様から伺ったのですが……センキ様は、龍王様に命を救われたのだとか……」
「ん? あぁ、そうらしいな」
「……! つまりあの方には、死者を生き返らせる力がある……?」
「んー……」
死者を生き返らせる――その言い方には、俺はどうも違和感がある。
「そう言ってしまっていいのかは、疑問だな」
「え――ですが……」
「上手く言えないんだが、少し違うような気がするんだ」
俺は電車に撥ねられて死んだ。だが俺は生きている。こっちの世界で。
それは龍王が、俺の魂をこちらの世界に“呼んだ”からだと言っていた。しかし『魂を呼んだ』という言葉を文字通り受け取るなら、俺の元の身体はとうに朽ちているはずだ。
だからと言って幽体というわけでもなく、ちゃんと俺には肉体がある――はず。ならば、それは確かに“生き返った”と言えるだろう。
少なくとも、身体を与える能力ぐらいはありそうだ。
「うむ……生き返らせる……と言ってもいいのかもしれない」
元の身体と違うとはいえ、外見は同じで魂も同じ、それに記憶もちゃんとある。名前が変わっても俺は俺のままだ。
「やっぱり、あるんですね……! 蘇生の力が……!」
「イレーシスには生き返らせたい奴でもいるのか?」
「……。私――」
「ねぇねぇ、その話! もっと聞かせてよ!」
「?」
飛び込んできたのは子供の声だった。
「子供?」
その“少年”は、大きな岩の上に立っていた。興味深そうにこちらを見下ろしていたかと思うと、身軽な動作で俺たちの眼前に降り立つ。
10歳前後……だろうか。まさかこんな子供までいるとは思わなかった。
半袖のシャツに短パンという出で立ちは、俺がよく知る日本で見た子供の姿とあまり大差ない。
「あなた、その手足……」
イレーシスがそう言ったことで俺は気付いた。
彼の肘や膝――関節が人形のようになっていることに。そう言われてみると、身体そのものにも肌らしい質感はなく、全体的に作り物のように見えてくる。
「あ~これ? さっきのビリビリ~ってやつでこうなったんだ!
そんなことより、さっきの話!」
少年は身体のことはあまり気にしていないようで、キラキラ輝く目で俺を見上げた。
「お兄さん、さっきの話ホント!? お兄さんが生き返ったって!」
「ああ、俺は一度死んでいる」
答えると、少年はずいっと更に身を乗り出す。
「凄い凄い! ねぇ、その話詳しく聞かせてよ! どんな風に死んだの!? それで、どんな風に生き返ったの!?」
「それは――あぁ、その前に名前を聞いておこう。俺はセンキだ」
「僕? 僕はギィ! ホントはギードって言うんだけど、ギィって呼ばれてるよ!」
「そうか、よろしく」
「お姉さんは?」
「私はイレーシスです。よろしくお願いしますね」
イレーシスは子供相手でも変わらず敬語で話すようだ。なんとも丁寧な性格である。
「ふ~ん。なんか呼びづらいから、お姉さんのままでいい?」
「ふふ、たまに言われるんです。呼びやすい言い方でどうぞ」
イレーシスは微笑を浮かべる。
変わった名前だとは薄々感じていたが、それは俺が異世界から来たからだと思っていた。こちらの住民でもそう感じる人はいるようだ。
「で?で? お兄さんの死に方は?」
「…………」
話すのは構わないが、『電車に轢かれた』と言って伝わるものだろうか……? こちらの世界にあんな乗り物があるか……?
「ギィ。電車が何か分かるか?」
「デンシャ? 何それ?」
「……なら鉄道とか列車とか……汽車でもいい」
「さぁ。知らな~い」
「…………」
「あの、すみません……私にも何がなんだか……」
「そうか」
やはりこちらの世界には、電車に近いものは存在しないようだ。そんなことだろうとは思っていた。
「その、キシャ? レッシャ? ってなーに?」
「一言で言うなら乗り物だな」
「つまり馬車のようなものですか?」
「まぁ、種類としては同じものだ」
俺は地面にしゃがみ、近くに落ちていた石を手に取る。鎧を着けているからか、なんだかいつもよりしゃがみづらい。
それはともかく、俺は手に持った石の角で地面に絵を描いていく。ギィとイレーシスも同じようにしゃがみ込み、俺の手元を覗き込んだ。
「こんな感じだな」
とても簡易的な車両の絵を示す。
「これがレッシャ?」
「実際にはこれがいくつも連なっていて、それぞれに人を乗せて走るんだ」
「へ~凄い! こんなの僕初めて見たよ!」
「これに轢かれて俺は死んだ」
「…………」
「そうだったんだ!」
イレーシスがちょっと気まずそうにする一方、ギィは無邪気なものだった。
彼は子供らしいキラキラした目で絵を見つめていて、次にその目を俺に向けた。
「キシャもレッシャと同じ?」
「いや、少し違う」
「じゃあどんなの?」
目を輝かせて訊いてくるギィがなんとなく微笑ましく感じる。無邪気な子供を見て微笑ましいと思うなんて、柄でも無い。
しかし俺は彼の質問に答え色々なことを教えてやった。
ふと――この世界に存在しない物のことを教えてしまってはマズいのではないか――そんな疑問が過ったが……
まぁ、大丈夫だろう。悪いことは起きないはずだ。
「センキ様の世界には、私には想像もつかないものがたくさんあるのですね」
「よその世界のことだ。イメージしてもらうのは簡単じゃないだろう」
「お兄さんの話聞いてるの楽し~。乗物の話ワクワクする!」
「世界が変わっても、子供というのは乗り物が好きなものなんだな」
「?」
「子供の頃は、俺の周りも乗り物好きが多かった。写真を見たり実際に乗ったり……」
もっとも俺はそうでもなかった。
思えばこれまで、誰かと『話が合う』という経験をした覚えがない。これに関しては、ロクに趣味や興味の対象を持っていない俺が悪いんだが。
俺自身が話し上手ではない上に共通の話題もなければ、話が弾むはずもない。
ひょっとしたら今日は、人生の中で一番人と話している日かもしれないな。
「ああ、そうだ。模型のオモチャを集めてる奴も多かったな」
「へ~、そんなオモチャがあるんだ!」
俺も昔もらったことがあったが、興味がなく遊んだ記憶はない。今思うともったいないことをした。
「……あ!」
突然、ギィが大声を上げた。
「すっかり忘れてた! お兄さん、このデンシャに轢かれて死んだんでしょ? それでそれで、どーやってここにるの!?」
そういえば、そんな話をしていたんだった。
しかし俺に分かることと言えば龍王に聞いたことが全てだ。改めて話せることもないだろう。
「それは俺に訊くより、龍王に直接訊ねてもらった方が早いだろう」
「ふ~ん、そっか! 分かった、龍王様に訊いてみるよ!」
そう言うと、ギィはどこかに駆け出して行ってしまった。
早速、龍王を探しにでも行くつもりかもしれない。姿は見えないが、この辺りのどこかにはいるんだろうか。
「あっという間に行ってしまいましたね」
イレーシスの言う通り、岩場の向こうに消えて行ったギィの姿はすでに見えなくなっていた。
何もない不毛な地だが、岩が多く遮蔽物が多いので見通しはそんなに良くないのだ。
「興味の移り変わりが激しいんだろう。実に子供らしい」
「……あんな少年まで、こんなところに……。彼の目的はなんなのでしょう? 私やドルク様と同じようには思えません」
「そうだ、その話なんだが……」
俺は2人と別れてから出会った人たちを思い出す。
言葉も交わしていない美女は置いとくとして――
凶暴そうなヴァネッサ、大男のサッドラー、半魚人らしきアグリオ、金ぴかのゴールダー……
「あの4人は、とてもリィンベルとやらに恨みや確執があるようには見えなかった。自身の欲望のままに行動しているように感じたな」
「……そう、ですか……」
「悲しむ必要はありません、イレーシス」
イレーシスが沈んだ表情を見せると、俺たちの元にドルクがやって来る。
「全ては龍王様の采配。目的のため、彼らのような者も必要だということでしょう」
「……。はい……理解はしている、つもりなのですが……」
「でしたら気を落とすことはありません。彼らとも手を取り合うだけのことです」
素直に頷けずにいるイレーシスを置いて、ドルクは俺へと視線を移した。
彼は俺に対する期待値が妙に高いようだ。異世界から来たというだけで、かなり特別な存在のように思われている節があった。
「あちらをご覧なさい、センキ」
「?」
岩に近寄ったドルクが、その隙間から前方を真っ直ぐに指した先――
「ほう、凄いな」
山間には、それは綺麗な湖が広がっていた。
綺麗な青緑の水を湛える大きな湖は、写真でしか見たことがないような光景だ。
「あれが、どうかしたのか?」
綺麗ではあるが、それ以上にどうこうという風には見えない。
「まぁ……綺麗ですね……」
同じように湖を見たイレーシスが感嘆の声を漏らす。
その時だった。
湖から飛び出た一匹の龍が宙へ舞い上がったのだ。
「……!」
長く透き通ったその身体は、全身がまるで水で出来ているかのような質感だった。たなびかせる二本の髭もまた水のようで、軌道には水滴が散る。
弧を描いた身体が再び水面下に潜ると、その衝撃で見たことも無い巨大な水飛沫が立った。龍のいた残り香のように、飛沫が雨のように湖面に降り注ぐ。
龍――まさかあれが龍王か? ふとそんな思考が過り、
「あれは水龍。龍王様はあのような者まで配下に加えたようです」
ドルクの言葉が俺の考えを否定した。
「龍王とは別の存在か」
「ええ。龍王様のお姿は、我々が目に出来るようなものではございませんので」
「……つまり、あんたも龍王の姿は見たことがないのか?」
「残念ながら。……お声は何度も聞いたことがございますがね」
どうやら龍王の姿を目に出来ていないのは俺だけではなかったようだ。
龍王か……どんな姿をしているんだろうか。やはり龍と言うくらいだ、先程の水龍と似たような姿なのか。王と言うからにはもっと雄大な姿をしているかもしれない。
気にはなるところだが……、
「ドルク、龍王の元にはどのくらいの人間が集っているんだ?」
「あの水龍と、あなたを含めて10名ですよ。あなたはすでに全員と顔を合わせたのでは?」
「…………」
イレーシス、ドルク――
名も知らぬ美女に、欲望まみれの4人――
ギィに水龍――
そして、俺か……
「確かに、そのようだ」
「――!?」
俺が頷くと同時、イレーシスが息を呑む音が聞こえた。その理由は俺の頷きに対してではなく、
「おお、龍王様……!」
胸に右手を当てたドルクの、熱に浮かされたような声が聞こえた。
視界の先、紫の空に黒雲が集った。黒雲はバチバチと電気を放ちながら渦を巻くように、山の上空を黒く染め上げていく。
『聞け、我が兵たち』
――龍王の声だ。
先程で影も形も見せなかった龍王が、再び俺たちの前に姿を現わした。しかしその姿は黒雲に覆われ、ただ薄らと巨大な影が見えるばかりだった。
発せられる声もやはり性別すら分からないものだったが、妙に通りの良い音は辺りに響き渡る。
『侵攻の準備は整った。我が兵たちよ、今こそソルードの地を恐怖で染め上げよう』
「やっとか。待ちくたびれちまったぜ」
「うっふふ~。いよいよなのね~ん♪」
サッドラーとヴァネッサはようやく訪れた時に高揚を隠しきれない様子だ。
気付けば誰もが黒雲の中にいる龍王を見上げていた。湖の水龍さえも。――王を仰ぐ兵士のように。
「イレーシス、ソルードとは……」
「この国の名前です。リィンベルによって支配された土地……」
「くくく……今夜、人々はようやくリィンベルの支配から解き放たれるのです」
『聖教団を破壊しろ。リィンベル信仰を砕け。頂に立つは我。偽りの神をその座から引きずり下ろすのだ』
「悪い奴らを倒すんでしょー? 任せてよ!」
「…………」
胸を張るギィの横で、美女は相変わらず無言のまま黒雲を見つめる。
「ははは! 新しい秩序はすぐそこだ!」
「街に降りたら、いーっぱい喰っていいんだよなぁ~」
ゴールダーとアグリオも“その時”を今か今かと待ち侘びているようだった。
言いようのない高揚感がこの場を満たしていた。部外者であるはずの俺すら呑まれてしまうような高揚感。
それは龍王の声と共に高まっていく。
『行け、兵たちよ』
リィンベルを倒せと。聖教団を倒せと。
『今こそ、平和へと歩みを進める時だ』
これから敷かれる新たな秩序。
『我らの手で実現するのだ』
それは龍王による恐怖の支配だと。
『この地を蹂躙せよ』
――そして。
龍王の号令によって、俺たちは聖都と呼ばれる街を急襲した。
だが、そこでどんなことが行われたのか――俺には全く分からない。
なぜなら俺が龍王から与えられた使命は『魔物の討伐』だったからだ。
街の外に出て、元からソルードに住まう魔物たちをひたすらに倒して回った。与えられた鎧の力は凄まじく、剣の一振りで相対した魔物たちは屠られていく。
そうして彼らを屈服させることで、俺たちに逆らえなくさせるのだと、龍王は言っていた。
魔物を倒すため、俺はずっと街の外にいた。だから他の連中の戦いぶりというのを目にしていない。
他の9人――8人と1匹が聖都でどんな行為を働いたのか、全く知らない。
ただ確かなのは、龍王の支配は思った以上にすんなりといったことだけだ。
教団は壊滅し、国中の人々が龍王への信仰を示した。それが表向きであれ本心であれ、人々が龍王に恭順し反抗していないという事実は変わらない。
結果的に言えば、龍王の目指した『恐怖による支配』という目標は、あっさりと達成されてしまったのだった――。
× ×
――襲撃からおよそひと月が経っただろうか。
鎧と兜を着けたまま、俺は雪が降る街中に立っていた。
あれからすぐ、龍王の兵たちはそれぞれに街を与えられた。俺たちはそこに君臨し街を支配するのだ。
今頃、他の連中も自分に与えられた街で好き勝手に振る舞っていることだろう。
だが俺はと言えば、どうだ。
「…………」
街を支配せよなどと言われても、俺にはどうすればいいのかさっぱり分からない。
しかも俺に与えられたのは、毎日のように雪が降り続ける北の街だ。寒いことこの上ないし、正直に言えば動きたくないし屋敷の外にも出たくない。
とはいえずっと屋敷の中にいても息が詰まる――なのでたまの散歩で街中に出てきているというわけだった。
俺の姿を見た住民たちは恐怖で顔を引き攣らせながら、俺や龍王に対しての忠誠を述べる。
俺自身が彼らに酷い行いをしたことはないのだが……他の奴らの行為がそれだけ苛烈だったということだろうか。
俺は支配になど興味はない。だから毎日寝て起きて、たまに散歩に出て……そんな生活を送っている。
それが正しいのかは分からない。龍王からすれば間違っているだろう。だが、別に反乱が起きているわけでもないしな。今のところ“支配”は上手くいってると言えるだろう。
恐怖か……。半信半疑ではあったが、人々の心を封じ込めるには、思った以上に効果的だったようだ。
「センキ様!」
『ん?』
俺の背後から声を掛ける者があった。
未だに呼ばれ慣れない名ながら振り向くと、そこにいたのは若い男だ。
「こちらにおられましたか。屋敷におりませんので、ずいぶんと探しました」
『そうか、それは悪かった』
兜ごしのくぐもった声は、ちっとも俺の声には聞こえない。やはり、慣れないな。
『それで……探していたということは、俺に何か用か?』
「はっ……」
彼は、以前までこの街の領主を務めていた男だった。名前は……聞いたような、聞いてないような。
まぁいい。とにかく元領主の男は、俺のせいで立場を追われたわけだ。
しかし俺に対して物怖じすることなく話しかけてくるし、屋敷にも頻繁に出入りしている稀有な人間だ。
「失礼ながらセンキ様は、現状に満足をしておられるのですか?」
『……どういうことだ?』
俺は首を傾げる。
「恐怖による恒久的な平和の実現……俺は、龍王様の思想に深く共鳴しております」
『…………』
珍しい。こんな奴もいるのか。
「しかし……僭越ながら……センキ様からは、積極的に人々を支配しようという気が感じられません」
『うむ。その考えは正しい。実際のところ俺は支配などに興味はないし、そもそもやり方もよく分かっていないんだ』
「…………」
男が目を見開いた。まさか、俺が正直にこんなことを言うとは思わなかったんだろう。
「センキ様……何もせずに人々を放置すれば、やがて彼らの心には反抗心が芽生えてしまいます。それは必ず、龍王様のお作りなられた平和を揺るがす一穴となりましょう」
『そうは言ってもな……』
「平和の実現のためには、たゆまぬ努力が必要であると考えるのです。支配をもっと強固に、確実なものにしなくてはならないと」
ずいぶんと熱心な男だった。これだけでも彼が心から龍王を信仰しているのだと分かる。
だがどれだけ熱心に訴えられたところで、俺が心変わりすることなど、そうそうないだろう。
「――センキ様」
男は、真っ直ぐに俺を見つめてくる。一点の曇りもない目で俺を見ながら、こう続けた。
「一つ、提案がございます――」