3.龍の尻尾(中)
俺はドルクとイレーシスの元を少し離れて別の人たちの様子も見に行くことにした。
遠くの景色を見るに、どうやら俺がいる場所は山の中であるらしいと推測する。
綺麗な景色などはなく、辺りに広がっているのはゴツゴツとした岩場だけ。動物はおろか植物すら見当たらない。不毛の地というやつか。
「ん?」
誰のところに行こうかと思いながら歩いている最中だ。俺は背の高い岩の柱たちの向こうに一人の女を発見した。
――信じられないほどの美女だった。
長い髪はまるで雪のように白い。そしてその顔の造形は遠目でも分かるほどに整っている――整いすぎていると言ってもいいくらいだった。恋愛だの女性だのに疎い俺ですら、思わず見とれてしまうほど。
もちろん、美人と言うならイレーシスだって美人だ。しかし目線の先にいる彼女の美しさは、まさに「この世のものとは思えない」。背筋も凍るほどの、というのはこういうことを言うのだろう。
「…………」
俺の視線に気付いたのか、女がこちらに目を向ける。その目はまるで俺を睨み付けているようで――
「…………」
冷たい目でこちらを見たまま小さく鼻を鳴らすと、俺に背を向けどこかへ行ってしまった。
「…………変態だと思われたか」
ちょっとジロジロ見すぎていたかもしれない。痴漢だと騒がれなくて良かった。
……いや、さすがに見ていただけで痴漢はないか。言い過ぎた。とにかく、罵られなくて良かったな。
俺はあまり気にしないことにした。きっと彼女は少し気難しい性格だったのだ。
そう思い、俺は踵を返す。
それにしても、歩くたびに鎧がガチャガチャと音を立てるのが耳に慣れない。さっさと脱いでしまいたいところだが――
「あ~ら~、いい男じゃな~い♪」
「?」
聞こえたのは女の猫撫で声だった。
まさかさっきの美女じゃあるまいな、と思いながら俺はそちらに目を向けた。
「……俺のことか?」
「やだぁ♪ 自分のカッコよさに無頓着ってタイプ~? いやぁん♪」
「…………」
案の定、そこにいたのはさっきの美女とは別人だった。
女――というより少女と表現した方が良さそうな歳だ。
彼女はピンクの髪をしていて、それを所謂ツインテールという髪型にしている。
気になるのは、彼女の背中に蝙蝠のような黒い翼が生えている点だ。……これは飾りか? それとも、この世界ではこういった外見は普通なんだろうか。
「ねーえ、あなたお名前はなんて言うの?」
「センキだ」
2回目だから、今度はすんなり答えることが出来た。
「お顔だけじゃなくて、お名前もス・テ・キ! あたしったらあなたのこと好きになっちゃいそう!」
「そうか」
顔を褒められたのなんて初めてだ。俺が過去、顔について言われていたことと言えば『全然表情変わらないね』くらいのものだった。
「あたし、ヴァネッサって言うの。これからよろしくねぇん♪」
「ああ、よろしく」
「うふふ。ねえ、センキもここにいるってことは、龍王様に叶えてもらいたいことがあるのよね? それは一体何?」
「…………」
当然のことのようにヴァネッサは言う。つまり俺以外の連中には、『叶えてもらいたいこと』とやらがあるわけだな。
だが、それだとドルクの説明と食い違うような。……そうでもないか。龍王が目的達成のために、願いを叶えると言って兵を集ったと考えられる。
ドルクやイレーシスと、このヴァネッサではここにいる目的が違うのだろう。
「……そういうあんたは?」
「あたし? あたしはねぇ、世の中のものみーんなぶち壊してやるのよっ」
「…………」
なんだこのいかにも悪人みたいな答えは。
「いったんぜーんぶメチャクチャにして、作り直した世界で女王様になるの!」
「…………」
「好みの男たちを侍らせるのよ! 素敵でしょ♪」
「…………そうか」
「へ~、ピンクの髪の奴ぁ頭ン中まで真っピンクなんだなぁ」
「はぁ?」
突如聞こえた声にヴァネッサは顔を顰めた。
「俺はお前に侍らされるなんて真っ平ごめんだぜ」
「はん! そもそも、あんたになんか興味ないんだよ、デカブツ!」
さっきまでの猫撫で声はどこへやら。いかにも強気な声で、近付いてきた大男に向かって彼女は叫ぶ。
きっとこちらが本当の彼女なんだろう、と俺はなんとなく感じ取った。
「そりゃあいい。俺もテメェみたいなガキにゃ興味ねぇ」
「ガキぃ? ホントにガキか試してみたい?」
そう言ったヴァネッサが翼を一度羽ばたかせる。それを見た大男の目に好奇が宿り――
「すまない、あんたは一体誰だ?」
俺は大男に訊ねた。揉めるのはいいが、こんなところで殴り合いでもされちゃ堪らない。
「あ?」
「あぁ、そうだった。俺はセンキと言うんだ。よろしく」
人に名を訊く時はまず自分から名乗れ、とはよく言われることだ。好戦的に見えるこいつに殴られないよう、自分から名乗った上で手を差し出し友好をアピールする。握手なんて文化がこっちの世界にあるかは知らんが……。
「俺はサッドラーだ」
大男が名乗る。差し出した手は無視された。
「テメェがどこの誰かは知らねぇが、そこのクソガキよりはマシに見えるな」
「うふふ、デカブツがなんか言ってやんの」
「…………」
この2人の間に挟まれるのはキツい。
それにしてもサッドラーか――ヴァネッサが『デカブツ』と言う通り、本当に巨大な男だ。
身長はおそらく2メートルを超えるだろう。身体の幅も広いが太っているということではなく、筋骨隆々という言葉が当て嵌まる。
短めの赤茶の髪や鋭い眼光からは、粗野な印象を受けた。本人の言動を見るに、その印象は間違っちゃいないだろう。
「だがクソガキがさっき言った、全部ぶち壊して王様になるって発想は悪かねぇ。俺も似たようなことを考えてたんだ」
「あらぁ、話が分かるヤツね」
「…………」
ずっといがみ合っているのも嫌だが、意気投合されるのも嫌だな。
「呑気な連中をどん底に突き落としてやるのは愉快だよなぁ。なぁ、そうは思わねえか?」
「……俺は、別に……」
「んだよ。つまんねぇ野郎だぜ。そのゴツイ鎧は見掛け倒しか?え?」
「あたしは分かるわぁ。今から楽しみだもの! ザコどもが絶望しながら、あたしを女王と崇めて跪くのよ! 想像しただけでゾクゾクしちゃう。言うこと聞かない連中なんてぶち壊してやるんだから♪」
――俺は、果たしてここにいていいんだろうか。
そんな不安が首をもたげてきた。
龍王やイレーシスから話を聞いた時は、ある種『正義』のようなものを感じたのだが……。この2人はただ己の欲望に忠実という感じがする。
が、恐怖による支配を望むなら――これぐらいの連中がいた方がいいのか?
「おでは、腹いっぱいのメシが食えたらいいなァ」
そこに別の声が一つ、聞こえた。
「メシだとぉ?」
そいつはサッドラーの隣に立っていたらしい。姿を確認しようとして――
「……?」
――半魚人?
サッドラーの三分の二ほどの背丈に丸々と太った体型。そこに乗っかる頭の形は魚のようだった。
そしてぎょろりとした目玉。薄茶のローブから覗く手足は、くすんだ緑色をしていて全体的に硬質だ。しかも尾ひれのような尻尾まで生えているとすれば、これをただの人と言い張るのは無茶では。
この世界にはこんな生き物もいるのか、不思議なものだ。
「なによメシって! そんなこと言ってるからブクブクに太っちゃうんでしょーが」
「いいんだよォ。おではいっぱい食えたら、それで」
「もっと人間どもを支配してやりてぇとかねぇのかよ」
「おではメシさえ持ってきてくれればいいよォ」
姿は奇妙だが、言ってることは2人よりはマシに思えた。そのサッドラーとヴァネッサは、揃って面白くなさそうな表情を浮かべている。
「君たちの言ってることは全てナンセンスだ!」
そこに、割って入るように新手の声が飛んだ。
一斉に目を向ければ、そこにはド派手な男が立っていた。
全身を金ぴかのスーツで固め、全ての指に金色の指輪を着けている。見ていると眩しくなるような男だった。もちろん、悪い意味でだ。
「男、女、支配、飯、そんなものは所詮、後から勝手に付いてくるおまけに過ぎない!」
「じゃあなんだって言うのよぉ」
「分からないのか?」
不服そうなヴァネッサに、新手は小馬鹿にしたような目を向けた。
「この世で最も価値のあるもの――それは金だ。金さえあれば、何だって手に入れることが出来る! 金こそ至高!」
「金~?」
「金! 黄金! それ以上に価値のあるものなど、この世には無ぁい!」
さすが、姿が金ぴかなだけある。筋を通していて好感、となるかと言われると疑問だが。
「お金なんて集めたって、なんになるってのよ」
「つまんねぇ野郎だ」
「……そこの鎧のお前。お前は、私の言っていることを解ってくれるな?」
ヴァネッサたちがあまりに白けた反応をするので、金ぴかか俺に目を向けた。解ってもらえて当然、というような言い方だった。
「確かに生きていくために金は必要だからな」
「おお! 君には金の大事さが分かってもらえるか!」
「え~! センキってばぁ、そんな奴に共感してあげる必要なんてないのにぃ!」
「……無理に共感しているわけではないんだが……」
実際、生きてくのに金が必要でなければ俺は就職などしなかったろう。
何もせずに、ただぼーっと過ごし、腹が減ったらそこらにあるものを食う……そんな生き方が出来るなら最高だ。
しかし残念ながら現実はそうもいかない。野生の木の実でもなきゃ飯の調達には大抵金が掛かるし、住む場所だって必要だ。
いっそ森の中でテントでも張って過ごすか……。せっかく得られた第二の人生なのだから、今度こそ理想通りに過ごしてみたいものだ。
「お前、何をぼーっとしてるんだ?」
「……ぼーっとしてたか?」
「ああ、してた」
「そうか。気を付けよう」
『いつもぼーっとしてる』は同僚たちからもよく言われたことだ。『鈍い』とかも言われたっけか。
そんなつもりはないのだが……少しは気を付けないとな。
「つまり金ぴかのあんたは、龍王に金を恵んでもらうためにここに来たということか?」
俺がそう聞くと、金ぴかはこちらをギッと睨み付けた。
「オレは金を恵んでもらうために来たんじゃない。金を稼ぐために来たんだ」
「稼ぐ?」
「いいか? 私は他人から与えられた金で金持ちぶりたいわけじゃない。私は、自ら稼いだ金で億万長者になったのだ!」
「なるほど。つまり、今あんたは金持ちなわけだ」
「ほう。それなら俺らにぶち壊される前に、壊す側に立つってのはいい判断だな」
サッドラーの言い分はどうかと思うが確かに一理ある。龍王が本当に国の秩序を破壊してしまうなら、築いた財産もおじゃんになってしまう可能性は高いのだ。
「あと、私の名前はゴールダーだ。しっかり覚えろ」
「ああ。俺はセンキだ」
黄金や金が好きで名前がゴールダーとは……
「名が体を表すとはよく言ったもんだな」
「ん? どういうことだ?」
「……。いや、いい。忘れてくれ」
なぜか言葉が通じているのでつい忘れがちだったが、ここは異世界なんだった。地球ではないから、当然英語が通じるはずもない。
日本語が通じている理由は……まぁ、たぶん龍王が何かしたんだろう。
そこで、半魚人がすすっと前に進み出た。
「おで、アグリオってんだ。あんた金いっぱい稼いで、おでにメシいっぱいくれよ。よろしくなァ」
そんな半魚人――アグリオをゴールダーは冷たい目で見下ろし、
「なんだ?この半魚人」
そして続ける。
「言っておくが私は誰にも金を恵んでやる気なんてないぞ。飯代くらい自分で稼げ」
「おでは金じゃなくて食い物が欲しいんだよぉ」
「だから!お前に飯を恵んだら私の金が消えるだろうが!」
なんて噛み合っていない会話を交わす。
アグリオの頭の中は食い物のことだけでいっぱいらしい。
「な~にがお金よ~。お金なんて他人から無理やり奪い取ればいいんだわ。それか男に貢がせるとか! そ・れ・に、黄金なんかよりあたしの方が綺麗だし♪」
「お前とは永遠に分かり合えないな、このアバズレ」
「なんですって!?」
「…………」
俺は静かに彼らの元を離れた。
色々話した結果、失礼ながらあまり仲良くしたいと思えるような連中ではなかった。
龍王の目的達成のため、彼らの力が必要なのかもしれないが……。
それにしても龍王は一体何をしているんだ? あれ以来ちっとも声を掛けてこない……そもそもどこに行ったんだ?
そんなことを考えながら、しかしまだ他にも誰かいるのではと思いながら俺は岩場を歩いていた。