2.龍の尻尾(前)
電撃が止まると身体からゆっくりと痛みが引いていき、それと共にあれだけ濃かった霧も徐々に晴れていった。
少しぼんやりする頭のまま、俺はふらつきながらなんとか上半身を起こす。
ようやく龍王の姿が分かるな……と思ったのも束の間。俺の正面にあったのはただの岩で、期待していた龍王の姿はそこにはなかった。
周囲を見回しても、龍王と思しき者の姿はどこにもない。同時に俺はこの時、この辺りが岩場だったことにようやく気付いた。
なんだか奇妙な心地だった。俺は今までこんな所で話していたのか。
「何だったんだ、今のは?」
龍王のことも突然の痛みのことも、夢だったのではと思えてくる。
『異なる世界』なんてものはなく、俺は死の縁で幻覚か何かでも見ているのではないかかと。
「やはり――ん?」
もう一度言葉を発してすぐ、俺は違和感に気付いた。
「なんだ? 急に――」
声がおかしい。異様にくぐもっていて、まるで自分の声に聞こえない。
「?」
視界もさっきより狭くなっているような? 衝撃の辺りから、なんだか色々とおかしいようだ。
「……鎧?」
狭い視界ながら自身の姿を見回して、俺は自分が黒い鎧らしきものを身に着けていると分かった。
一体いつの間にこんなものを? 疑問に思いながらも、思い当たる可能性は一つだけだ。あの衝撃の時、龍王が俺に何かしたんだろうか。
あぁ、そうだ。ということは、俺は兜でも着けているんじゃないのか? 視界が狭いのも声がくぐもっているのも、きっとそのせいだ。
「どうやって外すんだ? なんだこれ、留め具か?」
「あの、大丈夫ですか?」
「ん?」
外し方が分からずに悪戦苦闘する俺に話しかける声があった。
高い、女の声だ。口調から言って龍王ではないな。……そう考えながら声の方に目を向ける。
そこにいたのは長い金髪の美人だった。白を基調にした、ドレスのような派手な格好をしている。
色白で、耳は長い――エルフというやつなのだろうか。いかにも優しげな顔立ちをしていて、赤い目が俺を心配そうに見ていた。
「あんたは――」
「何か困っているのでしたら、手を貸しましょうか?」
「……いや、大丈夫だ」
手を借りる前に、どうにか留め具を外すことが出来た。少し重ための兜を両手で掴んで持ち上げる。
「ふぅ」
やっとスッキリした。開けた視界に満足して、俺は空を仰ぐ。
――濃紫色の空。変な色だ。一応、夜ということでいいのか?
「この通り、手を借りる必要は今なくなった」
「……そんなお顔と声をしていたんですね」
「うむ。この兜はちょっと、声がくぐもりすぎだな」
こういう場合の文句は誰に言えば良いのだろう。やはり、俺にこんな鎧と兜を与えた――と思われる龍王にか。
しかし、本当に俺以外の人がいたとは。周りを見渡してみると、どうやら他にも何人かの人影があるようだった。
「ところで、あんたは?
――あぁ、俺はふじ――センキだ」
本名を言いかけ、先程与えられた名を言い直す。別に名乗れと指示をされたわけではないが、与えられたからには、そうした方がいいだろう。
「センキ、さま? ……変わったお名前の方ですね」
「ああ、俺もそう思う」
――龍王め。よくも変な名前を付けてくれたな。
心の中でそんな悪態をつく。
会社の同僚たち――元同僚たち曰く、どうやら俺は考えていることが表に出ない性質らしいので、悪態が顔に出て気を悪くされることはないだろう。
「センキ様、変わった人ですね。ふふ」
「そうか?」
変わり者だと思われてしまった。馬鹿にされてるわけじゃなさそうだから、まぁいいか。
「――あ、すみません、そういえばまだ名乗っていませんでしたね」
慌てたように言ってから、彼女は俺に向かって頭を下げる。
「私は、イレーシスと申します」
目を伏せ膝を折る動きに合わせて金髪とドレスの裾がなびいた。
「……。うむ、まぁよろしく」
こういう時なんと返せばいいのか分からず、結果そんな言葉が口から出る。
何をよろしくするのかもよく分かっていないが、とりあえずこう言っておけば当たり障りない。
それにしても、彼女や他の人影たちはなぜこんな場所にいるんだろう。さっき龍王が言っていた通り、兵にするため龍王が集めたと考えるのがやはり自然か。
……まさか全員俺と同じか?と思った予想を、俺は一瞬で否定した。
こんな耳の長い人間は、地球にはいない。
だから、少なくとも彼女は“この世界”の住民であるか、または更に別の世界から呼ばれた可能性があるということだ。
――などと柄にもなく考えていると、顔を上げたイレーシスは、微笑みを厳しめの顔付きに変えて言った。
「ここに呼ばれたということは、センキ様もリィンベルに恨みが?」
「リィンベル……?」
それは一体なに――いや、誰、か?
「すまない。その、リィンベル……とは何だ?」
「――えっ?」
問いに、イレーシスは顔色を変えた。
「リィンベルを知らないと言うんですか……!? そんなまさか……」
彼女は信じられないといった様子で驚く。
しかし今さっき無理やり連れて来られたばかりの俺には、あらゆる事情が理解出来ていないのは言うまでもない。
分かるとすれば、彼女の口ぶりからしてその『リィンベル』とやらは、“この世界”の人間にとってそれだけ馴染みのある存在ということだろう。
やはり、イレーシスは“この世界”の元からの住民だと考えて良さそうだ。
「ちょっと色々事情があってな。あまりこの辺のことには詳しくないんだ」
「で、ですが……。そうだとしてもリィンベルを知らないだなんて……そんなことが……?」
異世界から来たとは言わずぼかした説明をすると、彼女は困惑の表情を浮かべた。
そこでリィンベルとは何か、改めて訊ねようとして――
「それは、彼がこの国の人間ではないからですよ」
俺たちの元に近付いてくる訳知り顔の男が、イレーシスの疑問に答えた。
黒い髪に柔和な表情、丁寧そうな物腰。一見すると優男風だが――なんだろう、どこか底知れないもの感じる。
「より正確に言えば、この世界の人間でもない。なんでも龍王様によって異世界から招かれたのだとか」
「あ、おい……」
異世界のことは黙っておいた方がいいかなんて思っていたのに、第三者によってあっさりとバラされてしまった。
「……異世界、ですって?」
それによって、イレーシスはますます怪訝を深めたようだ。俺と男の顔に交互に目を遣る。
「……招かれたという表現にはやや語弊を感じるが、事情としては間違っていないな。
あんた、さっきの俺と龍王の話を聞いてたのか」
「ええ。おまけに龍王様じきじきに名前まで賜るとは、実に羨ましい限りでございますよ」
どうやら、ずいぶん龍王のことを慕っているようだ。
それから俺は彼を見ていてあることが気になった。彼が聖職者のような出で立ちをしている点だ。
ただ俺にそう見えるからと言って、それが聖職者の恰好とは限らない。なにせここは今まで俺がいた世界ではないのだ。全ての常識が違うという気持ちでいるのがちょうどいいくらいだろう。
「ところで、あんたは?」
「おお、これは失礼しました。私はマーズドルク。ドルクとお呼びください」
「あの……ドルク様。あなたのその恰好……ひょっとしてあなたは、聖教団の司祭の方……?」
イレーシスが不信感も露わにマーズドルクに訊ねた。
何がなんだか分からない。が、言葉の響きからして彼は本当に聖職者だったようだ。
「あなたが警戒するのも無理からぬことです。事実、私はつい先日まで聖教団に属し、リィンベルに祈りを捧げていたのですから」
「……そのような方が、なぜ?」
疑問を浮かべるイレーシスに対し、マーズドルクは少々芝居がかった仕草で両手を広げてみせた。
「――しかしどれほど祈っても、この世に救いが訪れることはない。座しているだけのリィンベルでは無力なのですよ。
だから私は、龍王様の思想に共鳴したのです。あの方ならば、必ずや美しき世界を我らに見せてくださるはずと」
紫色の天を見て彼は語った。
その言い方からするに、
「……つまりリィンベルとやらは、この世界の神か」
合点のいった俺に、イレーシスは苦々しげな表情を向ける。
「……この国で信仰されている――悪辣な女神です。自らのみを絶対の存在とし、信仰しない者を迫害する。そして、他の神を崇める人々の命すら奪う……」
「ほう。それはなんとも」
「そのリィンベルに対抗出来る力を持ちうるのが龍王様なのです。あなたも味わったでしょう? あの力を」
なるほど。あれは、龍王から力を授けられていたということだったんだな。
「ああ。……だが、物凄く痛かった」
「力を授かるためならば、あの程度安いものです。おかけで、あなたもその鎧という力を得られたのですから」
「……。……あぁ」
そういえば、俺は今鎧を着けているんだった。実感が無いから反応が遅れてしまう。
「……しかし、うむ……やっと見えてきた気がする」
龍王は『恐怖による支配』が目的のようなことを言っていたが、その中にはリィンベルの影響力の排除も含まれているということだ。
女神を崇める勢力というのは余程この国を牛耳っているのだろう。彼らが築いた秩序をまるごと破壊し、恐怖による新秩序を作ると。
――なんだか荒唐無稽に思えてきた。龍王だの神だの言ってる時点でどうかという話だが。
「龍王様が、異なる世界よりわざわざあなたを呼んだということは、大いに期待をされているということでしょうねぇ」
「いや……そんなことはないと思う」
呼ばれた理由は、ただの偶然だ。その点は龍王もはっきり言っていた。
「ふふ、ご謙遜を。私はあなたに大いに期待しておりますよ……。
恐怖で人々を抑え付け、争い合う心を挫く……。必ず、平和な世がやって来ることでしょう」
「そう上手くいけばいいけどな」
支配で平和が得られたとして、それを本当に『平和』と呼べるのかは疑問だが――その辺は考え方次第か。
「そうです、この場には他の方々もいらっしゃいますので、皆さんとも話してきてはいかがでしょう?」
確かに、ドルクの言う通りこの場には他にも人がいるようだった。せっかくだ、話してくるのもいいな。
「そうだな。同僚の中に話せる人がいないと孤立して浮いてしまうから、仕事もやり辛くなったりする」
「はい?」
「いや、いい。こっちの話だ」
そうして俺は彼らといったん別れ、他の人たちの元に向かうのだった。