1-3 炎に塗れて
家が燃えていた。
父が生きていた頃、頑張って働いてローンを返済してくれた、敷地は少し狭いけど3階建ての立派な家だ。
父は5年前事故で死んだ。
工事現場で働いていた時、突風でクレーン車が倒れ、吊っていた鉄骨が頭部に直撃し、即死だった。
稼ぎが良い分危険もある仕事で、保険には入っており、貯金もあったので生計は緩やかに下降していた。母も家事の合間にスーパーで働いてくれた。妹も家事を手伝ったり、最近は「投資で稼ぐ」とか言い出して部屋に引きこもったりしている(今のところ数千円しか儲けてない、マイナスになってないだけまだましだが)。
「お兄ちゃん!」
妹の声がして我に返った。
「野乃!」
何秒経った!消防署に連絡──いや、まず野乃を助けないと、
野乃は3階の小さい窓から顔を出して叫んでいた。
その窓は隣りの家との間にある。
煙の勢いはどんどん強くなっていき、野乃は苦しそうに咳払いをしている。
手元に梯子はないし、探す時間もない、受け止めるしか…
「野乃!窓が邪魔になるから蹴って外せ!」
窓が広がれば脱出しやすくなる、
「蹴れないし叩いても外れなかった!」
窓は横滑り出し窓で、蹴ったりすれば壊れそうだが、体制が悪いのかびくともしない。
なにか…なにか考えないと!
隣の家は二階建てだけど屋根に飛び移るには少し高くて遠い、窓が完全に上向きに開かないタイプだからさらに邪魔になってる、
「隣の家の壁に突っ張って降りれそうか!」
「無理無理突っ張るにはかなり遠いよ!」
隣との間にはブロック塀が1メートル程立っていて登れば少しだけ高さが稼げる、
煙の勢いはどんどん強くなる
「窓から後ろ向きに体を出して窓枠にぶら下がって!そしたら体を丸めて手を離して!受け止める!」
危険だがこれ以外に思いつかなかった
「怖いよ!」
「大丈夫、しっかり受け止めるから!」
「でも──」
「こんな時ぐらい兄を信じろ!」
我ながら酷い言い方だ。これが妹を助ける台詞か。
野乃が体を出しながら言った。
「これで死んだら兄ちゃんの所為だかんね!」
「そんときは俺も死ぬよ!」
「え……」
戸惑いながらも野乃はこんな兄を信じて飛び込んできた。
妹の小ささをこんなに嬉しく思った事はない。
絶対受け止める!
その時、強烈な風が野乃と慶理を包み込み、落下速度が一瞬下がった。
何が起きたのかさっぱりわからず、なんとか野乃を受け止め───
「冷たっ!」
何故か野乃の体が氷の様に冷えていて、危うく落としそうになったが、何とか堪えた。
彼女は、へ?、と顔に出す。
「そういえば、火の近くに居たのに暑さはそんなに感じなかった」
家の一階、二階はどちらも炎の勢いが強く、三階の温度は上がる一方で、野乃が平気なはずがなかった。
「とにかく家から距離を──そうだ!母さんは?母さんはどうした!」
「わかんない…急に下からお母さんの悲鳴が聞こえて、その後すぐ爆発音もしたから2階に降りようとしたら、階段が燃えて、火が上がってきたから、とりあえずっ…トイレに籠って、窓から顔を出したらお兄ちゃん…がいたから声をかけたの…っ…」
少し安心したのか話している途中で泣きかけていた、
少し体温が上がったような気がする。
妹の部屋は、窓はあるが布団やぬいぐるみなど燃えやすい物があったので、火から一番遠いトイレに籠るしかなかったらしい。
その後、家から距離を取ってすぐ家が倒壊し、近所の方が通報したのか消防車が来たものの、間に合わず、鎮火した時にはもう家にあった物は全て家ごと燃え尽きていた。
警察にもいくつか質問されたけど何て答えたか覚えていない。
辺りが人と夕暮れに包まれていることも気づかなかった。
慶理には家を燃やした炎が納谷を燃やした炎と同じもののように思えて、
怖くて近寄ることも出来ず、
道の端に座り込んだ事にも気付かず、
泣き付く妹を横に呆然として、
目の前が真っ暗になって、
いろんな物が燃えた臭いがした。